戦後70年 日本鉄リサイクル業と業者の立ち位置・その概説

 

■1945年敗戦から52年講和条約(日本独立)まで

 

1945年8月の敗戦と連合国軍による占領支配から、日本の政治、経済体制は崩壊した。

鉄屑統制に関する法制や制度、組織は廃止・解体され、鉄屑商売は営業の自由を取り戻した。

鉄鋼会社は、軍需産業であるとして「戦時賠償」工場に指定され(4512月)撤去や海外売却が予定された。さらに鉄鋼産業は、経済性から存続の可否さえ論議された(49年「鉄鋼業廃止論」)。鉄屑商売は、戦後の混乱が収まる47年後半まで開店・休業の状態が続いた。

この鉄鋼環境が米国・ソ連両陣営の東西冷戦の高まりから一変した。日本への戦時賠償追及は破棄され(495月)、朝鮮戦争の勃発(506月)が鉄鋼に特別需要(特需)を呼び込んだ。

この間、鉄屑は規制対象の「古物」から除外され誰でも自由に扱えるモノとなった(495月。改正古物営業法)。また朝鮮戦争勃発などから残留を余儀なくされた韓国・朝鮮人にとって、鉄屑は最も手っ取り早い商売となった。
ただ朝鮮戦争に参戦したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、敵性韓国・朝鮮人への警戒感を強め(5012月・佐世保市「古鉄金属類回収業条例」)、主権を回復した日本も在日韓国・朝鮮人への法的監視を継続した(52年外国人登録法)。

 

■50年代 鉄屑カルテルと鉄鋼・鉄屑業の抗争

 

戦後、荒廃した国土と産業を復興するには、世界に伍する産業・経済活動が求められた。
その柱の一つが鉄鋼産業だった。が、原料の鉄屑の絶対量は足らないし、国際相場に比較して割高だった。経済の世界で戦うためには、原材料である鉄屑は是非とも国際価格並でなければならない。

52年4月主権を回復した通産官僚と鉄鋼人は、鉄屑カルテルの結成に動いた。539月独禁法を改正し、鉄鋼は同年1211日公正取引委員会にカルテル結成を申請した。この動きに戦中の「鉄屑統制」の記憶が生々しい大方の鉄屑業者は反発。関東鉄屑懇話会は各地の鉄屑業者団体は束ねて全国組織「日本鉄屑連盟」を結成しマスコミ、公取などに訴え、全国的な抵抗運動を展開した。

この申請は546月末両業界の綱引きや紆余曲折のすえ、一旦は取り下げられた(幻の鉄屑カルテル)が、554月「価格決定は鉄屑連盟の意見を参酌する」との妥協のもと認可された。

 

しかし鉄屑カルテル(第1回)は、発足わずか半年足らずで崩壊した。
業者たちはカルテル対応組織に指名された「鉄屑連盟」の主導権を巡って高炉系の直納団体と流通・中間業者団体とが争い、分裂した(5510月)。一方、カルテル側は鉄鋼アウト・メンバーの「協定価格」越えの高値買いに翻弄され、カルテル内部の結束も守れず価格協定を放棄した(5510月)。


このカルテル崩壊後、「再建」を託されたのが、稲山嘉寛(八幡・専務)らだった。

カルテル崩壊は「国内対策の不備」から起こった。国内対策だけでは限界があるなら、対策を広く国外に拡張すればいい。通産省と稲山らは、外貨規制を利用したカルテル主導の大量・一括輸入に活路を求め、混乱の収拾に奔走した(5611月・米国屑長期契約締結。572月・米国禁輸通告、その回避のための鉄屑使節団派遣。同年6月・米国屑180万㌧引取りと国際信義問題)。


通産省と稲山らは、鉄屑カルテルを作ったが、本筋は製品(鋼材)価格の安定確保にあった。鉄屑カルテルの再建と「国内対策」(569月。ABC3カルテル体制の整備と鉄屑連盟の「意見参酌」条項の排除)を果たした通産省と稲山らは586月、さらに一歩を進めた。

