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  • 蟻の街の奇跡 「蟻の街のマリア」、北原怜子(さとこ)を巡る実話である。最も早い段階の出版が松居桃楼(とおる)「蟻の街の奇跡・1953年(昭和28)」。北原自身による「蟻の街の子供たち」(57年)である。北原の死後、松井桃楼は「アリの町のマリア北原怜子」を執筆。その死後(58年1月23日蟻の街で死去。享年29)、映画化され宝塚歌劇団が舞台化した。▽敗戦の痛手と焼土が残る1950年(昭和25)12月、浅草墨田公園の一角に赤い衣装の上から真っ赤なコートに身を包んだひとりの娘(当時21歳)が、神の命ずるところに従い、蟻の街と呼ばれる貧民窟にひっそりと舞い降りてきた。その街区の子供たちは北原をその堅信名からマリアと呼び親しんだ。▽「蟻の街」は、東京都から立退きを要求されることとなったが、病の床にあった北原は代替地獲得のためひたすら祈り続けた。彼女の存在と願いは、東京都をも動かし、移転地は「無償払下げ」(東資協二十年史)とされた。死の2年後、1960年蟻の街は8号埋立地に移転し、蟻の街の教会は住民とともに枝川教会(カトリック潮見教会)として再出発した(85年6月1日聖霊降臨の主日に「蟻の町のマリア」の名を冠して新たに献堂された)。▽東京は浅草に近い隅田川のほとり。自らの規約を持つ廃品回収業者集団の活動が、奇跡だったのではない。奇跡は松井という映画、演劇界、マスコミに明るい「広報官」を持ち、農大教授・二女という「上流階級」をシンボルに戴き、老修士ゼノという日本ではまことに稀有な組合せが出現し、自らは積極的に動くことの少ない行政者をも、動かしたことのなかにある。一億総「ルンペン生活」の体験や、わが身を一枚ずつ剥ぎ取る「竹の子」生活の記憶はまだ生々しかった。夕闇のなかラジオは軽快なテーマソングとともに戦災孤児達の健気な生き方を流し続けていた(鐘の鳴る丘)。その時代の雰囲気のなか作り物ではない、人間の真心とは、どのような形をとりうるものかを北原は鮮やかに示した。一般の民衆がそれと知るとき、悲劇は幕を閉じている。映画公開は北原の死の10ヶ月後である。

  • ぽんこつ(小説) 阿川弘之。読売新聞1959~60年連載 「ぽんこつ」の語の初出は、明治初めごろにさかのぼるが、自動車の廃品を指すようになったのは「阿川弘之の新聞小説によって一般にひろまったもので、ポンポンコツンコツンと叩く音からできた」とされる(日本国語大辞典)。▽作品は高度成長を迎えようとする1960年代、マイカー時代に随伴する自動車解体・部品業(「ポンコツ」屋)の実態を、業の将来に賭けようとする若者と向こう見ずな企業家精神に未来を見ようとする若い娘のラブ・ロマンスを絡めて描かれた。▽自動車解体・部品業界にとっても輸入車から国産車の大量発生を目前にした時代。その業が原初どのような雰囲気にあったのか。その若々しい時代の記憶を残し得たことは業界にとって、まことに幸いであった(小説に感動したある父親が息子にポンコツ業を勧めた。その息子が作り上げたのが日本最大の解体部品会社の一つ「エコアール」である)。▽小説は、今となっては知る者も少ない1950年代後半(昭和30年台前半)の東京・竪川地区の自動車解体・部品業の貴重な証言となった(60年11月東映によって映画化された)。
    ▼竪川=「ええ、ぽんこつ屋です。何しろ両国の近くで竪川のぽんこつ屋街といって、古自動車の解体ばかり専門にやっている店がずらりと並んでいるところがあるんです」。▼将来性=「解体業かて、将来はどう変わるか分からん。自動車がこんなに増えて来て、ぽんこつ屋は景気がええかと言うたら、必ずしもそうではないからね」「今は、国産の車がどんどん出回ってどんな部品でも、国産のもんが常時手に入るし段々値下がりしていくでしょう。誰もセコハンのパーツなんか見向いてくれんようになったらこの業界かて、ただの屑鉄商としてしか成り立たんようになるかも知れんやないですか」。「そのうちにアメリカみたいに、古自動車は捨てるより仕方がない、捨てに行くのにも金かかって、捨て場に困るということになって、屑鉄商としても立ち行かんという時代が来んとは言えん」。▼鉄鋼会社と自動車スクラップ=「…製鉄工場がある。巨大なクレーンの鉄骨が見え、クレーンの下には、いつも製鉄原料の鉄屑が小山のごとく盛り上げられている。大部分自動車のスクラップだが、それがまっ赤に銹びて、文字通り小高い山をなして堆積されているのは一種の壮観だ。そのスクラップの小山の上に登って何かをやっている男があった。実は、ぽんこつ屋仲間の用語で山掘りという仕事をしているのだ。それは製鉄会社の了解を得て、炉に投ぜられる前にスクラップの山の中から使用可能な自動車部品を掘り出して買ってくる作業である」、「充分な腕の力と各種各様な自動車部品に関する正確な知識が無いと、とてもやれない仕事であった。山掘り作業でぽんこつ屋がスクラップの山に入ることは、ふつうどこの製鉄所もあまり有難がらない。仕事の邪魔になるからだ」▼当時の部品とスクラップ=「ぽんこつ屋が山から掘り出した部品は、スクラップ値段のほぼ倍額で売買が行われる。したがって製鉄工場の方も別に損になるわけではない」、「一方、ぽんこつ屋の方は、スクラップ値段で百円のものを百八十円ほどで買ってきて、もし売れなければ、部品はまた鉱山屋(鉄屑商)へスクラップとして逆戻りになるだけだ」

  • キューポラのある街 早船ちよ著。雑誌「母と子」1959年9月~60年11月連載。単行本化(61年)され62年4月映画化(日活)された。浦山桐朗の初監督作品(脚本浦山桐朗・今村昌平。音楽、黛敏郎)。イタリアや英国、北朝鮮、中国、ロシアなどでも好評を博し17歳の吉永小百合はブルーリボン・主演女優賞を受賞した。▽埼玉県川口市は500を超す中小鋳物工場が密集し「庭先にトタンぶきの工場をぶっ建てた町工場」が並ぶ鋳物の街である。題名のキューポラは銑鉄、故銑を材料に鋳物を造る縦型、小型溶銑炉。その名称、作業はこの小説と映画化を通じて広く一般人にも浸透した。▼「工場内の土間の東すみに1トン半のキューポラがデンと据わっている。そのまえに辰五郎がいて色眼鏡をかけて覗き穴から炉内の銑鉄の溶け具合をのぞきこんでいる。2㍍柄の手汲みの、ひしゃく取鍋(とりべ)をもった7~8人の工員が湯出しのため炉前に集まってきた」、「〈吹き〉の日には辰五郎は朝早くから工場に出る。キューポラに燃料のコークスを十分に装入して、火をつけ燃やす。炉内の耐火レンガが真っ赤に美しく輝きを放つほどに温度を上げていく。炉内は1400度にも上ってくる。辰五郎はキューポラの高い胴のなかの投入口の扉を開け、原料の銑鉄と燃料のコークスとを、かわるがわるに投げ込む作業にとりかかる。作業場は中二階ほどの高さに足場が組まれている。そこに原料と燃料が別々のカゴに盛られてたくさんならべてある。1カゴ8貫(30㎏)だ。それを次々に、えいつと両手で腰までくらい持ち上げて、やあと気合いをこめて投げ込むのだ」▼「炉内は燃えるコークスの層と熱せられる原料の銑鉄の層が幾重にも重なり合って、下の方から段々銑鉄の層を溶かしていく。とけて鉄の湯になったものは下の湯だまりに溜まって、煮えたぎっている」、「溜まった湯の加減を見極めると、〈湯出し〉となる」「辰五郎は細長い鉄の突き棒で湯だまりの上部のノロ(鉄滓)の出口を力をこめて突いた。と、口からノロの湯は炉脇の土間のくぼみにへほとばしる。ノロは銑鉄が溶けて熱湯になった上のほうへ浮いている不純物の溶け混じった鉄カスだ。それをこぼし流すと、あとに淀んでいるものは本物の鋳物になる銑鉄の湯である」。その湯を予め用意していた品物の型を砂で作った砂型のなかに流し込むのだ。「工場裏の空地には古鉄や壊れた機械などのスクラップ(クズ鉄=ズクと呼ぶ)が山と積まれている。このズク(故銑)を銑鉄と混ぜて使い、鋳物原料とする。ズクの性質によって混ぜる割合を決めるが、それは鋳物の質を良くし、原料のコストを下げるのが狙いだ」▼小説は鋳物工場が人力と勘の職人の手作業から機械投入・電機操作を使いこなす技術者による「オートメション」工場に移行する60年台初めの風俗、雰囲気を忠実に伝える。「(新しい)5㌧炉のキューポラ(二基)が建てられ、電気操作の配線と配電盤が出来上がった。スイッチさえ入れればズクでもコークスでも大バケットに入ったままするすると上昇し投入口に行き、自動的に投入される」
    *   *   *
     大手の高炉や電炉会社でも場内の労働者に苛酷な「高熱超重筋労働」を強いた当時、その底辺でやがて近代化に乗り出そうとしていた零細な町の鋳物工場がどのようなものであり、そこに働く労働者はどのような作業環境に置かれていたのか。小説・映画は、今は失われた風俗とともに、歴史の貴重な証言のひとつとして、我われに語りかける。

