企業事典

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主要現役・商社

主要現役・鉄鋼会社(企業沿革)

高炉会社

主要現役・普通鋼電炉会社

主要現役・特殊鋼、ステンレス会社

主要現役・鋳物、鋳鋼会社

1965年以降の主な閉鎖・撤退会社

鉄スクラップ企業 および関連企業団体

主要現役・商社

  • エムエム建材 ホームページはこちら
    三井物産系子会社の三井物産スチールと、三菱商事、日商岩井系子会社のメタルワン建材が14年11月統合し、三井物産メタルワン建材を設立した。
    その後の15年11月、社名を「エムエム建材」に変更した。

    *三井物産金属原料=三井物産は1987年、鉄スクラップなど金属原料専門の別会社として100%出資で分社化した(業務開始は7月1日。社長は土川丈太・本社製鋼原料部長)。*三井物産メタルズ=三井物産金属資源本部は鉄鋼・鉄スクラップ中心の三井物産金属原料と非鉄系中心の三井物産非鉄販売を2008年4月統合。「三井物産メタルズ」を設立した。*三井物産スチールに全面移管=三井物産メタルズは鉄スクラップ事業、ステンレススクラップ事業、両事業関連の環境事業の3事業を2013年4月、三井物産スチールに移管した。
    *メタルワン=三菱商事と日商岩井が2003年1月製鉄原料を除く鉄鋼製品部門の「メタルワン」を設立した。*メタルワン建材(04年4月)=このメタルワン、日商岩井鉄鋼建材およびエムシー・メタルテックは、日商岩井鉄鋼建材とエムシー・メタルテックの2社を統合し、2004年4月1日付けで「メタルワン建材」を設立。同年7月、旧三菱商事及び旧日商岩井の鉄スクラップ部門を同建材に全面移管した。*三井物産メタルワン建材(14年11月)=メタルワン建材と三井物産スチール両社の国内建設用鋼材とメタルクラップ事業(非鉄スクラップは除く)を統合し、三井物産メタルワン建材を14年11月1日設立した。

  • 丸紅テツゲン ホームページはこちら
     87年4月、丸紅の全額出資で福電興業を「丸紅テツゲン株式会社」に改組(81年、丸紅80%、三興製鋼20%の出資比率で福電興業を設立)し、鉄スクラップ扱いを丸紅本体から丸紅テツゲンに全面的に移管した。

  • JFE商事 ホームページはこちら
    JFEスチール(川鉄と日本鋼管が2003年合併)の発足に伴い、旧川鉄系の川鉄商事と旧鋼管系のNKトレーディングが合併(04年)し発足した。
    *川鉄商事=54年1月青山特殊鋼、新庄鋼材、摩耶興業の3社合併により川鉄商事設立。61年3月小倉商事を吸収。69年10月川一岐商を吸収。83年10月川鉄物産を吸収合併。

  • 伊藤忠メタルズ ホームページはこちら
    伊藤忠メタルズは16年1月、住商鉄鋼販売の製鋼原料事業を吸収分割により承継すると発表。
    *伊藤忠丸紅テクノスチール=伊藤忠商事、丸紅の鉄鋼部門を分割統合し、伊藤忠丸紅鉄鋼および伊藤忠丸紅テクノスチールを01年10月設立。*伊藤忠メタルズ=伊藤忠は08年4月、アイ・リサイクルを含む金属原料事業と伊藤忠非鉄マテリアルを統合して伊藤忠メタルズを設立。*住商鉄鋼販売=鉄鋼本部を分社化し81年1月、古物売買業など鉄スクラップ業務は同社に全面移管した。

  • 日鉄物産 ホームページはこちら
    新日鉄と住友金属の合併(12年10月)に伴い、それぞれの子会社である日鉄商事と住金物産が13年10月統合し、設立。親会社の新日鐵住金が日本製鉄へ商号変更したことに伴い、19年4月、社名を日鉄物産に変更した。
    *日鉄商事=1977年8月、新日本製鉄主導で設立。同年11月大阪鋼材、入丸産業㈱を吸収合併し発足した。*住金物産=1941年住友金属工業の指定問屋4社が一括合併してヰゲタ鋼管販売を設立。62年10月山本鋼業を合併し、住金物産に商号を変更。67年11月桝谷商会を合併。93年4月イトマンと合併し繊維、食糧等の商権を継承した。

  • 神鋼商事 ホームページはこちら
    神戸製鋼グループの中核商社。1946年11月太平商事㈱として発足。59年湯浅商店を吸収合併。60年6月神鋼商事に商号を変更した。

  • 豊田通商 ホームページはこちら
    自動車のトヨタ系の商社。1936年トヨタ車の販売に対する金融を目的とした「トヨタ金融㈱」に始まる。42年「豊田産業」に変更。48年豊田産業の商事部門を継承し「日新通商」設立。56年商号を「豊田通商」に変更。2000年4月加商㈱と合併。06年4月㈱トーメンと合併(HP沿革)。
    *加商=1923年加藤商業を設立。28年商号を加商に変更。99年豊田通商と業務提携し、2000年合併。*トーメン=1920年4月三井物産・棉花部の業務を継承し「東洋棉花㈱」設立。63年南海興業(鋼管系、鋼材問屋)合併し金属部門を拡大。70年「㈱トーメン」に商号変更。2000年3月豊通と資本・業務提携。06年4月豊通と合併。

  • 豊通マテリアル ホームページはこちら
    99年5月豊田通商㈱ 非鉄金属部から分社化し「豊通非鉄販売」設立。2004年4月豊田通商 鉄鋼原料部から業務移管を受け「豊通マテリアル」に商号変更。17年4月豊通レアアース吸収合併。

  • 阪和興業 ホームページはこちら
    安宅産業出身の北二郎等が1946年創業した独立系商社。

  • 兼松トレーディング ホームページはこちら
    70年(昭和45)兼松の100%子会社として設立。99年兼松鉄鋼販売と統合。2006年10月、日鋼貿易㈱と統合。普通鋼材販売、鉄鋼原料・鉄スクラップ・特殊鋼の国内販売、輸出入に及ぶ。

  • 岡谷鋼機 ホームページはこちら
    寛文年間に岡谷總助宗治が名古屋の鉄砲町で金物商「笹屋」を起したのに始まる。1937年岡谷商店を設立。43年(昭和18)岡谷鋼機に商号を変更した。

  • トピー実業 ホームページはこちら
    トピー工業グループの専門商社。1947年3月、東都製鋼(現トピー工業)の鋼材指定問屋として萩原商事㈱設立。51年1月東和鋼機㈱に商号変更。55年東豊実業㈱を吸収合併して東都実業㈱に商号変更。64年7月日本車輪販売㈱の営業権を譲り受け、トピー実業㈱に変更。

  • 草野産業 ホームページはこちら
     1914年草野惣市が個人商店として創業。18年福岡県直方植木町で草野惣市商店開業。39年(株)草野商店設立。44年草野産業(株)に商号変更。

  • ナベショー ホームページはこちら
    独立系専業商社。1931年(合資)渡邊傳七商店を設立。55年、渡邊商事㈱に社名を変更。94年10月㈱ナベショーに改めた。

主要現役・鉄鋼会社(企業沿革)

高炉会社

  • 日本製鉄株式会社 ホームページはこちら
    本社=東京都千代田区丸の内2-6-1。(設立 2012年10月)
     日本を代表する高炉企業である新日本製鐵と住友金属工業が2012年10月1日合併し、「新日鉄住金」を設立した(合併比率は新日鉄1対住金0.735)。  19年4月1日付で社名を「日本(にっぽん)製鉄」に改めた。20年4月1日、17年3月に買収した日新製鋼(その後、社名を日鉄日新製鋼に改称)を同日付で合併すると発表した。

    *新日鉄住金・合併までの経緯=国内的には1990年代の円高やバブル崩壊、「重厚長大」産業の後退、輸出競争力の低下、製造業の「空洞化」などが、鉄鋼経営を直撃し、大型装置産業である鉄鋼各社は抜本的な「リストラ」(再構築)を迫られた。また国外的には89年のベルリンの壁崩壊、90年の東西ドイツ統一、91年ソ連邦の消滅を契機とする世界経済の国境を超えた資本、労働の流動化などが鉄鋼産業の発想を覆した。WTO(世界貿易機関)に2001年加入した中国の粗鋼生産は、わずか5年足らずで世界シェアの4割を占め、ミタル社のアルセロール社買収(06年)による「規模の拡大」から鉄鋼各社は根本的な見直しを迫られた。新日鉄、神鋼、住金3社は01年以降、業務・資本提携を進めた。またTOB(株式公開買付け)を駆使して登場したアルセロール・ミタル社の脅威に対抗する戦略的体制の構想が急がれた。その対抗策として新日鉄と住金の両社は11年2月、12年10月をメドとする合併計画を発表。公取は同年12月、両社で競合する約30分野を審査。無方向性電磁鋼板や高圧ガス導管敷設など2分野での商権譲渡などを条件に両社合併を認めた。

