「評伝 伊藤信司と稲山嘉寛たち―鉄屑業者百年の群像」発刊のお知らせ

 

発刊のお知らせ

 

■概説=本書は業界人、鉄鋼人百年の「大河列伝・歴史資料」としてまとめたものである。

戦前の鉄屑統制や戦後の鉄屑カルテル、それによる国家建設を果たした鉄屑業者の活動を通して日本鉄鋼業史を再確認する作業であり、現在進行中の業の姿を世に知らしめる試みである。歴史的背景の分析と共に、明治の人、岡田菊治郎、鈴木徳五郎ら業界人に始まって、永野重雄、稲山嘉寛ら鉄鋼界人、戦後は在日コリアンや沖縄の鉄鋼業を支えた古波津清昇、さらに平成に起業した渡来系業者など60数人に及ぶ。

 

■発刊協力および事前購入予約のお願い

 

本書は下記のとおり完成しました。今回は業界記録としてだけではなく、一般の皆様にも「読み物」としてお手に取ってもらうように心がけました。そこで大手出版に掛け合いました。

 

「今回、㏋や狭い業界関係者だけでなく、世に広く知らしめたいと思うに至りました。鉄屑・鉄鋼百年の歴史を生の人物を通して明らかにしたい。それもわずか数百部ではない。

もっと多くを・・・。その思いから、日本全国に通じる御社に別送原稿「評伝 伊藤信司と稲山嘉寛たち」の出版採用をお願いし、広く門戸を開けたいと決意いたしました。

まことに蟷螂之斧の試みです。ですが、使える石なら使ってください、との意気込みでもあります。その裁量・選択は御社の見識に委ねます」

との文章を添え21 2月、大手新聞社出版部に出版依頼を申し込みました。

 

ただ、その返事はまだありません。とすればやはり、自費出版しかないようです。

印刷本は44字×18行・タテ組を予定していますから、下記の原稿本(44字×36行・160p)の2倍、約320p超の製本となります。予定価格は2,000円+税です。

よろしければ、当㏋「お問い合わせ」からご予約をお願い申し上げします。

なお、他の出版社から発刊が可能となった場合は、その旨ご連絡いたします。

 

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「評伝 伊藤信司と稲山嘉寛たち」―日本の鉄鋼業を支えた鉄屑業者百年の群像

目次

第一部 「鉄屑が国家だった」                 5

 

第一章 明治・大正という時代                 5

伊藤 寅松――まず屑カゴを背負って              5

岡田 菊治郎という男――日本の鉄屑業の草分け         9

鈴木 徳五郎――建場商から銅鉄商へ              12

伊藤 信司――その生い立ち                  17

大戦不況と震災不況、銑鉄カルテルと日本製鉄誕生のいきさつ   20

 

第二章 敗戦までの昭和という時代               23

伊藤 信司 少壮右翼政治家として               23

2・26事件の事後関与者、砲兵大佐橋本欣五郎と大日本青年党   24

岡田 菊治郎―プレス機を開発 東京製鉄を設立する       26

鈴木 徳五郎 昭和2年に株式会社に改組する          27

德島 佐太郎――佐太郎は二人いる               29

それぞれの戦中――鉄屑統制と回収会社と男たち         30

伊藤 信司と鉄屑統制会社                   32

伊藤 三好 小林一三の知遇を受ける              36

岡田 菊治郎 鉄屑王、全国一の多額納税者           38

鈴木 徳五郎 関東金属回収会社の社長として          39

成島 英美―帝大出の東京市社会局職員             41

德島 佐太郎 異業種に活動の場を求める            42

戦時中の統制会社と鉄屑業者                  43

 

第三章 それぞれの戦後                    49

1946年 鈴木徳五郎は店を成島にまかす           51

47年 小宮山 常吉は戦後第一回の参議院議員          51

48年 德島 佐太郎は最大・最強の直納業者として再登場     52

49年 岡田 菊治郎は「岡田商法」を再開            53

49年 池谷 太郞、東京製鉄を岡田から引継ぐ          53

50年 姜 福心 在日コリアンが鉄屑業に鞍替えする話      54

51年 小宮山 英蔵は平和相互銀行を設立            57

53年 古波津 清昇 沖縄の製鉄業を支える(沖縄製鉄史)    61

 