  • 日本三文オペラ 開高健。『文学界』1959年1月~6月号連載 仲間から「フクスケ」と呼ばれる男の眼を通して大阪陸軍砲兵工廠跡地で警察隊と「アパッチ」と呼ばれた一群の鉄屑争奪を描いた。開高健の初期の代表作である。▽実際の出来事は、1958年(昭和33)の春から夏にかけて起こった。大阪最大の、しかももっともすさまじい「廃墟」である大阪城の一郭、大阪陸軍砲兵工廠跡地に眠る15万㌧の膨大な金属屑の奪取と取り締まりが闇のなかで繰りひろげられていた。マスコミは、その一群の大胆な出撃と取締に奔走する警察の闘いをアメリカの西部開拓時代のそれになぞらえ「アパッチ族」とはやしたてた。命名が示すとおりマスコミは冷笑的だったが、作家は「在日韓国・朝鮮人の日常」を下敷きにして「官の論理」と「アパッチの論理」を対等に並べ錯綜する時代を伝えた。鉄スクラップ史的にいえば国家財産としての戦災スクラップ処理に係わるエピソードである。▽もはや戦後ではないとされた昭和30年代の前半に、大阪はなお戦後を色濃く引きずっていた。その戦後の二大象徴が、大阪にあっては猪飼野に代表される在日朝鮮人の存在であり、大阪城内の旧陸軍砲兵工廠跡地であった。作品はその両者に深く分け入る。▼「(アパッチ達は陸軍砲兵工廠跡地をその地名を冠し杉山鉱山と呼んだ。その鉱山採掘の論理を、小説は以下の通り語る)・・鉱山は国有財産ということになっとる。財産と言うからには台帳があって、どこにどんなもんがあるかをちゃんと書きとめ、ハンコをおしとくべきもんやろ。ところが、あの鉱山に埋まっとるブツはなにがどこにあるのや、さっぱりわからん。わいらが掘れへんかったら、どうなるかちゅうと、これはもう錆の山になって土のかけらになりよるわけや。地下に埋もれとる分だけやない。ここに国有財産特別措置法ちゅうもんがあって、国有財産になっとる中古機械のなかで、まだ使えるやつは中小企業の、つまり町工場のオンボロ機械と交換したろやないかという、えらいものわかりのええ法律や。そこで業者がのこのこでかけて申請した。審査や認定やとイチャモンつけられて、お役所のハンコが全部で三十個近う要って、商工部から財務局へ回って、払い下げときまったのが、申請してからなんと二年七ヶ月目やったという。業者はもう待ちきれんでほかの機械を買いよった。こうなりゃもうスクラップや。りっぱに使える機械が涙ですわ」。▼「いったい何万トンの爆弾が投下されたのか、これは誰にもわからないことであるが、廃墟はまったく変貌していた。35万坪を占めるのは鉄と砂と草だけで、見わたす限り無機物の原である。さまざまな種類のスクラップがべトン床と地表の間の土の肉のなかに埋もれている。それはまったく無数の種類の物量で、掘れば掘るほど、出てくる。ススキの下には鋳鉄、銑鉄、銅、アルミ、鉛、砲金などの鉱脈がてんでばらばら縦横無尽に走っていると考えるべきである。アパッチ族たちが町名をとったうえでこの地域を「杉山『鉱山』」と呼ぶようになったのは当然のことだろう。
    ■時代背景=事件の1年半前の57年(昭和32)1月、大阪でも「金属屑条例」が制定されていた。神武景気のなかで鉄屑をはじめ各種の金属くずが高騰し盗難事件が多発、社会問題化したと警察・行政は捉え、その防犯・検挙に乗り出した背景がある。「ひとたび業者から業者へと渡ると、その形を変じ、最後に溶鉱炉に入ってしまうとまったくその痕跡さえも分らなくなる特殊な品物」(大阪府議会・警察本部長)であること、従ってその入り口での取り締まりの必要が強調されていた。

  • 日本アパッチ族 小松左京。光文社・カッパノベルス1964年 開高健の「日本三文オペラ」発行後の5年後、同じ大阪出身の小松左京が、同じ大阪最大の廃墟に立って、同じテーマを彼自身にとって長編処女作となる作品を描いた。▽「鉄屑を食う」新人種誕生にまつわる風刺・SF作品、「日本アパッチ族」である。この作品は、「日本三文オペラ」と違い在日朝鮮・韓国人の生活を下敷きにしたものではない。在日朝鮮・韓国人だけでなく近・未来の時点で、国家によって棄てられ、流刑・追放されたもの達の生きるがための反抗とその未来を「鉄屑を食う」SFとして描く。国家の不用人(失業者)として国家の廃墟(大阪陸軍砲兵工廠跡地)に追放された男は、生き残るがために廃残物(鉄屑)を食う。鉄の人(アパッチ族)はこうして生まれ、文字通り鉄屑を食うアパッチ族が、彼等を不用人として追放した国家(日本政府)と戦い、ついに自らの国家を建設する、との建国私記の体裁をとる。鉄屑はここでは、二重、三重の「棄てられた者(物)」の象徴であり、同様に二重、三重の「再生と未来」の象徴である。鉄屑はマイナスのエネルギーの目もくらむ閃光とともに、時代の闇を切り裂く主題に躍り上がった。日本の文学史上、鉄屑がこのような圧倒的な主題・キーワードとして登場したのは初めてである。

  • 夜を賭けて 梁石日(ヤン ソギル)。NHK出版初出94年12月。2002年11月同名で映画化された。「日本三文オペラ」、「日本アパッチ族」に続く大阪砲兵工廠跡地を舞台にした鉄スクラップ争奪物語である。前二作は日本人によるドキュメンタリーやSFパロデイーだが「夜を賭けて」は、当事者である在日朝鮮・韓国人の目線からの報告・作品である。▽日本人作家にとっては、アパッチ族の存在は戦後の混沌のひとつの象徴(文学的通過点)だったが、夜を賭けて走り抜けた在日朝鮮・韓国人にとっては、生きるがための姿。それしか選びようがない重くのっぴきならない現実だった。作品が前二作と異なるのは、アパッチ族の顛末は、壮大な前奏曲に過ぎないということだ。作品の本来の面目は、実はアパッチ族の後日談としての第二部、不法入国者の留置施設としての大村収容所の実態を収監者の目を通して描くことにあったようだ。
    ■新聞報道=1958年10月27日(朝日新聞)、28日(毎日新聞市内版)アパッチ291人を逮捕の記事が掲載された。大阪東署では府警捜査三課が58年6月末から捜査本部を設置し、旧大阪造兵廠跡の古鉄類を狙って集団的に出没するアパッチ族の捜査を続けてきたが、27日まで大物の組長(実名4名)を含め291人を強盗・窃盗・故買・業務執行妨害・傷害・軽犯罪法違反などの疑いで検挙した。「城東区中浜のアパッチ部落には朝鮮人を中心に三千余人の古鉄ドロが住み、数人から二十人くらいの組織を作っていた」。
    ■小説=逮捕された五人の組長は、実行犯としての証拠を固められず不起訴、他のアパッチも八人が実刑を受けただけで残りは不起訴または執行猶予で釈放された。本編の主人公は執行猶予で釈放されたが、入国管理官によって直ちに身柄を拘束され、「不法入国容疑」で大村収容所に収監された。
    ■大村収容所=日本政府は在日韓国朝鮮人の管理のため50年(昭和25)出入国管理令に一般的な強制退去理由とは別に、外国人登録法違反(24条)を加え、同令で禁固以上の刑を受けた(執行猶予の場合は除く)場合は強制退去とした。一般的な退去事由に加えて、在日韓国朝鮮人に対しては単なる外国人登録証の不携帯や指紋押捺拒否だけで、その者を強制送還できることとした。その強制退去のための留置施設として朝鮮戦争さ中の50年10月、大村収容所を開設した。▽大村収容所は、正式には「法務省出入国管理局所轄大村入国者収容所」とよばれた。刑事犯罪者を収容する刑務所とは異なるが、出入国管理法違反者を収容、監視する機能は刑務所と本質的には変わらない。済州島事件や朝鮮戦争などで非合法に再入国した者やその容疑をかけられた者も収監された。▽海外送還が目的だから国内釈放の定めはなく、収容者から「刑期なき牢獄」と恐れられた。軍事独裁政権下にあった当時、日本での反政府活動者には本国送還後、死刑を含む重罰が待ち構えていた。犯罪など(登録証不携帯も含む)非政治的な理由で送還される場合でも、長年の在日から既に韓国に生活の場を持たない者が多いから、本国送還は異国への放逐と異ならない。その収監実態は本作品を通じて白日の下に晒された。

  • 華麗なる一族 山崎豊子 1970年3月から72年10月「週間新潮」連載。73年新潮社から出版された。74年東宝により映画化(山本薩夫監督)。▽日本の金融、鉄鋼業の暗闘を切り取った作品である。モデルとされた山陽特殊製鋼の会社更生法申請(65年3月)の5年後、今一つのモデルと目された神戸銀行の合併(73年・太陽神戸銀行)の3年前に執筆された。▽山陽特殊製鋼が事実上倒産した65年当時の日本の鉄鋼業は、その直後の11月、通産省の行政指導に公然と反旗を翻す住金事件が勃発するなど騒然としていた。戦後の経済成長のなか鉄鋼需要は増大し設備増強を巡って先発高炉会社と後発高炉会社が生残りをかけて激しい牽制と競争を繰り広げていたのだ。▽高炉は鉄鋼業を志す者の最終目標だった。また自前の鉄源無しには安定操業はできない。関西平炉3社が無事に高炉を建設した後、遅れて高炉建設を目指した鉄鋼会社の挑戦と挫折を、地方銀行系財閥と大手都銀、大蔵官僚のせめぎあいを絡めて描いた。▽山崎は作品中で大蔵官僚の言葉として「いまある都銀13行は、いずれ3~4行にする必要がある」と言わせている。国際経済と資本の論理を冷静に読み解けば、そのような解しかない。読者は30年後を見通した山崎の慧眼にただただ敬服するしかないだろう。フィクションと事実が渾然となっているのが山崎文学の特色で、この作品でもモデル探しが盛んである。一般には「阪神銀行→神戸銀行」、「阪神特殊製鋼→山陽特殊製鋼」、「帝国製鉄→富士製鉄」と目されている。