それが行政指導で鉄鋼各社の鋼材価格を監視する「鉄鋼公開販売」の創出である。
この事実上の製品カルテルにより原料(鉄屑)価格は「鉄屑カルテル」で、製品(鋼材)価格は「鉄鋼公開販売」で監視する完全カルテルが完成した。この仕組み(586月・不況公販、596月・好況公販、607月・安定公販)が動き出した58年夏以降、業者団体は「完全カルテル」の下に服属した。

 

■60年代 鉄屑カルテルと高度成長期のなかで

 

60年代、鉄鋼設備は新時代を迎えた。高炉では、鉄スクラップを原理的に不要とする純酸素転炉製鋼に変わり、有力平炉会社も構内に高炉を建設して高炉会社に変身した。これが「鉄鋼乱世」を招き寄せた(65年。3月・山陽特殊製鋼など行き詰まり、11月・住金事件)。

その一方で、50年代末に完成した事実上の製品カルテルである「鉄鋼公開販売」制度も運用10年に及んだ60年代末には、公取の深い疑義にさらされ、抜本的な見直しに直面した。


この60年代、急速に勢力を伸ばしたのが、糸偏などを含む新旧商社だった。
鉄屑カルテルは外貨規制を盾に米国屑扱いから商社を排除したが、604月の外貨自由化からこの盾が失われた。新旧商社は米国屑輸入を足場に国内市場に進出。専業直納業者らも一気に商社傘下に組み込まれた。

 

*高炉火入れ・建設計画相次ぐ=61年。富士は2月大分県鶴崎、住金は3月和歌山1号高炉火入れ。鋼管は4月鶴見1号高炉火入れ。川鉄は6月倉敷市、鋼管は10月福山市と新製鉄所の建設で合意。住金は8月鹿島進出の交渉開始。八幡は9月君津で建設着工。神鋼も加古川に用地を買収。電炉の大型化・大電力化も進んだ。沖縄では拓南製鉄5㌧炉が稼動(619月)した。

*60年4月に外貨割当制が自動承認制へ切替り、商社参入も可能となった。61年度輸入屑入着量は国内購入382万㌧を上回る545万㌧に達し、以後、商社思惑と国際相場が国内の天井価格を左右する状況が定着した(61年4月特級価格2万4千円→翌62年6月1万1千円)。

65年・新製鉄所ラッシュと住金事件=名古屋の東海製鉄は64年9月、八幡製鉄・堺が65年6月、日本鋼管が66年8月福山で、川崎製鉄が67年4月水島で火入れした。そのさなかの6511月、和歌山に3号高炉を建設したばかりの住金が、通産省の減産指示に異を唱えた。これは行政指導に反旗を翻す、当時としては異例の「事件」と注目された。この背後には、鉄鋼の生産秩序を重んじる通産省(佐橋滋事務次官)の意向と、行政指導(減産)を盾に後発高炉の追い上げを阻もうとする新旧高炉の対立(シェア争い)があると見られた(日向・住金社長)。

68年・八幡、富士が合併を申請=両社は68年5月、合併趣旨を公取に提出した。事前審査は68年6月から開始されブリキ、 レール、 鋼鉄板、 鋳物用銑の4品種が問題とされた。両社は69年3月合併に調印。5月公取は合併否認を勧告。両社は勧告を拒否。公取の審判に持ち込まれた。8月両社は対応措置を提出。10月公取は申出書の内容を適当と認め、合併を認めた。

*商社系ヤードが進出=関東では東洋綿花、三菱商事などが傘下業者とタッグを組みシュレッダープラント建設へ乗り出し、関西では住商の支援のもと伸生スクラップがシュレッダー工場を立ち上げた。三菱・大阪、三井・大阪も同様のプラント構想を検討した。

*商社の国内屑扱い量=カルテル資料によれば68年当時、大都市部で85%以上を占めた。電炉経営に直接参与し、 原料購買から製品販売までの営業活動の大部分の商権を獲得した。