第四章 鉄屑カルテルと日本鉄屑連盟の抗争           64

53年1月 鉄屑カルテル予兆のなかで――「鉄屑界」を発刊    65

日本鉄屑連盟の設立まで――伊藤と徳島の対立                66

53年12月 鉄鋼20社鉄屑カルテル申請・業者は鉄屑連盟を結成  70

カルテル申請は迷走―鉄鋼・稲山と連盟・伊藤の交渉術(需研登場) 72

54年6月 鉄鋼、カルテル申請を取り下げる――伊藤、事実上の追放 76

55年3月 公取委、鉄屑カルテル認可のサインを公表       80

55年4月 鉄屑カルテルを認可――業者は指導権争いで四分五裂  82

直納ディーラー(巴会)の男たち――松島政太郎、岡憲市、松岡朗 83 

55年10月 連盟と巴会に分裂。再合同に動く・仲介者伊藤の采配 86

56年9月 カルテル協定書から連盟の名を消す――再合同も霧散  89

エピソードとして―― 一手購入機関構想と業者の思惑      90

 

第二部 鉄鋼乱世(「行政指導」と「住金事件」)のなかで    92

 

第一章 稲山嘉寛と鉄屑カルテル                92

永野 重雄 野育ちの鉄屑使いの男               92

稲山 嘉寛 官営八幡一筋。業者対策の責任者として       94

55年10月 カルテルも「崩壊」。通産省と稲山が「再建」に動く  99

56年7月 米ルリア社と稲山――大量一括・長期契約方式を提案  102

 

第二章 太平洋ベルトコンベアと米国鉄屑使節団         106

57年2月 永野と稲山 米国鉄屑使節団として          106

58年6月 180万㌧の長期契約輸入屑引取りと「国際信義」問題 108

エピソードとして――金属くず営業条例と鉄屑カルテル      111

 

第三章 事実上の鋼材カルテル(鉄鋼公販)と稲山        113

独禁法適用除外法案と通産省、鉄鋼の思惑            113

幻の鉄鋼需給安定法案――通産省、3度目の敗退         114

58年6月・鉄鋼公開販売(不況公販)と「稲山試案」       117

61年2月 稲山の太平洋ベルトコンベア停止――その後      119

 

第四章 究極の共同行為としての新日鉄創出           121

65年11月 住金事件――日向、稲山、永野のそれぞれの思惑   122

エピソードとして――「安定公販」と稲山。時評家・鎌田の指弾  125

 

第三部 鉄リサイクル新時代のなかで               127

 

第一章 鉄屑カルテルのその後                  127

75年7月 業者は日本鉄屑工業会に結集する            129

小澤肇 日本鉄屑工業会初代会長(産業振興・社長)        130

 

第二章 德島と伊藤 その後                   132

德島佐太郎――統制を嫌い、鉄屑業界を愛した、天衣無縫の男    132

伊藤信司――鉄屑業界の大参謀、大広報官として貫く        134

 

第三章 日本鉄リサイクル工業会と男たち             139

ヤード機械化と在日コリアン業者の台頭             139

鈴木 孝雄 工業会第三代会長。経団連会員として        140

中辻 恒文 工業会第四代会長、業界に国際感覚を持込む     146

 

第四章 百年企業と異業種参入の男たち             147

「逆有償」と「輸出ビジネス」のなかで             147

リサイクル諸法制定と鉄スクラップ業の変質のなかで       148

黒川 友二 内外に拠点を築き、日本発のシッパー会社を作る   150

福田 隆 非鉄の百年会社。鉄に参入し総合リサイクル企業へ   153

高橋 克己 パチンコ業を体験。鉄リサイクルに戦略的提携を広げる 153

稲福 誠 産廃物運搬、室内解体業から進出、沖縄出身の意気    154

斉 浩 中国瀋陽市出身。雑品扱いから総合リサイクルを目指す   155

20世紀末の20年間に起きたことーーリサイクル法と業者の新規参入 156

21世紀初の20年間に起きたことーーグローバル化と渡来業者の台頭 157


後記 引用・参考資料                     158

 