  • ワイルド・スワン ユン・チアン 土屋京子訳。講談社1993年 2014年現在、世界の粗鋼生産の半分を中国一国が占めている。鉄鉱石、原料炭など原材料の世界需給は中国の動向に大きく左右される。しかし今は昔。革命間もない共産中国が取り組んだ粗鋼生産の歴史とは一体どのようなものだったのか。国家建設と製鉄事業とは古来、密接不可分の関係にある(鉄は国家なり)。ましてや革命の混乱のなかから生まれたばかりの中国は、切ないほど自前の製鉄を急いだ。その中国の、我われ日本人が知らない製鉄事情をユン・チアンは文化大革命の激動を通して折り目正しい端正な文章で描く。▼六歳になった私は小学校にかよいはじめた。毎日学校への行き帰り、私は目を皿のようにして、折れたクギは落ちていないか、さびた歯車は落ちていないか、と地面をくまなく見て歩いた。町じゅういたる所で拡声器から人民を鼓舞する音楽が鳴りひびき「大躍進万歳!」「みなさん、鉄を作りましょう!」などと書いた幟やポスターが目についた。▼私がかよっていた小学校でも、調理室のかまどの上から中華鍋が消え、かわりに坩堝のような形をした大きな鉄の桶が据えつけられた。生徒が拾い集めてきた鉄くずを、この桶に入れてとかすのだ。それまでかまどにかかっていた中華鍋も、バラバラにたたきつぶして桶になげこんだ。先生たちは交代で、二十四時間休みなしにかまどに薪を投げこみ、巨大なひしゃくで桶の中味をかきまぜていた。先生たちが製鉄に動員されてしまったので、授業はあまりなかった。とけた鉄を浴びて大やけどを負った先生を見舞うため病院に行ったとき、白衣をきた医者や看護婦が狂ったように病院の廊下を走り回っていたのをおぼえている。病院の庭にも土法炉(注)があって、手術中であろうと真夜中であろうと、たえず薪をくべつづけなければならなかったのだ。▽中国建国9年目の1958年。毛沢東提唱のもと「大躍進運動」が開始され、「鉄がすべてに優先する」との呼号とともに57年、年間535万㌧だった鉄鋼生産を、58年には2倍の1,070万㌧製造するよう指示したところから、すべての悲劇が始まった。
    ***
     「ただし専門技術を持った労働者による本来の鉄鋼業を発展させるかわりに、毛沢東は全人民を動員することにした。▽『単位』(職域)ごとにノルマが課され、人々はノルマを達成するためにふだんの仕事を放り出して何ヶ月も鉄くず探しに奔走した。経済発展の指標が何トンの鉄を生産できるかという単純な目標に集約され、全人民がこの作業にかかりきりになった。政府の推計でも、国の食糧生産を支えていた1億人近い農民が鉄の生産にかり出された」▽10億の人々が取り組んだのが、あまりに素朴な「土法炉製鉄法」であった。▽「鉄の生産ばかりが強調され、農業は二の次だった。農民は一日じゅうたきぎ集めに走りまわり、くず鉄をさがし、土法炉を燃やし続ける作業で疲労困憊していた。農作業の負担は女や子供に重くのしかかってきた。家畜は鉄鋼生産にかり出されていたので農作業はすべて人力でやらなければならなかった。1958年秋の収穫期になっても田畑にはほとんど人手がなかった」▽大躍進。その非現実的な掛け声のなか、大飢饉が中国全体を包み込んだ。「61年初めまでに餓死者は数千万人に達し、毛沢東はついに狂気の経済政策を放棄せざるをえなくなった。毛は不承不承に実務派の劉少奇国家主席と鄧小平総書記に政治運営をゆだね、自己批判を書いた」。
    ■その後=「大躍進」中の餓死者の詳細は不明である(一説には3千万人とも4千万人とも言われる)。この失敗から毛沢東は政府にも党内にも足場を失った(1962年)。その毛沢東が自らのカリスマ性を利用し、失われた権力奪取の手足として創り出したのが非正規組織「紅衛兵」であり、国家権力と党内秩序への反乱(文化大革命・造反有理)だった。
    *(注)58年9月までに建設された土法高炉は70万基、生産された銑鉄は400万㌧。「学校や官庁の庭にさえ作られ素人が『鉄作り』に取組んだ。59年になると忽ち下火になって土法高炉は見当たらなくなった」(「鋼の時代」)。

  • 大地の子 山崎豊子 文藝春秋1991年。「華麗なる一族」で日本の金融、鉄鋼業の暗闘を切り取った作者が、残留孤児と近代高炉建設を二つの柱に中国の製鉄事情を肉太に描いた。NHK開設70周年記念として1995年、日中共同で制作され同年11月放映された。
    ■小説=話は文化大革命の数ヶ月後から始まる。文革は毛沢東の「造反有理」のスローガンのもとあらゆる既成秩序と権威を破壊した。いや政府・党内からの権力奪取が最大の目的であればこそ、国家や党中枢のなかから「国家の敵」、「階級の敵」を見つけ出す必要があった。激しい断罪の矛先が製鋼工場の若い工程師(技術者)の頭上に突然ふりかかった。日本侵略主義者の子が製鋼工場にいる、そのこと自体が許し難いスパイ行為とみなされた。文化大革命の荒波は残留孤児の身で、今は製鋼工場の技術者である主人公を、反革命分子として、辺境未開の荒野に追放した。▽その嵐が終わった後、文革10年の技術的・経済的な遅れと空白を取り戻すには、資本主義国の進んだ製鉄技術をまるごと導入するしかない。呼び戻された主人公は現代中国に絶対不可欠な近代製鉄所の導入工事、工程管理、工事中断、建設再開、火入れ…その節目節目の総てに立ち会う。▽パール・バックに親しんだ者なら「大地」から直ちに軍閥割拠した中国と農民の姿を連想するだろうし、倒れても芽吹く、大地に根付き未来に向かう熱いメッセージを受け取るだろう。山崎の小説は「残留孤児」が、中国の大地に根ざす決意を表明する描写をもって終わるが、中国を主人公とする「鉄鋼ドラマ」は、この小説の終わりから始まった。
    ■史実=満州に展開していた関東軍は、戦力の大半を南方戦線に抽出した。ソ連軍が一斉に国境を越えたとき、関東軍は既にもぬけのカラだった。どこの国でも軍隊は自国民を保護するために存在するものだが、日本帝国陸軍は違った。国境に入植させた開拓団を盾に軍はひそかに撤退していた。開拓農民たちはソ連軍の重囲に取り残され、銃火になぎ倒されるなか、死に残った子らがいた。即ち「中国残留孤児」である。▽文化大革命(1966~76年)末期の76年、2千万㌧だった粗鋼生産は、文革追放から復権した鄧小平指導の「改革開放」(78年)による外資と技術導入策などから増加に転じた。海外技術導入の白羽の矢が最先端の高炉操業技術を持つ新日鉄・君津に立った。新日鉄・君津製鉄所を写し取った宝山製鉄所建設の調印が、夏国峰体制のもと78年に行われ、この高炉建設が権力闘争の道具にされて一旦中断(81年)し、鄧小平体制の確立とともに再開(82年)され、85年9月に火入れを迎えた。
    *   *   *
     鄧小平が指導した「改革開放」経済も、世界的な社会主義運動の後退や政治的自由を求める民主化運動の弾圧(「天安門事件」89年5月)から海外投資が激減、停滞した。天安門事件鎮圧の指揮後、公職を退いていた鄧小平は92年1~2月武漢、上海などを視察。改革開放の継続を訴える「南巡講話」を発表して党内保守派を打倒した。南巡講話は政治的には社会主義、経済的には市場経済を守るとの「社会主義市場経済」体制を内外に宣言し、西側資本の中国投資の安全を保証した。▽その後の中国の大躍進は、この南巡講話路線のもと東西冷戦の終結と世界経済のグローバル化の賜物だった。それを決定づけたのが2001年12月11日のWTO(世界貿易機関)加盟だった。中国は貿易拡大と世界経済の成長のなか、安価な労働力を提供する「世界の工場」からスタートしたが、膨大な人口と豊かさを求める中間層の台頭を経て「世界の消費市場」へと変貌した。▽文革末期の76年、2千万㌧だった粗鋼生産は、85年上海宝山製鉄所の火入れ、92年南巡講話を契機に増加に転じ、01年1億5千万㌧、13年7億7千万㌧と激増し、世界粗鋼生産の半分を占めるに至った。
    ■映像=TVドラマが終戦50周年、NHK放送70周年記念として日中共同で制作された。1995年11月~12月23日(全7回)。

ルポルタージュ

  • 死に絶えた風景(日本資本主義の深層から) 鎌田慧。ダイヤモンド社1971年 本書が浮かび上がらせたのが戦前・戦中に悪名をとどろかせた「タコ部屋」のいま(1970年代)に変わらぬ存在と、それに全面的に依存する八幡製鉄所の労務管理の実際であった。▽日本の高度経済成長の真っ只中に、しかも日本の資本・企業を代表する大手高炉会社の生産活動の足下に、ほとんど使い捨て同然の現場労働者達がうごめいている姿だった。▽「本工=カミサマ、下請=ニンゲン、労働下宿の日雇(孫請)=人非人」という徹底した階層管理のなかで最下層の日雇人夫たちが、どのように使役されているのか。それを知るため作者は「労働下宿」(いわゆるタコ部屋)に飛び込み、戦後既に25年を経った1970年当時の八幡製鉄所の現場作業員の労働実態を報告した。取材が浮かび上がらせたのが「タコ部屋」の暴圧的な存在と、それに全面依存する製鉄所の労務管理の実際であった。
     その労務管理が骨がらみの伝統であり、組織運営であることを示すため、著者は八幡製鉄所の創設の昔にさかのぼって(明治の「千人小屋」から戦後・職安法改定による「門前雇用」の定着まで)労務管理の一貫性を、簡潔に整理・要約した。「労働下宿(タコ部屋)と八幡製鉄の相互依存による発展過程」こそが、日本近代化のバネであり「八幡製鉄は労働下宿を自己の基底に据えて操業を維持し、拡大してきた」と言い放った。▽本書は製鉄所開設、大拡張と相つぐ工事のなかで官の論理に呑み込まれ「棄民化」された地元民、活動そのもの変質から無力化された「労働組合」「労働運動」70年の顛末も鳥瞰する。舌鋒・腑分けの鋭さは、タコ部屋を脱出したその足で労働基準監督所に駆け込み、賃金未払いを訴え出た著者自身の告発と重なる。鉄鋼業界紙記者を辞めフリーライターとなって「隠された公害」を書いた後の二作目。現場報告と資料分析が一体となった力作である。鎌田は2年後、自動車労使の実態を抉った「自動車絶望工場」を世に出した。

