ある日 詩らしきものを



言葉を掬い取る

石清水のそれのように

降り沈んだ天の到来物を

零(こぼ)れ落ちる 両の手で

 

言葉は天地無用の「容れ物」

言の葉は 詩歌を 言葉は 論理を 盛る

悲嘆哀愁の情を 「悲しい」と歌ってはならない

論理破綻の言を 「愚か」と断じてはならない

 

世間に往来する「容れ物」は

公然と手渡された器なのだから

 

何を言っているのだろうと自問する

そう 他者に係ることは

他者の領域だから 分からない

だから 何を言っても分からない

 

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ゆくりなく、とりとめもなく、パソコンに向かうと方丈記の心境に近づく

鴨長明は賀茂神社の神職の座を激しく争って敗れて隠遁した・・・

そう。心のどかな世捨て人ではない。

争って、敗れ、方丈に座し、世を達観した。

その文が清澄なのはそのため。

その文が人の世の有為転変を映すのは、そのため。

 

心をここに留め 思いを千里の外に走らす

時が音も無く流れ 空ゆく雲が星を隠し

笹竹が暗雨に揺れる 遠い日のほのかな記憶

たぐり寄せ 思いを潜め 薄紫の玻璃に封じ込める

それが私の秘儀 ささやかな霊鎮め。

 

その昔。

全ての力を抜き、両手両足を大きく広げ、真夏の海に身を投じた。

ぽっかりと漂う僕は、どこまでも広がる天を眺め、耳元に波打つ海の声を聞いた。

力を入れてはならない。どこまでも身を委ねるのだ。そんな記憶。

 

言葉に 何を託そう

言の葉に 何を乗せよう

大野晋によれば、言葉は散文 言の葉は歌

そう 古人は使い分けていたらしい

 

季節は ゆく雲と風に乗って

遠い遙かな夢の国から 遠い遙かな夢の記憶

言葉に 何を託そう

言の葉に 何を乗せよう

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(あるとき ヒトに与えて)

山に登るときは 山を見ない
足元の石ころを見る
転ばないように
足を痛めないように
一歩ずつ 一歩ずつ
休まず 腐らず登る

 

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歩き始めたら、「遅々として進む」。焦らない。

何事であれ、自分の責任で考える。

他人の判断に(世間の言い分に)流されない。

だから、僕は「躓くなら、自分の足で躓く」と言う。

他人の判断で躓くのは恥だとも言う。

あるいは間違っているかもしれない。

しかし、それでも信じることを、信じるままに言う。

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(ムンク その絵に)

叫ぶ声があれば いい
よじる身体が あればいい
声高に 人目をはばからず
泣くがいい
悲しみを 絶望を
満天下にさらして
・・・・・
いっぺんの矜持が 
ひとひらの誇りが
風に舞う
そう見ていた ムンクの絵を
声なき叫びの 絶望の深さを

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生まれてきた定めの

その定めの絶対に 言葉さえない

ラ・ロシュフーコーの箴言に

付け加えることなど なにもない

 

今を生きる

誠実に生き切る

なべて世の習いのままに

 

ヒトを愛そう

しがらみが ヒトのたたずまいなら

しがらみにからみとられて

生きよう

 

無の果ての無の宇宙など 

何も・・・存在・・・しない

その故に

 

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2月 風もなく見事に晴れ上がった朝(そう。これを快晴無風という) 

凍てついた庭に一列 ノースポール

一株80円が15株 生徒のように並んでいる

僕は如雨露をもって おごそかに注ぐ

大いなる機序が 花開くを待つために

 

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おや、そんなところにいたのかい、とは誰の詞であったのか。

午後のおそい白い月。十二夜か十三夜かしら。

 

東の真さ青の空にかかっていた(今日は、なんと春のような陽気だ)。

僕は新型インフルで休校になった小学三年と一年の孫を連れ散歩。

 

流行は世間に従うが、マスクの是非は自分で決める。

 

