何気なくネットをみていたら「報道番組『舌禍で打ち切り』を招いたカンテレ新実彰平アナに『ツイート全削除』の強制措置 (asagei.com)」とのタイトルが飛び込んできた。
その顛末を整理すると以下の通りのようである。
1 関西テレビの「新実アナは、22年7月12日の番組の中で、安倍氏の葬儀に参列した自民党の松川るい参院議員へのインタビューを報じ、「生きて歴史の審判を受けてほしかった」と発言。SNS上で、批判の声がふくらんでいた」。何様と大炎上! (genfunlife.com)
2 関西テレビ(大阪市北区)の羽牟正一社長が22年7月28日、オンラインで会見し、「今回の発言、安倍元総理が突然亡くなられたということを悼みつつ、長期政権の検証は必要である。そういう意図のもとでの発言だと思っています」「社員、スタッフは大切な存在。健康、安全を守るためにきちっと対応していきたい」。「新実君には引き続き頑張ってほしいと思っています」と語った。カンテレ社長、新実彰平アナの発言に理解 (nikkansports.com)
3 その1年後の23年7月。新実彰平アナウンサーが「ツイート全消去しました」と報告した。続けて「『Twitterにも丁寧な言論を』『メディア従事者自らも説明や議論を』との思いに変わりはありません」とした。一方で「ただ文字数の制約と私自身の拙さで、むしろ逆の結果を招いたり、私という人格が実態と乖離して伝わったりするばかりでした…」と記し、最後は「反省と共に出直します」と締めくくった。なにやら抽象的な物言いだが、これはいったい何を意味するのか。在阪メディア関係者が事情を明かす。
「担当するニュース番組『組報道ランナー』内での発言で炎上した。局サイドは最終的に、今春には番組もろとも終了する判断を下し、新実アナは報道担当からスポーツ担当へと変更になった。とはいえ、ツイートに関してはまだまだ政治的な発言が多く、局内で『消させた方がいいのでは』との意見が出ていた。そこで全消去となったようです」(引用。 (asagei.com)」)
4 以下は私(冨高)の、上記報道を受けての意見である。
実は私も、安部元首相の銃撃事件を受けて、その直後の7月15日「安倍元首相の『国葬』には違和感がある」( STEEL STORY JAPAN)との意見をhp上で発信した。
「国葬は政治の世界の葬儀である。また政治は結果責任の世界である。では元首相は、どのような結果を残したのか。国際社会の評価や突然の死を悼む、その弔意の誠には心が揺さぶられる。しかし彼が政治生命を賭けたアベノミクスは道半ばとされ、森友問題、桜を見る会などの疑惑には、何らの明確な説明がないままに(彼の死と共に)置き去られようとしている。私もまた死者の冥福を深く祈る。その彼のためにも歴史的な検証に耐えるような、正当な評価とその悼みを今一度、冷静に考え直すべきであろう」を結語とした。
5 新実彰平アナウンサーの「生きて歴史の審判を受けてほしかった」は私の7月15日の発言を一言に要約したに等しい。それがなぜ、「キャスターという立場で『上から目線にて自分の価値観を公共の電波を使って押し付けている』」 (genfunlife.com)と炎上するのか。
6 SNSの匿名者による「炎上」の当否や「誹謗・中傷」の病理は、敢えて言わない。
しかし問題は、昨年(22年7月)、新実彰平アナウンサーの発言に理解を示していた(上記2)とされる関西TVが(世間の関心が薄れるのを待っていたかのように)、報道担当から外してスポーツ担当へ移し、ツイートの全消去(上記3)を彼に迫ったか、だ。
7 「政府が右というものを左とは言えない」と公然と言い放ったのはNHK会長(2014年1月25日)だが、政府・権力の横暴と腐敗を監視、報道すべきマスコミが、政府・官僚の意向を「忖度」して、自らの職責を放棄し、あまつさえ匿名者による「炎上」を口実に、報道担当アナウンサーのポストを奪い、ツイート全文(発信記録)を焚書した・・・。
これは一体何か。何が、いま放送業界に起こっているのか。
8 戦後民主主義の骨格の一つである放送法は「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保する」(放送法、第一条)と規定する。
その放送法の理念が、いまなし崩しに損なわれようとしている。
9 問題は、NHK会長の発言にみられるあからさまな公権力への追従だけではなく、匿名者多数による「炎上」と、それを口実とするマスコミ幹部の「忖度」が、放送の自由を棄損していることだ。さらに大きく構えれば、自民と公明の連立政権・与党が絶対多数を占め、野党は分裂・抗争して対抗軸としての存在を失った、日本の現在である。
権力は腐敗する。絶対権力は絶対的に腐敗する、との格言がある。それが今である。
10 しかし政治は、政治家だけの独占物ではない。一般市民も、TVキャスターも「自分の価値観を(政権与党に忖度することなく)公共の電波を使って」自由に発言していいのだ。いやむしろ、積極的に表明すべきだ。匿名のSNSに隠れる非難・中傷に屈してはならない。
発言の自由さが、独裁国家と違う民主主義国家の市民生活を支える。その背骨なのだ。
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ことは新実彰平アナウンサー、一個人の問題ではない。小さな発言の圧殺が、大きな言論の自由を奪う。それは忘れてはならない歴史の教訓なのだ。だから私も異議を申し立てる。
以上