 

■70年代 高度経済成長と鉄屑国内需給改善のなかで

 

鉄鋼乱世は、新日鉄の登場から終わりを告げ、新秩序体制が始まった。鉄鋼製品も鉄屑価格もチャンピオン会社のおおきな傘の下、安定した(新日鉄的平和)。
であれば鉄屑カルテルはいらない(74年鉄屑カルテル廃止)。とはいえ鉄屑は世界的な戦略物資である(73年、米国鉄屑・輸出数量規制)。国内不足に備えた鉄屑備蓄機関はいる。それが「ポスト鉄屑カルテル」としての鉄屑備蓄組織の設立を急がせ(74年)、供給団体としての社団法人日本鉄屑工業会を作った(75年)。

工業会の発足が、今日につながる鉄スクラップ産業の運営基盤を作った(765月。日本標準産業分類。鉄屑加工業を「製造業」のうち「その他の鉄鋼業」「鉄スクラップ加工処理業」に認定。77年5月。中小企業近代化促進法の「指定業種」に指定)。 

 

戦前・戦後の一時期まで日本経済と鉄鋼各社の重い足かせとなっていた鉄屑の「絶対的な窮乏」が、60年代以降の高度経済成長から消えた。その結果、70年代には鉄屑需給が変わった。

鉄屑の発生増加と電力事情の好転から電気炉で鉄スクラップを使って製鋼する中小電炉会社が登場。鉄屑購入の主力は(大手高炉や平炉会社から)各地の中小電炉に移った(70年代)。


鉄屑業は70年代にかけ、かつての肉体重筋作業から設備・装置産業へと様変わりした。

戦前から戦後の一時期、加工・処理機械といえば小型プレス機や手切りシャーぐらいしかなく、荷捌きも人力・人手に頼っていたが、70年代以降、鉄屑業界も機械化の波に乗った。

門型の大型切断機(ギロチンシャー)が登場するのは64年ドイツ製(堺・山根商店)が最初。一般業者向けでは手塚興産が70年大阪の平川商事に納入した。この前後、車両メーカーの富士車輌が処理機械分野に進出し、急速に機械化・大型化が進むことになる。使用済自動車等を細かく引きちぎるシュレッダー機は初期投資額が大きいため(国策的配慮もあり)大手商社指導のもと、米国製の大型処理プラントが70年春から夏にかけ関東、関西で一斉に動き出した。

 

機械化の波に乗ったのが、「中間業者」や在日コリアンだ。彼らが直納・ディーラーに替わって、商社傘下ながら実務代行の「代納・ヤード業者」として台頭することになる。

ただこの間、鉄鋼業界は世界経済の変動に大きく揺れた。71年のニクソンショック(固定為替から変動為替へ。円高不況)、石油ショック(73年)に続く世界同時不況(7475年)に叩かれ、電炉業界では整理・統合が相次いだ。
この「構造不況」対策として、電炉設備を廃却し、新増設を強制的に止める「業界保護」法(78年・特定不況産業安定臨時措置法=特安法)が制定された。

 

■80年代 電炉構造不況とヤード業者成熟のなかで

 

世界不況から日本は素早く立ち上がったが、米国はインフレと景気後退が並走するスタグフレーションに陥り、自動車・粗鋼生産とも世界トップの座を日本に明け渡した(80年)。
これが対米貿易摩擦(8183年度・自動車輸出自主規制。8592年・鉄鋼輸出自主規制)を引き起こした。自動車関連産業である鉄鋼業も減産・操業休止に追い込まれた。鉄鋼の弱い輪である電炉業界は83年、特安法に続く法的保護に逃げ込んだ(特定産業構造改善措置法・産構法・866月まで)。 

85年9月、米国の過度なドル高是正を目指した国際合意(プラザ合意)による「円高誘導」が日本の貿易産業を直撃した(8581㌦250円→868月150円=円高不況)。