官僚が矜持と清廉なる言葉を投げ棄て、時の権力に媚びへつらい、

世襲政治家が法治の原則、制度を平然と踏みにじり、

テレビ、マスコミがその実態を覆い隠して、矮小化する

この国に、未来を託する希望などない。

 

さて、そうであるとして空を見る

おや、そんなところにいたのかい、僕のティンカーベル。

 

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一番星を待ちあぐねた
はるかな日々のなつかしさ
空はあかね 風は秋
雲のはたての 小さな灯り 
鴨の親子の 羽交いのたより
さて
世はこともなき 星月夜

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白い花が咲いていました。

早咲きの桜も咲いていますが、それは辛夷(こぶし)

木蓮も咲いていました。

楢やクヌギの枯木立のなか、その存在を教えてくれる辛夷が好き。

ユキヤナギが白く細く枝垂れながら咲き急いでいるのも好き。

あまりに端正で華麗なボケの花は、名前が名前だけにあまり好きではありません。

とはいえ、桜には心が騒ぎます。やはり、隠せません。

だからとにかく必ず、見に行きます。通り抜けします。

そのたびに「桜の樹の下には」とのある作家の言葉が、いつも響きます。

その不気味さが・・・すさまじい

そう言わなければ精神のバランスがとれないほどに心ひきつける花です。

 

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新緑の葉裏の向こう 空の青さがうれしいと思う。

宇宙の不思議 命の系統樹もうれしいと思う。

世は新型コロナウイルス対策に懸命だが、

われら二重らせんのDNA生命とらせんをもたないRNA生命の相克。

共に地球生命体同士の、その共存関係のあれこれの試行錯誤。

そう見れば、人類の地球史的な必然のありようだろう。

悲観も楽観もせず、その現実を受け入れる。

 

だから僕は非日常のなかで、日常を守る。

彼らの流儀ではなく、自分の流儀を貫く。

生きるということは、極めて社会的な強制的な実際だけれど

生きるということは、一回性の優れて個人的な現実だから

僕は 僕の生き方で生きる

 

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状況は刻々と変化している。

第一次大戦突入当時の欧州世界と同じ。

7月に始まったが、クリスマスまでには凱旋する。

それに乗り遅れないように、徴兵に応じ勇んで参戦した

その楽観が900万人以上の戦闘員の命を奪った。

 

このコロナもその致死率の低さが、初期に楽観論を生んだ。

(それは恥ずかしながら、僕も同様だった)

しかし、誰も免疫を持ってないがゆえに、爆発的に拡大した。

地球70億人の致死率1%は7,000万人に及ぶ。

 

感染も接触だけでなはくエアロゾル。風下4メートル感染という。

何時誰から感染してもおかしくない。

だから僕も覚悟を決めている。

僕もそのリスクのなかにいる。

ならば、いつ死んでもいいように仕事だけは仕上げよう。

だから急いでいます。遅々として急いでいます。

 

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戦争最中の生活とは。

何か。

非日常の日常。

昨日なかったことの今日の慣れ。

そのように戦中日記にある。

だから、その記録。

無意味がやがて意味を持つその日のために。

 

今日、正確には昨日。

午後3時過ぎ。庭の竹越しに空を見た。

10数年前、プランターに植え、毎年のように枯れ残った

笹竹だとばかり思っていたのが、5年前 

庭にやってきてぐんぐん伸びて

いまは3階建ての我が家を超す

群れ竹。竹は僕の念願だった。

その葉群れの下から午後3時の空を見た。

ヒトは疫病蔓延ゆえに ここに閉じこもり 無為をかこつ

その思いも知らず、青竹はしなやかにさわやいで 時を移す

まことに自然 それが自然 言葉がない

 

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ヒトの世界観、信念、価値観は、

過去の先人たちの歩みから掬い取るしかない。

また現在の生活、市井のなかから汲み取るしかない。

それを歴史と呼べば、歴史から読み解くほかはない。

またそれを社会と呼べば、生活実感から始めるしかない。

 