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以下は、その第三部第四章の冒頭および最終ページの紹介(内容見本)である。

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「逆有償」と「輸出ビジネス」のなかで

 

歴史的に見た場合、98年9月(トーア・スチール自主清算)に始まり02年4月まで3年8ヶ月続いた炉前価格一万円の大台割れが、業者のビジネス意識を大きく変えた。

*資源リサイクル法の制定を促した=排出者に処理料金の負担を請求する逆有償とその定着は、排出者に応分の協力を求める家電や自動車など各種リサイクル法の制定を促した。

*リサイクル業の業態拡大を促した=各種リサイクル法が制定されるなか家電や自動車メーカーに替わって、もしくは共同して処理拠点を立ち上げたのが、鉄スクラップ業者達だった。非伝統的な「逆有償」をベースに置いたから地方や新興勢力業者が多いのも特徴だ。

*業の組織近代化を促した=個々の業者だけでは取引相手を説得しにくい逆有償が、業者の全領域でコスト、経営意識を鍛え直し、自主的、活動的な業者組織の結成を促した。なかでも地域的、品種的な不利条件にあった自動車解体・中古部品販売業者は、インターネット販売網の共同開発、共同倉庫に精力的に取組み、世界的な販売網の構築と経営モデルを確立した。

*意識変化と流通変化を促した=逆有償の現実が、意識と行動を変えた。その一つが「逆有償」を契機にリサイクル法時代に備えた体制づくりを進めたこと(リサイクルビジネス)。今一つが国内に需要が無いのなら海外だとの発想から輸出ビジネスへ後押ししたことだ。

 

鉄スクラップ輸出は2001年以降、それまでの2倍強の600万㌧台に駆け上がった。
その背景が①鉄スクラップの約7割近く消費した電炉生産が公共事業抑制から98年を境に急落したこと(国内需要の後退)。

②東西冷戦の終結から中国が世界市場に登場。経済危機を乗り切った韓国と共に世界の経済センターとして急成長したこと。

③鉄スクラップ価格の急落から業者が排出者に処理料金を請求する「逆有償」と共に海外販路を求めたこと(発想の転換。新ビジネスへの挑戦)。

④逆有償も輸出も業者バラバラではできない。「連携・連絡」を強め共同輸出を開拓したこと(連携・共同化の定着)。

⑤国は循環型社会形成推進基本計画(03年)を策定し鉄スクラップ輸出の港湾整備を整え、大型船舶の輸出も可能としたこと(国策・行政支援)。

⑥世界経済の変化もあった。東西冷戦の終結(91年ソ連崩壊)から、旧社会主義国の労働市場が開放(92年中国の社会主義市場経済)され、経済活動のグローバル化が加速され世界経済は04年から4年連続で5%前後の成長が続いたこと。

⑦なかでも目覚ましかったのがBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)諸国を中軸とする新興市場国の経済拡大であり、韓国の経済発展だった。

まさにその世界的な「受け皿」あればこその輸出拡大だった。

 

日本からの鉄スクラップ輸出が、急拡大した。まず関東鉄源協議会が共同輸出(964月)で実績を積み重ね、法的な組織の安定と信頼を求めて協同組合へ改組(0111月)した。日本側の取り組みに対応して韓国電炉が月例定期入札を開始(046月)。歯車が噛み合った。

そこに資源高がやって来た。世界の金属指標であるロンドン金属取引所(LME)の07年平均相場は、資源不況と目された98年に比べ、ニッケル、銅、鉛、亜鉛もいずれも過去最高を記録し、日本のH2炉前価格も27年ぶりに四万円の大台(07年9月)に乗った。東西冷戦の終結は、世界経済の単一化と鉄鉱石・原料炭などの資源メジャーと各国の鉄鋼の寡占化を促した。TOBを駆使した欧米会社の合併(世界1位のミタル社が、同2位のアルセロール社を068月合併)、国家戦略による中国の巨大鉄鋼企業の育成の二つの大きな波が(狭い国内競争の合理化に動いていた)日本の鉄鋼各社に海外変化に対応した経営戦略の再検討を迫った。

 