    <その前身会社>
    ■官営製鉄所=日本政府が1896年製鉄所官制を公布し官営製鉄所を建設した。開業式は1901年11月18日。英文名称はThe Imperial JapaneseGovernment Steel-Works.日本帝国の製鉄所。高炉操業(製銑)と同時に1901年5月30日25㌧平炉で日本初の銑鋼一貫生産が始まった。日本初の転炉操業も01年11月12日10㌧転炉2基。平炉に最初に熔銑を使用したのも官営八幡で10年10月。平炉鋼生産は01年が約1万㌧10年12万6千㌧。同所が黒字を計上するのはこの10年からである。
    ■日本製鐵=1929年世界恐慌対策と民間鉄鋼業救済の国策として製鉄大合同案が答申され、34年2月官営製鉄所と民間の輪西製鉄、釜石鉱山、三菱製鉄、富士製鋼、九州製鋼、東洋製鉄が合同して半官半民の特殊会社「日本製鉄」が誕生(35年には大阪製鉄も合流)。戦後の48年12月、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から分割・再編を命じられ、50年4月製鉄部門は八幡製鉄、富士製鉄に分かれた。▼製鉄所開設=日本製鉄が39年広畑製鉄所(兵庫県)開設。
    ■八幡製鐵=50年4月設立。初代社長は三鬼隆(稲山嘉弘が62年4代目社長に就任)。56年日本鋼管と同時に入手した純酸素上吹き転炉製鋼法(LD転炉)を57年9月、日本で最初に稼働させた。▼製鉄所開設=55年光製鉄所(山口県)。61年堺製鉄所(大阪)。65年君津製鉄所(千葉)。
    ■富士製鐵=50年4月設立。永野重雄社長。旧日鉄のうち室蘭、釜石、広畑を継承。当初の北日本製鉄の名称が富士製鉄に改まったのは広畑の帰属を巡り、北日本では都合が悪いとの判断があったためとされる。▼製鉄所=58年中部財界と共同で東海製鉄を創設。67年同社を吸収合併し名古屋製鉄所を設置。
    ■新日本製鐵=70年3月31日、八幡製鉄と富士製鉄が合併し当時、世界最大の製鋼メーカーを作った。直前までの日本の鉄鋼業界は、関西平炉3社(川埼製鉄、神戸製鋼、住友金属)が相次ぎ構内高炉を建設し高炉・LD転炉製鋼に乗り出したことから、旧一貫高炉(八幡、富士、鋼管)との摩擦が激化(65年・住金事件)。その設備調整の必要が旧日鉄の八幡と富士の合併を促した、とされる。68年4月永野富士と稲山八幡両社長が合併構想を明らかにし、同年5月両社は合併趣旨を公取に提出。合併事前審査は6月から開始された。69年3月両社は合併に調印したが、公取は5月合併否認を勧告。両社は勧告を拒否。公取始まって以来の審判に持ち込まれた。両社は8月問題4品目をライバル他社に譲渡(食缶用ブリキは東洋鋼鈑の株を手放す、釜石のレール設備は日本鋼管に譲渡、鋳物用銑は東田6号高炉を神戸製鋼に譲渡、鋼矢板はライバル社への技術指導)で決着。10月公取は合併を認め、70年3月世界最大の製鉄会社が誕生した。同社の登場から大手「高炉5社体制」による鋼材販売などの協調体制が確立した。▼製鉄所開設=71年大分製鉄所開設。
    *   *   *
    ■住友金属工業=1900年(明治33)4月、大阪鋳鋼所が民間初の平炉操業を開始したが、軌道に乗らず1901年6月住友吉左衛門が買収。住友鋳鋼場として再出発したのに始まる。35年住友金属工業に改称。戦後の財閥解体に伴い1945年11月、扶桑金属工業に改称。講和条約発効後の52年5月、旧社名に復帰した。関西平炉3社の一角を占め53年高炉を持つ小倉製鋼を買収。61年和歌山製鉄所1号高炉に火入れし、構内高炉一貫体制を築いた(後発高炉)。65年末、時の行政指導に反旗を翻した「住金事件」は新旧高炉会社の設備増強やシェア争いが絡んでいたとされる(この事件が旧日鉄系高炉2社の合同、新日鉄誕生を促した)。継目無し管(シームレスパイプ)などでは世界的なシェアを占めたが、90年代後半のアジア危機などから業績が悪化。2001年12月から新日鉄、神鋼との業務・資本提携を進めグループとして行動。03年9月にはステンレス事業を会社分割して新日鉄と共同で「新日鉄住金ステンレス」を設立。同年10月和歌山製鉄所の上工程部門を分割し台湾のCSCと合併で「住金鋼鉄和歌山」を設立した。その一方、鹿島で04年9月新1号高炉(5,370)を日本の鉄鋼業として25年ぶりに建設。12年10月、新日鉄と合併。▼製鉄所開設=53年小倉製鋼(福岡)を買収し小倉製鉄所発足。61年和歌山製鉄所開設。68年鹿島(茨城県)製鉄所開設。
    *   *   *
    ▼小倉製鉄所=1915年(大正5)、ワイヤーロープを作る東京製綱が線材から鋼索までの一貫生産を目指して立上げた小倉製鋼所に始まる。18年浅野總一郎が買収、浅野小倉製鋼所として新発足させた。36年12月小倉製鋼に改称。39年4月第一高炉操業開始。44年浅野重工業を吸収合併し社名を継承。同年南方移設のため第一製鋼工場の平炉5基解体。戦後の1945年小倉製鋼に社名変更。戦後は高炉休止、平炉1基操業でスタート。51年1処女第二号高炉火入れ。52年3月以降、住金と資本・事業提携。53年7月合併し小倉製鉄所。2000年住友金属小倉として新発足。12年1月住友金属と合併。同年10月新日鉄と住金の合併により新日鉄住金・小倉製鉄所。
    ▼直江津製造所=1934年日本ステンレスとしてステンレス鋼製造開始。92年住友金属と合併。2000年分社し住友金属直江津。
    *   *   *
    ■日新製鋼=1959年4月ステンレス単圧の日本鐵板(周南、大阪、徳山、東京)と亜鉛鉄板の日亜製鋼(呉、尼崎、神崎)の八幡系平炉・単圧2社が合併し新発足した(当時、最大の平炉メーカー)。62年6月呉製鉄所に高炉を建設。ステンレス鋼専業として、銑鋼一貫メーカーの仲間入りを果たした。2012年3月、日本金属工業(日金工)を吸収し「日新製鋼ホールディングス」として統合した。17年3月新日鉄住金が日新製鋼の株式公開買い付け(TOB)を行い、3月13日付で新日鉄住金の連結子会社となった(日新製鋼は上場は維持)。さらに19年4月、新日鉄住金の社名変更(日本製鉄へ改称)に伴い、日新製鋼から日鉄日新製鋼に商号を改めた。
    *日新製鋼誕生までの経緯=「日新製鋼新発足10年史」によれば57年から58年の「なべ底」景気による各社経営の悪化から八幡製鉄は傘下の日本鉄板、日亜製鋼の合併が望ましいとの方向を決定した。両社は業界で独自の地位にある中堅だけに当初は合併反対の空気が強かった。両社が合併すれば、設備面の有無相通の補完関係と同時に他品種生産と販売地盤の拡充がもたらされるとの判断から対等合併の基本線で合意した。新社名の日新は日本鐵板、日亜製鋼の「日」の一文字は是非残したいとの両社員の希望を受け「日々新、又日新」との「大学」(中国の四書)の章句に因んだ。
    <その前身会社>
    ▼日本鐵板=1911年民間初の亜鉛鉄板メーカー、亜鉛鍍創業。16年大阪鉄板製造に社名変更。28年徳山鉄板設立。53年大阪鉄板製造と徳山鉄板と合併し日本鐵板設立。58年広幅ゼンジミア・ミルを導入しステンレス冷延鋼板の大量生産を開始した。
    ▼日亜製鋼=1908年田中亜鉛鍍金工場創業。18年日本亜鉛鍍、35年日本亜鉛鍍鋼業に社名変更。▼36年平炉導入。39年日亜製鋼に社名変更。
    ■日本金属工業=1932年(昭和7)ステンレス鋼の製造を目的として設立。34年18-8ステンレス鋼の工業化に成功し日本特殊鋼材工業として設立。54年日本金属工業に改称。2012年10月、日新製鋼と経営統合した。

  • JFEスチール株式会社 ホームページはこちら
    東京都千代田区内幸町2-2-3。(設立2003年4月1日)
     関西平炉の流れを汲む川崎製鉄と戦前からの一貫製鉄所であるNKK(日本鋼管)の両社が2003年4月合併し、新発足した。大手高炉の統合は新日本製鉄の合併(70年)以来33年ぶりである。

    *合併までの経緯=両社は2001年4月、03年4月をメドとする統合計画を発表。統合会社として「JFEホールディングス」(02年9月)を設立、その傘下に「JFEスチール」(03年4月)を立ち上げた。日産自動車が1999年10月発表した「日産リバイバルプラン」(購買コストを3年間で1兆円削減。鋼板は高炉5社から3社に絞る)などが遠因とされる。

    <その前身会社>
    ■川崎製鐵=鉄道・造船の国内鋼材等の供給を目的に1907年(明治40)、神戸に10㌧平炉を持つ川崎造船所・鋳鋼工場を建設。39年川崎重工業に社名を変更。50年同社の製鉄部門を分離し、川崎製鉄として独立(初代社長西川弥太郎)。千葉での高炉建設を目指した。しかし当時の日本の乏しい国力では日本製鉄以外に高炉操業はやらせられないとして千葉建設計画に断固反対したのが一萬田日銀総裁。その総裁が口にしたのが「千葉にペンペン草をはやしてやる」とのエピソードだ。
    ▼製鉄所開設=1951年千葉製鉄所開設。61年水島製鉄所(岡山県)開設。

    ■日本鋼管(NKK)=1912年、渋沢栄一など財界有力者の後援を得て、白石元治郎が神奈川県川崎にインド銑使用を前提とした平炉工場を建設した。当時、日本は外国から継目無管を輸入していた。この自国供給を目指した。初出鋼は14年(大正3)1月。半年後、欧州で第一次世界大戦が勃発した。浅野造船、浅野製鉄を合併(20年)した。鉄鋼大合同を標榜する日本製鉄結成に当って日本鋼管は、合同には参加せず、独自に37年2月350㌧高炉を建設。八幡、富士に並ぶ戦前からの一貫高炉メーカーであった。官営八幡は高炉と同時にベッセマー転炉での製鋼に乗り出したが、燐分を多く含んだ鉱石を必要とするトーマス転炉を独自の工夫で導入したのが白石・今泉の日本鋼管(38年6月)。同社はこの転炉操業の経験をベースに、戦後日本の鉄鋼業の近代化を画するLD転炉の導入にも先鞭をつけた(58年)。▼製鉄所開設=1936年高炉建設。65年福山製鉄所開設。68年京浜(川崎、鶴見、水江の3製鉄所を統合)開設。71年京浜製鉄所で扇島建設を着工。

  • 株式会社 神戸製鋼所 ホームページはこちら
    兵庫県神戸市中央区脇浜町2-10-26
    東京本社 東京都品川区北品川5-9-12 (設立1911年6月)
     製銑・製鋼分野だけでなく機械(建機)、非鉄分野のウェートも大きい。
    機械や製鉄開発技術は高く独自の存在感を発揮している。
    ■沿革=1905年(明治38)小林製鋼所が平炉を据えたが失敗。鈴木商店に身売りされ、神戸製鋼所と改称(9月)。11年鈴木商店から分離独立。関西平炉3社の一角を占めた。56年高炉を持つ尼崎製鉄の支配権を獲得して高炉操業の習熟に努め、59年灘浜1号高炉に火入れして構内高炉一貫体制を築いた。95年阪神淡路大震災で神戸製鉄所などが被災。2001年12月新日鉄、住金との業務・資本提携を進めた。提携関係にあった新日鉄と住金が12年10月合併したが、同社は参加せず独自の路線を選択。同社は13年5月、17年度をメドに神戸製鉄所の上工程を加古川製鉄所に集約し、神戸製鉄所の高炉をはじめとする上工程設備を休止すると発表した。▼製鉄所開設=56年尼崎製鉄の支配権を獲得。59年神戸製鉄所開設。70年加古川製鉄所建設。

    <その前身会社>
    ■尼崎製鋼・尼崎製鉄=32年(昭和7)井上長太夫・千葉金三郎など大阪の有力な金属問屋商が特殊鋼生産などを目的に当時では最大容量の電炉を持つ尼崎製鋼所を創設。34年には平炉2基を増設。37年久保田鉄工と折半出資で銑鉄自給のため尼崎製鉄所を設立。41年高炉設備が稼働。44年銑鋼一貫を図るため尼崎製鋼を吸収したが戦中の原料事情から高炉生産を停止。46年5月製鋼圧延部門を分離し尼崎製鋼を設立。53年操業を停止していた尼崎製鉄・第一高炉の操業を再開。しかし54年尼崎製鋼は長期ストのため54年7月倒産(尼崎製鋼争議)、銑鉄の安定調達を望んでいた神戸製鋼が尼鉄経営に参画して尼崎製鋼を再発足(55年4月)。「銑鋼一貫体制を整えるため」尼崎製鉄が尼鋼を吸収合併(58年10月。7番目の銑鋼一貫メーカー)。その後の65年4月神戸製鋼と尼崎製鉄は公式に合併した。神戸製鋼は59年に灘浜1号高炉、70年に加古川製鉄所を新設。新旧工場間の生産格差が拡大したことから78年尼鉄での2号高炉・製鋼を休止し、87年9月28日最後まで鋳物用銑を生産していた1号高炉を閉鎖した。神鋼傘下にあった尼鉄は63年冷間圧延のため堺工場を新設したが、上工程との連携を欠いたこともあり66年日新製鋼に譲渡した。

主要現役・普通鋼電炉会社

  • 朝日工業株式会社―合同製鉄系 ホームページはこちら
    東京都豊島区東池袋3-23-5Daiwa東池袋ビル(設立 1991年10月29日)
    ■沿革=1935年朝日化学肥料として創業。1960年西部化学工業として鉄鋼業に参入し西部化学工業に改称。85年グループ3社を統合し朝日工業に改めた。92年農業、鉄鋼部門を朝日工業に会社に分割。2000年民事再生法を申請した東洋製鋼から異形棒鋼の営業権を譲り受けた。18年8月、合同製鉄がTOBを行い、19年2月賛同した(異形棒鋼を手掛ける両社だが、合同製鉄は太径、朝日工業は細径の製造が中心であるため補完性が高い。また、朝日工業は合同製鉄が生産していないねじ節鉄筋を手掛けているため、商品ラインアップも広げられる)。
    19年7月23日付で所JASDAQの上場を廃止。20年4月鉄鋼部門と農業部門を分割した(農業部門は朝日工業100%新設子会社の「朝日アグリア」)。