銀のさじを咥えて生まれ、

親の地盤を引き継ぎ、稼業に励む世襲政治家。

歴史から学ばず、市民生活からかけ離れた彼ら。

その彼らに・・・しかし近代民主主義は制度上の役割を与えた

その代表民主主義の規範に則り、彼らが官僚を動かす。

不都合な真実は隠蔽し、異論は強権をもって封殺し、

行政権限を恣意に操作し、信用信頼を内外に毀損する。

 

官邸官僚たちはもはや国民に「仕える」公僕ではなく、

絶対君主が「使える」私僕。中世封建制の家産官僚に近い。

私僕であることを潔しとしない官僚は、

上を見るに巧みな阿諛者によって排斥され、

忠実な取り巻きらだけが、滓のように残る。

古来、絶対権力の最終形態の姿。無能者の天国。

 

検察は権力の走狗に甘んじ、

公共放送は、権力の広報機関となった

それがわが日本の現在。

それが目の前にある危機の現状。

 

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閉じ込められた囚人が 窓辺による一羽の鳥を手なずけた。

差し入れられたわずかな配膳をそれぞれに分かち 与えた

ヒトは独房の中でも友を求める いや独房故に 求める

昔見たアメリカ映画の話です。

顎の割れたカークダグラス・・・だったかしら?

さて日本では、この役を誰が演じる?

 

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親しい高校時代の
ひそかに畏友としていた男が死んだ
その通夜の知らせを
50
数年ぶりに やはり親しかった女友に伝えた
明らかに・・・戸惑っていた
足腰が弱っている、との言い訳から始まった。
ヒトはそのようにして別離する。
死別と生別と
葬儀は家族・親類だけがひっそりと執り行った。
そして友人は僕ひとり。


友の旅立ちが寂しいというのではない。
「在日」の彼には、そして帰化したか、どうかは聞けなかったけれど、 そのような旅立ちしか、彼には許されてはいなかったのかもしれないとの感慨が胸を塞いだ。
秋と呼ぶには、暑さなお盛りの926
僕は真青に輝く高い空の その白い雲の行方を眺めていた

 

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行きたくなくても、行かなければならない。

やりたくなくても、やらなければならない。

それが世間です。

 

とはいえ、僕は、思えば、世間を知らなかった。

いや、知ろうとはしなかった。

公務員試験でも、本気で就職を目指すなら不適切な

持論を面接の場で展開し、憚ることがなかった。

業界紙記者となっても、正論だと信じることを書いて

業界団体理事の抗議に反論し、屈することがなかった。

世間という壁の厚さと恐ろしさ、金の力は承知していたが、

「大事なことは自分で決める」と宣言して押し通した。

***

リタイアし、世にいうサラリーマンの「生前葬」を通過して

いま、改めて「世間」と対峙し、僕自身を見ている。

「正しいと思う少数意見に生きるべきか」、との問いに対する加藤周一の答え。

「少数者に生きる覚悟がないのであれば、多数者の側に生きなさい」。
「羊の歌」の一節です。

そう。長いものに巻かれる。

それが世間に生きるすべならば、

それに抗う体力がないのであれば、

そのような生き方は恥ではないと、加藤周一は言った。

***

僕は覚悟はないままに、

結果的に少数者の側に生きた。

そのことに悔いはない。

 

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人生は些事から成り立っている。

また美は細部に宿るとも言う。

さらにしつこく、聖書から引き出して言えば、

日の下に新しきものなし・・・となるだろうか。

言わんとすることは皆同じ。

今を生きる、今を生き切る、ということだろう。

だから、日本のある婦人は

そこで咲きなさい・・・との本を書いた。

そこにどのような解釈も可能だろう。

人生は一回だ。悔いのないように

自身の信念で生き抜くしかない。

だから 朝は元気で・・・

これに続く言葉は忘れましたが、

とにかく生きる達人、赤毛のアンの言葉です。

 

