平成とは鉄スクラップ業界にとって、どんな時代だったのか

平成とは鉄スクラップ業界にとって、どんな時代だったのか

この30年間

粗鋼生産は1億㌧台でほぼ変わらないが、転炉生産は約670万㌧(89年7487.4万㌧→2018年7823.0万㌧)増加し、電炉生産は700万㌧(3303.4万㌧→2609.8万㌧)分が減少した。またスクラップ消費は転炉で730万㌧(479.1万㌧→1033.3万㌧)増加したが、電炉では逆に20.7%減の685万㌧(3303.6万㌧→2618.1万㌧)が失われた。その間、輸出は約680万㌧(58.7万㌧→740.5万㌧)に増加した。

*この30年間、電炉生産シェアは30.6%から25%まで落ち込み、国内の鉄スクラップ消費もその分、そっくり失われたが、その落ち込み分を海外輸出で埋めた。その需給変化のなかで、最初の10年間は「余り物に値無し」とされ、生き残りを賭け、国内では「逆有償」、海外に向けては「販路開拓」(輸出)、業界内部では「協議会」との結束が生まれた。

*炉前価格について言えば、89年のバブル以降、2003年のBRICSや鉄鋼市場へ中国の登場までの前半15年間は1万2千円±5千円で推移した。これが業界を鍛えた。

鉄スクラップ関係ではーーむしろ業界体質を鍛えた

*92年リオサミットでの「地球温暖化防止」宣言だ。持続可能な経済・温暖化防止のため、鉄スクラップをはじめとする「都市鉱山」が再評価された。国内では2001年以降、各種のリサイクル法が施行され、各種設備とノウハウを持った鉄スクラップ業者が、家電や自動車メーカーのビジネスパートナーとして新たなビジネスに参画した(社会環境の変化)。

*「地球温暖化防止」条約は、鉄鋼各社にCO2削減を求めた。高炉各社は03年度以降、鉄スクラップの外部購入量を従来の2倍以上に高めた(スクラップ評価の変化)。

*海外での資源暴食から日本でも炉前価格(H2ベース)は98~2001年の9000円台が、04年には85年以来20年ぶりに2万円台を回復。08年7月には史上最高の7万円台に乗った。

業界は「存在理由」を見つけた(12年~19年)

この間、日本の鉄鋼業界は03年、川鉄とNKKが合併しJFEスチールが誕生し、これをバネに新日鉄と住金、新日鉄と神鋼との提携による「2大グループ」時代を経て、新日鉄と住金は「世界で闘う」合併へ踏み出す「2強時代」に突入した。

*電炉でもJFE系電炉4社が新JFE条鋼に結集(12年4月)し、日本製鉄系、JFE系を軸とする高炉2系列による「需要に見合った生産体制」が確立した。

*戦後の電炉業界は「豊作貧乏」との闘いでもあった。国は過剰設備の抑制や廃棄のため各種の法律を制定(78年5月~88年6月)したが、その後も死屍累々の惨状が続いた。これに終止符を打ったのが、12年の高炉2系列による事実上の電炉再編だった。

*この時から国内電炉各社は過当競争の悪弊を脱して「需要に見合った生産(原料調達)」とこれによる製品と原料売買差(スプレッド)の確保、経営安定化が可能となった。

*これは同時に、鉄スクラップ業者の「存在理由」を大きく変えることになった。かって鉄スクラップの「絶対的不足」時代の業者機能の中核は、鉄スクラップの安定供給に力点があった。しかし「需要に見合った生産(原料調達)」が実現した12年10月以降、局面は変わった。つまり「需要に見合った生産」が可能となったことから、需要家(電炉)側が、①数量・②価格の事実上の決定権を握り、分散する多くの流通(ヤード)業者は、ユーザー指示のもと、③納期・④品質の遵守に従う、との一方的な力関係に変化した。 

*鉄鋼と業者の力関係の変化、流通機能の変化の中から13年以降、業者の「合従連衡」と戦略的提携が次々と生まれた。一つは、ナショナル(地域)連合として、あらゆるリサイクル要望に対応する体制構築(スズトクモデル)。今ひとつは、国内需要の長期的縮小と高炉2系列化の現実を見据え、納期・品質のブランド力と同時に、海外輸出力を確保するとの選択である(FKSモデル)。さらに自動車リサイクルなど特定分野を軸に技術提携を探るなど「量も質も」へと多様化した(エンビプロモデル)。

雑品こそは、平成時代の落とし子だった

平成はバブルの時代として始まり、その旺盛な産業活動が最先端の回収現場では、鉄と電線、プラスチックの複合廃棄物、いわゆる雑品を大量に生み出した。

「分ければ資源」だが、「分けなければゴミ」。解体に手間のかかる雑品の解体は、日本ではコストが嵩むため処理困難物とされた。90年代後半から人件費の安い中国向け輸出が増加し00年代後半から現地に直接工場を開設する動きが拡大。ピークの2004年は中国向け鉄スクラップ輸出全体の40%超に達した(06年1月17日、日刊市况通信)。

中国向け大量輸出の結果、国内では「雑品」は輸出ビジネスの一分野であった。これが家電リサイクル法施行に伴う老廃家電等の再処理料金と絡んで新たな社会問題を引き起こした。つまり07年以降、資源バブルによる鉄スクラップの高値が続くなか、軽トラックなどによる家電などの「路上回収」が広がった。路上回収物件の相当部分が雑品だったから、日本では「雑品」問題は、同時に「路上回収」規制問題でもあった。

 これが法規制の強化を促した(改正廃棄物処理法 「有害使用済機器」として雑品を規制

施行は18年4月1日)。さらに18年末からの中国の雑品禁止と廃プラ輸入禁止は、日本国内の雑品・下級鉄スクラップビジネスに「国内処理」を迫ることとなった。

雑品は高度に発達した産業活動では、当然に発生する鉄と非鉄、化学樹脂の複合廃棄物なのだ。避けようがない。海外輸出に逃げてもいずれ限界が来る。産業活動で発生したものなら、産業活動のなかで処理できる。できないのではない。輸出の逃げ道があり、それなりに売れたから、いままではその道を行っただけだ。

その道がふさがれたのなら、新たな道を―――経済的になりたつ道を探せばいい。