    <その前身会社>
    ■西部化学工業=1935年朝日化学肥料として尼崎市初島で創業。45年西部グループに入る。54年埼玉工場を新設。60年旧日本ニッケル(36年設立)の鉄鋼部門を吸収し社名を西部化学工業に改め、鉄鋼事業開始。85年西部化学工業、朝日食品、丸上の3社を合併、社名を朝日工業に改めた。

  • 株式会社伊藤製鐵所―独立系 ホームページはこちら
     東京都千代田区岩本町三丁目2番4号 岩本町ビル7階 (設立 1944年3月31日)
     伊藤三好が1937年、個人商店を開業した。戦前・戦中・戦後の鉄屑業界の論客として知られる伊藤信司は三好の実兄である。▽筑波工場 ▽石巻工場
    伊藤寅松 伊藤信司 伊藤三好の項参照
    ■沿革=1937年創業。42年小型高炉建設。44年関東制輪子を吸収し伊藤製鉄所に改組。48年電炉を導入し鋼塊製造。62年高張力異形棒鋼「オニコン」の製造開始。69年石巻工場建設。77年筑波工場建設。2005年東京鐵鋼と「東北デーバー・スチール」設立。18年4月東京鐵鋼と資本業務提携を行い、持分法適用関連会社となった(東京鐵鋼の議決権所有割合21.07%。伊藤製鉄の筆頭株主)。18年10月東京鐵鋼と共同販売会社「東京デーバー販売」を設立。

  • 株式会社宇部スチール ホームページはこちら
    山口県宇部市小串沖の山1978-19 (設立 1989年3月)
     1989年宇部鋳鍛鋼から経営権を譲り受け、営業を開始した。ビレット、鋳鋼、鋳鉄品。
    ▽製造工場 本社に同じ。▽電炉での溶融リサイクルも行っている。
    ■沿革=UBE(宇部興産)グループの一員として1914年山口県宇部市において匿名組合宇部新川鉄工所の一事業所として発足し、その後の変遷を経て1989年株式会社宇部スチールとしてスタート。2001年産業廃棄物処分業許可証を取得。10年山口県「エコ・ファクトリー事業所」認定
    *同社㏋=宇部スチールの主力製品であるビレットや鋳造品。主原料の鉄スクラップ(鉄屑)を溶融する高温の電気炉を有効利用して、ガラスや廃プラスチックなども製品の製造過程で高温溶融処理することにより廃棄物の処理を、(特に)注射針や薬剤容器など処理の難しい感染性医療廃棄物も、製品づくりのプロセスにおいて電気炉で高温溶融処理により無害化し、安心な廃棄物処理に貢献しています。また製造中に発生するスラグ(鉱滓)はコンクリート用骨材や道路の路盤材に再生し、資源の有効活用を図っています。

  • 王子製鉄株式会社 ホームページはこちら
    東京都中央区日本橋3-2-5 (設立 1956年5月11日)
     平鋼のトップ会社で「平鋼のデパート」的存在。新日鉄の子会社。▽工場 群馬県太田市
    ■沿革=1935年「理研コンツェルン」の一つとして理研特殊鉄鋼設立。王子工場内に圧延工場建設。38年合併により理研重工業に改称。41年7社合併により理研工業設立。49年財閥解体により14社に分割。新理研工業王子圧延工場として再出発。55年大同製鋼が新理研工業を吸収合併し大同製鋼・王子工場に改称。56年5月王子工場単圧部門を分離し王子製鉄を創設。59年「武蔵製鋼」を吸収合併し「綾瀬工場」と改称。66年「大寿製鉄」を買収し「群馬製鋼」を設立、高崎工場と改称。70年綾瀬工場及高崎工場を群馬県太田市へ集約。76年工場再配置促進法に基づき東京都内の本社工場を群馬工場に集約。2007年12月筆頭株主が大同特殊鋼から新日本製鐵系。

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    本社事務所 大阪市中央区道修町3丁目6番1号 (設立 1978年5月15日)
     日本製鉄(旧富士製鉄)直系の電炉メーカー。一般形鋼では国内最大手である。
    ▽恩加島工場:▽堺工場。▽西日本熊本
    ■沿革=鉄鋼不況対策として平・電炉の統廃合とその法制(「特定不況産業安定臨時措置法=特安法」)の整備が進んだ1978年10月新日鉄系平・電炉の大鉄工業と大和製鋼の2社が合併し大阪製鉄を設立したのに始まる。87年日本スチール工業(単圧)の経営権を継承し日本スチールを設立(2005年、同社を完全子会社化)。89年九州の西日本製鋼の経営権を取得し95年同社を合併。90年関西ビレットセンターを新日鉄・堺構内に設立し、99年10月同社を合併。99年ニチメン系の北海鋼業から経営権を譲り受け、新北海鋼業を設立(14年3月末操業停止)。12年インドネシア国営製鉄会社PT. KRAKATAU STEEL(PERSERO)Tbk(クラ カタウ社)と合弁会社PT. KRAKATAU OSAKA STEEL(KOS社)を設立。2016年3月東京鋼鐵にTOBを行い、子会社化した(上場存続)。

    <その前身・合併会社>
    ■大鉄工業=1914年(大正3)大阪製鉄として創設。36年鉄鋼大合同により日本製鉄・大阪製鉄所。戦時供出で製鋼設備を失った同所は戦後の日鉄再編の対象外となった。49年1月GHQから伸鉄会社設立の許可を得て大鉄工業を設立。日鉄分離後の富士製鉄からビレット供給を受け、52年以降旧日鉄2社の増資を受けた(富士製鉄系)。60年電炉導入。78年(昭和53)大和製鋼と合併し大阪製鉄を設立。本社・恩加島工場となる。
    ■大和製鋼=1922年(大正12)植松伸鉄所として設立。37年大和製鋼に改組。77年平炉を休止、単圧メーカーへ転換。78年大鉄工業と合併し大阪製鉄を設立。津守工場となる。
    ■西日本製鋼=1972年(昭和47)熊本工業として設立。73年熊本共英製鋼と改称。80年神戸製鋼系の中国製鋼(単圧)と合併し西日本製鋼と改称。89年大阪製鉄グループ入り。95年大阪製鉄と合併、西日本製鋼所となる。
    ■北海鋼業=1936年創業。61年新日鉄資本参加。99年会社整理(新北海鋼業を設立)。
    ■関西ビレットセンター=90年大阪製鉄65%、新日鉄35%の共同出資で設立。2001年新日鉄・堺構内に120㌧直流電炉(1電源2炉方式)、連鋳設備を導入。02年4月から操業開始。99年大阪製鉄・堺製鋼工場となる。
    ■東京鋼鐵=16年3月大阪製鉄がTOBを行い、子会社化した(上場存続)。

  • 大谷製鉄株式会社 ホームページはこちら
    富山県射水市奈呉の江8-4 (設立1969年1月21日)
    大谷重工業の流れをくむ電炉企業である。▽製造・圧延工場=本社に同じ。
    大谷 米太郎の項参照。
    ■沿革=1952年12月大谷製鋼所立山工場として富山市に発足。57年7月大谷製鋼所富山工場に改称。69年1月大谷製鋼所から分離、大谷製鉄(株)として設立。88年12月富山県新湊市(現:射水市)の新工場完成と共に全面移転。

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    茨城県土浦市大畑580 (設立 1994年3月4日)
    共英製鋼が1994年相場製鋼・新治工場を買収し設立した共英製鋼系電炉メーカー。
    ▽製造・圧延工場=本社に同じ。

    <その前身・合併会社>
    ■相場(あいば)製鋼=相場義男が1958年相場製鋼(単圧)を設立。90年新鋭電炉工場を茨城県新治郡に建設(92年完成)。94年共英製鋼が同工場設備を継承した。

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    大阪府岸和田市臨海町20 (設立 1956年12月)
    関西地区を代表する細物丸棒メーカーである。▽製造・圧延工場=本社に同じ。
    ■沿革=鉄材及び製鋼原料を営んでいた片山重太が1956年大阪市港区に三進商会を設立。58年伸鉄業を開始。67年岸和田に進出し岸和田製鋼に改称。71年電炉を導入した。

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    福岡県粕屋郡久山町大字久原字原2920 (設立 1987年8月1日)
    1987年大安製鋼が清本鐵工・佐賀(製鋼部門)と合体し、製鋼圧延一貫メーカーとして新発足した。棒鋼専業。▽佐賀工場 ▽福岡工場

    <その前身・合併会社>
    ■大安製鋼=1973年設立(安宅産業系)。84年、合同製鉄が資本参加。87年清本鐵工・佐賀(製鋼部門)と合体して九州製鋼と改称。
    ■清本鐵工・佐賀=1959年鋳鋼工場を建設。71年佐賀工場に電炉設備を導入。87年清本鐵工の製鋼部門と大安製鋼とを合体して九州製鋼と改称(清本鐵工

  • 共英製鋼株式会社 ホームページはこちら
    大阪市北区堂島浜1-4-16 (設立 1947年8月21日)
     新日鉄住金でも旧住金系の電炉メーカー。東鉄、JFE条鋼に次ぐ日本第3位。異形棒鋼のトップメーカーでありメスキュード=MESSCUD(医療系廃棄物安全管理)システムの開発でも知られる。高島浩一の創業の地である大阪を拠点に名古屋、山口に直轄事業所を、関東に子会社(関東スチール)を持ち、海外進出にも積極的でベトナム、米国に関連会社を展開する。
    高島 浩一 永田 紘文の項参照
    ■沿革=1947年共栄製鉄として創業。同年12月伸鉄業に転換し48年共英製鋼に社名変更。62年電炉を導入してビレット業に進出。71年枚方に電炉(72年圧延設備)を導入。地方ミニ・ミル構想のもと72年山口共英工業及び熊本工業(73年熊本共英工業へ改称)、73年米国オーバン・スチールを設立。鉄鋼商社の安宅産業の解体(76~77年伊藤忠が商権継承)を受け79年以後、山口共英び熊本共英や米国の会社経営権を譲渡したが82年住友金属の30%出資を得て資本を増強。84年名古屋の第一製鋼の経営権を取得。88年住金・和歌山構内に和歌山共英製鋼を設立。90年共英製鉄、山口共英、第一製鋼、和歌山共英(2001年経営権を譲渡、現日鉄スチール)と合併。94年関東の相場製鋼を継承して関東スチールを設立。海外でも92年米国フロリダスチールの経営権を取得(2011年譲渡)。94年ベトナムにビナ・キョウエイ・スチールを建設。00年には合同製鉄と共に中山鋼業(99年会社更生法を申請)の再建に参加。06年12月東証・大証一部に上場。12年以降ベトナム、米国など海外進出にも注力している。▽枚方事業所。▽山口事業所。▽名古屋事業所。
    ■総合リサイクル電炉=1988年山口事業所が廃棄物を電炉で溶融処理する「メスキュード」(医療系廃棄物安全管理)システムを開発。自動車リサイクル法に備え2004年4月産廃設備や最終処分場を持つ共英リサイクルを設立。電炉業と産廃業を融合した。
    ■国内グループ会社=関東スチール(電炉100%出資)。中山鋼業(電炉42.4%出資)。吉年(鋳物・よどし)(100%出資)。共英リサイクル(MESSCUD部門)ほか。 ■海外展開=ベトナム:1994年日本の鉄鋼メーカーの進出第1号として、ホーチミン市郊外に現地パートナーとの合弁会社ビナ・キョウエイ・スチール社(VKS社)を設立。2011年ベトナム北部にキョウエイ・スチール・ベトナム社(KSVC社)を設立(2012年3月操業開始)、18年5月ベトナム・イタリー・スチール社(VIS社)を子会社化した。
    米国:1970年代、1990年代に米国で鉄鋼事業を展開し、日本国内の事業環境の悪化により、やむなく手放した経緯がある。2016年12月ビントン・スチール社(テキサス州)は、米国で3度目に得た事業拠点。20年2月カナダのアルタ・スチール社(アルバータ州)グループ化した。