 
86年4月、その対策として輸出主導型の経済構造を内需主導型へ転換する「前川レポート」が出た。また日銀は「円高対策」として異例の超低金利(86年1月5・0%から段下的に引き下げ87年2月2・5%。以後89年5月31日まで27ヶ月継続)を実施。さらに87年5月、総額6兆円・過去最大の緊急経済対策が決定。景気は急上昇し、不動産・建設バブル(87年~90年)の扉を開いた。

電炉の主力製品である鉄筋棒鋼は、不動産・建設関連商品である。電炉設備の新増設は、83年の「産構法」(3年間の時限法)により法的に禁圧・抑制されたが、同胞は866月消滅。折からのバブルのなか、電炉各社は一斉に設備の新増設に走り出した(電炉新時代の到来)。

一方、工業会による基盤作りが進んだ80年代。ヤード業者でも機械設置や大型化が加速した。高速道路網の全国的な延伸から郊外、大規模ヤード建設も進んだ(81年・関東月曜会結成)。
プラザ合意後の鉄屑相場は、H2・二万五千円から1年後には一万五千円に貼りつき、常態となった(円高・国際相場水準へ強制調整)。ポスト鉄屑カルテルとして設立された鉄屑備蓄協会も機能を止めた(88年)。が、この間、直納商社の傘下に身をひそめ代納商売に甘んじていたヤード業者も、鉄屑の「絶対的な余剰」予測を前に、独自に動き始めた(88年・月曜会、韓国に鉄屑輸出)。

 

■90年代 冷戦「終結」・経済「グローバル化」と歴史的な安値のなかで

東西ドイツの統一(9010月)、ソ連邦の解体(9112月)から、資本主義と共産主義体制の対立(その軍事的表れとしての東西冷戦)は、西側・資本主義体制の勝利で終わった。

「平和の配当」から世界経済は「単一市場」に再編され、対抗軸を失った「資本の論理」は国境を越えてバブルを起こし崩壊してアジア危機(97年7月、12月韓国危機)を呼び込んだ。 

日本では株と不動産バブルが崩壊(91年)し、不動産関連など百兆円超の累積不良債権と主要都銀の破綻が相次ぐなか、日本発の恐慌不安(99年)が世界に発信された(失われた10年)。

 

世界経済の混乱から世界の資源・エネルギー相場は、97年から2002年の5年間、歴史的な安値に封殺され(H2炉前価格一万円割れ)、原油・天然ガスを主な国家財源とするロシア危機(98年8月)も発生した。世界的な資源・エネルギー安のなか98年9月、日本最大の電炉会社であるトーアスチールが任意整理に追い込まれ、99年3月中山鋼業も行き詰まった。

90年代のバブル崩壊のなかで浮かんだ「逆有償」が鉄リサイクル業の決定的な転機となった(*)。需給と価格の崩壊から従来の回収・流通システムは機能マヒに陥り、自動車・大型家電などの路上放棄物が社会問題化するなか、国は各種リサイクル法制定に動きだした。

 

*資源リサイクル法の制定を促した=排出者に処理料金の負担を請求する逆有償とその定着は、排出者に応分の協力を求める家電や自動車など各種リサイクル法の制定を促した。

*リサイクル業の業態拡大を促した=各種リサイクル法が制定されるなか家電や自動車メーカーに替わって、もしくは共同して処理拠点を立ち上げたのが、鉄スクラップ業者達だった。非伝統的な「逆有償」をベースに置いたから地方や新興勢力業者が多いのも特徴だ。

*業の組織近代化を促した=個々の業者だけでは取引相手を説得しにくい逆有償が、経営意識を鍛え直し、自主的、活動的な業者組織の結成を促した。なかでも地域的、品種的に不利な条件にあった自動車解体・中古部品販売業者は、IT技術を駆使して販売網の共同開発、共同倉庫の開設に精力的に取組み、広域販売網の構築と経営モデルを確立した。

