自動車(鉄)リサイクル小史

メニュー

はじめに

処理の歴史

  • 自動車ガラとして

  • プレス処理が登場

  • シュレッダー処理

法制変化とダスト問題

  • 廃棄物定義と廃車

  • シュレッダー機はダスト分別機

  • 豊島・シュレッダーダスト投棄事件(91年)

  • 使用済み自動車リサイクル・イニシアティブ(97年)

  • プレス引取りに処理料を請求(98年)

  • キンキ・ショック(00年・第二の豊島事件)

  • 不法投棄車が急増(00年)

  • 廃車輸出、日韓で摩擦

自動車リサイクル法

  • EU・自動車リサイクル指令

  • 自動車リサイクル法制定へ始動

  • JRCM報告と「精緻な解体」

  • 自動車リサイクル法成立(02年)

  • 自動車リサイクル法の特徴

はじめに

  自動車解体スクラップは、マイカー時代の到来と共に市中老廃スクラップの中核となった。ただ高価格品である自動車は、中古部品として回収され(ぽんこつ、もぎとり)、その残骸がスクラップ・ダウンされるという工程をたどる。各種素材から形成される自動車は、非金属素材も多く、その適正処理が社会問題として残った。

処理の歴史

  • 自動車ガラとして 自動車解体は、歴史的には部品回収を目的に行われた(ぽんこつ屋)。部品をしゃぶりつくしたあとの残骸(自動車ガラ)が、鉄屑業者に渡された。戦前の鉄屑業者は勿論、戦後の一時期まで鉄屑業者の加工能力は非力だったから、自動車ガラはガス切りでサイズを調整した後、製鋼メーカーに納入した(小説・ぽんこつ)。

  • プレス処理が登場 昭和30年代前半に登場した日本のプレス機は性能表示として「ドラム缶何本締め」をうたい文句とした。つまり、当時のプレス機は、大型ボックスが必要な自動車圧縮までは想定していなかったようだ。当初の自動車プレスは、鉄屑カルテルのもと、まず輸入材(バンドルド№2)として平電炉メーカーに納入された。日本では、自動車ガラを焼く焼却法(カーベキュー)が先行(64年)し、その後のプレス機の大型化から国内でも鉄屑業者にプレス機が普及。自動車プレスが主力となった(注)。
     (注)「処理機械を作っていたのは(75年)当時、手塚やいすゞくらい。日本中の機械メーカーを回って鉄屑処理機械を作ってくれと頼んだが、全然受け付けて貰えなかった。それが業種指定され、耐用年数も短くなり加工処理業の看板を貰ったら、やっと機械メーカーも機械製作に乗り出してくれた。電炉メーカーもたくさんできて、それに対応する専業者も機械を導入するようになった(三井物産OB冨野金三郎氏)」。

  • シュレッダー処理 シュレッダー機で処理した廃車スクラップは「プローラー・スクラップ」との名称で、米国ヒューゴニューから初輸入された(63年4月)。

     鉄鋼会社がシュレッダー(SHR)スクラップの購入に本腰を入れるのは、産構審が73年まとめた「1970年代の鉄鋼業」(「鉄くずの問題点と対策」)として廃車プレスの不純物混入を指摘する一方、「SHRくずの量的拡大の方途を講じることが重要」と強調したことに始まる。電炉会社の大方は76年(昭和51)ごろまでに、品質不良や公害対策を主な理由に廃車由来のプレス購入を中止。日本鉄源協会作成の「電炉メーカー品種別購入実績」分類も83年(昭和58)以降、SHRくず分類を追加した。ほぼこの前後、電炉会社の廃車購入は廃車プレスからSHRスクラップに入れ替わった(ただ電炉会社総てがプレス購入を中止したわけではない。共英製鋼・山口など数社がプレス操業を維持した)。 