    <その前身・合併会社>
    ■第一製鋼=1946年名古屋伸鉄工業所として設立。51年第一製鋼に社名を改称すると共に電炉を導入。60年名古屋市南区に道徳工場を建設(73年閉鎖)、69年愛知県海部郡に飛島工場を建設。84年共英製鋼が経営権を取得。90年共英・名古屋事業所となる。

  • 合同製鐵株式会社 ホームページはこちら
    大阪市北区堂島浜2-2―8 (設立 1937年12月)
     日本製鉄系の普通鋼電炉メーカーである(2007年6月新日鉄は合同製鉄の持ち株を15%超へ引上げ、持株会社)。平電炉不況対策の一環として、八幡系の小型高炉、平・電炉メーカーが合併して1977年発足。以来、同社は日本製鉄系列電炉の受け皿的機能を果たしている。
    ▽大阪製造所:▽姫路製造所:▽船橋製造所
    高石 義雄 大谷 米太郎の項参照。
    ■沿革=1937年高石義雄氏が発起人となり平炉4基を備えた大阪製鋼を設立。60年西島に高炉を建設(69年第2号高炉)。77年6月大谷重工業と合併して合同製鉄に改称した。
    78年4月姫路の日本砂鉄鋼業、関東の江東製鋼、91年4月商社(兼松)系の船橋製鋼を吸収合併。94年小型高炉を廃却して電炉操業に移行。2000年共英製鋼と共に中山鋼業(99年会社更生法を申請)の再建に参加。07年6月新日鐵の持分適用会社となる。同年12月三星金属工業を子会社化(持株51%)、15年7月三星金属工業を完全子会社化。16年3月トーカイを完全子会社化。19年3月朝日工業株式会社をTOBにより連結子会社化した。
    *主要関係会社=朝日工業(電炉)。三星金属工業(電炉)。トーカイ(電炉)。合鐵産業(商社)他。

    <その前身会社>
    ■大阪製鋼=1921年(大正10)高石義男が高石圧延工場を設立。28年合資会社に改組。37年平炉4基を備える大阪製鋼を設立。38年12月淀川鋳鋼を吸収、41年には石原兄弟製作所を合併。47年尼崎圧延工場(線材)新設。60年4月、西島に高炉を新設(326。トランジスタ高炉との愛称も)した9番目の一貫メーカー。77年6月大谷重工業を吸収して合同製鉄に改称した。
    ■大谷重工業=相撲取りから鉄鋼業に乗り出した大谷米太郎が1940年東京ロール製作所を前身とする大谷製鋼・大谷鉄鋼の2社を合併し設立した。戦前・戦後を代表する平電炉会社だったが68年3月経営危機が表面化し、4月八幡系による支援策が打出された。
    電炉の構造不況が叫ばれた77年、大阪製鋼に吸収合併された。
    ■日本砂鉄鋼業=1934年砂鉄処理を工業化し特殊鋼を生産する目的で日本砂鉄工業を設立。38年飾磨に10㌧電炉工場を建設。40年日本砂鉄鋼業に改称。78年吸収合併された。
    ■船橋製鋼=1949年旧野村製鋼(単圧)を継承し石田製鋼設立。60年電炉導入。61年兼松江商系列。64年船橋製鋼に社名変更。91年合同製鉄と合併、船橋製造所となる。

  • 株式会社 広島メタル&マシナリー(旧社名寿工業) ホームページはこちら
    東京都新宿区新宿1-8-1大橋御苑駅ビル (設立 1935年)
     鉄鋼及び鋳鋼品一貫で広島・呉地方きっての名門企業。▽広製作所
    ■沿革=1935年奥原工作所として創業。43年東亜航空工業に改組。51年東洋螺子製作所に改称。52年寿工業に改称。72年電炉でビレット生産開始。2004年寿グループを寿工業、コトブキ技研工業、ケムコ商事、コトブキソリューション、寿フーズ、郷原ゴルフ観光の6社に再編。07年アジア特殊製鋼設立。09年アジア特殊製鋼に隣接して寿工業・北九州製作所建設。12年アジア特殊製鋼の自己破産(4月)に伴い北九州製作所閉鎖。16年2月社名を広島メタル&マシナリーに変更。

  • 三興製鋼株式会社 ホームページはこちら
    神奈川県平塚市久領堤2-19 (設立 1948年8月12日)
     ㈱向山工場と共同で細物小棒の共同販売会社のウインファーストも運営する。
    ▽製造・圧延工場=本社に同じ。
    ■沿革=1948年伸鉄業を開始(日本鋼管の協力会社)。60年15㌧炉を導入し電炉業に進出。78年平塚工業を買収、平塚製鋼として系列化(81年平塚工場に改組)。84年東京本社工場閉鎖。奈川県平塚市に工場集約。2006年向山工場共販会社のウインファーストを設立する。

    <その前身・合併会社>
    ■平塚工業・平塚製鋼=1947年日本鋼管兵器処理局平塚作業支部の閉鎖に伴い、同支部の土地・建物・設備一式を大蔵省関東財務局から借受け平塚工業を設立。同10月10㌧電炉で鋼塊生産を開始。55年大蔵省関東財務局から払い下げ。57年異形棒鋼生産開始。78年三興製鋼が平塚工業を買収

  • 清水鋼鐵株式会社 ホームページはこちら
    千葉県浦安市港54 (設立 1947年6月18日)
    ▽苫小牧製鋼所(電炉) ▽宇都宮製作所(鍛鋼品製造)
    清水 五一郎 範子親子の項参照
    ■沿革=1937年清水五一郎の個人事業として鋼材商を創業。47年清水商店を設立。49年東京江戸川区に鉄屑プレス工場を建設。56年清水鍛造を設立し生産部門に進出。68年清水商店を清水鋼鉄に社名変更。70年清水鍛造と合併。清水製鋼を設立し北海道苫小牧市に電炉工場を建設。83年清水製鋼を吸収合併(清水製鋼を苫小牧製鋼所に改称)。

  • JFE条鋼株式会社 ホームページはこちら
    東京都港区新橋5―11-3 (発足 1999年4月1日)
     JFEスチール系の普通鋼電炉メーカー。2012年4月JFEスチール系の電炉4社(豊平製鋼、JFE条鋼、東北スチール、ダイワスチール)を集約し、新JFE条鋼として発足した。
    ▽鹿島製造所:▽東部製造所:▽姫路製造所:▽水島製造所:▽豊平製造所
    ■沿革=JFE条鋼の歴史は日本の平電炉メーカーの創設・合併・統合の縮図である。1970年東芝製鋼と日伸製鋼とが合併して東伸製鋼を設立(当時、電炉業界最大)。87年東伸製鋼と吾嬬製鋼所他の日本鋼管系3社が合併しトーア・スチールとして発足(電炉業界2位)。95年6月から鹿島に移転、競争力世界一を呼号して生産を開始したが、バブル崩壊後の逆風のなか98年9月任意清算した。その半年後の99年4月NKK条鋼として発足し、親会社の合併・社名変更から05年4月JFE条鋼に改称。さらに12年4月JFEスチール系電炉4社を集約しJFE条鋼として新発足した。

    <その前身・合併会社>
    ■東芝製鋼=1937年「東邦製鋼所」として開業。41年東京芝浦電気に吸収合併され、同社「足立製鋼所」として電機部品の鋳鋼品製造。52年「東芝製鋼」に改称。55年日本鋼管の系列に入るに及んで鋳造品に加え山形鋼、小形棒鋼に進出。70年日伸製鋼と合併。
    ■日伸製鋼=1938年「第一製鋼」(伸鉄)として開業。41年石産金属工業と合併。48年企業再建整備計画に基づき「日本伸鉄工業」として設立。51年9月「日伸製鋼」に改称(61年電炉導入)。65年鉄鋼不況で丸紅飯田系列。69年東芝製鋼と合併を前提に日本鋼管の系列。70年東芝製鋼と合併。
    ■播磨鉄鋼=日本伸鉄工業の関係会社「日伸産業」として設立。日伸製鋼の圧延工場の移管を受け、電炉新設。1960年「播磨鉄鋼」に改称。65年12月会社更生法の適用を申請、債権を持つ兼松江商、三井物産、東洋綿花の系列に入り、73年東伸製鋼に吸収合併。
    ■東伸製鋼=東芝製鋼と日伸製鋼の2社が合併して東伸製鋼を設立(当時、日本最大の電炉メーカー)。1973年播磨鉄鋼を吸収合併。
    ■吾嬬(あずま)製鋼所=清岡栄之助が1928年東京都で設立。29年30㌧小型高炉(再生銑炉)、2㌧電炉導入。30年2.5㌧転炉、25㌧平炉導入。33年吾嬬製鋼所に改組。35年「関東製鋼(40㌧平炉)」を買収。37年系列会社・土佐電気製鋼所設立。56年日本鋼管の系列に入る。87年東伸製鋼と合併。トーア・スチールとして発足。
    ■トーア・スチール=1987年吾嬬製鋼所、東伸製鋼他の日本鋼管系3社が合併しトーア・スチールとして発足。98年9月任意清算。
    ■NKK条鋼=1999年4月、トーア・スチールから営業譲渡を受け、NKKから福山大型工場の譲渡を受け、NKK条鋼として発足。2005年4月商号をJFE条鋼に変更。福山製造所をJFEスチールに移管。JFEスチール系の電炉4社集約に伴い、12年4月新JFE条鋼として新発足。
    ■大和電機製鋼=1952年7月神戸で「大和(だいわ)伸鉄」として創業。60年10月大和電機製鋼に社名変更。61年1月川崎製鉄が資本参加。90年10月川鉄・水島構内に事業所を開設(11月100t直流電炉導入)。92年ダイワスチールに改称。
    ■東部製鉄=1959年日綿実業の建設資金を得て東部製鉄として設立(60年電炉稼働)。88年4月大和電機製鋼が営業権を譲り受け、東部大和電機製鋼として新発足。
    ■ダイワスチール=1992年7月大和電機製鋼をダイワスチールへ、東部大和電機製鋼を東部スチールへ改称。両社は93年4月合併。ダイワスチールに改称。JFEスチール系の電炉集約に伴い、2012年4月新JFE条鋼として新発足した。
    ■豊平製鋼=1937年野口製鋼所として札幌市豊平に設立。57年豊平製鋼に改称。67年川鉄グループ。JFEスチール系の電炉集約に伴い、2012年4月新JFE条鋼として新発足。
    ■東北スチール=1969年「藤沢製鋼」として創業。73年に川崎製鉄が資本参加。85年東北スチールに改称。2011年東日本大震災で被災。JFEスチール系電炉集約に当り同社再建は見送られた。

  • 株式会社城南製鋼所 ホームページはこちら
    埼玉県川口市領家5-13-35 (設立 1955年3月)
    ▽製造・圧延工場=本社に同じ。
    ■沿革=柿原謙次が1955年鋼材販売を目的に城南鋼材商会を設立。56年田中鉄鋼を買収し明石特殊伸鉄を設立。59年埼玉県川口市に工場を建設し、明石特殊伸鉄を吸収合併。68年商号を城南製鋼所に変更。69年電炉工場建設、72年連続鋳造設備を建設。

  • 新関西製鐵株式会社 ホームページはこちら
    大阪府堺市塩浜町5 (設立 2001年10月1日)
     関西に拠点を持つ平鋼の関西製鋼と臨港製鐵の2社が2001年合併し、新関西製鐵として発足した。旧関西製鋼工場を堺工場、旧臨港製鉄工場を星田工場と呼ぶ。▽堺工場 ▽星田工場
    岡田 菊治郎 岸本 金三郎の項参照

    <その前身会社> ■関西製鋼=1929年阪口商店(現阪口興産)伸鉄部として発足。46年関西伸鉄工業に改称。51年関西製鋼に改称。57年電炉業に進出。01年臨港製鐵と合併した。
    ■臨港製鐵=1933年東京の岡田菊治郎の出資で創業。伸鉄業を開始。62年大阪交野市に電炉設備を導入して電炉業に進出。2001年関西製鋼と合併した。

