私は今年(22年)7月30日に「ある日 詩らしきものとコラム」とのタイトル本を出版した。
内容は本hp掲載の「ある日 詩らしきもの」 STEEL STORY JAPANと折にふれコミットした市民としての責務を紙媒体に「コラム」として移し替えたものである。
もとより私は詩人ではない。
だから「詩らしきもの」であり、コラムは個人の感想の域をでない。
従って出版は100部に留めた。ただ世はネット時代である。
であれば、そのネット空間に一石を投じるのも、また私である。
以下は「ある日 詩らしきものとコラム」の原稿から転記したものである。
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はじめに
私は鉄スクラップの業界紙記者として40数年在籍し、最後の10数年は編集長として通覧した。役員定年が2013年12月末日。67歳と8カ月。
以来8年が過ぎた。
私は職業としての文章・記述は、厳密に事実に即した。
主観と客観。価値判断と事実認定の峻別にこだわった。
データ分析は、極力再点検し、出所を明らかにした。
しかし法学徒だった私は、最も厳密で「客観的」であるべき法文論理が(超法規的な「条理」の名のもと)、どのような解釈をも許すとのテクニックを学んだ。
客観的事実はデータの取捨選択、論理配列一つで、主観的にいかようにも編集できる。
職業として「客観的」な記事を書いた私は、(それ故か)日常に戻れば、非論理に跳躍した。時に詩に泥(なず)み、歌に拘泥(こうでい)し、作文に韜晦(とうかい)した。
以下はその断片の記録である。
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「詩らしきもの」として
言葉をすくいとる 2020年~2021年
またある時の「つぶやき」として 2015年~2019年
二十歳代の若書きの断片 1970年~
その終わりに 2022年
*上記は本㏋ある日 詩らしきものを | STEEL STORY JAPANにアップ済み。
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「コラム」として
対外的発信(hp)の記録
2016年
3月9日 NHK報道と料金不払い、国民の抵抗権として(後出1)
2017年
2月9日 (NHK御中・後出2)
5月29日 日本鉄リサイクル工業会様御中(後出3)
7月10日 トランプ状況にもの申す(*hp掲載)
トランプ状況にもの申す 市民として | STEEL STORY JAPAN
2018年
10月12日 「関東鉄源、10月輸出入札は安値応札を嫌って流札」考える(*hp掲載)
「関東鉄源、10月輸出入札は安値応札を嫌って流札」| STEEL STORY JAPAN
2020年
1月22日 安部政権へ異議申し立て (*hp掲載)
暗い夜だが、権利の上に眠ってはならない | STEEL STORY JAPAN
10月26日 今、市民として、何を守り、何を言うべきか(*hp掲載)
今、市民として、何を守り、何を言うべきか | STEEL STORY JAPAN
11月7日 「私は戦後生まれですから、歴史を持ちだされたら困ります」(*hp掲載)
私は戦後生まれですから、歴史を持ち出されたら困ります | STEEL STORY JAPAN
2021年
1月8日 一政権の問題ではない、我われ自身の次世代に手渡す国家選択の問題だ
(*hp掲載)一政権の問題ではない、我われの問題なのだ | STEEL STORY JAPAN
2月1日 厄災のなかで思うこと(コロナ禍と商売)
厄災のなかで思うこと(マーケットとビジネス) | STEEL STORY JAPAN
6月12日 上を向いて歩こうー永六輔のひそみに倣(なら)って*hp掲載
7月23日 東京でオリンピックの開会式がおこなわれた(*hp掲載)
東京でオリンピックの開会式がおこなわれた | STEEL STORY JAPAN
8月21日 詩の力を改めて実感した(*hp掲載)
詩の力を改めて実感した | STEEL STORY JAPAN
10月6日 「日本鉄スクラップ 鉄鋼と業者140年史」の後記として(後出4)
2022年
4月24日 BS-TBS放映に備えて 金属屑条例・歴史的経緯と論点整理(*hp掲載)
BS-TBS放映に備えて 金属屑条例・歴史的経緯と論点整理 | STEEL STORY JAPAN
7月15日 安倍元首相の「国葬」には違和感がある(*hp掲載)
