2020年10月6日 人物事典アップのお知らせ

 

はじめに

 

当hpは20142月から個人的な情報媒体として発足いたしました。以来6年。IT周辺のハード、ソフトの経年・陳腐化から、hpの新規更新が不可能となりました。そこでhp内容を「後世の検証に耐える資料の保存とその全面公開」を目指して作り替えることとしました。

さていかが作るべきか。私は、「日本鉄スクラップ史集成(2013年)」、「鉄スクラップ総事典(15年)」、「日本鉄スクラップ業者現代史―鉄屑カルテル、金属くず営業条例、リサイクル業の現在と将来(17年)」、「近現代日本の鉄スクラップ業者列伝(18年)」などおよそ鉄スクラップに係わる歴史、事象、人物を(個人的な興味も合わせ)書き綴ってまいりました。

 

先人たちの労苦を知り、鉄スクラップ業に関する認識を深める。それらすべての残存資料を「私設図書館」として公開する。無料で、だれでも自由に閲覧し、コピーし、使ってもらう。

そのために関係者や図書館を訪ね、再点検し、不備や誤記のないように努めました。

作業開始から約1年。その半ばが完成したことから、今年(20年)8月末をもって従来のhpを閉鎖し、91日から装いを新たに「資料・史書」hpとして再スタートいたしました。

 そしてこのたび「鉄鋼・鉄スクラップ企業・人物事典」の補完作業を終え、106日から全面的に装いを改め、鉄鋼・鉄スクラップに関する百科事典的な資料を皆様に、ご提供できる運びとなりました。ご自由にお使いいただければ幸いです。

 

ご利用にあたってのご説明

 

「鉄鋼・鉄スクラップ企業・人物事典」は、明治から平成までの主な鉄鋼、鉄スクラップ企業に係わる人物(約150名)を編者独断のもとに取り上げ、紹介するものです。

 

たたらでは江戸の下原重仲、高炉では幕末の大島高任から戦後の高石義雄まで。

鋳物では久保田など。平電炉では電炉開発の土橋長兵衛から東京の西博まで。

鉄スクラップ関係では業界機関紙「鉄屑界」記載の物故者を含め明治・大正・昭和前期の岡田菊治郎や鈴木徳五郎など有力業者、戦前・戦後の金属統制や鉄屑カルテルを生き抜いた伊藤信司、徳島佐太郎など鉄屑連盟の関係者やその他。さらに最近では北海道のマッテクから沖縄の拓南商事までの有力業者、またリサイクル法全面施行を背景に異業種から参入したナンセイや錦麒(きんき)産業など平成時代の新顔までを、包み込みました。

 関連業種としては、自動車部品・解体業や処理機械メーカー関係者にも触れました。

 

企業事典として、主要「商社、高炉、電炉会社の現況」を、各社のhpを参考に掲示しました。

ただ統合・合併会社の場合、これらのhp上では、過去を語ることは比較的少ないようです。そこで本書は、できる範囲でそれら会社の合併以前の「前身・経歴」を独自に記載しました。

また同様に1965年以降の電炉関係の「倒産・整理」会社も一覧しました。

 

当データの限界とそのお断り

 

業者の個人情報、企業ファイルは、出所・出典を明らかにし、文献的な記述に努めました。ただ誤記、誤整理がないとも限りません。また掲載スペース、調査能力の限界から、関係人物すべての登載はできません。その結果、当hpの記載は編者独自の判断で行いました。言葉を正しく言えば、記載選択は編者の独断と偏見に基づくもの、となりました。

 

当「鉄スクラップ業・人物事典」の選考、記述はそのような根本的な限界と制約のもとに公開されたものであることを、予めご理解の上、閲覧してください。

 

親しい友人への風変わりな挨拶として

 

ただ「鉄鋼・鉄スクラップ企業・人物事典」の作成編集は、企業の歴史、個人情報という微妙
な問題に関します。また、どのような人物を歴史のなかから取り上げ、その経歴や評伝を書く
かは、ずばり人物評価にかかわるだけに、まことに難しく、調査・記述にはさらに慎重を期した。たしかなことは分からない。その場合は、それらに関する論述はすべて没としました。

まことに日暮れて道遠しでしたが、とにかく、編者の「独断」により、鉄スクラップ企業人を
みなさまの前に(1か月遅れとはなりましたが)、このような形で紹介することができました。

 

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2020年106日は、当hpの新たな旅立ち、新たな誕生の日となりました。

あゆみの一歩の重さは、百歩への試み。千里の道への挑戦です。
いざ、行かんの心意気。猪突の勇。大風呂敷を広げるのが私のクセ。

しかし、その大言壮語が、自身をしばり、律した。そうして石を一つ、またひとつと積みあげ
て来た。それが振り返れば、小高い丘にもなっていた。ならば、その丘に築こう。

いつか、誰かが、鉄スクラップ業の全体を見晴るかすため、登る日が来る。それをただ、信じる。そう史記の世界。もって名山に書を奉じ、後世を待つ。その一途です。

                             

       冨高 幸雄