一節の詩が、ヒトの心を動かし、癒し、励まし、時代をつなぐ。
そのような詩(歌)の力を改めて実感した。
作詞家・詩人の阿久悠が88年夏の甲子園大会。
8回裏の降雨コールドで敗退した岩手代表・県立高田高のチームに「きみたちは/甲子園に一イニングの貸しがある。そして/青空と太陽の貸しもある…」とその無念と健闘をたたえた詩だ。
詩はヒトの心を打ち、時代をつなぐ。
32年後。夏の甲子園大会が中止となった2020年のコロナの夏。
毎日新聞の「余禄」は阿久悠の「甲子園の詩」を引用し、全国の高校球児がわかち合うことになった『甲子園への貸し』」があると、その思いを、改めて引き取った。
さらにその1年後の2021年夏。温暖化の現象からか、夏の大会は雨天順延、降雨ノーゲームやコールドが相次ぎ、8月17日東海大菅生(西東京)が、4―7と大阪桐蔭を3点差で追う八回表、チャンスを作りながら無情の降雨コールドで敗れた。
新聞は社会面の横見出しで「きみたちは/甲子園に一イニングの貸しがある…」(毎日新聞2021 年8月21日・夕刊)と大きく伝え、その詩の全文を掲載した。
こうして33年前の詩と記憶がよみがえり、ヒトは癒され、励まされる。
だから私は詩の力を信じる。時代を超えるヒトの心の奥深さを信じる。
****
余禄:「きみたちは/甲子園に一イニングの貸しがある…」毎日新聞 2020/6/11
「きみたちは/甲子園に一イニングの貸しがある/そして/青空と太陽の貸しもある」。作詞家・詩人の阿久悠(あくゆう)さんがスポーツニッポン連載の「甲子園の詩」にこう記したのは、1988年8月11日のことだった▲「きみたち」とは岩手代表・県立高田高チームである。前の日の兵庫代表・滝川第二高との試合は、八回裏の滝川二の攻撃中に大雨でコールドゲームとなる。3対9。高田は九回の攻撃を残して56年ぶりの降雨コールド負けとなった▲嘆くべき「不運」ではない、胸を張っての「貸し」だよ、という阿久さんのエールであろう。この詩は同校で石碑に刻まれ、3・11の津波にも残った。そして今年、全国の高校球児がわかち合うことになった「甲子園への貸し」である▲1イニングどころか、甲子園にかけた夢のすべてをコロナ禍に奪われた今季の球児たちである。その「甲子園への貸し」を、わずかなりとも返せればいい。▲春のセンバツ出場校による交流試合が8月の甲子園で行われることになった。すべての球児の胸に刻まれる2020年夏の甲子園を見たい。
毎日新聞(21年8/21・夕刊)「きみたちは/甲子園に一イニングの貸しがある…」
雨に翻弄される今年の夏の甲子園。順延は過去最多の7度に達し、17日には東海大菅生(西東京)が、4―7と大阪桐蔭を3点差で追う八回表、チャンスを作りながら無情の降雨コールドで敗れた。33年前、同じ経験をしながら「きみたちは甲子園に一イニングの貸しがある」と励ます詩に救われたチームがある。岩手県立高田高校。当時のメンバーは今、「その悔しさを次の目標への力に変えて」と東海大菅生ナインにエールを送る(略)。
*1988年夏、初出場の高田は1回戦で滝川二(兵庫)と対戦。3―9で負けていた八回裏に雨脚が強まり、試合終了が告げられた。翌日、作詞家の阿久悠がスポーツニッポン連載の「甲子園の詩」のなかの「コールドゲーム」との標題でこう歌った。
夢にまで見た甲子園は
ユニホームを重くする雨と
足にからみつく泥と
白く煙るスコアボードと
そして
あと一回を残した無念と
挫(くじ)けなかった心の自負と
でも やっぱり
甲子園はそこにあったという思いと
多くのものをしみこませて終った
高田高の諸君
きみたちは
甲子園に一イニングの貸しがある
そして
青空と太陽の貸しもある
*****
1988年8月11日のことだった。8回裏。ファウルを打った相手打者のバットがすっぽ抜けて一塁線に飛んだ。審判は試合の中断を告げる。雨脚は強くなる一方だった。11分後。グラウンドに主審が出てきて、右手を高々と上げた。9対3。56年ぶりの降雨コールドだった。試合終了のサイレンは鳴らず、滝川第二高校の校歌斉唱もなかった。
*2011年3月11日。岩手県陸前高田市に立つ県立高田高校の校舎3階までをのみこんだ大津波に、石碑は耐えた。以来、高田高校は甲子園の土を踏んでいない。