  • 拓南製鐵株式会社 ホームページはこちら
    沖縄県沖縄市海邦町3番26 (設立 1956年6月1日)
     沖縄の拓南グループの中核会社。沖縄県唯一の電炉メーカーである。
    ▽新中城工場(18年中部事業所に改称)
    古波津 清昇の項参照
    ■沿革=1953年米軍政府統治下の沖縄で古波津清昇が拓南商事(鉄スクラップ加工処理業など)を創業。56年拓南伸鉄を設立。59年拓南伸鉄を拓南製鐵に改称。61年沖縄初の電炉設備を導入。77年共栄製鋼を買収。95年新中城新工場(直流ツイン炉)本格操業開始。
    ■関係会社=拓南商事(県内リサイクル)、薩南物産

    <その前身・合併会社>
    ■共栄製鋼=1963年共栄伸鉄として創設。68年共栄製鋼に改称。69年電炉を導入。73年東京製鉄や岡谷鋼機が資本参加し経営強化を図った。77年拓南製鉄が吸収合併

  • 中部鋼鈑株式会社 ホームページはこちら
    愛知県名古屋市中川区小碓通5-1 (設立 1950年2月15日)
     名古屋に拠点を持つ国内唯一の厚板専業。
    ▽製造・圧延工場=本社に同じ。
    ■沿革=1950年2月中部鋼鈑を設立。同年5月東海地区唯一の鋼板圧延工場として操業開始。56年熱田工場に電気炉導入。製鋼・圧延一貫製造開始。62年中川工場に200㌧電気炉を増設。65年3月経営危機表面化(八幡に支援要請)。66年2月打浪吉朝・日新製鋼副社長を社長に迎え八幡製鉄系で再建を図った。66年7月熱田工場売却。68年加工部門、八幡製鉄指定シャー工場。74年名古屋証券取引所一部上場。90年200㌧電炉を炉底出鋼方式に改造。91年シーケー商事設立。

  • 千代田鋼鉄工業株式会社 ホームページはこちら
    東京都足立区綾瀬6-10-6 (設立 1948年6月)
    ▽製造・綾瀬工場=本社に同じ。
    ■特徴=「創業以来、異形棒鋼の製鋼圧延一貫メーカーと、カラー鋼板メーカーの二本の柱で鉄鋼建材メーカーとして、また棒鋼事業では都内唯一の電気炉メーカーとして、地元東京及び首都圏を中心に鉄筋コンクリート用棒鋼として製造販売して」いる(同社㏋より)。
    ■沿革=1948年葛飾区堀切町に亜鉛鉄板製造の千代田工業所として設立。49年6月千代田亜鉛工業に改称。同年10月工場を綾瀬に移転。56年電炉を導入。57年昭和特殊製鋼・足立工場を日本鋼管から買収、小棒生産開始。74年千代田鋼鉄工業に社名変更。77年新市川工場を竣工(現市川工場)。工場移転。18年10月千葉県流山市に流山センターを開設。

  • 東京鋼鐵株式会社 ホームページはこちら
    栃木県小山市城北四丁目38番地1(創立 1918年11月30日)
    東京事務所=東京都中央区京橋2丁目4番12号 (京橋第一生命ビルディング2階)
    1922年日本初のスチールサッシバーの製作に成功。「形鋼の鋼鉄」として知られる。大阪製鉄からTOBを受け(16年)、その子会社となった。▽小山工場 栃木県小山市 ■沿革=1918年(合資)東京鋼鉄製作所を設立。小形棒鋼を製造。22年日本初のスチールサッシバーの製作に成功。59年栃木県小山市の黒田電工の用地・設備を買収し小山工場として合金鉄製造開始。60年製鋼用電炉稼働。62年連続鋳造設備導入。同年7月東京鋼鉄に社名変更。76年大島工場(江東区)を全面閉鎖し小山工場に集約。78年東洋製鋼、三井物産に対し第三者割当て増資。2004年ジャスダック証券取引所に株式を上場。16年3月大阪製鉄のTOBにより同社子会社化。

  • 東京製鐵株式会社 ホームページはこちら
    東京都千代田区霞が関3-7-1(設立 1934年11月23日)
     独立系電炉メーカー。米国・ニューコア、韓国・現代製鉄に次ぐ電炉粗鋼生産では世界3位。主力鋼種のH形鋼は新日鉄と首位を争い、薄板分野にも進出した。
    ▽岡山工場:▽九州工場:▽宇都宮工場:▽田原工場: ▽高松鉄鋼センターほか。
    岡田 菊治郎 池谷 太郎 池谷 正成の項を参照
    ■沿革=1934年鉄スクラップ業者・岡田菊治郎が設立(36年東京・千住に平炉工場を建設)。戦後の賠償指定の解除後の49年、池谷太郎(岡田菊治郎の縁戚)が経営権を譲り受けた。60年7月岡山県倉敷市に工場誘致条例にもとづき工場用地(約50.3万㎡)取得。62年10月岡山工場第1号平炉完成、操業開始。以後120㌧平炉5基、中形及び小形形鋼を生産。69年1月岡山工場H形鋼の生産開始。同年2月土佐電気製鋼・高知工場を買収。70年2月福岡県北九州市に工場用地(約15.4万㎡)取得。71年9月九州の大丸製鋼を買収。74年7月東京証券取引所市場第二部上場(76年9月第一部上場)。75年12月土佐電気製鋼所を吸収合併・高松工場とする(87年3月閉鎖)。77年12月岡山工場の平炉閉鎖(78年1月電炉操業に転換)。78年4月岡山工場第1号、第2号140㌧電気炉完成、操業開始。84年7月九州工場大形工場完成、大形H形鋼、ユニバーサル・プレートの生産開始。86年1月千住工場閉鎖。92年4月岡山工場熱延広幅帯鋼製鋼工場(150トン直流電気炉)操業開始。同年12月栃木県宇都宮市に工場用地(約14.7万㎡)取得。95年11月宇都宮工場製鋼工場操業開始。96年10月高松工場60㌧直流電気炉完成。2005年9月愛知県田原市に新工場用地(104ha)の取得決定。07年1月九州工場厚板製造設備完成。10年6月田原工場製鋼工場操業開始。2012年3月高松工場・生産停止。4月高松鉄鋼センター開設。

    <その前身・合併会社>
    ■土佐電気製鋼=1937年吾嬬製鋼・清岡栄之助社長が郷土振興のため電気炉工場を高知市内に設立した。ただ圧延工場を持たなかったため60年高松市に製鋼・圧延一貫工場建設。69年東鉄が土佐電気製鋼・高知工場を買収し同社高知工場として操業。75年土佐電気製鋼を吸収合併し、高松工場を東鉄・高松工場として操業。2012年高松工場を閉鎖した。
    ■大丸製鋼=1961年北九州市に設立。69年7月東鉄が全株を取得。71年9月同社を吸収合併。

  • 東京鐵鋼株式会社 ホームページはこちら
    本店=栃木県小山市横倉新田520番地 (設立 1939年6月)
    東京本社=東京都千代田区富士見2-7-2 ステージビルディング
     棒鋼、機械式継手メーカー。八戸事業所では電気炉メーカーとしては始めて、工場直結型のドイツ製シュレッダーを導入。リサイクル事業を柱とする東北東京鐵鋼を設立した(15年本社に吸収した)。また18年4月伊藤製鉄を持分会社化。同社と共同販売会社を運営している。
    ▽本社工場 栃木県小山市。▽八戸工場 青森県八戸市
    ■特色=電気炉を利用して鉄鋼事業と環境リサイクル事業(八戸工場:廃自動車や廃家電、医療系廃棄物、低濃度PCB処理や資源リサイクル)を同時並行的に行っている。 ■沿革=1939年東京都足立区に銑鉄及び鋳鉄製造の東京鐵鋼として設立。59年8㌧電炉を導入し普通鋼塊を製造。69年栃木県小山市に移転、新1号電炉稼働。70年武蔵製鋼所(現・東京鉄鋼土木株式会社)の経営権を取得(現・連結子会社)。71年6月東京証券取引所の市場第2部に上場(74年4月第1部に上場)。76年八戸工場建設(85年八戸事業所に改称)。78年3月本店を栃木県小山市に移転し、小山工場を本社工場と改称。79年3月茨城県猿島郡境町に境事業所を完成し銑鉄及び鋳鉄品の製造開始。80年7月トーテツ産業株式会社を設立(現・連結子会社)。80年11月合同製鐵株式会社と業務提携。90年10月株式会社シントーの経営権を取得。93年9月関東メタルを設立(現・連結子会社)。2001年12月青森県八戸市に東北東京鉄鋼株式会社を設立 八戸工場の業務を移管。02年2月合同製鐵株式会社と共同で東京デーバー・スチール株式会社を設立(13年9月清算)。05年3月東北東京鉄鋼と伊藤製鐵所と共同で、東北デーバー・スチール株式会社を設立(4月営業開始)。13年10月ソウル市にティーティーケイ コリア株式会社を設立(現・連結子会社)。14年12月八戸市にトーテツ資源株式会社を設立(現・連結子会社)。15年4月東北東京鉄鋼株式会社を吸収合併(環境リサイクル事業部)。18年4月伊藤製鐵所と資本業務提携を行い、持分法適用関連会社化(議決権所有割合21.07%。伊藤製鉄の筆頭株主)。同年10月伊藤製鐵所と共同で、東京デーバー販売を設立(19年2月営業開始)。
    ■東北東京鐵鋼株式会社=2001年12月東京鐵鋼が八戸事業所を分社し設立。15年4月本体会社に吸収された。東北棒鋼事業部は棒鋼事業部と並んで資源営業部を設置(2010年)。シュレッダー設備(廃家電や廃車などを処理する工場直結型シュレッダーを電炉で1990年初導入)や炭化炉で廃石綿、感染性医療廃棄物、乾電池などの総合リサイクルを行った。

  • トピー工業株式会社 ホームページはこちら
    東京都品川区大崎1-2-2 (創立1921年10月)
     東都製鋼グループが1964年トピー工業を結成。新日鉄は2008年9月同社を中部の中核電炉として位置付け持株を20%へ引上げた。棒鋼、H形、平鋼、形鋼、機械式継手。 ▽豊橋製造所=愛知県豊橋市。
    ■沿革=1921年高妻俊秀が宮製鋼所を創業。21年東京シャーリング設立。29年東京シャーリング砂町伸鉄工場を完成。34年野長瀬忠男が高妻の協力で東京車輪製作所を設立。38年東京シャーリングの平炉完成。41年東京車輪製作所、阿部鉄工所を合併し車輪工業に改称。43年宮製鋼所、東京シヤリングを合併して東都製鋼を設立。55年東都製鋼品川製作所と高浜製作所が合体、東京造機発足。56年東都鉄構設立。64年7月車輪工業、東都製鋼、東都造機、東都鉄構の4社を合併しトピー工業として発足。85年豊橋製造所の120t電気炉に日本初の炉底出鋼方式を導入。88年豊橋製造所、30t電気炉を日本初の直流アーク炉(DC炉)に改造。2008年新日鐵の持ち分適用会社となる。

  • 中山鋼業株式会社 ホームページはこちら
    大阪市西淀川区西島1-2-133 (設立1950年5月)
     共英製鋼と合同製鉄の2社の関連会社である。一時は大阪、横浜で製鋼・圧延を行った。設備投資が裏目に出て1999年行き詰まり共英製鋼、合同製鉄の支援を仰いだ。 ▽製造工場=本社に同じ。
    ■沿革=1931年創業。50年東亜鋳物工業を中山鋼業に改めた。51年熱間薄板製造設備(プルオーバー式)、亜鉛メッキ設備を新設(横浜・鶴見)。52年亜鉛メッキ設備新設(大阪・三国)。54年鶴見に電炉導入。56年大阪・出来島に電炉導入。60年大阪・三国工場を閉鎖し出来島に集約。鉄鋼不況から80年鶴見の製鋼・圧延を廃止。86年鶴見・鶴岡工場を中鋼として分離独立。中山鋼業大阪製造所を中山鋼業に改称。99年3月会社更生法申請(7月手続き開始)。2000年9月国光製鋼の受託生産開始。10月合同製鉄の受託生産開始。05年3月更正計画終結。00年4月以降共英製鋼と合同製鉄の2社が共同支援体制を組んだ(資本出資比率=共英製鋼42.4%、合同製鉄43%=両社HP)。