*意識変化と流通変化を促した=逆有償の現実が業者の意識と行動を変えた。その一つが「逆有償」を契機に資源リサイクル法時代に備えた体制づくりを進めたこと(リサイクルビジネス)。今一つが国内に需要が無いなら海外だとの発想が、輸出ビジネスを切り開いた。

 

今一つの大きな転機が海の向こうからやって来た。92年6月ブラジルのリオデジャネイロで開かれた「地球サミット(環境と開発に関する国連会議)」以降、「地球温暖化防止」「持続可能な開発」が国際的な課題と宣言され、地上・回収資源である鉄スクラップは国際的に再評価された。

日本でもリオ・サミットを起点に各種リサイクル法が制定され、自動車や家電メーカーのリサイクル責任が法的に明記された。その結果、鉄リサイクル業者の立ち位置が変わった。

鉄スクラップ業者、企業経営は、資源回収・加工・販売の従来業務に加え、各種リサイクル法が指定する「リサイクル企業」として名乗りを上げる、新たなビジネスの道が開けた。

*経産省と環境省共管の再生資源利用促進法(91年制定。01年・資源有効利用促進法に改正)、容器包装リサイクル法(95年制定・施行)、家電リサイクル法(98年制定、01年施行)などが法制化され、鉄スクラップ業者は「リサイクル資源業者」の立ち位置を獲得した。

 

■2000年代 リサイクル法制と輸出新時代のなかで

 

鉄スクラップ輸出が2001年以降、逆有償と海外需要の拡大から、新たな潮流となった。
①公共事業の抑制策から98年を境に、電炉生産と鉄スクラップス消費が急減した(国内需要の後退)。②東西冷戦の終結から中国が、IMF支援の危機(97年)から韓国が立ち直り、貿易市場に登場した(両国向け輸出拡大)。③排出者に処理料金を請求する「逆有償」が業者の意識を変えた(新ビジネスへの挑戦)。④従来のやり方とは違う「逆有償」も「海外輸出」も業者バラバラではうまくできない。「連携・連絡」の輪が広がった(連携・共同化の定着)。⑤92年リオ会議以降、国は循環型社会形成推進を国策とし、鉄スクラップ輸出の港湾整備を整え始めた(国策・行政支援)。さらに⑥東西冷戦の終結(91年ソ連崩壊)から、旧社会主義国の労働市場が開放(92年中国の社会主義市場経済)され、世界経済は04年から4年連続で5%前後の成長が続いた。⑦まさに世界的な「受け皿」と国内需給や業者意識の変化があればこその輸出拡大であり、潮流変化だった。

 

この間に国内外でも鉄スクラップ貿易整備に動いた。関東鉄源協議会は共同輸出(964月)で実績を積み重ね、法的な組織の安定と信頼を求めて協同組合へ改組(0111月)した。日本側の取り組みに対応して韓国電炉も月例・定期入札を開始(046月)。歯車が噛み合った。

そこに資源・エネルギー高がやって来た。世界の金属指標であるロンドン金属取引所(LME)相場は、資源不況と目された98年に比べ、ニッケル、銅、鉛、亜鉛もいずれも過去最高を記録(07年平均)し、日本のH2炉前価格も27年ぶりに四万円の大台(07年9月)に乗った。

東西冷戦の終結は、世界経済の単一化と鉄鉱石・原料炭などの資源メジャーと各国の鉄鋼の寡占化を促した。中国が国家戦略として巨大鉄鋼企業の育成・強化を目指し(05年。胡錦涛・鉄鋼産業政策)、TOBを駆使して鉄鋼生産世界1位のミタル社が、同2位のアルセロール社を合併(068月)。世界の鉄鋼マーケットは、国策(中国)と資本の論理(TOB)の二つの巨大な波に直面した。(狭い国内競争の合理化に動いていた)日本の鉄鋼各社は経営戦略の再検討を迫られた。

 