法制変化とダスト問題

  • 廃棄物定義と廃車 70年10月に成立した廃棄物処理法は金属屑を産廃物とした。処理業者は都道府県知事の許可を必要とするが、14条但書きにより「もっぱら再生利用の目的となるものは、この限りではない」と適用を除外された(専ら物例外条項)。金属単体は「専ら物」としてもプラスチックなどと複合するとどうなるか。この疑問に答えるため、国は「廃棄物とは、占有者が自ら利用し又は他人に有償で売却することができないために不要になった物」との「廃棄物定義」を明らかにした。この反対解釈として他人に有償で売却できる廃車は廃棄物には該当しないとされた(有価な廃車は廃棄物ではない)。

  • シュレッダー機はダスト分別機 自動車を解体すれば、鉄以外の構成材料が残材(ダスト)として発生する。清純な鉄屑を取り出すシュレッダー機は、多量のダストを処理業者の足下に残し、適正処分を突きつけた。
     このため関東シュレッダー部会は82年11月手作業による廃車・年式別解体実験を実施 (51台平均ダスト28.5%)し、83年4月から廃車ダスト検収(分引き)をそれまでの10%から20%に改訂した。鉄リサイクル工業会シュレッダー委員会は83年5月、東京で第一回全国大会を開催。「検収基準」の作成と実施を決議した。
     このダスト引きは独禁法の価格カルテルに相当するとの訴えが公取に提起された。公取は訴えを却下したが84年5月、工業会に対し不純物適正検収基準の指導要点が①価格カルテルにつながらない、②団体(工業会)として決めてはならないと通知した。

  • 豊島・シュレッダーダスト投棄事件(91年) 兵庫県警は豊島総合観光開発㈱を90年11月廃棄物処理法違反で摘発した(豊島事件・91年7月有罪確定)。しかし一件落着とならなかった。同島にはASR(自動車シュレッダーダスト)を中心に50万㌧とも目される膨大な廃棄物が残り、その処理を巡って深刻な社会問題が発生した(注)。
    国は94年9月、ASRの埋立てを95年4月から従来の「安定型」とは認めず厳格な「管理型」への移行を命じた(但し1年間の適用猶予を認め96年4月実施)。厚生省は94年10月「シュレッダーダスト事前選別ガイドライン検討会」を設置し、この検討結果を95年6月水道環境部産廃物対策室長名で通知。95年3月、国は「逆有償の廃車は廃棄物処理法の許可対象となる」(水道環境部長通知)と明示。廃車を処理法の適用除外とする 「専ら物」対象から追放した。
    (注)日本自動車工業会、日本自動車販売協会連合会、全国軽自動車協会連合会及び日本自動車輸入組合は91年7月「路上放棄車処理協力会」を結成し「路上放棄車を市町村が処理するに際し当該車両のリサイクル料金に見合う額を寄附する」(産構審提出資料)制度を立ち上げた(自動車リサイクル法の施行伴い11年3月末、事業終了)。

  • 使用済み自動車リサイクル・イニシアティブ(97年) 通産省は「使用済み自動車リサイクル・イニシアティブ」を策定し、「数値目標」を設定し体系化した(97年5月)。同イニシアティブは関係団体に対し数値目標達成のため「自主行動計画」の策定を要請した。また「使用済み自動車は産廃物に該当しない場合が多いが、その場合でも管理票 (マニフェスト) によって管理する」との方向を明示した。自動車各社が作成し、関係事業者に配布している「車の解体マニュアル」もこのイニシアティブによって、作成が指示されたものである。

  • プレス引取りに処理料を請求(98年) H2炉前価格98年後半から02年の春までの3年半1万円を大きく割り込んだ。50年ぶりの安値である。その一方、 96年4月以降ASRは管理型処分場での処分が義務づけられ、少ない処分場に業者が殺到したこともあり従来5~8千円だったASR処分費は1万5千~2万円に急騰。このためシュレッダー業者は98年6月以降、廃車プレス引取りに「マイナス(逆有償)価格」を請求し始めた。