  • 株式会社中山製鋼所 ホームページはこちら
    大阪市大正区船町1-1-66 (設立1919年12月22日)
     亜鉛鉄板の原板・薄板確保のため戦前の1939年7月関西初の高炉を導入(450㌧/日)した。1,000以下の小型炉は競争力を失ったため02年、高炉を廃却。13年5月地域経済活性化支援機構から再生支援の決定を受けた。▽製造工場=本社に同じ。
    中山 悦治の項参照
    ■沿革=1919年中山悦治の個人経営で亜鉛鉄板製造工場を新設。20年関西亜鉛鍍金工業所設立。23年中山悦治商店設立。34年中山製鋼所へ改称。戦前の39年第1高炉(450㌧/日)を竣工。41年第2高炉(同)操業開始。49年尼崎製鈑設立。50年木津川製線設立。60年名古屋製鋼所竣工。62年清水製鋼所竣工。74年中山通商発足。79年尼崎製鈑を休止(尼崎工場とする)。85年尼崎工場売却。99年中山三星建材発足(三星産業、木津川製線、三星スチール合併)。2000年名古屋製鋼所、清水製鋼所を中山三星建材へ移管。02年高炉・焼結・転炉工場設備休止、9月転炉設備を利用したNSR(中山式冷鉄源溶解法)の稼働開始。05年新日鐵と棒線製造新会社NS棒線を設立。10年5月NSR及びコークス工場を休止。13年5月地域経済活性化支援機構から再生支援決定。7月グループ5社(中山三星建材、中山通商、三星商事、三星海運、三泉シヤー)を株式交換により完全子会社化。
    ■地域経済活性化支援機構による再生支援決定(13年3月28日)=事業再生計画に基づいて、約602億円の債権放棄等の金融支援を依頼する。連結子会社との株式交換によりグループ一体経営を強化した上で、構造改革費用及び設備投資資金等を確保するため新日鐵住金、阪和興業、日鐵商事、エア・ウォーター、大阪瓦斯、及び大和PIパートナーズ6 社を引受先とする約90億円規模の第三者割当増資を得て、抜本的な事業再構築に取り組み、企業 価値の最大化を図ることとした。

  • 日鉄スチール株式会社 ホームページはこちら
    和歌山県和歌山市湊1850 (設立1991年7月31日)
     日鉄系で和歌山構内に拠点を持つ普通鋼電炉メーカー。H形鋼の製造に特化している。
    ▽製造工場=本社に同じ。
    ■沿革=1988年「和歌山共英製鋼」として住金和歌山製鉄所構内に設立。90年7月構内電炉稼働。91年7月共英製鋼から和歌山事業所の営業譲渡を受け「キョウエイ製鐵」として営業開始。94年7月住金・鹿島製鉄所大形工場を譲受キョウエイ製鐵・鹿島事業所として発足。2事業所体制。2001年7月住金スチールに改称。12年10月親会社の合併により日鉄住金スチールに改称。15年4月新日鐵住金株式会社に鹿島事業所を譲渡、本社1事業所。19年4月社名を日鉄スチールに変更

  • 北越メタル株式会社 ホームページはこちら
    新潟県長岡市蔵王3-3-1 (設立1942年6月23日)
    トピー工業系。棒鋼・線材・形鋼が三本柱。▽製造工場=本社に同じ。
    ■沿革=1905年創設の北越水力電気の化学工業部門を継承し42年北越電化工業を設立。59年製鋼用8㌧電炉を導入し鋼塊製造。61年東都製鋼(現トピー工業)のグループ会社となる。64年11月北越電化工業、東邦製鋼、新潟製鋼所の3社が伊藤忠とトピー工業の支援により合併。北越メタルに改称した。

  • 三星金属工業株式会社 ホームページはこちら
    新潟県燕市小関736 (設立1951年。創業1869年)
    たたら製作所がルーツ。合同製鉄の子会社。棒鋼。▽製造工場=本社に同じ。
    ■沿革=1869年新潟県燕地区で坂井鑪(たたら)製作所として創業。1951年三星金属工業に改組。燕市朝日町伸鉄業を開始。59年製鋼工場を建設。65年圧延工場を燕市井土巻に新設(朝日町本社工場を閉鎖)。68年井土巻に製鋼工場を新設。94年燕市小関に新工場建設・全面移転(井土巻工場閉鎖)。2007年合同製鉄と資本提携。連結子会社となる。15年合同製鉄の完全子会社となる。

  • 株式会社向山(mukoyama)工場 ホームページはこちら
    埼玉県川口市幸町3-9-1 (設立1946年10月1日)
     独立系棒鋼専業メーカー。▽工場=埼玉県久喜市。
    ■沿革=鋳物の生産を目的に1946年向山実が埼玉県川口市で設立。50年圧延工場建設。56年戸田市に圧延工場建設。59年戸田工場に電気炉導入。線材・バーインコイル生産開始。76年久喜市久喜菖蒲工業団地内に製鋼圧延工場を新設・移転。91年電気炉偏芯型炉底出鋼改造(EBT方式)。

  • 山口鋼業株式会社 ホームページはこちら
    岐阜県岐阜市本荘仲の町5-8 (設立1958年9月)
    棒鋼専業メーカー。▽製造工場=本社と同じ。
    ■沿革=山口梅吉が岐阜市内で1935年鋼材・機械販売業の山口商店を創業。58年社名を山口鋼業に改称。5㌧電炉を導入、鋼塊生産。73年製鋼・圧延一貫生産を開始。

  • ヤマトスチール株式会社 ホームページはこちら
    兵庫県姫路市大津区吉美380(設立2003年10月1日)
     独立系鉄道用軌道製作会社として電炉を導入し、1987年以降は。米国やタイ、韓国など海外にも進出し、現地生産を手がけている。▽製造工場=本社と同じ。
    井上浅次、浩行親子の項参照
    ■沿革=1944年井上浅次が川西航空機姫路協力工場として大和工業を創立。47年軌道用品製作開始(同事業は大和工業の創業以来のコア・ビジネス)。58年鋳鋼品の製造開始。61年網干工場(現・本社工場)で電炉稼働。62年鉄骨橋梁部門(現・重工部門)新設。69年重機械加工部門(現・重工部門)新設。96年130㌧直流電気炉稼働(旧40㌧、50㌧電炉の更新)。2003年10月大和工業・鉄鋼部門と重工部門分社化。ヤマトスチールを設立した。

主要現役・特殊鋼、ステンレス会社

  • 愛知製鋼株式会社 ホームページはこちら
    愛知県東海市荒尾町ワノ割1(設立1940年3月8日)
     トヨタを築いた豊田喜一郎が自動車製造で遭遇した難関の一つが特殊鋼だった。豊田自動織機製作所内の製鋼部を分離し立ち上げた、トヨタグループの製鋼部門会社。▽製造工場=本社と同じ。
    ■沿革=1940年豊田自動織機製作所から製鋼部を分離、豊田製鋼を設立。45年11月愛知製鋼に改称。57年わが国に初めて塩基性平炉で特殊鋼の生産を開始した。

  • 山陽特殊製鋼株式会社 ホームページはこちら
    兵庫県姫路市飾磨区中島3007(設立1935年1月11日)
     日本製鉄系。「軸受鋼の山陽」として著名。▽製造工場=本社と同じ。
    荻野 一の項参照
    ■沿革=1933年山陽製鋼所として創業(35年山陽製鋼・設立登記)。35年軸受鋼の製造開始。59年山陽特殊製鋼に改称。63年大阪特殊鋼を吸収合併。65年会社更生法の適用を申請し上場廃止(山陽特殊製鋼事件)。73年会社更生手続きを終結。74年商社部門として陽鋼物産を設立。80年株式再上場。2006年新日鉄の持分法適用会社となる。19年 日鉄の子会社となる。Ovako AB社(スウェーデン)を完全子会社化する。

  • 日鉄ステンレス株式会社 ホームページはこちら
    東京都千代田区丸の内一丁目8番2号 鉃鋼ビルディング(発足19年4月)
     新日鉄と住金、日本金属工業、日新製鋼のステンレス事業部門を分離・統合して19年4月発足したステンレスのトップメーカー。
    ■沿革=新日鉄と住金は03年10月ステンレス事業を分割して新日鉄住金ステンレスとして統合。日本金属工業は12年10月日新製鋼と統合。新日鉄と住金は12年10月新日鉄住金として統合。日新製鋼は17年3月新日鉄住金連結子会社。新日鉄住金、新日鉄住金ステンレス、日新製鋼は19年4月、3社のステンレス鋼板事業を統合して日鉄ステンレスを設立した。
    *製造拠点=鹿島製造所。衣浦製造所。山口製造所(光エリア)。八幡製造所。

  • 大同特殊鋼株式会社 ホームページはこちら
    本社・名古屋市東区東桜1-1-10
    東京 東京都港区港南1-6-35 (創業1916年8月 設立1950年2月)
     鉄鋼不況のなか76年9月、大同製鋼、特殊製鋼、日本特殊鋼の3社が合併し、誕生した日本製鉄系の特殊鋼会社。大同製鋼は汎用・量産主体、特殊製鋼と日本特殊鋼は高級鋼を中心とした。
    *渋川工場:▽知多工場:▽粉末工場:▽君津工場:▽王子工場:▽星崎工場ほか。

    <その前身・合併会社>
    ■大同製鋼=1916年設立の電気製鋼所(フェロアロイ、特殊鋼)と21年設立の大同製鋼を淵源とする。両社は22年合体して大同電気製鋼所と改称。38年3月第二大同電気製鋼所と名古屋電気製鋼所を吸収合併。同年6月大同製鋼に改称。41年10月富永鋼業を合併。戦後は過度経済力集中排除法から50年2月新大同製鋼と大同鋼板に分割。53年3月大同製鋼に改称。55年10月新理研工業、57年8月東京製鋼所、64年9月関東製鋼と合併。
    ■特殊製鋼=1929年石原米太郎が設立。32年蒲田工場、40年川崎工場開設。66年8月八幡と共同出資で八洲特殊鋼を設立(蒲田工場は売却)。68年2月八洲特殊鋼を吸収合併。
    ■日本特殊鋼=1915年渡辺三郎工学博士が設立。37年日本特殊鋼に改組。39年蒲田工場、43年羽田工場開設し熔解から圧延までの一貫生産開始。64年12月会社更生法申請。66年12月更正法認可、八幡系となる。70年12月更正法終結。
    ■新理研工業=日本版シンクタンクとされる「理研産業団」の一つとして1934年設立。41年グループ7社を理研工業に統合。49年新理研工業に改称。55年大同製鋼と合併。 ■関東製鋼=1934年設立(38年関東製鋼に改称)。64年大同製鋼と合併。

  • 大平洋金属株式会社 ホームページはこちら
    東京都千代田区大手町1-6-1(大手町ビル)(創設1949年12月1日)
    日鉄ステンレス系のフェロニッケル(FeNi)の総合メーカー。▽八戸製造所=青森県八戸市。
    ■沿革=1949年12月企業再建整備計画に基づき日本曹達の鉄鋼部門から分離独立し日曹製鋼として発足。砂鉄を原料に電気炉による砂鉄銑の生産を開始。54年新発田工場の砂鉄銑設備をフェロニッケル(FeNi)製錬設備に転換。57年八戸工場完成、砂鉄銑製造開始。59年FeNi製錬専業とする大平洋ニッケル設立に伴い新発田工場を分離。65年八戸工場の銑鉄生産設備の一部を合金鉄及びFeNi製錬用に転換、フェロマンガンに続いて66年にはFeNi、68年には鉱石からの一貫製造法によるステンレス鋼の生産を開始。70年1月大平洋ニッケルを吸収合併して大平洋金属に社名変更。84年江津工場、富山工場、習志野工場を分離し鋳鋼部門、鍛鋼部門、機械部門を大平洋特殊鋳造、大平洋製鋼、大平洋機工に営業譲渡。99年8月本社機構を八戸に移転してFeNi専業メーカーになる。2003年12月パシフィックソーワ(旧昭和金属)を事業持株会社として大平洋特殊鋳造、大平洋製鋼、米子製鋼の4社の事業を統合する。