  • 鉄鋼王国の崩壊(新日鉄釜石) 鎌田慧。1980年・朝日新聞社 官営・八幡に先立つ日本鉄鋼業発祥の地、新日鉄・釜石製鉄所の没落を報告した。▽鎌田は新日鉄・八幡の1970年代初めの鉄鋼労働環境を報告した(「死に絶えた風景から」)。製鉄業は鉄鉱石、石炭などの輸送や各種鉄鋼の圧延、加工工程を要するから、機械化作業が未熟だった戦前は勿論、戦後のある時期まで最も人力を要する「高熱超重筋労働」、「労働集約型産業」の典型と目されていた。▽炭鉱生産がそうであったように、鉄鋼生産が多数の下請け労働者に支えられ、権利、環境は労使の圧倒的な力関係のなか、蔑(ないがし)ろにされたのは、鎌田の告発の通りであった。しかし鉄鋼企業が、より高い生産性、採算性を求めて、機械化・省人化・合理化を進めていくなかで、人力工程(下請け=タコ部屋)はむしろ非効率、非採算(有害)として排除され、姿を消した。資本が、その論理、経済合理性の帰結として、タコ部屋を放り出したのだ。それが鉄鋼合理化が一巡した70年代後半からの姿だった。タコ部屋の導入と排除、消長とは、資本の発展と蓄積過程がもたらした一種の歴史的必然であった。その資本の発展過程のなかで、八幡製鉄所は、資本の論理に従い忠実にその機能と役割を果たしたとも見える。▽とすれば「省人化」以後の「資本の論理」は、次はどのような行動をとるのであろうか。それを示したのが、「鉄鋼王国の崩壊(ルポルタージュ・新日鉄釜石)」(1980年)だった。その初出タイトルが「ガリバーの足跡・滅びるか鉄鋼王国ニッポン」である。
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     釜石の歴史は、大島高任以来、創生期日本鉄鋼業のそれである。「黄金の日々」の栄光から戦後の鉄鋼各社の近代化・合理化の大波の中で、ユーザー不在の東北の地にあってひとり近代化路線から取り残され「大型工場の終焉」を迎え、「黄昏の街」へと転落していく「釜石の不安」の日々を克明に描いた。▽作品は著者の思惑を超えて歩く。「資本の論理」なるものの存在を承認すれば、本書は(労働者側からの目線報告と同時に)資本が、その論理一貫性を追求したルポとも読める。企業(資本)が「資本の論理」(稼働設備の最適化と利益の最大化)の要請に基づき「選択と集中」を実行した場合、戦力外と見なされた設備・人員をどう処遇するのか。▽企業は苛酷な競争の中、どのような方策で、生き残りを賭けたのか…。煩悶する企業(資本)の姿が(告発する労働者の逆光線を通して)鮮やかな輪郭とともに浮かびあがってくる。タイトルは「鉄鋼王国の崩壊」である。しかし企業にとって栄枯盛衰は世の習い。千年王国など存在しない。王国といえども崩壊する。崩壊した王国の後に残る課題は王国の再生か、新たな王国の建設である。作品は「終焉」「黄昏」「不安」との表題をかかげるが、朝は常に「夜明け」の前の暗さから始まる。そう裏読みすれば、企業ルポとしても面白い作品である。

  • 自動車解体共和国 部落解放同盟京都府連6区支部 ・三一書房、1985年
     未解放部落と自動車解体業の係わりを、その成り立ちから現状までを網羅的に記述した。「日本一の自動車解体処理業を担う人々」との惹句とともに、京都府八幡市の「ポンコツ街道」(府道・長尾八幡線)沿いに広がる約70の大小の自動車解体業の実態を、関係者へのインタビュー、資料に基づいて整理、提言したもので85年当時の未解放部落と自動車解体業の一面を証言するものである。
    ▼目次は最も簡潔な内容要約である。▽第1章・空を焦がす煙害=①日本一の自動車解体処理業。②現代の奇跡のドラマ。▽第2章・鉄を作る人々=①土方からの出発。②自動車解体の仕事。③解体の作業現場。▽第3章・自動車解体業への道=①土方で生きた戦前史。②くず回収から鉄・非鉄金属へ。③GHQ鉄くず秘史。④自動車解体の現状。▽第4章・解体業への差別の仕組み=①欧米では廃車処理費はユーザーが負担。②流通での差別の実態。③直接取り引きは下品?!④「採算が合わないから解体業はしない」。▽第5章・毒煙公害=①激発する野焼き公害。②反公害のとりくみ。③道路をふさぐ廃車の山。④「八幡のがん・ポンコツ屋」と落書きが。⑤業者自らの社会的責任は?
    ▽第6章・公害絶滅への血のにじむ内部闘争=①われらが焼却炉。②村八分と別れ話。③危機を超えたエネルギー。▽第7章・自動車工業よ、社会的責任を取れ!=①空き缶公害論。②同和と企業の社会的責任。③通産省の現地視察。④噴出する怨念。▽第8章・自動車産業、差別の構造=①汚した業者が掃除せよ。②企業責任はどうなるのか?③自工のしめつけ。④ディーラーかかごの鳥か?⑤白地手形の怪。⑥カンバン方式による下請け支配。⑦素材開発競争と公害。▽第9章・解体業「集団化」への展望を開く。▽第10章・等欧州五ヵ国の自動車解体業。▽第11章・まとめにかえて。
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     約半世紀前の未解放部落の実態や自動車解体業に至る道程、その解体実務と流通、煙害問題の高まりを報告し、自動車工業会と公防協の企業の社会的責任論の攻防を記録した(詳細は鉄スクラップ団体の「八幡自動車処理事業協同組合」の項参照)。

  • 砂鉄のみち 「街道をゆく」・司馬遼太郎 週間朝日1974年12月~75年5月連載。
     古代から大正末期まで実際に「たたら製鉄」を行なっていた伯耆(島根)、出雲(鳥取)、美作(岡山)の地と、ゆかりの和鋼記念館、現存の砂鉄工場、旧たたら家当主、たたら遺構(カナクソ遺跡)を訪ね、日本人と製鉄の関係、製鉄を成り立たせた木炭と温暖湿潤気候との密接なつながりや溶解熱源として木炭材料、山林草木を育んだ水の豊かさを、日本人の旺盛な好奇心の全てにからめて、司馬遼太郎らしくゆるやかに語り出すところから道は始まる。▼砂鉄製鉄は、古代に比べて熱効率のいい江戸中期でも、1,200貫の鉄を得るため4,000貫の木炭を使った。4,000貫の木炭といえば、ひと山をまる裸にするまで木を伐らなければならない。砂鉄の採掘は鉄穴(かんな)流しという長大な人工の溝を掘るため一山全部買わなければならず、木炭を作るために周囲の山々を買い上げなければならない。結果として鉄師であった田部氏は「中国山脈のほとんどの山を所有するはめになった」と書く。▽柳田国男の研究によれば、炭焼き業者はかっては樹を焚き「石よりも固い金属を制御して、自在にその形状を指定する力」を有する、言葉どおりの「神技」の保持者であった。「たたら」、それに絶対不可欠な「炭焼き」(ここでは触れられていないが)「一つ目小僧」を加えれば、古代の民間伝承(フォークロア)が、鉄をめぐって一斉に立ち上がってくる。▼司馬は「砂鉄のみち」を始めるにあたって「製鉄は、まぎれもなく朝鮮半島から伝わった」と言う。製鉄神話と目されるスサノオノミコトは砂鉄を求めて朝鮮半島方面から出雲に渡来してきた製鉄集団が奉じた「外来神」だったとの説や、和鉄が日本人にもたらした文化的気質など日本と鉄にまとわる数々のエピソードを紹介しつつ、同行者である鄭詔文氏、金達寿氏ともども、古代から近世の遺構・遺跡・伝承の跡を丹念にたどった。本文の最後が、家系伝承によれば、先祖は百済王敬福であるという作州は津山市吹屋町の百済家訪問記に終わるというのも、まことに首尾が整っている。

  • 鉄屑ロマン 増井重紀 「サクセス・鉄屑はロマン」(牧歌社10年7月出版)、(「鉄屑ロマン」に改題。世界出版社発刊)。▽商社マン(住友商事)として世界に飛び出し、米国最大の鉄屑シッパー副社長として迎えられ、 鉄屑ビジネスの修羅場、攻防の場をくぐり抜け、常に新たな挑戦(ロマン)に生きてきた男の、現在進行形の自伝である。本作品はなすべきことは果たしたとしてヒューゴ・ニューを去る決意を固めた99年から書き始められ、コンテナ・ビジネスにひた走る現在に及ぶ。 だから結論も、まとめも、あるわけではない。ただ鉄屑はロマンと語る男の不屈の信念のさまと世界を股にかける醍醐味を追体験すれば、それで充分である(増井重紀の項参照)。

  • 鉄のあけぼの 黒木亮 2012年 毎日新聞社
     戦中・戦後の苦難を乗り越え、昭和25年に川崎製鉄初代社長に就任するや、西山弥太郎は、千葉に世界最新鋭の製鉄所を建設するとぶち上げる。日銀の「法王」一万田登総裁は「強行するなら、ぺんぺん草が生えることになる」と毒づいたと言われる中、第一銀行の酒井杏之助頭取は「もはや矢は弦を離れた」と支援に踏み切り、通産省の若手官僚たちも「日本の再建には良質の鉄が必要だ」と訴えた(以上、日経文芸文庫版の裏表紙キャプション)。
     西山弥太郎の一代記と戦後のある鉄鋼会社建設の物語である。

自伝・鉄スクラップ業社史

  • くず鉄一代記 山口県防府市の梁川鋼材の事実上の創業者である梁川福心(朝鮮名・姜福心)が1989年8月、亡き夫との一代記をおよそ二年の歳月をかけ、まとめた自家本である。
     本書は、日本統治下の朝鮮人がなぜ日本に渡来し、戦中・戦後をどのように生き抜き、今日の鉄スクラップ業をどう築き上げてきたのか。その失われかけた輪を、未来に書き残した希有な証言書である。同時に、在日コリアン鉄スクラップ史としてだけではなく、日韓併合以来の在日韓国朝鮮人の生活史、さらに天の一方を支える女性史としても読める普遍的な内容を備え、口述筆記の闊達さと加筆添削の周到さが、全編を貫く端正な文章となって時代と人を鮮やかに描き出している。