「世界で戦うために」が隠れたスローガンとなった。その前には、まず国内で生き残らなければならない。川鉄とNKKが合併してJFEホールディングスを設立(04年)し、新日鉄と住金が統合(12年)して新日鉄住金を作り、独自路線の神戸製鋼と大手2社並走体制に移行した。国内電炉会社も、新日鉄住金系とJFE系の高炉2系統と独立系数社に集約された。

鉄鋼の生産・販売も過当競争を排除して「需要に見合った(協調)生産」が可能となった。需要(鉄鋼・電炉)メーカーが少数に集中したことから、供給者(原料納入鉄スクラップ業者)との力関係は、劇的に変わった。需給調整がメーカー内部でできるなら、価格調整も内部的に可能となるからだ。これが、玉突き的に業者の戦略提携、海外に販路を求める共同輸出を加速させることになった。

 

リサイクル諸法制定と鉄スクラップ業の変質のなかで

 

一方、鉄スクラップ業者の経営体質もこの間に劇的に変わった。
業者は90年代以降「リサイクル資源業者」の立ち位置を獲得した。転機が「地球温暖化防止」と「持続可能な経済活動」の両立を目指した92年のリオサミット(地球環境保護)だ。国内でも法制論が高まり、経産省と環境省共管の各種リサイクル法が制定された。91年・再生資源利用促進法(01年・資源有効利用促進法に改正)。容器包装リサイクル法(95年)。循環型社会形成基本法(00年)。家電リサイクル法(01年)。建設リサイクル法(02年)。自動車リサイクル法(05年)。小型家電リサイクル法(13年)などが相次いで施行、運用された。

社会的や地域的なハンディーや品種的な劣位にあった一群の業者にも、各種リサイクル法(家電、自動車など)が新規ビジネスの可能性を提供した。リサイクル法は拡大生産者責任の下、リサイクルの実務委託を認めた。ただ伝統的な鉄スクラップ業者は、工場の工程発生スクラップや建物解体など重量スクラップを中心的に扱ってきたから、家電、自動車解体品などは、鉄分の少ない下級スクラップは、従来のヤード業者が直接扱うものでなかった。このため家電リサイクル法や自動車リサイクル法の対応は、地方業者や自動車解体業者、在日コリアンなど従来の鉄スクラップ本流から離れた、傍流業者などの参入の場となった。

 

リサイクル諸法は、最終廃棄物の最小化と再生資源回収の最大化を目標とする。とはいえ排出者である家電や自動車メーカーには処理、再資源化の技術的集積はない。そこで処理設備や豊富な回収ノウハウを持つ鉄スクラップ業者が、処理実務のパートナーとして注目されることになった。リサイクル法に新たな足場を発見した業者たちは、鉄スクラップだけではなく「エコ・リサイクル」「総合リサイクル」を新たな看板に一般市民に向け企業宣伝活動に乗り出していった。まず現れたのが鉄スクラップ近隣業界である産業廃棄物処理業者の一群である。

 

かれらは、廃棄物処理法の厳格な規制と監視のもとに育ってきた。一方鉄スクラップ(非鉄・故紙・ビンなど)は、歴史的な経緯から廃棄物処理法の適用除外とされた(法14条ただし書き)。この両者の間には廃棄物処理法の塀があり、隔離されていたが、鉄スクラップが90年代末の大暴落から「逆有償」となり、一般世間の目には、ほとんど廃棄物扱い同然となった。廃棄物処理法の法的許可を持つ廃棄物処理業者が、鉄、非鉄などの資源分野に進出する素地は揃った。そこに04年世界的な資源高が重なった。彼らは塀を乗り越え、一気に勢力を拡大した。

 

まだいる。次いで登場したのが「雑品」ビジネスに商機を見つけた、「渡来」業者たちだった。リサイクル諸法による「排出者責任」と「逆有償」のなか家電廃品や鉄や非鉄、プラスチックなどの混合物は下級鉄スクラップではあるが(人件費の高い日本では、引き取り手の少ない)「適正処理困難物」として放置されていた。これらを「雑品」として扱う業者群が登場した。「雑品」は商流の吹き溜まりだから、本格的な営業拠点を持たない路上回収や渡来業者たちが主力だ。国内では処理が困難だから、海外で処理する。彼らは積み出し場である湾岸出荷から商売を始めたが、またたく間に日本各地に進出した。ただ不純物、混合物が多いから国際的な監視が強化され、18年を最後に貿易流通は下火となった。しかし10数年にわたる雑品商売は、彼らに十分な資力と一定の拠点と鉄スクラップビジネスのノウハウをもたらした。貿易商売に卓越した彼らは、そのアドバンテージを持って、内陸へ、一般鉄スクラップビジネスへ乗りだしてきた。