「世界で戦うために」が隠れたスローガンとなった。その前には、まず国内で生き残らなければならない。川鉄とNKKは合併してJFEホールディングスを設立(04年)し、新日鉄と住金は統合(12年)して新日鉄住金を作った。大手2グループと社独自路線の神戸製鋼の体制が登場した。

この結果、電炉会社も、新日鉄住金系とJFE系の高炉2系統と独立系数社に集約された。鉄鋼の生産・販売も(過当競争を排除して)「需要に見合った(協調)生産」が可能となった。

需要(鉄鋼・電炉)メーカーが少数に集中したことから、供給者(原料納入鉄スクラップ業者)との力関係は、劇的に変わった。生産の需給調整が少数のメーカー間のアウンの呼吸で出来るなら、原料購買の価格調整も同様にアウンの間に可能となるからだ。これが、玉突き的に業者の戦略提携、海外に販路を求める共同輸出を加速させることになった。

 

各種リサイクル法が2001年以降、一斉に動き出した。製造者にリサイクル責任を課す、家電リサイクル法(01年)、建設リサイクル法(02年)、自動車リサイクル法(05年)が相次いで完全施行され、大型家電法の不備を埋める小型家電リサイクル法(13年)も制定された。

リサイクル諸法は、最終廃棄物の最小化と再生資源回収の最大化を目標とする。とはいえ排出者である家電や自動車メーカーには処理、再資源化の技術的な集積はない。そこで処理設備や豊富な回収ノウハウを持つ鉄スクラップ業者が、処理実務のパートナーとして登用されることになった。

リサイクル法に新たな足場を発見した業者たちは、鉄スクラップだけではなく「エコ・リサイクル」「総合リサイクル」を新たなビジネス目標として業務分野を拡張していった。

 

■2010年代 異業種・新規参入と鉄スクラップ業の変質のなかで

 

1 新リサイクル法を追って、まず現れたのが、ローカル業者と自動車解体業者らだ。

いままでなら社会的や地域的なハンディー、扱い品種で劣位にあった業者にも、各種リサイクル法(家電、自動車など)が新規ビジネスの可能性を提供した。伝統的な鉄スクラップ業者は、工場発生品や建物解体物など重量スクラップを中心に扱ってきたから、家電、自動車など異物混入の多い解体モノは、専門・前処理業者が行うもので彼らが直接扱うものでなかった。

このため家電リサイクル法や自動車リサイクル法の対応は、時代の変化を先読みした大手ヤード業者と並んで(むしろそれ以上に)、立地条件の制約に苦しんだ地方業者や自動車解体業者、在日コリアンなど従来の鉄スクラップ本流から離れた傍流・前処理業者などの参入の場ともなった。

 

2 次いで登場したのが、鉄スクラップ隣接業界である産業廃棄物処理業者の一群だ。

71年9月施行の廃棄物処理法は、廃棄物処理業者を「捨てるのを請け負う商売」と規定。場合によっては、不法投棄に走る不届き者も現れると見て、厳格な許可要件を課して監視した。

ただ鉄などの金属屑回収業者や故紙、ボロ、ガラス瓶など四種類の扱い業者は歴史的な経緯(「専ら回収が目的」である)から同法の適用を除外し、許可取得を不要とした(14条但書)。これが両者の垣根となった。
しかし98年以降の鉄スクラップ「逆有償」のなか、許可の有無が市民目線から問題となった。排出者(市民)からすれば、鉄スクラップを買い取るのではなく逆に処理料金を請求する行為は、廃棄物回収業者と同じ商売に見えたからだ。鉄スクラップ業者は、廃棄物処理法の許可なく、鉄・廃棄物の回収ができる。が、市民はその違いが分からない。
排出者から許可証の提示を求められ、商売に差し支えるケースがでてきた。誤解だが、その理屈は市民(排出者)には通らない。自衛のため鉄スクラップ業者でも廃棄物処理法の許可を取得する動きがでてきた。両者の垣根は、壊れた。