  • 『凡夫生涯鐵一筋』 清水五一郎著 1991年・日本商工経済研究所発行(非売品)
    昭和10年代に鋼材商として起業し、戦後は鉄スクラップ業も兼ねて鍛造工場を経営。その間、鋼材問屋「鉄友会」幹部として鉄鋼団地の建設などに注力し「浦安鐵鋼団地」を完成させた清水五一郎の自伝である。また鋼材販売だけにとどまらず、北海道苫小牧に電炉会社(清水鋼鐵)を自力で設立した。その行跡は、鉄スクラップ加工、製鋼、鋼材販売ビジネスは勿論、業界活動全般にわたった。67年(昭和42)「本所鉄交会」会長に就任。72年(昭和47)東鉄連浦安団地協同組合(87年浦安鐵鋼団地協同組合に改称)理事長に就任(退任92年)。さらに76年(昭和51)東京鉄鋼販売業連合会および全国鉄鋼販売業連合会の会長に就任(80年退任)。同年東京商工会議所議員(88年退任)などを歴任。94年(平成6)浦安鐵鋼団地協同組合最高顧問に就任。80年藍綬褒章受章。85年勲四等瑞宝章受章。2001年(平成13)8月死去。享年90。

  • 事業・時代・人との出会い-鉄リサイクル人生を語る 影島 義忠著 2002年・丸善出版サービスセンター発行 (非売品)
    株式会社丸和商店川崎出張所長(日本鋼管鉄屑納入指定商)だった影島義忠が、58年同社の行き詰まりから独立・自営して影島商店を設立し、97年(平成9)勲五等瑞宝章の叙勲するまで半生を、その生い立ちからから、独立自営、その後のビジネス、業界活動の来歴を語った自伝である。
     沼津の老舗で明治以来の暖簾と日本鋼管直納の商権を持つ丸和商店の行き詰まりは、業界の謎の一つだが、影島はその破綻の現場にいた当事者として語った。また鉄くずカルテル終了前後、通産省はカルテル後継団体の設立に動き、日本鉄屑工業会はその中から誕生した。影島はその渦中の業界人として工業会創設の現場に立ち会い、その後の鉄屑工業会を実際に動かす中枢幹部として、業界の近代化を見守った。その工業会活動の30年の記憶を業界紙座談会で語り、本書に遺した。
     また本書は影島義忠の一代記であると共に、その妻の実家(石田一郎海軍少将の軍歴)の歴史やまた親族(将棋九段芹沢博文)を語って興味深い。

  • 三好伝―創造・挑戦― 2005年 株式会社伊藤製鉄所
    株式会社伊藤製鉄所を創設した伊藤三好を追慕して2005年斎藤公夫を編集責任者として編まれた伊藤三好と伊藤家の一代記である。
    三好の父は、コメ相場師から転落し、くずかごを背負って業を始めた伊藤寅松。関東大震災後、店を大きくし店員を抱えた。その兄は、「赤貧洗うがごとし」の家計から小学生ながら丁稚奉公に出され夜間小学校を卒業し、その後、自立して戦前・戦中・戦後の鉄スクラップ業界を牽引した業界の大参謀である伊藤信司。三好は、阪急電車や宝塚歌劇団創設で知られる小林一三の知遇を得て、資金を蓄え、今日の伊藤製鉄の前身となる鉄工所を設立して、家業を継いだ。
     その寅松、信司、三好の三人のありようは明治から大正(寅松)、戦前・戦中から戦後激動期の鉄屑業(信司)、さらに戦後経済成長期の業界(三好)の歴史そのままである。

  • 失権 島田文六著 2017年 幻冬舎メディアコンサルティング刊行
    “一体 この五〇年は何だったのか?”「密命の打診」「児玉誉士夫の影」「神鋼・尼鉄の合併成立」――明かされた、“鉄は国家なり”の国策に躍らされた権力闘争の舞台裏・・・。そして平成となり、迎えたバブルの終焉と、折しも発生した阪神淡路大震災――「私にとってそれは、ジャンピングの失権への幕をついに開かせるものだった」(以上、出版本の裏表紙キャプション)。
     93年NHKの紅白歌合戦で「島田のブンブン」として歌われた、神戸製鋼所の直納問屋前社長、島田文六による一代記である。社内権力闘争の暴露本としても読める。

  • 扶和メタル百年と黒川家の歩み 2020年 扶和メタル刊行
     日本製鉄の直納ディーラーで、また日本発のシッパー(輸出・船積)業者でもあり、かつ大阪を拠点に関東の湾岸・内陸部、米国に10数か所の支店・ヤードを展開する扶和メタルの社史である。
     日露戦争前後に大阪砲兵工廠に勤務して戦役に従軍し退職後、銅鉄商に転じた黒川豊作をはじめとする黒川家と、戦前の鉄屑統制会社の指定商、黒川商店。戦後の扶和金属興業、平成の扶和メタル百年の社史である。戦後の鉄スクラップ回収、流通の実際がどんなものだったのか。また高度経済成長のなかヤード業者はどのようにして業態を拡充してきたのか。また大阪のローカル会社が、どのようにして関東に進出し、米国に貿易拠点を広げて、日本発のシッパーとなったのか。
     その平成の扶和メタルを切り開いた第三代社長、黒川友二の半生記でもある。
     なお「扶和メタル百年と男たちの群像」を社内本として同時に刊行した。

  • 次代に夢を 渡邊泰博 94年 渡邊商事A4版200p。 ナベショーの渡邊泰博が、従来にない社史をとの思いから数々の失敗体験を含め、社業と業界の存在理由を求め1994年出版した。
     大学を3年の渡邊泰博は1970年春、父親から大阪に呼び戻された。会社と言えば、福山から58年に大阪に拠点を移した、小金だけが頼りの新参「商社」に過ぎなかった。だからだろう。営業を開始したばかりの泰博は「3年ももったらいいほうじやないの」と大手商社の社員に軽くあしらわれた。返す言葉すら、なかった。どうすればいいのか。その後の四半世紀の歩みを「次代に夢を」との表題でまとめた。「次世代のバトンタッチのために」との副題が示すように、社内だけでなく、業界の未来を担う世代に向けて語った。どこにでもある企業の、いつ潰れてもおかしくない状況のなか、しかし生き抜く望みを捨てなかった新参経営者が、何にたじろぎ、何に悩み、打開のために、何をどう行ったのかを、現在進行形の現場報告として作成した。

  • 「ニッチな専門商社」・ナベショーの百年 渡邊泰博著 2016年 ナベショー発行
     渡邊泰博が、2000年の社内教育本「セールスマニュアル」、10年の「セールスマニュアル(NO2)」の集大成として16年「ニッチな専門商社」・ナベショーの百年(上・下)を刊行した。
     上巻は、渡邊泰博は「3年ももったらいいほうじやないの」と大手商社の社員に軽くあしらわれた渡邊商事の、その後の四半世紀の歩みを94年「次代に夢を」との表題でまとめた。
     さらにその後の四半世紀の歩みをまとめたのが上掲の「ニッチな専門商社・ナベショーの百年」である。「大事なことはくりかえす(繰り返して言う)」。その信念を上下本に込めた。

  • まがねふく吉備に生きてー平林金属の五十年と私 平林久一 2006年10月 平林金属
     平林金属の平林久一が会社創業50年を期して出版した企業史兼個人史である。企業とは人間がそうであるように、それぞれの生まれと育ちと世界観を持っている。それを個性と呼べば、個性の輝きが世界を豊かにする。その見事な証言の一つが本書である。

  • 産業振興六十年社史(98年2月) 産業振興100年史(2013年12月) 日本を代表する鉄スクラップ会社(徳島商店・産業振興)の社史である。本書は一業者の社史の枠を超え、いわば日本の「鉄スクラップ・ヤード業者史」としても通用する堂々たる構えと資料的な厚みを兼ね備えている(戦前、戦後の豊富な写真や貴重な証言もある)。産業振興の会社としての歩み(社史)は同時に日本の鉄鋼大企業(富士製鉄、新日鉄)の市中鉄源対策を逐次的に報告する貴重な証言ともなっている。
     開業100年の節目を迎えた直後、東日本大震災に見舞われた。同史は「大震災の記憶を風化させないため」被災3拠点のレポートと同社トップが発信したメールを後世に残した。

  • 和―草野100年の歩み 草野産業(株)2014年4月発行 鋳物用材料商社の草野産業が、創業100年を迎え、創業前史を含む同社の歩みと未来へのビジョンを合わせ、社史としてまとめた。▽鋳造・鋳物材、ことに銑鉄販売の専門商社として100年の歴史を閲してきた同社の歩みは、明治、大正、昭和、平成を貫く鋳物業界の貴重な証言集となっている。また100年企業には、それなりの存続理由があるだろう。本史は先行の「草野惣市小伝」(1979年)を要約し、資料を捜索して創業者・草野惣市、二代秦太郎、三代泰道の事跡を追った、個人史としても読み応えのある内容である。

業界関係文書

*鉄鋼・鉄スクラップに関する資料、刊行本は「日本鉄スクラップ史集成」 9 引用・参考資料を参照してください。
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月刊 鉄屑界
鉄屑懇話会、日本鉄屑連盟の機関紙。53年1月号から54年7月号まで発行された。鉄屑業者の初期の活動を伝える基本資料で、現在閲覧可能なのは国立国会図書館だけである。
以下に国立国会図書館所蔵本の目次を掲載する。

  • 創刊号(1953年1月) 第1巻第1号 

    1. 発行所 鉄屑懇話会 発行編集印刷人 伊藤信司

    2. 目次(広告別に50ページ)

    3. 巻頭言            德島佐太郎(1)

    4. 創刊の辞           伊藤信司(2)

    5. 鉄鋼と鉄屑の因縁       畑敏男(3)

    6. 鉄鋼安定市況とスクラップ問題 大貫昇一(7)

    7. 鉄屑業界の在り方       鉄の山仙人(8)

    8. 一業者の私見         松本秀雄(9)

    9. 鉄屑雑感           平石慶三(10)

    10. 業界今昔物語         くろがね太郎(11)

    11. 鉄屑界創刊に際して      西山仲治(12)

    12. 所感             𪂂巣重春(13)

    13. 電解及びプレス業者に訴う   伊藤富作(12)

    14. プレス私見          多胡生(13)

    15. 鉄屑蒐集業の今昔(上)    黒田俊(14)

    16. 新参者の弁          室町正夫(15)

    17. 太平洋スクラップの謎     丸和貿易部(16)