 

さらに国際相場と為替相場に翻弄されることの多い非鉄金属業界からの転入例もある。非鉄金属は、成分検収が厳しい。プレイヤーは限られ、選別する人件費や返品リスクは高い。値決めは海外相場スライドだから海外非鉄相場と為替変動のリスクもある。一方、鉄スクラップの成分検収は非鉄ほど厳格ではない。プレイヤー(買い手、流通)も多い。また基本的に国内需給で完結するから、海外相場や為替リスクも少ない。これが非鉄金属業者を惹きつけた。

 

しかしこれら新たな、大きな潮流の変化は、同時に、一部の伝統的な老舗業者の覚醒をも促すきっかけともなった。明治以来のノレンを誇る百年企業が、その潜在能力を再起動させ始めた。本章では百年企業を背負った大阪の黒川友二と東京の福田隆。

そのほかに異業種から参入した典型例として3人を挙げる。高橋克実は、在日コリアンの祖父が興した業を継ぎ、鈴木孝雄らと鉄リサイクルの戦略的提携を広げた。稲福誠は、沖縄出身者。産廃運搬、室内解体業から進出、鉄リサイクルでも傑出した。斉浩は、中国瀋陽市出身。雑品扱いから総合リサイクル業を目指した。

 

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黒川 友二 内外に拠点を築き、日本発のシッパー会社を作る   150

福田 隆 非鉄の百年会社。鉄に参入し総合リサイクル企業へ   153

高橋 克己 パチンコ業を体験。鉄リサイクルに戦略的提携を広げる  153

稲福 誠 産廃物運搬、室内解体業から進出、沖縄出身の意気    154

斉 浩 中国瀋陽市出身。雑品扱いから総合リサイクルを目指す   155

 

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20世紀末の20年間に起きたことーーリサイクル諸法と国内業者の新規参入

 

現在の鉄スクラップ業者にとっての最初の画期は、鉄屑カルテル廃止に伴う国策として、業者団体が社団法人「日本鉄屑工業会」として集結(75年7月)し、認可されたことから始まる。

社団法人化による信認を背景に各種の行政的な手当(「商業」分類から77年度以降は「工業」分類へ)が進み、工業分類の認定と資金援助制度(回収鉄源利用促進協会)の創設は、税制的な支援や資金融資に道を開き、ヤード経営の機械化・近代化を呼び込んだ。 

次の画期は85年のプラザ合意による円高と高度成長による国内鉄屑供給の増加だった。ポスト・カルテルの切り札として75年6月に設立された鉄屑備蓄協会は機能を停止(86年)し、鉄屑余剰策を求めて、業者団体(関東月曜会)は自主的な輸出挑戦に踏み切った(88年)。

 

第3の画期が98年のアジア危機、日本危機など世界的な資源・エネルギー相場安のなかで定着した「逆有償」だった。需給と価格の崩壊から回収・流通システムは機能マヒに陥り、自動車・大型家電などの路上廃棄物の増大などから、国は各種リサイクル法の制定に動き、業者は法制上のパートナーに選抜された(総合「リサイクル事業」への飛躍)。

 

92年のリオサミット(地球環境保護)以降、鉄スクラップは「持続可能な再生資源」としても「地球温暖化防止」手段としても、国際的に再評価された。

日本でもこれを起点に各種リサイクル法が制定され、鉄スクラップ業者は、リサイクル先進者であり地域密着・専門・装置導入業者として、その役割が期待された(産構審)。

各種リサイクル法は、生産者である家電や自動車メーカーに販売後の廃棄製品に関してもリサイクル責任(拡大生産者責任)を課し、同時に適法な第三者への委託処理を認めたから、高度な処理設備や豊富なノウハウを持つ鉄スクラップ業者などに、リサイクル・処理受託業者としてリサイクル実務分野に進出するチャンスをもたらした。