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僕は時として、ヒトが受け止められないような高いボールを投げる。相手をのけぞらせるビーンボールではない。僕が投げうるモノとして、ど真ん中に投げる。それが、受け止められない球だったとしても、投げる。ことに、その昔。僕はその球を、見も知らぬ、魂に投げた。
そのキャッチボールに 僕は 自身の魂の生きてある意味を知った。

そう。このようにヒトがたじろぐような表現を平気で使う。

しかし、言葉が重いのではない。その感性が重い。その重さを、承知の上で、にもかかわらず、僕はその表現を改めない。僕は多分、荷厄介な存在。なんでも物事の理屈から入ってくる人間。最悪の人間です。一緒に酒を飲んでも、ちっとも楽しくない。そんな男の一人です。(だから居酒屋、カラオケが苦手です。おわかりでしょう)

僕は居場所をわきまえています。バーのカウンターのはずれの末席。会話は聞こえるけれど、仲間に加わるには遠すぎる。照明も暗くって顔さえ見えない。おや君も居たのかい。

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矜持(きょうじ)という言葉があります。

「矜」は「矛」(ほこ)と「今」を合わせた会意文字。
武人が矛をもっていることから、訓よみでは「矜(ほこ)る」と読むそうです。
その誇りを持する。だから矜持。
誇りは外に向かう意識でしょうが、矜持は内に秘める決意、そう僕は勝手に解釈しています。
それを僕なりに、別の言葉で置き換えれば「歩く姿が美しい男でありたい」でしょうし、 文学の言葉を借りれば、「君子は冠を正しゅうして・・・」との子路の覚悟になるのでしょう。
昔なじみの高橋和己は「一回性の人生」と言っていました。
「奥歯を噛みしめて生きなければならない」ことがあるとも、 そしてまたアイロニカルな現実として「ヒトはどんなに悲しい時でもメシを食わなければならない」とも。
僕は、それらの言葉に支えられ、生きてきたようです。
だからこそ一回性の人生を、自身が後悔しない人生を生き切ろうと考えています。

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(一日の終わりに)日記を書く習慣を僕は、ある時から捨てた。

なにをどう書いても自己装飾が紛れ込む

その違和感に耐えられなかった。

だから、職業としての記事は、事実に即した。

主観と客観。価値判断と事実認定にこだわった。

データ分析は、極力再点検し、出所を明らかにした。

ただ法学生だった僕は、最も厳密で「客観的」であるべき法文論理が、

(超法規的な「条理」のもと)、どのような解釈も許すとの、ある種のテクニックを学んだ。

そう。客観的事実はデータの取捨選択、論理配列一つで、主観的にいかようにも編集できる。

だから職業として「客観的」な記事を書いた僕は、日常に戻れば、非論理に跳躍する

詩に泥(なず)み、歌に拘泥し、作文に韜晦する。

それがヒトに忌避される。

ただ恥じるべきは、僕は詩人ではない。

単に言葉を書きなぐった。それしかできない。

その断崖絶壁に立ちすくんだ。

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以下は私の二十歳の若書きのメモである。

 

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ヒトは意識をとことん突き詰めていった果てに、自身の「重み」を見る。

「重み」とは、「肉体」の思弁化・抽象化であり、疑いようのない「存在」それ自体である。

石に重みがないのであれば・・・と私は詩に書いた。

それは宇宙の腹わたをえぐると。

石に重みがあるのであれば、地虫の押しつぶされた形がういていると。

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ヒトは自身の存在証明を不可知の「神」に求め、「理性=社会・政治」に彷徨し、絡みつくように「不条理=肉体」にすがった。そして回り回ってたどり着いたのが自身の「重み(非論理的存在)」である。しかしヒトは果たして自身の重みとどうおりあいをつけるのであろうか。

 

