我々は民主主義の制度的な欠陥に直面している。
権力は腐敗し、人は誤りある動物だから、
権力を分散し、投票多数で選出する。
一定の資格さえあれば、無条件で立候補でき、
投票結果にすべてが従う掟だから
どのような異常者が当選しても制度的には排除できない。
それがドイツではヒットラーを総統に押し立て、
アメリカでトランプを大統領に仕立てた。
ロシアの最高機密レベルのハッカー集団の行動が、
米国大統領選挙を支配したのではない。
コップから水が溢れるのは、誰かが揺さぶったからではないのと同じ。
揺さぶれば、溢れるほどの「情念」が国内に沈殿していた。
それこそがトランプを大統領に押し上げたのだ。
他者を排除し、自らの居場所を固守する。
不寛容、想像力の遮断、レッテル貼り、終わった話ではない。
かつてのナチス時代の狂気が、今世界を再び包み込もうとしている。
漠然とした不安ではない。明白な危機として迫っている。
権力者がその強権の自制と他者への想像力の一切を唾棄し、
弱者の尊厳を足蹴にするとき、我々は、果たして如何にすべきか、だ。
弱者の寛容と忍耐など、オオカミを前にした臆病なキツネの保身よりも、
なお無意味だとは言うまい。
法をもって法を制する。
ルールを徹底的に利用し、主張し、毅然として立ち、屈しない。
暴力を使えば暴力に屈する。驕慢を罵倒すれば、自らの誇りを失う。
なぜそう言うのか。
狭く苦しい道だが、しかし、それにしか未来に通じる回路がないからだ。
歴史なのだ。長い時間軸で見れば、強者が強者であった時間も、
弱者が弱者であった時間もいずれも短い。
明日を信じる。屈しなければ、負けはないのだから。