鉄スクラップ輸出小史
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歴史的な背景
関東月曜会が先鞭(88年)
改正道交法も背景(95年)
逆有償と販路陥没が船荷促進(97年)
韓国も日本玉定期入札(04年)
業者の経営・世界観は一変
中国向けの主力は鉄付き非鉄スクラップ(雑品)だった
鉄スクラップ輸出は多様化・大型化
歴史的な背景
戦前、戦後の一時期、日本は鉄スクラップの恒常的な「絶対的欠乏」に苦しんだ。戦前の金属類回収令はその対策だったし、鉄屑カルテル(1955~74年)は同時に米国鉄スクラップの「共同輸入」(輸入カルテル)を一方の柱に据えていた。カルテル終了後、行政・鉄鋼各社の最大の関心が「鉄屑備蓄機関」の設立にあったのは、 このためだ。しかし戦後の高度経済成長と鉄鋼蓄積の増加が国内鉄スクラップ供給増加をもたらした。局面が決定的に変わったのは、85年のプラザ合意による円高。「鉄屑不足」対策の象徴的な存在だった鉄屑備蓄協会は円高と国内供給増から解散・改組され、むしろ鉄屑の「余剰化」と値下がりが続くなか、「輸出」による販路多角化・拡大が求められた。
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関東月曜会が先鞭(88年) 鉄屑余剰化に危機感を持った関東大手業者の任意団体(月曜会・83年設立)が海外に販路を求めて88年5月、韓国を視察。同年6,000㌧前後の共同輸出を行った。月曜会などを母体の一つに関東地区69社が関東鉄源協議会を設立(任意団体、90年3月)された。さらに96年4月からは共同出荷方式による輸出・入札を実施し、各地の業者もこの組織作りと手法を学ぶ形で共同輸出に乗出した。
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改正道交法も背景(95年) 車種、違反内容によっては「1発免停」や違反車の運用停止、過積載を黙認したメーカー・発生工場などの第3者の責任(背後責任)も追及できるとする改正道交法が94年5月、施行された。この積載規制強化は広域・遠隔輸送量が多く、運賃割合が高い鉄鋼会社、業者に深刻な影響をもたらした。炉前価格は運賃込み(CFR)だから炉前価格の値下がりが進むにつれ、物流コスト負担が重くのしかかってきた。集・出荷エリアが関八州に及ぶ関東や長い海岸を持つ東海~静岡の陸上物流はこれを境に大きく変わった。関東では湾岸船荷が定着し、東海地区でも海上出荷が加速し始めた。
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逆有償と販路陥没が船荷促進(97年) 97年9月から始まった鉄スクラップの陥没は98年9月トーア・スチールの自主清算のショックで決定的となった。H2炉前価格は1万円を割り、6~8千円台の低価格が02年2月まで丸3年以上も続いた。この間、業者は死中に活を求めて「逆有償」(採算性回復)と「輸出」(出荷陥没是正)に走った。
逆有償3年目の01年、鉄スクラップ輸出は雪崩を打って全国の湾岸から急増した(西日本では舞鶴3月、富山4月、大阪5月、北九州、岡山6月)。輸出量は前年の290万㌧の2倍強の615万㌧に膨れあがった。この年を境に鉄スクラップ業者の「流通世界観」は一変した。鉄スクラップ輸出は01年 615万㌧を起点に02年以降は600万㌧台に定着し、国内に限定されていた流通・販路は東アジア圏に拡大した。国際需給は国内相場に直結し、その動向分析が国内業者にとっても必須作業となった。このため日本鉄リサイクル工業会は「国際ネットワーク委員会(中辻恒文委員長)」を立ち上げ(02年5月「準備」、03年6月本格運用)、中国、韓国、台湾など東アジア周辺各国業者との連携に動いた。 -
韓国も日本玉定期入札(04年) 04年以降、韓国電炉(INIスチール)が日本玉の定期入札を開始し(04年6月)、高炉のポスコも同時期、入札に乗り出してきた。さらに09年に入ると日本の大手商社や有力業者と納入枠設定を結ぶ動きがでてきた(現代製鉄は09年末頃)。新電炉を導入した東部製鉄も日本業者と長期MOUを検討と表明(09年11月)。韓国メーカーと日本業者で直接、国境を超えた物流が加速し始めた。