 

その結果、鉄リサイクル業者としての立ち位置が変わった。
各種リサイクル法の資格要件は厳格(許可制)で、家電メーカーなどと受託契約を結んだ鉄スクラップ業者などは、国の環境法規と委託メーカーとの民事上の契約(信義誠実義務)の公私にわたる二重の義務を負う。その二重義務を誠実に果たせるか否かが、リサイクル企業の存続を左右する。簡単に言えば「リサイクル企業の社会的信用・信認」が企業価値を左右するということだ。

「法令遵守」(最低限の倫理)だけでは、足らない。「より高度な受託者責任」が求められる。リサイクル・ビジネスは高度な「社会的信認」の上でのみ成り立ち、そのビジネスパートナーは、それらの職責を果たしうる者だけとなる。そのような時代がやってきた。

 

第4の画期は東西冷戦の終結(90年)を端緒とするBRICs台頭による資源・エネルギー需要の高まりや地球温暖化(CO2)防止に向けての世界的な取組みだった。鉄スクラップは国内鉄鋼の主要原料であるだけでなく、輸出を含めて使い勝手の良い資源商品(地上の鉱山)であり、地球温暖化防止の切り札として、販路を海外に求める輸出ビジネスが始まった。そうして雑品貿易ビジネスが始まり、産廃業者や非鉄など異分野からの業者参入が相次いだ。

 

21世紀初の20年間に起きたことーーグローバル化と渡来系業者の台頭

 

2000年以降。中華系など渡来系業者が湾岸貿易を足場として進出してきた。

では、彼らが近々20年足らずで、なぜ今日の在り様を獲得したのか。

日本は治安も政情も安定し(居住権があれば)安心してビジネスできる。またリサイクル商売は、資金がなくても、明日からでも、誰でも開業できる(金属屑営業条例を制定する道府県はあるが国の直接法規はない)。ただ渡来系業者は日本では最終需要家への直接販路を持たなかった(間接・問屋販売)。これが近年、ホームカントリー(たとえば中国)の急激な鉄鋼需要の増加から、この隘路が打開された。

 

母国には需要とコネクションがある。彼らはこのコネクションをフルに使って、母国への輸出ビジネス(たとえば「雑品」)に販路を見出し、湾岸拠点だけでなく、内陸に進んで、一般鉄スクラップに分野を広げ、その集荷・加工拠点を確保し、現在に至った。

「鉄は国家」なのだ。その根本は今も昔も変わらない。一国の自立は鉄鋼産業の自立を背景に持つ。中国の最近20年の鉄鋼業の台頭と日本の鉄スクラップ業での中華系業者の成長はその一例だが、最近注目されるのがベトナム系やインドネシア系業者などだ。中華系に続く彼らの登場は、母国の鉄鋼産業の発展・拡大。そのグローバル版なのだ。

 

新参者は伝統集団に警戒感をもたらす。何も鉄スクラップ業界だけに限らない。

人間社会とはそうしたものだ。種々の理由で日本に留まった在日コリアンが、戦後、手っ取り早く職業とした一つが鉄スクラップ業だ。

これは当初の20年間、日本人業者との間に無用の「アツレキ」を生んだ。その後二世、三世にわたる世代交代と信用の交流が両者の深いミゾを埋めた。

 

次いで中国の台頭の後を追って(上記閲覧のとおり)中華系業者が登場した。それが既存・先発業者の警戒感を高め、最近10年「路上回収業者」「雑品業者」問題となって、新たな規制条例の制定を促した(16年鳥取県「使用済物品放置条例」など)。

このグローバル化は、なにも海の向こうの問題ではない。国内の渡来系業者の新規参入として私たちの足元で起こっている。それはすでに見てのとおりだ。

これが不都合な真実なのだ。であれば、新参者を(かつての在日コリアン業者に接したように)「警戒」することではない。彼らを、あらゆる局面で、ビジネスパートナーとして迎え入れ、仲間の輪を広げることだ。

彼ら(を排斥することなく)共に手を携え、力(得手)を分かち合い、新たな未来を拓く。それが過去の教訓(反省)であり、未来への道標なのだ、と私は信じる。