恐らく・・・と私は考える。自身の「重み(存在)」は、自身にとっても了解困難なものとしてある。モルガンの小説の題名に「地球の重み」なるものがあったが、不安定に揺れ動く主人公は、只一点の確証をもって自身を支える。それが「他者の重み」であった。

世界が状況としてあり、他者がその状況に抗いがたく残置されてあるとすれば、私はその他者に替わって、悪しき状況を是認することはできないと。

誰がヴェトナムにおける米国の暴力を、死せるヴェトナム人に替わって是認できようか。

私は、苦手なのだけれど、・・・モラルの問題なのだ。状況を前にしての。

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アナーキーに還元された自身を再度、地上に固く結合しうるもの、それは「他者の重み」を媒介とした状況への参加。同時に新たなモラルの創生ではなかったろうか。
論理の必然ではなく、むしろ論理を超えた「世界の重み」に引きずられて。
ヒトは個々の「宇宙」として、他者宇宙との了解が困難だとしても、しかしその総体としての「世界(与えられた状況)の重み」は了解しうるだろう。


とはいえ原始宇宙存在にとって「自身」とは何か。存ること、ただひたすらに在り続けること。「在り続ける」非論理的な不快が、自己消化(核融合)として各種の原子を創り出し、存在崩壊(超新星爆発)を引き起こし、その果てに電位差集合体である意識を生み出した。
私は星々の不快からの脱出の産物であり、「不快」の意味を解くべき存在である。

意識が存在を後ろめたく感じるのは、存在に凝視されているからだろうさ、と埴谷は言ったが、意識が存在を後ろめたく感じるのは、おおいなる存在がその死を賭して(自己崩壊)創り出した我われ(意識体)が、この宇宙に生きる意味。その「存在理由(それこそが星々からの付託)」に答える用意ができていない、その怠慢、負い目にほかならないだろう、と私は思う。

 

・・・しかし宇宙との対話とその解は論理的ではありえない。 

超論理として「詩」的であるだろう。

では、私はどのような詩を歌ったか。

 

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私は待っている 宇宙の大終末を

エントロピーの極限増大において 無限の平衡状態において

質量をも 時間をも 絶対温度をも 

すべてを呑み込み 全き死を遂げた宇宙を

 

今一度 何事も再開してはならない

幾兆億光年の彼方まで 果ての果てまで 

物みな溶暗されよ

・・・その宇宙の大溶暗において

 

瞬時に創生された

宇宙の死とは

不思議な手品のごとく

 

光なく 時なく

重みなき 

溶暗消滅でなければならない

 

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すべてエネルギーは 

その質量に光速度自乗分を加えたものに等しい

放たれるべきエネルギーが 質量に凝固している

 

地球をも砕く無限の力を秘めて

ひとくれの泥土と化している

「存在」のくやしさが 聞き取れるだろう

 

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みつめること ただみつめること

そこになにものもないとしたら

「祈り」によって

つくりあげなければならない

 

石のごとくに 

うごめきのなかに

棄てられたものとして

「時」からも隔離される

 

すべては仮象に

すぎないとは言わず

一点の実在を求めて

 

観念であったから

永続しできた ひたすらな欲望だった

 

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どこか遠くで 灰色にくすみ

すべての生気が失われてしまった

系統発生樹を見つめていた記憶がある

 

形成層はすでになく

黄変した葉片は化石している

その樹を美しいと見ていた

 

なべて華やかなものは 偽りで

化石のみが真実である そう信じ込んでいた

地上に新しき物なし・・・と

 

それらすべては石として堆積したものなしには

在り続けることはできない・・・と

しかし、おお この眼の疲れをなんとしよう

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投げて

遠く

投げて 

鳥になるなら

 

青い空と

白い雲と

碧の石片を

いつ 宇宙に置いたのか

 

投げられた石に重みがないならば

形さえもありはしない 

時のそとに立つこともない

 

自然落下が自然ならば 

投げた人のにおいがしみついている 

押しつぶされた地虫の形がういている

 