    18. ***
    19. 鉄屑懇話会の発足            (19)

    20. 鉄屑懇話会地区懇談会          (23)

    21. 金融委員会               (28)

    22. 広報委員会               (30)

    23. 金融対策委発足に際して    高橋関太郎(31)

    24. 鉄屑懇話会規約             (31)

    25. 〃 役員一覧表             (34)

    26. 〃 会員一覧表             (35)

    27. 人物誌上紹介              (42)

  • 1953年2・3月合併号  第1巻第2.3号 

    1. 目次(広告別に28ページ)

    2. 巻頭言            平石慶三(1)

    3. 懇話会新発足を祝して 鉄鋼連盟専務理事 岡村武(2)

    4. 鉄屑共同購入問題       鉄の山仙人(3)

    5. 「独禁法」改廃と懇話会    大貫昇一(4)

    6. 〃 鉄屑業者の立場      黒田俊(5)

    7. 金融対策に関する諸問題    高橋関太郎(6)

    8. 鉄屑業界今昔物語②      くろがね太郎(8)

    9. たわごと集          多胡生(9)

    10. 太平洋スクラップの謎②    丸和貿易部(10)

    11. 各国鉄屑市場の雑感      渡邊哲夫(11)

    12. 鉄屑払下げに対する私見    覆面士(12)

    13. 警戒警報発令         今和貝子(13)

    14. 本誌の育成と投稿について   編集室(14)

    15. 鉄屑蒐集業の今昔(下)    黒田俊(15)

    16. 金融対策実状調査に関する報告    (16)

    17. 会員通報              (17)

    18. プレス委員会設立          (22)

    19. 業界集報              (25)

    20. 随筆句集              (26)

  • 1953年・会員大会特集号  第1巻第4号

    1. 目次(広告別に36ページ)

    2. 巻頭言(鉄鋼界の栄光のために) 伊藤信司(2)

    3. 鉄屑界創刊に対する所感 通産大臣 小笠原三九郎(3)

    4. 中小企業金融に望む     豊田雅孝(4)

    5. 米国の鉄屑市況(解説)   渡邊哲夫(5)

    6. 鉄鋼界今後の見通し     大貫昇一(7)

    7. 組合金融の秘訣       高橋関太郎(8)

    8. 三・一値下げについての断想 森田喜之助(10)

    9. 現下の鉄屑価格と業者の立場  黒田俊(12)

    10. 躍進の緒についたプレス委員会    (13)

    11. 業界ニュース(都内)        (16)

    12. ***特集***
    13. 鉄屑業者はかく主張する-全会員懇談大会記 (17~36)

    14. 懇談大会出席者一覧            (28)

    15. 川鉄・千葉製鉄所を訪ねて 𪂂巣重春(34)

    16. 随筆 ある朝の追憶    伊藤信司(33)

  • 1953年 第1巻第5号

    1. 目次(広告別に25ページ)

    2. 巻頭言(鉄鋼業防衛の信念に生きん) 德島佐太郎(2)

    3. プレス品位の向上と責任       平石慶三(3)

    4. 鉄屑価格の安定  通産省重工業局長 芦澤大義(4)

    5. 鉄屑価格統制の回顧 日本鉄鋼連盟  酒井忠量(8)

    6. 米国における近代的鉄屑置場     渡邊哲夫(6)

    7. 他山の石(時評と資料)        畑敏男(11)

    8. 鉄のカーテンを開け 金融対策委員長 高橋関太郎(15)

    9. 德島会長にお尋ねする       一蒐集業者(17)

    10. 鉄屑の需要と価格          西山仲治(18)

    11. 鉄鋼メーカーの業者に対する考え方  𪂂巣重春(19)

    12. 鉄鋼連盟首脳と本会幹部の懇談     編集室(21)

    13. 鉄屑懇話会新会員一覧            (25)

  • 1953年 第1巻第6号

    1. 目次(広告別に37ページ)

    2. 巻頭言(相互一体の扶けあいへ)   伊藤信司(2)

    3. 国民相互銀行の設立について    金融対策委(3)

    4. 米国の屑鉄対日輸出は果たして可能か 渡邊哲夫(5)

    5. 欧米各国における鉄屑回収組織    久津哲男(8)

    6. 「国家褒章・都表彰」業界に受く       (10)

    7. 時評と資料              畑敏男(11)

    8. 「研究課題」・鉄屑安定対策への試案  𪂂巣重春(14)

    9. 自由な経済発展と業界繁栄政策    大貫昇一(16)

    10. 関係当局とメーカー鉄連への要望   深沢森秋(17)

    11. ***特集***
    12. メーカー・鉄連と懇話会首脳部の三者会談をどう見るか

    13.                鉄の山仙人(18~21)

    14. 鉄鋼政策の確立を望む       森田喜之助(22)

    15. 鉄屑懇話会総会               (27)

    16. 定期総会出席者名簿             (28)

    17. 鈴木・岡田・德島 三氏インタビュー      (28)

    18. 受賞祝賀会・受賞三氏 略歴紹介       (30)

    19. 鉄屑界こぼれ話           今和貝子(36)

  • 1953年 第1巻第7号

    1. 目次(広告別に59ページ)

    2. 巻頭言(協同購買構想に対する三底流)広報委員会(2)

    3. 欧州シューマンプランにおける鉄屑市況 渡邊哲夫(4)

    4. 鉄鋼市場と今後の見通し        大貫昇一(6)

    5. 鉄屑業者の手で鉄屑を造ろう      西山仲治(7)

    6. 銑鉄価格と鉄屑価格         𪂂巣重春(8)

    7. スクラップ・ブック          波多登志夫(10)

    8. 鉄鋼補給金通産省で検討            (10)

    9. 懇話会諸賢に一言          鉄の山仙人(15)

    10. 鉄屑価格の去年と今年     広報委員会調査部(16)

    11. 鉄屑界不況と対策への一考察     森田喜之助(18)

    12. 関西鉄屑業界の動き      関西鉄屑懇話会(19)

    13. 鉄屑経済新報を追悼する     くろがね太郎(20)

    14. ***特集***
    15. 定期総会における重要質疑応答      (22~28)

    16. 小僧時代(上)           久津哲男(30)

    17. 懇話会会友規程               (31)

    18. 懇話会新入会員一覧             (33)

    19. 鉄屑業界=先賢父祖物故者追惜編(34~43)

    20. 鉄屑界建設のホープを探る(上)(44~59)

  • 1953年 第1巻第8号

    1. 目次(広告別に55ページ)

    2. 巻頭言(業界金融危機と懇話会の進路) 高橋関太郎(2)

    3. 金融界に発言す            伊藤信司(3)

    4. 金融難に際して鉄鋼会社に要望  金融対策委員会(4)

    5. ***特集***
    6. わが業界の金融問題をどうする    鉄屑懇話会(8)

    7.  ▽金融機関貸出統計(9)▽不渡事故集計表(10)

    8.  ▽各国中央銀行割引率(10)

    9. 鉄屑界建設のホープを探る(下)   編集部(42~55)

    10. ***
    11. スクラップ・ブック         波多登志夫(12)

    12. かね売る者に金の苦労ありとは    二五回鉄人(14)

    13. 国民相互銀行発足              (16)

    14. カナダにおける最近の鉄屑状況    渡邊哲夫(17)

    15. 鉄鋼の補給金と二重価格制度の運用  大貫昇一(20)

    16. スクラップにおけるBクラス論    室町正夫(21)

    17. 独禁法改廃後の業界の在り方試論  森田喜之助(22)

    18. 「研究課題」・今後の鉄屑市況   𪂂巣重春(24)

    19. スクラップ価格の去年と今日 広報委員会調査室(27)

    20. 地方業界の動き(愛知・山梨)      (29~32)

    21. 小僧時代(下)           久津哲男(35)

  • 1953年 第1巻第9号

    1. 目次(広告別に45ページ)

    2. 巻頭言(鉄屑全面活用とプレスの地位確立)平石慶三(2)

    3. プレスの意義を昂めよ        伊藤信司(3)

    4. プレスに対する責任と自覚      H・K・生(4)

    5. プレス委とメーカーに望むもの    室町正夫(5)

    6. ***特集***
    7. 拡大プレス委の動き=鉄屑完全活用の一環 編集部(7)▽プレスの地位を確立し新分野の開拓を 森田喜之助(12) ▽プレス委員会の歩み(14) ▽「発明」ブリケットプレス機(17) ▽懇話会プレス部会(関西)(18) ▽プレス談義 久津哲男(19) ▽プレス機の火災 小野生(20) ▽米国における鉄屑プレスの情況  渡邊哲夫(21) ▽プレス品位の確立に率先陣頭に立つ 奈良義一郎(25)スクラップ価格の去年と今日 広報委員会調査室(26)

    8. 朝鮮休戦と鉄鋼界の前途      大貫昇一(27)

    9. 鉄屑協同購入構想(七月巻頭言を評す) 墨田太郎(28)

    10. 改正独禁法の説明会(11)

    11. 中小企業金融公庫法について(31)

    12. 地方業界の動き(愛知)  (31)

    13. ある会合の記録(業界関係者放談・上) 波多登志夫(34)

  • 1953年 第1巻第10号

    1. 目次(広告別に43ページ)

    2. 巻頭言(安定経営期の到来を渇望) 德島佐太郎(2)

    3. 鉄屑懇話会はかく歩めり       伊藤信司(3)

    4. 画期的方法による懇話会役員改選 広報委員会(5)

    5. 鉄連への要望           德島佐太郎(6)

    6. 金融対策委を解剖して新金融委を望む 好楽風生(5)

    7. 金融対策委の一カ年を顧み将来を望む 高橋関太郎(8)

    8. ***
    9. 鉄屑懇話会レポート

    10.  ▽各会員各位殿 鉄屑懇話会(10) ▽理事会便り(13) ▽顧問・相談役会(14) ▽会長候補者銓衡委員会(15) ▽広報委員会便り(16) ▽広報委員会を論ず 松本裕夫(17) ▽プレス委員会の成長を祈って 平石慶三(18) ▽次期理事会に望む 二五回鉄人(19) ▽新体制はかくあって欲しい 一会員(21)

    11. 最近の米国の鉄屑市場の雑感 渡邊哲夫(23)

    12. ある会合の記録(業界関係者放談・下) 波多登志夫(26)

