新型コロナウイルスと我われ、その予感(冨高コメント)

新型コロナウイルスと我われ、その予感(冨高コメント)


20年5月1日


もはや21世紀の世界恐慌である。今回の大恐慌は、世界経済的にいえば、起こるべくして起こった。世界経済的にというのは、地球規模の「グローバル」経済交流が、一風土病に過ぎなかった疫病を、世界規模の大厄災(パンデミック)に広げたからだ。

経済はヒトとヒトの交流に成り立つから、ロックダウンが恐慌となるのは必然だった。

では、恐慌はいつ終わるのか。疫病がその引き金ならば、答えは簡単である。ウイルスとの闘いには勝利宣言はないが、停戦はできる。多数の人類がウイルスに感染し、全体として免疫を持ち、地球生命体としてのウイルスと敵対共存する。それしかない。

最新の研究では、その集団免疫の獲得まで、あと2年はかかる(米ハーバード大学は4月14日付の米科学誌サイエンスで「制限は2022年まで続ける必要がある」とする論文を発表した)。つまり、感染が蔓延し、免疫を持つまで、人口70億人規模では2年かかる。

この間、ヒトも企業も、国家も、期限の定めない、ガラスの檻に逃れるしかない。何人も、どのような企業、会社も、超現実的な異常事態のなかに生きなければならない。

しかしこれら緊急非常事態の出現は、それまでの日常では覆い隠された本質を、白日の下にさらす。それは国家でも、会社でも、個人レベルでも同じである。

リーダーである政治家、実務担当である官僚たちの資質、能力、実行力が試される。企業、会社も同じ。国家の支援が期待できない非常、火急に、どう立ち向かうか、である。いままでなら、通用していた思い付きや見せかけだけの付け焼刃が、ごそりとはげ落ちる。

危機にあたって通用するのは、日頃からの信頼、信用。臨機応変の指導力なのだ。

残念ながら疫病との戦いに我われは敗れつつある。敵情を軽視し、杜撰な作戦に固執し、戦局の重大変化に拘わらず、戦力の逐次投入の愚を犯して、補給を無視し、国民を死に追いやった。ゴミ箱を漁ってその大局の無さを満天下に晒した戦時首相にも似て、布マスクでウイルスを迎え打つと鼓舞する現役首相、そのひとを嗤う資格を、我われは持っていない。

第二の敗戦の予感に、慄然とするのは、果たして私一人だけなのか。

今回の事態が収束した後の「ポスト・コロナ」では、別の世界が広がっていることだろう。監視社会中国の台頭、IT活用とテレワークビジネス、強権を発動した国家と「国家からの自由」、「恐怖からの自由」、「失業からの自由」・・・自由の多義性の意味をいやが上にも考えさせられた国民。それらもろもろの変化が、一時に押し寄せてくる、予感。

「新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に 嘘はなけれど」啄木

*日本経済新聞記事・要約抜粋************************

■コロナ関連論評・ *ウイルスは世界を変える(4月28日)=地球上の生命には2つの潮流がある。一つはDNAを遺伝子とする生き物たち。人間だ。もう一つはRNAを遺伝子とする生命体。これが新型コロナウイルス。DNAもRNAもどちらも生命の源とされる遺伝情報そのものだ。DNAは二重らせん構造のおかげで、遺伝情報をコピー(複製)する際のエラーを修正し、忠実に伝える。進化はとてもゆっくりとしている。一方、RNAは修復機能を持ち合わせていない。自らの情報の正確さにあまりこだわらない。宿主の力を借りて自由自在に変化(変異)を繰り返す。こうして人間の免疫をくぐり抜け、子孫を絶やさないようにする。▼人類と感染症との歴史を振り返ると、文明をも揺るがす苦闘が幾度も繰り広げられてきた。①最も有名な疫病は中世ヨーロッパを襲ったペストだ。人口の3分の1の犠牲者を出し、極端な人口減から社会基盤がぐらつき封建制度の崩壊につながった。カトリック教会も無力だった。結果、宗教改革やルネサンスへと進展、中世は幕を閉じた。②天然痘はアステカ帝国を滅ぼし、大英帝国がコレラを世界に広げた。第1次世界大戦下、当時の新型インフルであるスペイン風邪が大流行し、若い兵士が次々と病に倒れ終戦を早めた。③パンデミックには時代や社会を大きく変える力がある。飢餓や侵略、戦争といった混乱に乗じて感染症が勢いを増し、大変革の時計を早回しするのかもしれない。

■コロナ時代の仕事論(上)・「川の流れに身をまかせ」(4月28日・一橋大教授 楠木建氏)=▼コントロールできないものをコントロールしようとする。世の中には「どうしようもないこと」というのがある。戦争や疫病と無縁な平時でも、思い通りにならないのが人の世。仕事に限って言えば、自己評価には意味がなく「お客」の評価がすべて。「お客」をコントロールすることはできない。つまり仕事というのは、定義からして思い通りにならないものなのだ。だとしたら、自然な流れに逆らわず、流れに乗っていく。美空ひばりいわく「川の流れのように」。▼ただし、川の流れに身をまかせるにしても「良い流れ方」というものがある。目の前にあるお客をきっちりと満足させ、できれば期待以上の驚きを与える。これを日々繰り返し気長に積み重ねていく。これが良い流れ方だと思う。もちろん、すぐにはうまくいかない。流れていく過程で思い通りにならないことも多い。だが自分の土俵でいい仕事をして、お客にそれをどうしても欲しいと思わせることが実績となり、信用となり、自信となる。この3つさえあれば、他はどうでもいい。

■(中)「絶対悲観主義の勧め」(4月29日) 一橋大教授 楠木建氏=(その場合)2つのポイントが見えてくる。第1に、何をどこまでコントロールできると考えるか。仕事の中身や取り巻く状況、能力や持ち味に合わせて、どこまでコントロールでき、どこを所与の条件として受け入れるか、である。第2に、仕事はお客(自分以外の他者)に対する価値提供に他ならない。物事が自分の思い通りにうまくいくという期待をなるべく持たないようにする。何事も「ま、うまくいかないだろうな……(でも、ちょっとやってみるか)」と構えておく。これを絶対悲観主義と呼んでいる。自分の思い通りにならないのが当たり前で、思い通りになることがあったとしたらそれは例外だ。邪魔になるのはプライドだ。プライドは大切だが、それはある程度の成果を出し実績を積んでからの話。「自分はまだ何者でもない」という認識からスタートするに越したことはない。若者の特権は「これから先が長くある」ではなく「まだ何にもない」ということにある。

■(下)「他人と自分を比べない」(5月1日) 一橋大教授 楠木建氏=仕事で大切なのは「世の中は自分の思い通りにならない」という前提だ。人は自分の価値基準で生きている。人は人、自分は自分。ほとんどの場合、比較には意味がない。本当にスゴイ人は他人との差分で威張らない、自分のダメなところ弱いところを自覚し、自分の強みはあくまでも条件つきで全面的に優れているわけではないことをわきまえている。だから威張らない。自分一人ですべてに秀でる必要はない。世の中にはいろいろな得手不得手の人がいる。そうした人々の相互補完的な関係が仕事を成り立たせている。それが社会の良いところだ。いいときも悪いときも自らの仕事と生活にきちんと向き合う。それが大人というものだ。