それは産廃業者にとっても同様だった。廃棄物処理法の厳しい法規制の中に育った産廃業者らかすれば、鉄スクラップビジネスは(基本的には何の法的制約もない)緑の平原だった。彼らも塀を乗り越え、一気に鉄リサイクルビジネスに参入した。

 

3 国際相場と為替相場に翻弄されることの多い非鉄金属業界からの転入例もある。

銅や真鍮などの非鉄金属品は、扱い単価が高いだけに、成分(スペック)検収や異物混入チェックが厳しい。プレイヤー(買い手)も限られ、選別手間や人件費、返品リスクは高い。値決めは、国内精錬メーカーの建値スライドだが、この建値は海の向こうのLMEなどの国際相場にリンクするから、国際相場変動だけでなくドル円換算の為替変動リスクにもさらされる。

この二重、三重のリスクが、固定為替相場から変動為替相場(71年・ニクソンショック)後の非鉄業者の経営を揺さぶり、85年のプラザ合意以降の円高ショックが、その基盤を掘り崩した。銅や真鍮などはスクラップといえども高価だから、販売・在庫リスクが業者の信用を直撃した。一方、鉄スクラップの成分検収は非鉄金属スクラップほど厳格ではない。プレイヤー(買い手、流通)も多い。また品単価も安い(販売・在庫リスクも非鉄ほど高くはない)。さらに基本的には目の前の国内事情で需給は完結するから、海外相場や為替変動リスクも比較的少ない。家電など新リサイクル法は、非鉄金属回収にもつながる。これが非鉄金属業者を惹きつけたのだ。

 

4 モーターや変圧器など鉄付き非鉄スクラップ(雑品)を扱う専門業者も登場した。

解体に手間のかかる鉄付き非鉄スクラップは、国内では厄介モノだが、海外に持ち出し処理すれば高価な非鉄金属が回収できる。宝の山だ。また家電リサイクル法は一般市民・ユーザーに「廃棄物」の処理費用を求める(法2条5項)が、「中古品」は規定していない。このグレーゾーンが老廃家電や中古家電を海外に輸出する、渡来系業者の参入を招き入れた。

国境を越えた貿易ビジネスは、供給地(たとえば日本)と消費地(たとえば中国)など、需給双方の国内情報と資金融通が問題となる。その点、渡来系業者は母国と日本の双方に情報拠点を持ち、長年培った回収・出荷・選別ノウハウを兼ね備えている。問題は「資金」だが、ビジネスが有望と見えれば、スポンサー探しには苦労はしないだろう(チャイナマネー)。

彼ら(雑品業者)は湾岸出荷のゴウダウンから商売を始めた(2000年以降)が、またたく間に日本各地にヤードを開設し、扱い量を広げた。しかし「雑品」だから、不純物、混合物も多く(注・E-waste問題)、保管・輸送途中で発火事故が多発した(10年代後半)。この結果、これら「雑品」ビジネスに対する国際的な監視が強化され、18年を最後に雑品の貿易流通は下火となった。 

*注・E-waste(イーウエスト)Electronic and Electric Waste。「廃電子電気製品」廃棄物。廃電子機器などが環境規制が未整備な発展途上国に持ち込まれ不適正に処理された場合、人体や環境に被害を及ぼす恐れがある(E-wasteはバーゼル条約との関連で論じられる)。

 

■2020年代  「ゼロカーボン」の時代を迎えて
         新旧の二大勢力がしのぎを削る(予感)

 

17年1月米大統領に就任したトランプは、地球温暖化防止の国際枠組みから離脱したが、2011月選挙でトランプを大差で下したバイデン大統領は211月、低炭素社会実現を戦略目標に掲げ「ゼロ・カーボン」、「カーボン・ニュートラル」の実現を国際課題として提唱した。

CO2排出が多いのは、発電所を別とすれば、産業、運輸の順。日本では産業分野の最大が、40%超排出の鉄鋼。運輸では自動車関連だ。これは先進国共通だから、世界の自動車業界は、ガソリン・軽油を使わない電気自動車の開発で「ゼロ・カーボン」を目指し、鉄鋼業界は還元剤としてコークスの代わりに水素を使う「高炉・水素製鉄法」を目指すという。