  • 東北特殊鋼株式会社 ホームページはこちら
    宮城県柴田郡村田町大字村田字西ケ丘23 (設立1937年)
     東北大学・本多光太郎の提言により1937年誕生した高級特殊鋼専門メーカー。
    ▽本社工場=本社と同じ。▽工場=茨城県土浦市。
    ■沿革=1937年東北特殊鋼を設立。38年仙台特殊鋼を合併。60年世界初の耐食性軟磁性材料K-M鋼を開発。エンジンバルブ用耐熱鋼、電磁ステンレス鋼は国内シェア№1。
    ■1937年の創業以来、東北大学並びに付属研究所との産学共同活動を技術・商品開発の基礎とする高級特殊鋼の専門メーカー。現在は大同特殊鋼グループの一員。自動車向けエンジンバルブ用耐熱鋼並びに燃料噴射装置に用いられる電磁ステンレス鋼においては日本国内トップシェア

  • 日本高周波鋼業株式会社 ホームページはこちら
    東京都千代田区岩本町1-10-5(TMMビル)(設立1950年5月18日)
    神戸製鋼系の工具鋼が主軸の特殊鋼メーカー。▽工場=富山県射水市。
    ■沿革=1936年日本高周波重工業として設立。37年富山工場完成。50年日本高周波重工業を継承し日本高周波鋼業として発足。51年八戸工場開設。55年神戸製鋼が資本参加。81年八戸工場を分離し高周波鋳造設立(鋳鉄事業)。2001年市川工場を分離し高周波精密設立(金型・工具事業)。

  • 日本冶金工業株式会社 ホームページはこちら
    東京都中央区京橋1丁目5番8号 (設立1925年8月)
     フェロニッケルなど原材料製錬から製造、加工まで自社で行う国内唯一のステンレス一貫生産メーカー。またステンレスメーカーの中で唯一、ニッケル精錬部門(大江山製造所)をもっている。またNAS(ナス=社名の英文頭文字)ブランドで知られる。
    ▽川崎製造所。▽大江山製造所
    ■沿革=1925年中央理化工業、設立(消火器の製造販売)、28年日本火工に社名変更。34年川崎作業所、建設、大江山ニッケル鉱業設立。35年日本初の18-8ステンレス出鋼(高周波誘導炉3基火入れ式)。36年ステンレス鋼の工業生産開始。42年日本冶金工業に改称。50年アーク炉でのステンレス鋼製造に成功。57年川崎の埋立地約10万坪を神奈川県より買収。59年合金鋼、炭素鋼の生産中止、ステンレス鋼主力に。60年NAS鋼製品商標登録。75年大江山製造所を分離、大江山ニッケルへ譲渡。82年大江山ニッケルを吸収合併、大江山製造所と改称。2003年川崎製造所、大江山製造所の分社化(YAKIN川崎、YAKIN大江山、ナスビジネスサービス設立)。10年連結子会社であるYAKIN川崎、YAKIN大江山、ナスビジネスサービスを吸収合併。11年米国現地法人Nippon Yakin America.設立。12年ロンドン現地法人 Nippon Yakin Europe設立。14年シンガポール現地法人 Nippon Yakin Asia設立。18年中国合弁会社(南鋼日邦冶金商貿有限公司)設立

  • 日立金属株式会社 ホームページはこちら
    東京都港区港南一丁目2番70号(品川シーズンテラス)(設立1956年4月10日)
    日立グループ会社。「ヤスキハガネ」で知られる高級工具鋼と永久磁石最強の「ネオジム磁石」などのトップメーカー。
    ■沿革=1899年砂鉄を主原料とする雲伯鉄鋼(1916年安来製鋼所に改組)及び1910年に鮎川義介が設立し日本初の黒心可鍛鋳鉄品を製造した戸畑鋳物を源流とする。56年4月日立製作所が全額出資し日立金属工業設立。同年10月日立製作所より、戸畑、深川、桑名、若松及び安来の5工場を含む同社鉄鋼部門を譲り受けて営業開始(日立グループの金属部門統合)。67年社名変更のため日立金属株式会社と合併。2001年執行役員制および社内カンパニー制を導入。03年商法上の「委員会設置会社」に移行。13年日立電線と合併、電線材料カンパニーを新設。19年4カンパニー制から2事業(金属材料部と機能部材部)本部制への移行した。
    ▽安来工場 島根県安来市。▽桶川工場 埼玉県桶川市

  • 株式会社不二越 ホームページはこちら
    本社 富山市不二越本町1丁目1番1号
    東京 東京都港区東新橋1-9-2(創立 1928年12月21日)
    ▽製造(電炉)工場=富山本社と同じ。
    井村荒喜の項参照。
    ■特色=商標は「NACHI」。1929年(昭和4年)、昭和天皇が国産奨励の産業視察の関西巡幸のおり、優秀国産品として不二越のハクソー(金切鋸刃)の叡覧に浴した。初代社長・井村荒喜は、陛下のお召艦である最新鋭の国産巡洋艦「那智」艦形をバックNACHIマークをつくり、商標とした。「不二」は物事の正反合一を意味し「越」は北陸の古称「高志」に由来する。
    ■沿革=井村荒喜(1889年長崎県島原生まれ)が1928年機械工具の国産化を目指し創立。以来、切削工具、ベアリング、産業用ロボット(自動車製造用)などを製造する。旧本社は富山市に置いていたが18年2月本社機能を東京に全面移転した。

  • 三菱製鋼室蘭特殊鋼株式会社 ホームページはこちら
    北海道室蘭市仲町12 (設立1994年3月)▽製造・圧延工場=本社に同じ。
    ■沿革=1942年三菱重工業長崎製鋼所の事業を継承して設立した三菱製鋼の特殊鋼鋼材部門を1994年室蘭市に移転し、同社70%出資で三菱製鋼室蘭特殊鋼を設立した。

主要現役・鋳物、鋳鋼会社

  • 株式会社アーステクニカ ホームページはこちら
    東京都千代田区神田神保町二丁目4番地(設立2003年4月)
    ▽八千代工場=千葉県八千代市
    ■沿革=2003年川崎重工業と神戸製鋼所の破砕機部門を統合し、アーステクニカとして発足。
    08年川崎重工業が100%取得し、高砂事業所の機能を八千代事業所に集約した。

  • 清本鐵工株式会社 ホームページはこちら
    宮崎県延岡市土々呂町6丁目1633(創業1937年 設立1948年)
    ▽鋳鋼事業本部[佐賀工場]
    ■沿革=1937年創業。1948年設立。佐賀と宮崎県延岡に生産拠点を持つ。

  • 株式会社クボタ ホームページはこちら
    大阪市浪速区敷津東1-2-47 (創業1890年2月)
     日本を代表する鋳鉄管、農業機械のトップメーカーである。
    久保田 権四郎の項参照
    ■沿革=1890年大阪で大出権四郎が大出鋳造所を創業。1897年大出は久保田に養子に入り社名を久保田鉄工所に改称。1953年久保田鉄工に改称。1990年クボタに改称した。

  • 株式会社栗本鐵工所 ホームページはこちら
    大阪市西区北堀江1-12-19 (設立1909年2月2日)
    鋳鉄管製造ではクボタに次ぐ第2位メーカー。
    栗本 勇之助の項参照
    ■沿革=クボタに銑鉄を売っていた銑鉄問屋が1906年紀野吉鋳作所を新設し鉄管製造に乗出したが破綻。顧問弁護士で紀野吉鋳作所の支配人であった栗本勇之助が工場を譲受け1909年、合資会社紀野吉鉄工所を創設。1914年合資会社栗本鉄工所に改称したのに始まる(詳細は人事事典、栗本勇之助の項参照)。

  • 常石鉄工株式会社 ホームページはこちら
    広島県福山市沼隈町常石1083番地(設立1963年)
    ■沿革=造船・海運業を中心とするツネイシホールディングスの子会社で、船体ブロックや船尾構造品などを製造する。2012年4月に倒産したアジア特殊製鋼(60㌧AC炉)、鋳鋼設備を買収(13年5月)。14年4月電炉事業に正式参入した(若松スティール工場)。

  • 大平洋製鋼株式会社 ホームページはこちら
    本社:富山県富山市下新日曹町1-93 (設立 1984年7月)
    大平洋金属グループの一員。1984年分社独立。▽製造工場=本社に同じ。
    ■沿革=1949年企業再建整備計画に基づき「日本曹達」の鉄鋼部門を分離し北陸4工場を擁して日曹製鋼設立。59年大平洋ニッケル設立。70年大平洋ニッケルを吸収合併し「大平洋金属」に社名変更。84年大平洋金属の直江津工場、富山工場、習志野機械工場を分離し、それぞれ大平洋特殊鋳造、大平洋製鋼、大平洋機工として営業を譲渡した。

  • 株式会社日本製鋼所 ホームページはこちら
    東京都品川区大崎1-11-1(設立1950年12月)
    日英合弁の兵器製造会社として設立された。戦後は原子炉など大型特殊鋳鍛鋼製造、鋳造力で知られる。▽日本製鋼所M&E(旧室蘭製作所)▽広島製作所。▽横浜製作所。▽名機製作所
    ■沿革=1907年創業。北海道室蘭市に兵器の国産化を目的に英国(アームストロング社・ビッカーズ社)と日本の共同出資による国家的事業として設立。本社及び工場を北海道室蘭におく。15年本社を東京に移す。1920年(株)広島製作所を買収して広島製作所を設置。50年企業再建整備法により旧会社を解散。その資材と人材をもって新会社(日本製鋼所)を設立。83年横浜製作所を移転して操業開始。20年(株)名機製作所を吸収合併。日本製鋼所M&E(株)を設立した。

  • 日本鋳造株式会社 ホームページはこちら
    川崎市川崎区白石町2-1(創立1920年)
    JFEスチール系の鋳鋼・鋳鉄総合メーカー。
    ▽池上工場=川崎市。▽福山製造所=福山市。▽秋田製造所=北秋田市。
    ■沿革=1920年日本鋳造創立。58年日本鋼管からプラグ類の生産販売業務を継承し特殊鋳鋼工場を建設。66年本社を川崎・白石町(JFEスチール東日本製鉄所内)に移転。09年新東北メタルの株式を日立建機へ一部(51%)譲渡。12年日立建機株式会社との資本業務提携、第三者割当による新株式発行を決定。13年日立建機向けの鉱山機械部品製造工場が竣工。

  • 日本鋳鉄管株式会社 ホームページはこちら
    東京都中央区築地1丁目12番22号コンワビル (設立1937年10月)
    JFEスチールグループ。鋳鉄管製造では第3位。
    ▽本社・工場=埼玉県久喜市。▽鉄蓋精整工場=埼玉県久喜市。
    ■沿革=1937年東洋精機㈱を埼玉県蕨市に設立。39年社名を東洋精工業㈱に改称。内燃機関用ピストン、ピストンリングを製造。49年ガス・水道用鋳鉄管(立型鋳鉄管)の製造開始。60年社名を東洋精工業から現社名に改称。62年本社を東京に移転。東京証券取引市場第2部に上場。63年ダクタイル鉄管の製造を開始。81年工場を埼玉県南埼玉郡菖蒲町へ全面移転。86年鉄蓋工場を設立。鉄蓋の製造を開始。2009年本社機能を久喜菖蒲地区へ移転。11年JFEスチールグループ入り。

  • 古河キャステック株式会社 ホームページはこちら
    栃木県日光市足尾町下間藤3番5号(設立 2003年10月)
     古河機械金属グループの一員として耐熱・耐摩耗鋳物を製造している。▽鋳鋼工場=本社と同じ。
    ■沿革=1877年足尾銅山の経営開始。1918年古河鉱業設立。42年機械部門を足尾製作所(現古河キャステック)として足尾鉱業所から独立。89年古河鉱業から古河機械金属に社名変更。2003年10月古河キャステック設立(古河機械金属より鋳造部門が分社)。