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業者の経営・世界観は一変 日本の鉄スクラップ輸出は01年以降、一気に600万㌧台に急増した。背景には、業者の経営観、世界観が逆有償と販路陥没の3年間の試練を経て大きく変わったことがある。①鉄スクラップの約7割近く消費してきた電炉生産が公共事業抑制から98年を境に急落し(電炉生産シェアは97年度32.3%→12年度22.8%)、電炉・鉄スクラップ消費も97年度3,258万㌧から12年度2,559万㌧へ急減したこと(国内需要の後退)、②その一方、WTO(世界貿易機関)に加盟(01年12月)し産業活動を高めた中国やIMF管理後、「選択と集中」策から立ち直った韓国が輸出の大口受け皿として動き始めたこと(中韓の需要拡大)、③相次ぐ電炉メーカー破綻とH2価の急落から、扱い業者が排出者に処理料金を請求する逆有償を経営の柱に据え始めたこと(経営体質の変革)、さらに④鉄スクラップ輸出が全国各地の湾岸・一般業者まで幅広く浸透し、輸出業務を「通常業務」の一環として受け入れ、習熟してきた(ビジネス構造の変化と国際化)こと、などがある(鉄スクラップ輸出通関:97年度221万㌧から12年度908万㌧)。
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中国向けの主力は鉄付き非鉄スクラップ(雑品)だった 廃家電製品や配電盤、モーターなど鉄製容器収納の非鉄スクラップ類(いわゆる雑品)の解体は、日本ではコストが嵩むため処理困難物とされた。ただ鉄製容器中には銅やアルミ電線など高価な非鉄類が多いため、90年代後半から人件費の安い中国向けに大量に輸出された。貿易業務に参入する業者も増加し、2000年に入ってからは現地に合弁、もしくは直接工場を開設する動きが拡大した。この「雑品」は日本では鉄スクラップ分類で輸出されるが、中国では銅スクラップで通関されるから、日中両国の通関統計差から貿易量が推計でき、04年は中国向け鉄スクラップ輸出全体の40%超に達した(06年1月17日、日刊市况通信)。▼ただ鉛や有害金属を含む場合もあるから、Eウエスト(廃家電製品公害)や有害廃棄物の国境を越える移動」を規制するバーゼル条約(92年発効)でも問題とされた。このため中国は18年3月「廃棄物原料環境保護基準」(新版)を施行し、さらに18年4月、輸入廃棄物の管理品目について18年末で雑品をはじめ、雑線・廃モーターといった銅、アルミスクラップなど16品目の輸入禁止を公告した。日本でも18年4月から廃棄物処理法を改正し、家電リサイクル法4品目と小型家電リサイクル法指定28品目、計32品目を対象に、保管・処分業者について届出や保管・処分基準の遵守を義務付けたことなどから、「雑品」ビジネスは衰退し、同貿易は激減した。
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鉄スクラップ輸出は多様化・大型化 21世紀に入って20年。日本を取り巻く鉄スクラップ需給も変化した。①鉄スクラップは国際商品だから、諸国の情勢を敏感に映す。中国は40%の輸出関税があるため、本来は鉄スクラップ輸出のハードルは高いが、雑品規制が強化された17年6月以降、06月からの6ヶ月の月間平均で32.5万㌧(年換算は390万㌧)もの輸出がアジア各国向けに出た。②その中国が18年末に雑品を輸入禁止とし、国際輸入市場から消えた(13年輸入446.5万㌧→19年18万㌧)。③日本の輸出はコンスタントに700万㌧台を維持しているが、中国に代わってベトナムやバングラディシュの伸びが著しい。13年ベトナム向け輸出は41.4万㌧だったが、19年は220.8万㌧。3年前まではゼロだったバングラディシュが19年は、国別4位で31.8万㌧に増加した。④またバングラディシュ向けは万㌧級の大型船が主力となるため、日本の関係者は、大型外洋船での積み出しや東南アジア各国への拠点進出、など多様なビジネス展開を構想している。
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