安倍元首相の「国葬」には違和感がある | STEEL STORY JAPAN
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(後出1)
2016年 3月9日 NHK報道と料金不払い、国民の抵抗権として
1 事実関係
1 2014年1月25日、籾井会長は「政府が右というものを左とは言えない」と記者会見で発言した。「御用報道」は国民の知る権利を危うくする。
その発言を知った直後の1月26日、私は直ちにNHKに抗議の電話を入れ、籾井会長の引責辞任を求め、それが実現されるまでは、抗議の形として料金不払いを通告し、直ちに銀行引き落としを停止した。
2 その後、NHKの集金人が自宅に料金徴収に来たが、これは抗議運動であると説明し、支払いを拒否した。
そのような自宅訪問徴収と請求書類送付が途切れることなく続いた。
3 本年(16年)3月6日、料金徴収員が来た。抗議の意思表示だと説明すると「それと料金支払いは別だ」と言う。拒否すればしかるべき措置を執ると言う。
2 抵抗権としての不払い
1 いま、籾井会長とNHKの報道姿勢に多くの疑義と懸念が表明されている。
NHKの籾井会長の就任記者会見発言に対し全国のNHKの退職者有志が辞任勧告
http://news.livedoor.com/article/detail/9170145/
3,970筆の賛同者名簿&コメント、NHKに提出
http://obseimei.sakura.ne.jp/yobikake_tuusin.html
2 憲法で保障する国民の知る権利は、各種の報道の自由に依拠する。そのため放送法は、第1条で「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保する。放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資する」と定める。上記の多くの疑念と異議申し立ては、NHKが放送法を逸脱していることの傍証である。
また民法的には放送法に従った報道こそが、放送者の責務であり、誠実な遂行の報酬として、視聴者は料金負担を負う、一種の双務契約である。
3 NHKは料金の不払い者に対し法的措置を執ることも可能と言う。が、それは自らの責務(放送法の誠実な実行)を果たした場合の話である。
信義誠実の法理に照らし、自らの責務を放棄した者(NHK)に、その資格はなく、法はその不実に手を貸してはならない。
4 問題は不払いではない(籾井発言以前、私は料金責任を果たした)。圧倒的強者の不法に対して、制度的弱者にどのような異議申し立てが残されているか。
これは優れて国民の権利義務に係わる憲法問題(国民の抵抗権)である。
5 憲法は国民の知る権利を保障する。その権利を支える放送が責務を放棄した時、国民の知る権利を確保するため、放送(NHK)にその是正を求め、抗議運動を起こすのは、市民が果たすべき憲法上の責務である。
その形として武力・威嚇によらず、私は経済的な対抗措置を採った。これはインドのガンジー以来の「弱者の闘い」に則ったもの。退くわけにはいかない。
(後出2)
2017年 2月9日 (NHK御中)
前略
私は一市民として、公共放送を預かるNHKの報道のありように極めて深刻な疑念と危機感を抱き、先に抗議文とその抗議の実効性を高める手段として、「不買」(料金支払いの停止)の通告をした(16年3月9日)。
その間にNHK関係者からは一片の事情説明もなく、不当な瑕疵商品(「政府が右というものを左とは言えない」)の対価の請求書類だけを送り続けてきた。その対応はビジネスとしては失格、公共事業従事者としては傲岸不遜である。
ビジネスとしては失格というのは、お客様の「文句」こそ宝物。クレイマーの意見こそ、商品開発の好機、次のニーズ発掘の提案だとの商売の常識に反するからであり、公共事業従事者としては傲岸不遜だというのは、法令文書を盾にとって、「最後は訴えるぞ」との脅すのは、一般市民に対する恫喝そのものと考えるからである(ケンカはいつでもできる。大事なのは理解を求める「努力」なのだ)。売った。だから金を払え、ではない。
売った商品に瑕疵がある。だから請求権は発生しない。
裁判はゲームだ。ゲームにはゲーム特有の論理がある。
そのゲームにNHKが客を引っ張りこもうとする。これを傲岸不遜という。
ただ今回、NHKが籾井氏の再任を認めず、「公共放送としてどうしても譲れないのは、自主自立の立場から公平・公正、不偏不党の立場を貫く」との就任会見を行った新会長を、自らの決断で選任したことには敬意を表する。従って別紙の通り、私には17年1月25日から料金支払いを開始する用意がある。