    13. スクラップ五人男おおいに放談す 編集部(37)

    14. 鉄屑屋の営業と鉄屑懇話会 千地志目夫(36)

    15. 治山・治水と鉄鋼     森田喜之助(40)

    16. 地方業界の動き(愛知・関西鉄屑懇話会)(43)

  • 1953年 第1巻第11号

    1. 目次(広告別に28ページ)

    2. 巻頭言 臨時総会宣言 鉄屑懇話会(2)

    3. 総会宣言に続くもの 広報委員長 伊藤信司(3)

    4. 米国における鉄屑業者の団結 渡邊哲夫(4)

    5. 新設委員会の解説      編集部(4)

    6. ***特集***
    7. 鉄屑懇話会臨時総会

    8. 混迷打破に新役員の布陣なる 編集部(6)

    9. 臨時総会日程           (7)

    10. 規約一部改正           (11)

    11. 賛助員規程制定          (13)

    12. 重要問題で記者団と会見 編集部  (16~20)

    13. 臨時総会点描      森田喜之助(20)

    14. ***
    15. 地下カルテルへ断 読売新聞所載   (25)

    16. 懇話会レポート(理事会・広報委員会) 編集部(27)

    17. ▽宣言文=本懇話会は、昨年10月創設以来、業者間の親睦と情報の周知・交換に努める一方、親産業たる鉄鋼業の振興に寄与することを念願として鋭意努力してきた。然るに本年3月に行われた鉄屑価格の人為的改変と独禁法改正前後における緊迫した諸情勢は、本会の動向に重大なる影響を与え、加うるにいわゆる鉄鋼カルテルが指向せんとする幾多の案件は、わが鉄屑界の前途に益々深刻なる影響を及ぼすものと予想されるに至った。従ってかかる自覚と認識のもとに、現下の難局に対処しつつ、鉄屑業者の利害を明確に反映し、その総意を真に代弁するに足りる強力溌剌たる懇話会たらしめんとする鉄屑界の要請に鑑み、われ等はここに会を人的、組織的に強化刷新し、以てより積極的、行動的なる懇話会の新体制を確立せんとするものである。また
      一 鉄屑の共同購入(販売)機構問題
      一 国内屑と輸入屑の調整問題
      一 プレス及びプレス製品問題
      一 金融対策の問題等々の重要問題に関しては、常に常任委員会の研究に基づいて鋭意その急速解決を期する(略)。昭和28年10月22日鉄屑懇話会総会(28年11月号・2p)。
      ▽総会宣言に続くもの=鉄屑懇話会は(現下の情勢を)「独禁法改正前後における緊迫した諸情勢」と指摘し、いわゆる共同購入機構問題を取り上げるべく真剣に向き直った」。総会宣言は、今や全国同業者の耳目を衝動せしめ、その成果に視聴を集めつつある。事において悔い無き「必成の努力と覚悟」(のもと)、われわれは、闘い抜かなければならない。

  • 1953年 第1巻第12号

    1. 発行所 鉄屑懇話会 発行編集印刷人 伊藤信司

    2. 目次(広告別に27ページ)

    3. 巻頭言 「鉄屑白書」を用意 広報委員長 伊藤信司(2)

    4. 鉄屑信用組合の設立に協力を 金融委員長高橋関太郎(3)

    5. 鉄屑信用組合の設立は慎重に   N・I生(4)

    6. 鉄屑懇話会の性格と進路   伊久美甲子郎(4)

    7. 今年の鉄屑界の回顧       渡邊哲夫(5)

    8. 役員改選後の初理事会に臨みて  T・S生(6)

    9. プレス問題軌道に乗るか     N・I生(7)

    10. 地方に在る会員として      藤井俉市(8)

    11. 業界新聞に要望する      広報委員会(9)

    12. ***
    13. 鉄鋼カルテルに対する所見 伊藤信司広報委員長(10)

    14. 横田公取委員長と会見      編集部(13)

    15. 鉄鋼カルテルと業者の立場    森田喜之助(16)

    16. 鉄屑商から鉄屑業へ       黒田俊(18)

    17. 広報委員会記者団と会見     編集部(20)

    18. プレス委・メーカー七社との会見 編集部(23)

    19. 懇話会情報           広報委員会(24)

    20. 懇話会レポート(理事会・金融・広報・プレス委員会) 編集部(27)

    21.  ▽鉄鋼カルテルに対する所見(見出し)=一総説 二所謂「共同購買論」 三価格協定問題 四需要側の鉄屑価格概論 五供給側の鉄屑価格概論 六屑発生側の鉄屑原価概論 七価格は集荷量にどう響く 八価格解放論 九鉄屑共販試論 十結論(一しわ寄せを防衛する 二緊急全国業者の結集へ!! 三生・然らずんば死)

  • 1954年 第2巻第1号

    1. 発行所 鉄屑懇話会 発行編集印刷人 渡邊哲夫

    2. 目次(広告別に51ページ)

    3. 巻頭言 業界の岐路(連盟・懇話会長)德島佐太郎(1)

    4. 所感(連盟副会長・懇話会金融委員長)高橋関太郎(2)

    5. 鉄屑業界発展のために(懇話会広報委員長)渡邊哲夫(3)

    6. 鉄屑連の発足を祝して(鉄屑連盟副会長) 青柳市三(5)

    7. ***
    8. 続・鉄鋼カルテルに対する所見(鉄屑連盟カルテル対策委員長・懇話会価格対策委員長)

    9. 伊藤信司(4) 公取委への上申書 事務局(6)公取委への答申 事務局(8)

    10. ***
    11. 暴圧に血の叫び=全国鉄屑業代表者大会 (12~37)

    12.  ▽大会宣言文(13)▽日本鉄屑連盟規約(14)▽公取委よりの委嘱(14)▽鉄屑業者の利

    13. 益代弁・原山事務官(20)▽弱い者いじめに義憤・細井事務官(21)▽一致団結の健闘祈る・長崎事務官(22)▽鉄鋼メーカー側の申請書・編集部(26)

    14. 鉄屑連の下に結集せよ 森田喜之助(31)

    15. 盛り上がる地方業者の声を 藤井俉市(33)

    16. 新春への希望 黒田俊(36)

    17. 鉄屑の値上がりを夢見る人に  広報委員会(39)

    18. 欧州鉄屑市場の雑感  渡邊哲夫(40)

    19. ***
    20. 地区別業者懇談会 編集部(42)

    21. プレス常任委員会を観る N・I生(46)

    22. 鉄屑連レポート・懇話会レポート(理事会・広報・価格対策委員会)(49)

    23. ▽続・鉄鋼カルテルに対する所見(見出し)=十一合理化カルテルの大要 十二カルテル申請の内容 十三鉄屑カルテルを反駁する(一総論~一五鉄屑商品の特殊性)。

  • 1954年 第2巻第2号(欠番)

  • 1954年 第2巻第3・4号合併号

    1. 冒頭檄文 活かせ! 自由な眼と耳と口を・・・
      いま鉄屑業界は、メーカー側と連帯した新しい時代に突入しつつある。この動きは、全国業者の福祉と存立に直結するが故に、雑誌「鉄屑界」は自主的で栄誉ある鉄屑業界たらしめるたたかいを遂行する!!鉄屑業者は先ず、会員非会員の別なく、わが「鉄屑界」を自ら活用し、中央・地方の業界に直通した自由な眼と、耳と口を持とう・・・。そして君の希望、僕の主張を自由に誌上にのせ、北に南に意見を交流し、血の通った強い団結のもとに、新しい業界の建設に参加しよう。
      「鉄屑界」は純粋にわれらのものだ!
      「鉄屑界」へみんなで原稿をおくれ!
      文章よりも意見を・・・。それが活字の弾丸となり、新生業界の土台となるのだ!!

    2. ***
    3. 目次(広告別に29ページ)

    4. 巻頭言 鉄屑需給研究会に望む 渡邊哲夫(2)

    5. 鉄屑需給研究会の設立 伊藤信司(3)

    6. 日本鉄屑連概論=第1編 XYZ(5)

    7. ▽今後に望むもの 藤井俉市(4)▽鉄屑の価格と取引を自由に(6)▽各問屋の鉄屑買入価格・愛知県金属組(7)▽鉄屑無原価論を斬る・愛知県金属組(8)

    8. 鉄屑カルテル反対運動の回顧(中) 伊藤信司(11)

    9. ***
    10. 機械化された鉄屑ヤード(米国) 渡邊哲夫(15)

    11. 業界新発足に団結を 森田喜之助(17)

    12. 鉄屑はどの位でるか 愛知県金属組(18)

    13. 「鉄屑界」、屑連機関誌に発展 松本裕夫(19)

    14. 鉄屑業界の昨今 千地志目夫(20)

    15. 鉄屑界の発行に感謝を KY生(21)

    16. 川鉄千葉工場見学記 墨田太郎(21)

    17. ***
    18. 公取委への答申書(前承) 編集部(23)

    19. 鉄屑連レポート・懇話会レポート 編集部(26)

    20. 鉄屑安定運動に協力を謝す 広報委員長(27)

    21. 新入会員 事務局(29)

  • 1954年 第2巻第5号

    1. 発行所 日本鉄屑連盟 発行編集印刷人 森田喜之助

    2. 目次(広告別に21ページ)

    3. 巻頭言 鉄屑業者の経営意欲昂揚へ 森田喜之助(1)

    4. 鉄屑需給研究会に期待する 藤井俉市(2)

    5. 第一回鉄屑需給研究会開く(20)

    6. ***
    7. 鉄屑カルテル反対運動の回顧(下) 伊藤信司(4)

    8. 鉄屑業者は値上げばかり考えてはいない(7)

    9. 資源回収業者の方途 松井政雄(8)

    10. 鉄屑業界に自主性があってもよいのだ(9)

    11. 機関誌「鉄屑界」に望むもの 松野吉三(10)

    12. スクラップのささやき 墨田太郎(16)

    13. ***
    14. 業界情報 ▽二九年度鉄屑所要量は?(2)▽鉄屑業界に新分野か(3)▽上期の鉄屑輸入量決まる(4)▽鉄屑買上価格(5)▽通産省・平炉混銑率引き上げを勧告(11)▽最近の鉄屑価格の推移(15)▽鉄屑連レポート(18)▽広報委、記者団と会見(19)

  • 1954年 第2巻第6号

    1. 目次(広告別に29ページ)

