遅まきながらのコロナ闘病記

突然の「休刊」のお詫びとその顛末報告として

***************************


3月20日(月曜日)23時ごろ、喉に異様な違和感を覚えた。

 

3月21日(祝日)。微熱と倦怠感で食欲なく、終日布団にこもって安静(日本とメキシコのWBC戦は音声だけ)。軽い昼食をとったが、夕食は高熱と極度の倦怠感からパス。水分補給に徹した。念のため手持ちの抗原検査で調べたところ陽性とでた。

*その時点では抗原検査は行っていなかったが、熱発(389分)から動けないと判 

断して18時。「22日以降のhpサービス休止」をアップした。

 

3月22日(水曜日)。倦怠感はますます募って、寝返りも苦しい(日本と米国のWBC戦はやはり音声だけ)。その間、家人が病院に検査キッドを持参し、医師の判定を仰ぎ、(僕にも医師から電話の聞き取りがあり)対症療法範囲の薬が出た。

 

僕はワクチンは3回接種した。19時頃帰ってきた息子が大阪市保健所と宿泊療養のため24時間対応の「自宅待機SOS」と交渉。翌朝の連絡を待つことになった。

 

3月23日(木曜日)。朝、前日まで38度後半の熱が37度台に下がった。が、依然として食欲はない。10時頃、保健所から確認の電話があった。血中酸素濃度(9193)や胸の苦しさを聞き合わせ「入院で手配します。どの病院になるかは後程連絡します」となった。

 

入院後、CTスキャン室で胸部を透視検査した。ついで病室への案内。すべて事前に用意された隔離ルートでの移動だ。曲がり角には他者が入り込まないように衝立か看護師が立て番をしている。動線から一歩も外に出さない厳戒措置だ。看護師(女性)が手順どおり検温、血圧測定、採血(血液検査)を進め、心電図モニター用の端子を張り付けた。

若い医師が診察方針の説明に来た。これから投薬を開始するが、原則5日間の連続服用の必要がある。で、錠剤か、点滴を希望するかと聞かれた。迷わず「錠剤」と答えた。

********************************

********************************

 

3月27日(月曜日)。コロナ対応の投薬の5日間は終わった(療養期間は7日間。療養解除は8日目。従って退院後も「自宅隔離」は継続)。では明日の退院手続きで進めます。

 

3月28日(火曜日)。 退院1日目。コロナ治療は終わったが、自宅隔離と余病は続いた。

 

4月1日(土曜日)。ようやく床を脱した。日常生活に戻らなければならない。