別紙
初めに=NHK常勤経営委員だった上田良一氏が17年1月25日、NHKの新会長に就いた。上田氏は就任記者会見で「公共放送としてどうしても譲れないのは、自主自立の立場から公平・公正、不偏不党の立場を貫くこと」と語った(1月25日・日経)。私は自らの良心に従い、また国民としての抵抗権によって、その間の料金不払いを宣言し、実行した。以来3年経った。
NHK内部での籾井氏の評価は知らない。しかし今回、籾井氏の会長職の再任を認めなかったことには、敬意を表する。
そのため、私は17年1月25日から料金支払いを開始する用意がある。
ただ籾井氏が会長に在職し、私がNHKに料金の支払い停止を通知した14年1月26日以降、17年1月25日までの支払いは、下記の理由により拒否する。
理由
1 14年1月26日~17年1月25日までの責務(自主自立の立場から公平・公正、不偏不党の立場を貫く報道)の放棄は、報道義務の不履行であり、請求権は発生しない。これを断固拒否するのは「自主自立の立場から公平・公正、不偏不党の」報道を求める国民の権利であり、その報道の放棄への抵抗の証である。
2 また遡及的に支払うことは、重大な義務違反が、何らの経済的損失を被ることなく遂行できるとの、悪しき前例をNHKの経営幹部に残すこととなる。
参照
NHK報道と料金不払い、国民の抵抗権として
http://www.steelstory.jp/ja/info.html?kind=2&no=119
NHK報道と料金不払い、国民の抵抗権として(2)
http://www.steelstory.jp/ja/info.html?kind=2&no=145
(後出3)
2017年 5月29日 日本鉄リサイクル工業会様御中
(有)スチール・ストーリーJAPAN
代表者 冨高 幸雄
日本「鉄リサイクル業界」存続の百年の計、のための提言
私は業界紙記者として40数年間、業界に伴走した責任から「日本鉄スクラップ史集成」(13年秋)を出版し、その補遺版として今回「鉄屑カルテル、金属屑条例、リサイクル業の現在と将来-日本鉄スクラップ業者現代史」を執筆し、貴日本鉄リサイクル工業会様に、出版の協力(広告依頼)をお願いたしました
(*22年7月追記 ・しかし、この時「前例がない」として却下された)。
私は先の趣意書にも書いたとおり「国家には国家の歴史書があり、会社には社史があるように、成熟した業界は自らの業界史を持ってしかるべしとの思いから、貴会の資料を取り寄せ、独自に『日本鉄リサイクル工業会創設30年の歩み』(日刊市况通信、05年6月号特集)を作成し、09年には『日本市中鉄源・現代70年編年史』を刊行し、その集大成として『日本鉄スクラップ史集成』(13年)をまとめ、その補遺として今回の「現代史」を作成しました。
実は私には、貴会もいずれ「五十年史」なり「百年史」を作る。その時の作成資料の一助にでもなれば、とも密かな思いもありました。十数年前、鉄スクラップ業史作成の手掛かりとして、貴会に関係資料の協力を求めましたが、「事務所移転に伴い処分したため、ない」とのご返事でした(従って「工業会30年の歩み」は私が独自に編纂したものです)。
その後の「日本スクラップ史集成」や「現代史」の執筆も、貴会ではなく、東京都資源回収事業協同組合(東資協)の二十年史、五十年史や東京金属防犯協会五十年史、さらに産業振興の社史などを参考にするしかなかったのです(たしかに「工業会十年史」はありますが、それはいわば各「委員会活動日誌の十年版」にすぎません)。そこで今回の提言です。
提言
日本鉄リサイクル工業会は、他の業界に伍して未来を生き渡るためにも、自らの歴史書を(一次資料を捜索し、関係者証言を保存し)自らの手で作るべきです。
歴史書とは何か。今の自分のため、すぐに役立つ、便利な、本ではないのです。30年後、50年後、100年後の「未来の関係者」が自身を確認する本なのです。
工業会設立からでも40数年、関係者はその数を減じています。資料も散逸しています。それら資料や関係者の証言を「積極的に」収集し、保存し未来の検証に備えるべきです。また現在を共有する者にとっては「当然知っていること」(書く必要もないこと)も、関係者の退場とともに消えてしまいます。
現在を未来に遺すのは容易な事ではないのです。まず時系列を精査して、過去の関係会社と関係者リストを作成し、その資料(図書館・マスコミ保存版・会社社史等)と証言を収集し、紙媒体として保存する(テープは劣化する)。それをファイルで整理し、30年後、50年後の研究者、関係者の資料に供する。