  • キンキ・ショック(00年・第二の豊島事件) 福井県の産廃処分業者(キンキ・センター)が県許可の13倍の110万立米の産廃物を受け入れていたとして00年9月、搬入停止を命じられた。持込み業者は県外22都府県151事業者に上り、シュレッダー業者の大方は行き場を失った。直ちに代替の処分場を確保しなければ操業停止を迫られる。シュレッダー業者が選択したのが、プレス価格の逆有償幅の引き上げと自動車プレスの輸出だった。

  • 不法投棄車が急増(00年) H2炉前価格が8千台に後退するなかキンキ・ショックが襲った。「値段は二の次」の処分場探しとなり、ダスト処分費は2万5千~3万円に高騰した。シュレッダー業者がプレス業者に提示する「マイナス価格」も置場引取り1万円に拡大(関西)。マイナス相場が玉突き的に集荷・回収段階に拡大するなか、一般市民、ユーザーが廃車引取りの支払いを嫌って路上に放置する不法投棄車が全国で急増した。

  • 廃車輸出、日韓で摩擦 韓国向け自動車プレス輸出が各地湾岸に広がった(00年9月)。この前年の99年、韓国の東亜日報は日本からの韓国向け自動車プレス輸出は98年4月ごろから毎月1万㌧前後に増加していると報じ「日本の産廃物(廃車)大量搬入」(99年6月4日)との表題を掲げたが、日本の通産省は有価で輸出されているのであれば問題ない とした。当時、岸壁持込み(FAS)価格は5千円の逆有償だったが、輸出船の船倉(FOB)価格は有価だった。米国向けにも00年2月、廃車1万㌧が輸出された。

自動車リサイクル法

  • EU・自動車リサイクル指令 欧州議会は00年9月、自動車リサイクル法を採択(ELVに関するEU指令)し、同10月発効。加盟国に18ヶ月以内(2002年4月まで)に同指令を国内法化することを義務付けた。指令の骨格は①最終所有者からの無償引取りの保証。②再資源化率の数値目標設定(ELVリサイクル実効率は06年1月から85%以上。 15年1月から95%以上を義務付ける)③有害物質の使用規制(原則として鉛、水銀、カドミウム、六価クロムの使用は禁止)。④モニタリングシステムの整備(処理施設に係る所管官庁の許可ないし登録制度を導入。解体証明を登録抹消の条件とするシステムの導入を求める)の4点。日本の自動車リサイクル規制は、EU動向のあとを追った。通産省は自動車リサイクル・イニシアチブを97年、策定したが、骨子はEU指令と同じ)。

  • 自動車リサイクル法制定へ始動 EUでは00年10月ELV指令が発効した。日本でも新法制定に向けて論議が高まった (注)。産構審は廃棄物・リサイクル部会に95年10月「廃自動車処理・再資源化小委員会」を設置し00年7月まで11回の会合を開いたが、 00年9月の第12回以降、名称を「自動車リサイクル小委員会」に改め、自動車リサイクル法制定を前提に実質審議を深め始めた。00年11月同法の実務的な受け皿・事業機関として 自工会など発起人となって「自動車リサイクル促進センター」を設立した。
    (注)自動車リサイクル法施行の25年以上も前に、八幡自動車処理事業協同組合が「拡大生産者責任」を先取りする形で、国や自動車工業会(自工会)に働きかけ2億8千万円 (国・京都府・八幡市のほか「自工会及び自動車タイヤ協会も6千万円拠出」)の炉体費用を要するタイヤ焼却炉(運営・八幡市立環境保全センター)を建設(79年)した。

