一政権の問題ではない、我われ自身の次世代に手渡す国家選択の問題なのだ

 

1945年8月に長い戦争は終わった。

ヒトは30歳前後で複数の子をもうけ、世代交代するとすれば、

1945年生まれが戦後の第一世代。

戦争のもつ悲惨さ、むごたらしさを絵空事でしかしらない。

1975年生まれが第二世代。

成長する産業の活力と国家を建設する喜びをしらない。

2005年生まれが第三世代。

ヒトの生きる「理念・信条」、その愚直さの力をしらない。

 

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日本では安倍晋三の7年、菅義偉の1年。計8年に及ぶ政権運営のなかで、

それまでは、ともかくも、かろうじて守られてきた制度的な約束事が破られ、

地に投げ捨てられた。日本は再び戦前の警察・治安維持国家に戻りつつある。

 

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警察・治安維持国家の恐ろしさと戦争の惨禍を最も知っていたのは、

その30年前。1915年生まれの者たちだった。

彼らは1930年(昭和5)の日中戦争から45年の終戦までの15年間、

第一線に立つ国民として徴兵され、戦場に駆り出され、辛くも生き残った者たちだ。

その彼らの記憶と自制心が、戦後の第一世代と第二世代の生命と暮らしを守った。

 

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ではなぜ、日本は戦争に突入したのか。

多様な国民の意見を、国家が強権をもって排除したからである。

時の政権への反対意見の封殺。それが治安維持法を根拠とする憲兵・警察国家だった。

その実態を見たければ、中国の香港支配法である「国家安全法」を見ればいい。

 

歴史は繰り返す。

地ならしは、純粋な憲法解釈である「天皇機関説」への攻撃(1935年)から始まった。

国家が美濃部を見せしめとして、貴族院から追放した。

いま、我われが目にしている「日本学術会議」の委員排除問題は、

国家権力による見せしめとして、令和版公的発言の場からの追放である。

 

美濃部の公職追放に喝采した国民的熱狂が、大政翼賛を呼び、日米開戦の道を開いた。

歴史家が菅首相の「学術会議」の委員排除を、なぜ重大問題とし、危険だと叫ぶのか。

歴史は繰り返すからだ。しかし、いまなら引き返せる。

 

いま問われているのは第二世代であり、第三世代の責任である。

一政権の問題ではない、我われ自身の、次世代に手渡す国家選択の問題なのだ。