    2. 巻頭言 窮境乗切りの決意を新たに 德島佐太郎(1)

    3. 業務対策委開く               (2)

    4. 鉄屑需給研究会をどうする     松井政雄(4)

    5. 鉄屑相場に漂える葦        森田喜之助(5)

    6. ***
    7. 鉄屑カルテル反対運動の回顧(続=上) 伊藤信司(6)

    8. 資源回収業者と鉄屑業者        K・X生(9)

    9. 業者懇話会(東京)定時総会          (12)

    10. 鉄屑業界に栄光 西清太郎氏受賞祝賀会     (14)

    11. ▽西氏受賞の感想 城北隠士(7)▽西清太郎翁の横顔(11)

    12. 日本鉄屑連盟定時総会             (13)

    13. 傘下団体の陳情に応え活動展開         (18)

    14. 川鉄千葉工場見学記              (20)

    15. 団結して難局打開へ           獄峯生(22)

    16. 随筆 「大石内蔵助」          伊藤信司(24)

    17. スクラップのささやき         墨田太郎(25)

    18. 「油壺」             二十六回鉄人(27)

    19. ***
    20. 業界情報 ▽公取委、鉄屑連幹部を招致(4)▽業界見聞(6)▽カルテル委と需給研の経緯(15)▽鋼材に投げ物現る(17)▽愛知県金属資源同組総会(16)▽金融逼迫いよいよ深刻(20)▽5月の鉄屑価格▽鉄屑連レポート(27)

  • 1954年 第2巻第7号

    1. 目次(広告別に38ページ)

    2. 巻頭言 小異を捨て大同に就くの良識 成島英美(1)

    3. この危機を乗り切ろう        松井政雄(2)

    4. 融合ある統一業界へ         森田喜之助(3)

    5. ***
    6. 鉄鋼・鉄屑両業界・懇談会      (4~7)

    7. ▽カルテルはどうなったか(6)▽反省(7)鉄屑カルテル反対運動の回顧(続=中) 伊藤信司(8)未曾有の難局来る!その打開策ありや? (10)

    8. 鉄屑界の三長老(岡田・鈴木・西)を囲む座談会 (12)

    9. 業界情報 ▽ねつ造記事、業界を毒す(12)

    10. ▽中部鉄屑界の動き(15)▽業界への中元(19)▽業界見聞記「ミススクラップ?」(20)

    11. ***
    12. カルテル関連 ▽カルテル問題のその後 伊藤信司(24)▽鉄鋼20社申請取り下げる(25)▽取り下げに鉄鋼連から事前説明(25) ▽鉄屑連レポート(35)▽鉄屑連声明書(35)▽申請取り下げでカルテル対策委を廃止(37)

    13. ***
    14. 鉄屑界建設のホープを探る (27~35)

1954年 第2巻第8号以下の資料は国立国会図書館にも保存されていない。

  • 日本鉄鋼原料史 田部三郎 1983年 産業新聞社 田部(たなべ)三郎(1927年東京生まれ、1991年11月死去)は、日鉄解体後(50年)富士製鉄に属し富士と八幡の合併に伴い77年新日鉄副社長。79年常任顧問、87年に退任した。富士製鉄課長として鉄屑カルテルの認可申請に動き(53年)、認可後は同社原料担当幹部として20年以上もカルテル運営に係わり、カルテル終了後(74年)は、ポスト・カルテル対策として設立されたスクラップ・リザーブ・センター(SRC)社長に就任した。経歴のほとんどを原料畑で過ごした彼は、同時に鉄鋼原料の語り部の一人でもあった。鉄鋼原料論(63年)、鉄鋼原料論Ⅱ(69年)等を出版。日本鉄鋼原料史は、その集大成として83年刊行された。▽同書は、上巻が鉄鉱石編、下巻が原料炭・鉄屑編。その下巻第2部が鉄屑である。「第一章・鉄屑を中心に見た日本鉄鋼業、第二章・製鋼法の歴史、第三章・鉄屑の概念と規格、第四章・戦前までの鉄屑の流れ、第五章・鉄屑カルテル、第六章・ポストカルテル体制の諸機関、第七章・国内鉄屑、第八章・輸入、第九章・鉄屑に関する最近の動向と今後の問題」。戦前から83年現在までの鉄鋼原料・鉄スクラップの流れを関係資料・データを添付した。実務書と資料集を兼ね併せたもので、職業人(新日鉄原料担当)としての「引継報告」が、後世に貴重な資料証言を残した。

  • 鉄スクラップ全史とビジネス 冨高幸雄、渡邊泰博共著 2005年 ㈱共和印刷・出版部
     日本の鉄スクラップの歴史を古代から現在までの通史(第一部)及び戦時鉄屑統制、鉄屑カルテル、製鋼技術と鉄リサイクル、循環ビジネスと鉄リサイクル、文学に見る鉄リサイクルなど、個別史(第二部)を業界紙記者である冨高がまとめ、鉄スクラップ流通経営者である渡邊が営業体験に基づいて「鉄スクラップビジネスとともに」(第三部)として詳述した。

  • 日本「市中鉄源」現代70年編年史 冨高幸雄、渡邊泰博共著 2009年ナベショー
     「通史」は個別事象の裏付けを記載する「編年史」(あってこそ全体像が示せる。その信念から鉄屑統制が始まった1938年以降の鉄鋼・鉄スクラップに関する具体的な動きを1年ごと(1ページ)に編集し「年表」を付記して2008年までの70年を一覧し、各時代の特徴、画期を解説した。

  • 日本鉄スクラップ史集成 冨高幸雄 2013年 日刊市况通信社
     日刊市况通信社の編集長を務めた冨高幸雄が、業界を去るにあたって鉄スクラップ(鉄屑・ふるがね)の流通と処理、再利用の歴史を、司馬遷の史記の体裁(本紀、世家、表、書、列伝)にならい「通史」、「列伝・文学」、「個別史」、「鉄鋼会社」、「資料」、「業者」に集大成し、刊行した。▼通史(第一部)=御触書や各種資料などを参考に江戸時代から、明治・大正・昭和・平成の現代までのフルがね、鉄屑、鉄スクラップの歴史的な流れを追った。英米や中韓諸国の鉄鋼と鉄屑の歴史も概観した。▼列伝・文学(第二部)=鉄スクラップの全体像を捉えようとするのであれば、人と文化の全体に迫らなければならない。従って「鉄鋼・鉄スクラップ列伝」と「詩歌、小説に見る鉄スクラップ」を加えた。▼個別史(第三部)1 古文書・御触書に見る鉄・古金=戦国・江戸時代の古がね及び古金買いがどのように扱われたか。「御触書」「町触」などの資料から江戸期の古金行政の断片をつなぎ合わせた。2 戦時鉄屑統制史=日華事変以降、鉄鋼・鉄屑は消費・価格・配給全般にわたって国家統制に服した。その戦時鉄屑統制の法制、組織、業者対応を関連資料に基づいて探った。3 鉄屑カルテル及び業者対応史=カルテル(鉄屑需給委員会)資料(十年史など)を基にカルテル運営当事者と鉄屑供給業者の証言、資料を突き合わせ、その全体像を探った。4 業者団体・組織史=戦前・戦後に活動した鉄スクラップ関連主要組織を一覧した。5 在日コリアン鉄スクラップ業史=従来触れられることがなかった在日コリアン系業者と鉄スクラップ商売の歴史的歩みを追った。6 沖縄鉄スクラップ業史=沖縄の業の歩みを古波津清昇氏の著作を参考にまとめた。7 鉄スクラップと商社活動及び商社史=商社が、鉄屑輸入と国内供給にどのように係わり、影響力を及ぼしたのか。それを探った。8 日本の製鉄・製鋼史=たたらから平炉、転炉、電炉、伸鉄などの製鉄製鋼を概観した。9 鉄スクラップ加工処理機械・設備史=鉄スクラップヤード設備の導入を概観した。▼会社沿革・資料(第四部)=主要鉄鋼会社の沿革を一覧し、関連資料を掲示した。▼業者現状報告(第五部)=13年時点の現状を広告形式を採用し、まとめた。

  • 鉄スクラップ総事典 冨高幸雄 2015年 スチールストリーJAPAN。
     鉄スクラップに係わる用語・用例のすべてを網羅する「鉄スクラップ百科事典」の試みである。

  • 日本鉄スクラップ業者現代史―鉄屑カルテル、金属屑営業条例、リサイクル業の現在と将来
     冨高幸雄 2017年 スチールストリーJAPAN 13年刊行の「日本鉄スクラップ史集成」では資料蒐集の不備と分析が行き届かなかった「鉄屑カルテル」と「金属屑営業条例」を全面的に書き改め、さらに鉄リサイクル業の現状と将来への在り方を記したものである。▽「鉄屑カルテル」は、鉄屑業者の機関誌(鉄屑界)や通産省の通商政策史、公正取引委員会の年次報告、業界・一般紙の編年版を閲覧し、独禁法適用除外法案と行政指導、業者新組織と鉄鋼公販体制の関係に踏み込んだ。▽「金属屑営業条例」は関係自治体から制定当時の条例本文をすべて取り寄せ、時系列ごとに条文を整理し、古物営業法と対比し、条例本文比較を試みた。いずれも類書がない研究書である。

  • 近現代日本の鉄スクラップ業者列伝 冨高幸雄 2018年 スチールストリーJAPAN。
    歴史とはヒトである。ある時代の分岐点に立ち、方向を決定し、一時代を画期した一群のヒトがいた。本書はそれら一群の人物群を取り上げ「近現代日本の鉄スクラップ業者列伝」と名付けた。
    1 業界の地平を切り開いた 岡田菊治郎と池谷一族。2 鉄屑統制とカルテルに対峙した 伊藤信司とその一族。3 戦前・戦後を率いた業界のリーダー 德島佐太郎と小澤肇。4 鉄屑業の中軸百年の系譜 鈴木徳五郎、成島英美、鈴木孝雄。5 平和相互銀行を作った異端児 小宮山英蔵とその一族。6 在日コリアンの知られざる肖像 梁福周と姜福心夫婦。7 沖縄の鉄と自立を支えた 古波津清昇。8 大阪から関東へ、世界へ乗り出した 黒川友二。9 商権に抗してニッチな専門商社を育てた 渡邊泰博。

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