  • JRCM報告と「精緻な解体」 金属系材料研究開発センター(JRCM)は自動車リサイクル法施行を前に03年3月、04年3月自動車プレスと電炉操業の関係をまとめた。
     自動車プレス評価として基準となる一般スクラップに比べ歩留まり評価が落ちること、プレスを使用することで発生するコストアップ、阻害品であるCu(銅)の薄め材が必要になることから「Sa=S×f-(α+Sa")」なる計算式を組み立てた。以後、電炉等鉄鋼会社は「精緻な解体」を経た廃車プレスの引取条件、価格設定に、この計算式を援用した。
    (Sa=プレス評価。S=プレスと同等品位のスクラップ評価。f=プレス鉄分。α=プレスを使用することで発生するコストアップ分。Sa"=プレスのCu補正)。

  • 自動車リサイクル法成立(02年) 自動車リサイクル法は02年4月12日、国会に上程され7月5日原案通りに可決成立、同12日公布された。社会的には廃車リサイクルを加盟国に義務付けるEU指令(00年9月)と豊島事件が原動力となった。経済的には法制審議の直前(02年)、鉄スクラップ価格が世界的に大幅に値下がりし(この時期、原油を始め資源・エネルギー価格は歴史的な安値をつけた)、埋立処分地の確保難からASR処分費が高騰、処理費や処分費用をユーザーに請求せざるを得なくなった(逆有償)ことが大きい。
     経済原理と業者の自由処分に任せる従来の手法では、使用済み自動車の適正処理は支えきれなくなったとの認識が広がり、法制化を推し進めた。
     03年1月11日から目的、定義関係、指定法人の監督規定が施行。04年7月1日から解体・破砕業者の許可基準、料金基準等の関係業者規制が施行(許可申請は7月から)。引取・引渡、預託金等の義務、移動報告等が05年1月1日から完全施行された。

  • 自動車リサイクル法の特徴 ①法は自動車は「廃棄物」とみなした(法121条)。解体業者や破砕前処理業者(プレス業者)、破砕業者は法規制を必要とする「許可制」とした。②リサイクルはフロン類、エアバッグ、ASRの3品目に限定。バッテリーやガラス、タイヤ類はカバーしない。③処理料金はユーザーが「前払い」で負担する。自動車メーカーには引取り、制度運営を含む再商品化責任(「拡大生産者責任」)を課した。ただし処理実務は(自動車メーカーの委託のもと)廃車解体業者が行う場合がほとんどだから、自動車メーカーの実質的な責任は受託業者が適正に処理しているかの管理・監督である。④リサイクル工程を電子「管理票」で掌握し情報を一元管理する。支援組織として「自動車処理促進センター」や自動車再資源化協力機構(自再協)も設立した。⑤リサイクル料金の利用は、シュレッダーで廃車処理する場合(28条)と、電炉等が大臣認定を受け廃車解体関係者と「コンソーシアム」を結成し廃車処理したプレス出荷)場合(31条)を想定した。
    ▼その影響=新法が使用済自動車を廃棄物とみなし、解体処理に法的な道筋(許可制)と経済的なメリット(28条、31条)を与えたことから自動車解体・部品回収の作業の近代化、 ビジネス化はこれを機に進んだ。シュレッダー業者が処理する場合(28条)、発生ASRは車を使用したユーザー負担(リサイクル料金・前払い)のもと、自動車メーカーの責任において処理される。シュレッダー業者はASR費用負担から解放された(磁選機、非鉄選別機から銅やアルミ、ステンレス、ミックス・メタル回収に注力できるようになった)。
     一般の自動車解体業者が解体しプレス品として出荷する場合(31条)、一定の条件(精緻な解体)でリサイクル料金を自動車解体業者に還付する仕組みも用意した(枠組みは電炉と解体業者に委ねるが、電炉側は銅分含有を0.3%以下にすることを求めている)。
    ▼新法に備え100工場超が登場=日刊市况通信社調べによれば、04年までの新規参入・新会社設立は全国22社。事業協同組合などの新組織が3。既存業者の新工場増設や新設備が50。05年調査では新規参入3社。既存業者の新設備が28。06年調査でも3工場・設備が加わった。04年以来、控えめに見て100工場・設備が投入された。

ページ
TOP
日本鉄
スクラップ史
集成に戻る