水素製鉄高炉は、現在のところ稼働は一基もなく各国ともに中長期的な目標。当面は製鋼過程のCO2排出量が高炉法の4分の1程度で収まる電炉・鉄スクラップ使用比率を高めて、急場をしのぐ計画とされる。
日本では、日本製鉄が30年までに粗鋼年産能力400万㌧規模の大型電炉を国内につくる方針を明らかにした(213月)。

中国の習国家主席は国連総会で60年までにCO2排出量を実質ゼロにする目標を表明(209月)し、電炉製鋼比率を高め、鉄スクラップ輸入を促進する(211月)鉄鋼政策に転換した。これが世界の鉄スクラップビジネスのインパクトとなった。

まず世界と高炉の対応。コークス高炉製鉄法が、1㌧の鉄を作るに2㌧のCO2を排出量するのは、地下の鉄鉱石と石炭の採掘、その陸・海路の運搬、製銑・製鋼の4工程でCO2を排出量するからである。電炉ならば鉄スクラップの製鋼だけで済む(高炉のCO2排出量の4分の1)。

「ゼロ・カーボン」実現のため、強制的に産業界に促進を促す「炭素税」が導入され、低炭素が世界の生産活動の基準となる可能性が高い。炭素税運用が国によって異なる不公平も予想されるから「ただ乗り」を防ぐ「国境炭素税」の構想もある。

日本の高炉メーカーにとって、ゼロカーボンの将来をどう生きるかが、早急の課題となった(20暦年の粗鋼生産は83,194万㌧。鉄鋼輸出は3,214万㌧、この国際競争力が問われる)。

 

次いで鉄スクラップ。編者の見るところ、新旧の二大勢力の台頭が予想される。

一つは、渡来系業者の増加と鉄スクラップ貿易の活況。
鉄スクラップの低炭素メリットは、世界の鉄鋼、原料需給を変える。世界貿易は今以上に活況を呈する。日本では、鉄鋼大国の中国やベトナムなどアジア周辺の新興電炉国からの鉄スクラップ輸入の引き合いが増える。ここに商機を見つけた中国やベトナムなど本国に足場を持つ中国系やベトナム系など渡来系業者が日本各地に進出する。雑品貿易を足場にした渡来系業者は、さらなる拡大に走る(予感だ)。

 

いま一つが、従来の老舗・高炉系直納業者の復権・営業力の強化だ。

高炉各社にとって「ゼロ・カーボン」はもはや避けて通れない。水素製鉄の実現は先の話だが、目先は電炉・鉄スクラップ使用である。日鉄は400万㌧規模の大型電炉を国内につくるという。とりあえず広畑に開設するが、その運用と成績次第では、各地に増設する可能性は高い。であれば、JFE条鋼を持つJFEスチール本体が動いても不思議ではない。

電炉製鋼で高級鋼が作れることは、東鉄でもすでに実証済だ。ただ日鉄など高炉本体が本腰を入れて電炉で高級鋼を作るのであれば、インパクトは東鉄製品の比ではない。成分、業者選別が、高炉仕様に代わる。その流通整理として大手商社、直納業者グループが動き出す。高炉の新電炉1基で400万㌧。それだけで日本の鉄スクラップ輸出の4割以上を占める(注)。その結果、国内鉄スクラップ需給と価格形成は、高炉系業者と湾岸輸出業者の二つの焦点を巡る相場となって、一般電炉やそれにつながる一般業者に直接・間接の影響を及ぼす(予感だ)。

20年代は、それらの予想を軸に国内外で新流通スタイルが形成されるだろう。

*注=19年鉄スクラップ発生量4,736万㌧。電炉消費2,443.8万㌧・転炉消費924.4万㌧。鉄スクラップ輸出765.3万㌧(鉄源協会「世界の鉄スクラップ需給動向」207134p)