黒い水面に落ちようと 顔面を狙い撃ちしようと 

手垢にまみれた石だ

投げられたものとして 落下に収束する約束だ

 

投げられた石に重みがないならば 人の意識をつらぬき 

世界線を斜めに横切り 宇宙のはらわたをえぐる

白い鋭利な一筋の刃物だ

 

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にせあかしあの木の下で

投げられた石が宙を舞い

きしみ音たてる回転軸が落下した

血はさらさらと 肺胞をめぐっていった

・・・自覚は遠い海のように 満ちては溢れる回想

 

見詰められた自然のなかに

砂の塔が

ひっそりと積み重なっている

発条のとんだ時計のうえに甲殻虫が腹ばっている

・・・黄色い大気に 時は無為に耐えていた

 

くずおれる一瞬の光芒にも

はるかな宇宙の約束事があり

調和がひそやかに貼り付いてある

押し込められた石英にも

叫ぶ声がある

 

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「青春」とは 人生における選択可能状態を示す言葉である

その可能性の多岐において 

人は未来への自由を知り 

多岐亡羊の悲哀を知る

青春とは 選択の その決断の猶予において 

その全可能性を架空に展開することにおいて 意味を持つ

すべては 未来にかかわるのだから

 

しかし 私は 選択に 何の必然も感じない

それは社会の側の「物の配列」の強要でしかない

私は非選択の生をいきるであろう

故に私は青春に意味付けを与えることはしない

・・・いや ちがう

私は多岐・亡羊に立ち竦み、もはや一歩も進み得ない

その自身に呆然とし、古人と悲哀を共にしたのだ

 

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人は生きる。私にはその「生」の理由をみつけることができない。

ただ 生きるということが、肯定できない。自殺すればいいのだろう。

しかし生きている、「物」として・・・いやな奴。そう舌打ちしながら。

一種、名状しがたいスリリングな気分。

 

本棚にカラー写真が一枚、磁石で止められている。アポロ8号が月面から遙か38億キロメートルの彼方に浮かぶ地球を撮ったもの。白く渦巻く雲と青く輝く海面。暗く広がる陸表。下弦の地球が昏い宇宙にぽつんと漂っている。これが私の一方の焦点である。

 

他方の焦点は、南ヴェトナム民族解放戦線の都市攻撃に参加し不運にも捕らえられた青年と、その青年を路上でまさに処刑しようとする南政府高官の報道写真だ。引き金の作動を待つ一瞬の凍結した時間、引きつった頬の震え。それは見る私のこめかみを打った。

私は、この青年のように後ろ手にかたく縛られたまま、絶叫するはずの言葉を、ひきつった頬の裡に押し込んだまま、その一瞬を身構えてしまうのだろうかと・・・。

私は、この2つの焦点を持つ楕円思考体である。

「存在」と「政治」・・・しかし、さらに見詰めていくと、その焦点はぼやけてくる。

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私は なんであっても

私の本質は たしかである

 

私のもっているもの

私が感知しているもの

それらが電位差のように

流れ 消えゆくものだとしても

その落差においてのみ 私だとしたら

 

石であり得なかったものとして

それをたしかに受けとめる

 

私の在り方は

影像の固定 音響の固定 精神の固定においても

決して定めおくことのできないものとして

移ろうものでなければならない

 

私の本質は

私が石でなかった証として

消滅もしくは崩壊でなければならない

 

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噛む 私は砂を噛む

噛む 私は砂を噛む

噛む 私は砂を噛む

噛む 私は砂を噛む

   私は砂を噛む 奥歯で固く

   私は砂を噛む 奥歯で固く

   ・・・固く 固く 固く 固く 固く

   砂 砂 砂 砂 砂 砂 砂 砂 砂

歯いっぱいに 砂

口いっぱいに 砂

腹いっぱいに 砂

体いっぱいに 砂

私は砂を噛む 

かくして砂の塔になろう