私は戦後生まれのものですから、歴史を持ち出されたら困ります

 

「私は戦後生まれのものですから、歴史を持ちだされたら困ります」。

沖縄が戦後歩んだ戦中戦後の苦難の経過をこう突き放した菅義偉氏が首相に就いた。

5年前の2015年、辺野古移設を巡る翁長雄志前知事との非公開の協議のなかで発せられた言葉だ(201027日、毎日新聞夕刊、一面記事より)。

 

ショックだった。戦後生まれで、自身が関与していないことを理由に、一国の政治リーダーが、自身が生まれる前に行われた国家による行為――歴史的事実に基づく対話を拒んだ。

辺野古移設を巡る県知事との協議の場で、非公開とは言え、苦難の経緯、歴史的事実を、自身の誕生以前のこととして困惑を示すのは、政治家としては不誠実極まりない。協議は、一個人・菅を相手としたものではない。官房長官・菅に、国家の対策を求めたものだ。

 

 私は、その瞬間、ナチスの戦争責任を語ったドイツ大統領の演説を思い出していた。

「今日の大部分は当時子どもだったか、まだ生まれてもいなかった。自分が手を下してはいない行為に自らの罪を告白することはできない。しかし先人が残した遺産は、罪の有無、老幼いずれを問わず、全員が過去を引き受けねばならない。全員が過去に対する責任を負わされている。過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」。ドイツ敗戦40年にあたり時のドイツのワイツゼッカー大統領が行った余りに有名な演説の一節だ。

 

日本学術会議が推薦した105人のうち6人の任命が、菅首相によって拒否された。

菅首相による任命拒否の理由は明らかではないが、見直しの必要を強調するなかで「10億円の税金を使っている」との指摘に、私は、彼の大衆操作のしたたかさを感じる。

「思想信条の自由が脅かされる」との学術会議側に真っ向から反論するのではなく、ゼニカネの問題に落とし込む。庶民にとって10億円は大金である。その金を渡しているから口を出すのは当然だとの論法だ。そう。理屈より、国民にはまずゼニカネを言う。

 

菅は6人の任命拒否の「正当な」理由を示すことなく、その排除を既成事実とした。

権力者が、なんらまっとうな理由を示すことなく、国家権力を行使する。

私たちはまだ生まれていなかったが、これはまさしく、戦前の治安維持法と特別高等警察(特高)の世界。今、私たちはその世界の前に立たされている。

その背を押すのが、歴史を持ち出されたら困るという菅首相であるのは当然だ。
なぜなら先に引用した「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」に続くのが「非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすい」のだから。

 

では私は何をなすべきか。

私は今年122日「安部政権へ異議申し立て―-暗い夜だが、権利の上に眠ってはならないとのコラムを、「この一文は日常をとりまく世界の分析である。沈黙は、投票多数当選制度にアグラをかく権力者への無言の支持にほかならないからだ。であれば、ネット時代の現在、明確な意見表明こそは、投票制度下の市民の義務である」との前書きと共に「安部政権へ異議申し立て」を掲載した(本コラムの20122日文をご覧ください)。

 

その結語として

「フランス革命を起源の一つに持つ近代憲法は、国家による市民弾圧の抵抗から生まれた。従って憲法の本質は、国家権力からの市民・国民の自由と権利擁護。権力・独裁を制約することにある。市民権とは、与えられた権利ではない。国家から勝ち取った権利なのだ。
『権利の上に眠るものは、保護に値せず』との格言がある。暗い夜を、権利の上に、眠ってはならない。それは市民として、我々が果たすべき歴史的な責務なのだ。たしかに醜悪で暗い夜だが、しかし沈黙し、権利の上に眠ってはならない」と記した。

 

 実は、その権利行使のため、私は今年9月旧来のhpを全面更新し、コラム(意見表明)欄を充実させた新hpを立ち上げた。

 その時、決めた信条は以下の通り。

 

1 集団組織である右にも左にも組みしない(昔からそうでした)。

2 一人の自律した人間として判断し、発言する。

3 すべて実名で発言する。匿名では発信しない。

4 また他人の言葉では語らない(従って、リ・ツイートはしない)。

5 先人たちの歩みを受け継ぐ、よき後継者・市民として発言し、行動する。

                 以上