  • 三井ミーハナイト・メタル ホームページはこちら
    愛知県岡崎市岡町上野川111番地(設立 1964年2月20日)
    三井造船100%出資会社。ミーハナイト鋳鉄やダクタイル鋳鉄等を製造する。
    ▽伊達鋳鋼事業部(伊達製鋼所) ▽岡崎製造課 ▽篠山製造課 ▽玉野鋳鋼事業部
    ■沿革=1964年2月米国ミーハナイトメタル社の特許であるミーハナイト鋳鉄およびダクタイル鋳鉄等を製造販売する目的で三井造船全額出資で東海鋳造を設立。86年7月東海鋳造が旧三井ミーハナイト・メタルを合併し、同時に社名を三井ミーハナイト・メタルに変更。2003年4月伊達製鋼と合併。06年4月三造メタルと合併。

    <その前身・合併会社>
    ■鋳鉄事業部=1953年ミクニ・ミーハナイト鋳物を設立(三井造船全額出資)。64年2月東海鋳造を設立(三井造船全額出資)。70年東京ミーハナイト鋳物を合併。76年ミクニ・ミーハナイト鋳物と合併。81年石原鉄工と合併し、三井ミーハナイト・メタルに社名変更。
    ■伊達鋳鋼事業部=1937年福島電気製鋼所を設立。38年福島製作所に合併。53年新福島製作所および福島製鋼を現物出資により分離設立。57年8月伊達製鋼・伊達工場を現物出資により分離出資。58年11月伊達製鋼・伊達工場の商号を伊達製鋼に変更。74年4月三井造船株式会社が経営に参加
    ■玉野鋳鋼事業部=1918年三井造船株式会社鋳造工場製造開始。(キュポラ4基)。78年篠山鋳鉄へ鋳鉄製造移管。86年三井造船より分社、三造メタル株式会社設立。

  • 米子製鋼株式会社 ホームページはこちら
    鳥取県米子市富益町88番地1 日本の坩堝鋼生産の草分け企業である。
    ■沿革=1904年広島鉱山(合資)を設立、木炭銑鉄及び特殊鋼を製造。1905年(合資会社)米子製鋼所と改称し鳩印坩堝鋼の製造を開始(わが国坩堝鋼の始まり)、以来、特殊鋼生産に専念。38年日本曹達と合併。49年同社から分離し日曹製鋼と改称。57年同社(現大平洋金属)から分離し米子製鋼所と改称。85年大平洋金属グループの全額出資により米子製鋼所の譲渡を受け米子製鋼として設立。2003年同グループのうちパシフィックソーワ、大平洋製鋼、大平洋特殊鋳造と当社の4社が事業統合した。

1965年以降の主な閉鎖・撤退会社

  • 田中電機製作所=独立系。65年1月、山陽特殊製鋼の事実上の倒産(3月)に先だって東京五輪反動不況から会社更生法適用を申請、5月破産。▽沿革=元来電機メーカーだったが1956年自社製の電炉を設置し、大阪市西淀川区御幣島で電炉業(鋼塊)に進出。大阪を代表する有力電炉。

  • 利川製鋼=独立系。世界同時不況の中、75年8月会社更正法の適用を申請。12月倒産した。
    ▽沿革=1948年名古屋市内で利川紡織として発足。58年製鋼圧延業に転換。60年電炉。63年異形棒鋼生産開始。64年名古屋初のJIS認定。当時名古屋最大の独立系・小棒メーカーだった。

  • 興国金属工業=独立系電炉。76年6月会社更生法の適用を申請。77年5月工場を閉鎖。▽沿革=1947年大阪府堺で創業。50年伸鉄工場を新設。68年電炉を導入。72年連続鋳造設備を導入。

  • 手塚興産=76年10月会社更生法の適用を申請。▽沿革=鉄スクラップの処理機械メーカーの手塚興産が65年日本鋳鋼を吸収合併(67年)し、処理機械製造と鋼塊製造の両部門を運営した。

  • 埼玉製鋼=トーメン系電炉。77年廃業。▽沿革=1960年埼玉県で単圧業開始。61年トーメン系列。71年20㌧電炉工場完成。

  • 南部製鋼=三菱商事を主力としたが77年5月、会社整理申請。操業再開後の80年11月、再停止。▽沿革=1931年南部光之が創業。富山県で平電炉の鉄屑納入指定問屋を経営。48年東京進出。50年南部商事を設立。58年南部商事を解散し南部製鋼を設立。60年埼玉県川口市に工場建設。62年京葉製鋼を設立。64年京葉製鋼を吸収合併した。

  • 尾道製鉄=兼松系電炉。77年6月廃業。戦前創業の小田亀商店が62年尾道に電炉を導入した。

  • 千代田製鉄改め埼玉製鉄=81年11月自主廃業した。▽沿革=1940年鋳鋼品製造の千代田製鋼所を東京で開業。60年15㌧電炉工場を埼玉に建設。69年千代田製鉄を設立。73年埼玉製鉄に改称。

  • 昭和電気製鋼=83年、会社整理し撤退。▽沿革=1939年鋳鋼品製造の昭和電気製鋼を群馬県高崎で設立。50年電気炉で普通鋼鋼塊を日本で初めて製造(全量外販)。70年連続鋳造設備を導入。

  • 鋼材興業=84年5月、製鋼中止。43年設立。53年再製電気銑工場。56年横浜市に電炉導入。

  • 徳山工業=86年5月破産。異形棒鋼一貫メーカー。▽沿革=47年名古屋市内で徳山安夫が普通銑鉄鋳物の徳山鋳造工業所を開始。52年徳山工業に改組し60年愛知県海部郡に20㌧電炉導入。

  • 川口金属工業=95年鋼塊外販を中止。09年から川金ホールディングスグループとして活動している。▽沿革=1937年埼玉県川口市で川口製鉄として設立。48年企業再建整備法により川口金属工業として再発足。54年米国から「ミーハーナイト・メタル」を技術導入。

  • 矢作製鉄=98年7月9月準自己破産の形をとって退場。1937年矢作水力系企業として設立。39年に電炉稼動。鋳物用銑鉄の製造開始。62年小型高炉を建設(鋳物用銑鉄メーカー)。68年からフェロシリコン、80年代後半からフェロマンガンなどの製造開始。94年資本提携を行い共英製鋼の子会社。97年TOBによって経営主体が変更。98年ヤハギに社名変更した。

  • 東洋製鋼=2000年4月朝日工業へ営業譲渡し99.3%減資を実施し清算。小棒商権は産業再生法に則り朝日工業が継承した。▽沿革=1941年日本精工・川崎工場として軸受鋼を製造。44年日出製鋼として分離独立。56年「東の再建王」の偉名をとった大山梅雄が社長に就任。57年日出特殊製鋼へ改称。60年東洋特殊製鋼へ改称。70年6月東洋製鋼へ改称。72年平和製鋼を吸収合併。75年茨城県石岡市に新工場建設。78年東京鋼鉄を系列化。93年瀋陽東洋製鋼有限公司を設立。

  • 淀川製鋼所=2000年6月末、泉大津の製鋼部門を廃止。▽沿革=1935年薄鉄板、ブリキ板製造を目的に会社設立。48年電気炉導入(大阪工場)。51年寿工業・泉大津工場を買収。

  • 昭和鋼業=2000年9月末解散した(商権は大阪製鉄系の日本スチールに譲渡)。
    ▽沿革=1948年北九州小倉で昭和商事設立。51年伸鉄工場を建設、昭和鋼業に改称。71年電炉設備を導入。安宅系電炉だが伊藤忠が「非継承会社」とした。84年合同製鉄系列。

  • 国光製鋼=2000年12月倒産。▽1915年大阪市内で創業。34年石原製鎖鋼業として鋼材圧延を開始。57年20㌧電炉設置。59年国光製鋼に社名変更。66年平電炉メーカーのトップを切って連続鋳造設備導入。73年富山新港へ進出構想(75年初稼働予定で富山市内に40㌧炉1基、77年稼働目標に富山新港に70㌧炉2基。総工費200億円)。86年8月会社更生法申請。92年3月更正手続きが終結。00年3月合同製鉄と業務提携(5月「大阪デーバー販売」設立)。同10月「製鋼・圧延」を中山鋼業に委託。土壌汚染対策法による土地評価が倒産の引金のひとつとなった例とされる。

  • 住友電気工業=2002年伊丹工場での電炉生産を中止(外部購入へ転換)。▽沿革=1941年兵庫県に伊丹製作所開設。49年同所で熔解・一貫作業開始。62年20㌧電炉新設。

  • 石原製鋼所=2003年7月自主廃業した(60㌧炉)。▽沿革=1929年東京都墨田区で伸鉄業を開始。39年石原製鋼所を創設。58年電炉を導入し製鋼圧延生産を開始。62年千葉県市川に移転。

  • アジア特殊製鋼=自己破産。▽沿革=寿工業と韓国のポスティール他がビレット専用として2007年設立。12年4月自己破産(14年、常石鉄工が設備を継承した。常石鉄工の項参照)。

  • 大三製鋼=2014年2月、「財務体力のある内に」平鋼事業から撤退すると発表(12年粗鋼生産8.6万㌧)。2月末で工場操業を休止した。▽1949年香取武生が東京都墨田区で一般鋼材販売の大三鋼材を設立。56年江東区で伸鉄業を開始(平鋼専門)。60年電炉を設置し電炉業へ進出。66年大三製鋼に社名変更。80年6月旧西製鋼(江東区新砂)を全面買収。7月旧西製鋼所在地に本社移転。
    <その前身・合併会社>
    ▼西製鋼=戦前・戦後を代表する東京の老舗鉄屑業者・西博が創業した。伸鉄、船舶解体、製鋼原料の集荷・選別を行う西商事・砂町工場として1951年発足。57年西商事から独立、30㌧平炉を導入し西製鋼を設立。66年旧八幡製鉄系列。76年連続鋳造設備導入(平炉・小棒メーカーとしては日本初)。73年50㌧電炉設備を導入。安宅産業の危機後、同社の処遇が問題となったが、合同製鉄が78年西製鋼から従業員を引き継いだ江東製鋼を合併。残存設備を80年6月大三製鋼が買収した。

  • 中央圧延=2014年3月、平鋼事業から撤退。生産設備の一部を、王子製鉄に譲渡した。
    ▽沿革=1952年伸鉄業を開始。72年電炉設備を導入(埼玉県越谷市西方上手3076)。

  • 新北海鋼業=2014年3月で事業停止。▽沿革=1936年伸鉄業を開始。41年小型電炉で鋳鍛鋼の製造開始。61年富士製鐵が資本参加。62年電炉業に進出。65年日綿實業(現双日)が資本参加し同社系列。75年銭函に製鋼工場新設。99年大阪製鐵子会社の新北海鋼業改組・改称した。

  • トーカイ=15年12月合同製鉄の完全子会社となった。2000年3月に解散した東海鋼業から九州製鋼など新日鐵グループが事業を継承しトーカイとして新発足した。
    <その前身・合併会社>
    東海鋼業=1916年官営八幡の鋼塊供給を受け鋼鈑、条鋼、軽軌条の製造販売を目的に北九州市若松で設立。70年電炉を導入。鉄鋼不況から2000年3月解散。

  • 日本鋳鍛=1970年新日鐵グループ及び三菱グループの共同出資で設立した大型鋳鍛鋼品(発電プラント、産業機械など)の製造・販売メーカー。▽19年5月15日の取締役会で20年3月末をめどに自主廃業する方針を決議した。主力の発電プラント部材が石炭火力の縮小基調や原子力設備の小型化で「競争力を発揮できず中長期の業績も厳しい」(同社)と判断した。

鉄スクラップ企業 および関連企業団体

など、その他の関連団体は「鉄スクラップ総事典」の「7 鉄スクラップ関連団体事典」に掲載している。

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