貴会は100年後の後輩たちのために「基礎資料」を今から準備する。それが業界を他の業界に伍して未来に生きわたる最善の方策と信じるものです
(*22年7月追記 この提言に一切の応答はなかった。「完全無視」だった)。
(後出4)
2021年10月6日 「日本鉄スクラップ 鉄鋼と業者140年史」の後記として
私は2018年に「近現代日本の鉄スクラップ業者列伝」を発刊し、「後記」に発刊に至る流れを記し、敢えて在日コリアンを取り上げる動機を付け加えた。
「在日コリアンが多い大阪の高校に通ったから、それと知らず友人になり、その出自を打ち明けられた。大学は違ったが理工系の国立大学を卒業した彼には、それに相応しい就職先が見当たらなかった。なら僕の会社に来るか。彼は半年ほど鉄スクラップ担当記者として在籍したが、ある日、辞めた。理由は聞かなかったが、想像はついた。以来、私の目標は固まった。
鉄くず(当時はそう呼んでいた)に関する歴史を書く。また在日コリアンと鉄屑業の関係を明らかにする。そのため関係資料をはば広く集め、整理、分析する。その目標に従って、古本屋に通い戦前の出版物、パンフレットの類いを捜索した」
「以来40有余年。それが形となったのが日本鉄スクラップ史集成であり、日本鉄スクラップ業者現代史であり、近現代日本の鉄スクラップ業者列伝だった。
それら3書が、在日コリアンや沖縄の鉄スクラップの歴史にこだわるのは、執筆の動機に由来する。それが高校、大学時代を通じて無二の友へ私ができる唯一の仕事だからである」。
その友人(金城信広)は、不幸ガンに倒れて、今は亡い。その畏友への鎮魂の書としても、私自身の人生の集大成としても、本書の執筆に没頭した。
ここ数年。日本と韓国の市民感情はかってないほど悪化した。
在日コリアンに対するヘイトスピーチ、罵詈雑言も聞かれる。
憎悪の感情を露に攻撃する者も珍しくない。在日コリアンや渡来系業者の活動をタブー視し、ことさらにあげつらい、忌避する動きも少なくはない。それに触れること自体が「差別だ」との善意の声も聞こえる(皮肉です)。しかし私は鉄スクラップとそれに係わった人間の歴史を、事実(ファクト)として記録する。
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20数年前。ある文化講演会の質疑で「中道とは、どんな立ち位置か」との質問が出た。演者(加藤周一)は黒板に一本の線を引き、線端に「右」「左」と書き、中央に「中道」と記した。「これです。世間が右に動けば、中道がその立ち位置を変えなければ、左とみなされます」「中道は、その内容が変わらなくても、世間、世情が動けば右寄りとも左寄りとも見られます。ですから、中道であろうとすれば、世情に流されない、ヒトの信念に係わります」。
その言葉に従って、私も業界に随伴した記者の責務として、本書を発刊する。
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知るべなき 道を踏み分け 束ひとつ かたみの友に 告げて了(おわん)ぬ
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・・・その終わりに
井上靖の初期詩集「北国」に「ある旅立ち」なる散文詩がある。
「花束が投げこまれたように 夕闇のたてこめた車内は急にあかるくなった。
紀伊の南端の小さな漁村の驛から、三人の姉弟が乗り込んで来た。
(中略)
二十年後、この花のような姉弟たちはどんな日を迎えるだろうか。
突如、私は不吉な豫感に怯えた。(中略)。今宵、この一束の花たちにとって、もはや不幸に向かう以外、いかなる旅立ちも考えられなかったからだ。」
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そして同じ井上靖の初期短編に「僧 行賀の涙」がある。第十回遣唐使の留学僧として唐に在ること31年。帰国後の「宗義聴聞」の検問に、しかし何一つ答えることなく「涙は行賀の眼に溢れ、滂沱として頬を流れ落ちた」
人の世に生きる定めに、若い私は、ある種の覚悟を決めていたようだ。いま20歳の若書きを再録し、リタイアした後のあれこれの散文を取りまとめた。
たしかに本書のトーンは重く暗い。
しかし、さもあればあれ。
見るべきほどのことは見つ・・・として本書を出す。
2022年7月30日
冨高 幸雄