54 民主主義自壊の予兆に(11月18日)
4つの刑事裁判を抱える被告人が大統領になり 自らに恩赦を与える
性的な人身売買に関わった疑惑などで捜査対象となった男が司法長官になる
軍における人種や性別の多様性を批判してきたテレビ司会者が国防長官になる
新型コロナウイルスのワクチン反対を声高に叫んだ阿諛者が厚生長官になる
気候変動危機を否定する石油や天然ガスの化石燃料採掘者がエネルギー長官になる。
ツイッターを買収しフェイク投稿を我がものとした男が「政府効率化省」を創設する
9人で構成する連邦最高裁は終身制の判事。現状は保守6人、リベラル3人。
判事が引退した場合、大統領が判事を指名し共和党が多数を占める上院が承認する。
大統領職のトランプが、司法、立法の4権力で、事実上の独裁権を握った。
そうして「独裁者に誓いを立てたりしない」と断言した軍制服組トップらを排除する
鉄のラストベルトや車のデトロイト。その住民らが大富豪、経営者連合をトップに据えた
「違法移民は排除すべきだ」そう発言したのは、すでに定職を得た先住不法移民の男女たち
公正な選挙で選出された政権は、国民の審判を受けた正統な政治体制となる。
1933年1月30日ヒットラーもそのようにして首相に選出された。
53 白シーツで就寝するであろうよ(11月17日)
午後4時のマクドの白いテーブル
秋11月は半ばというのに 胸高のTシャツにショートパンツの娘たち
スマホ片手に 互いに笑い興じる 人なきがごとくに
耳つんざく嬌声の只中にあって
彼女らの傍若無人に隣して
わたしは独り言葉をまさぐった
詩とは果たして何んだったのだろうか
朔太郎 中也 啄木・・・悲哀 悔恨 絶望
それらが喉を突く故に 詩文となって凝固した
詩人とはなんと悲しい人たちなのか
わたしはガクゼンと覚った
耳つんざく嬌声を 傍若無人のその今を その絶頂に
生きる命の傲慢さを 燃えあがる太陽のまぶしさを
その前には ヒトは言葉すら失うのだと
52 その翌日に(11月7日)
摩天楼の華麗豪華なステンドグラスが砕けて落ちた
街区のランドマークが敬虔な教徒らによって破壊された
窓枠だけが 寒風のなかに取り残された
昼はすべてのものを焼き尽くし 夜はすべてを覆い隠す闇だけだった時代
魑魅魍魎が跋扈し 流言飛語が人々を惑乱させた時代
力がすべての源泉だった時代
今は昔の物語
珪素基盤の電子配線が無限多様なデータを発信する今
瞬時にしてどのような情報操作も可能な今
賛同多数を「民意の代表者」として選出する今
パンとサーカスの興行主が 繰り出した
空中ブランコが 揺れている ゆぁ~ん ゆょ~ん
私はしかし なお言う 先人の不屈に同(どう)じて
絶望の虚妄なること希望の虚妄なることと同じい と
51 米大統領選挙の日の前に(11月4日)
ふと見上げた茜の空に カミソリが光っていた
背後に満々たる円影を宿して
たしかに天の一角を切り裂いていた
時は西暦2024年11月4日午後5時13分
陽はすでに没して 西のはたて
六甲の山並みが 額縁の中におぼろに浮かび上がっていた
私は歩みをとどめて 入日のシルエットに身を置いた
衝撃だったのだ
私は月に親しんだ 眉のような三日月はことに愛した
しかし鋼の糸のようにも照り装う二日月は初めてだった
夕闇が背後から迫っていた
私はなおも 西天低く吊らされた細い刃を見た
茫漠の正体を見極めようと 欄干に身を乗り出した
暗い闇が夜を領するその前に
50 自問自答の日に(10月11日)
死と太陽は長くは見詰められない、とは誰の言葉であったか
さてそうであるとして 死が生の現実ならば
凝視する目は焼き尽くされ すべては闇に消える
しかし なぜヒトはヒトなのだろうか
ヒトが希求する不老不死とは果たして何か
生成AIの「意識」(情報処理)とは果たして何かと 自問する
ヒトは湿った「生け花」 乾いたシリコンの集合物ではない
千年の生はパラドックス 一万年の生は もはや生成AIの領域
ヒトは画然たる死によって規律され 生かされている
生きてある意味は 石でなかった証として
生々しく めめしくも おおしくも 生き切ること
一瞬は永遠 永遠は一瞬なのだ
ならば その一瞬の輝きに 永遠を封じよう
それが死の意味 ヒトの生きてある意味なのだ と
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花一輪 原初の宙(そら)に 投げ挿しに
49 ある日の崩壊感覚(10月3日)
白い崖が崩れていた 山峡の人知れぬ崖が
私はそこに立っていた もろく危険な一点に
足元を見てはならない ただ息を殺して立ち尽くした
風が吹いていた 山巓はるかな彼方から
私は安らいだのだろうか その風に
流れる汗を額にうけ ただ息を殺して立ち尽くした
私は知っていたのだ 世にあるものは崩壊すると
握りしめた手すらも やがて離れる
握りもしない手は 空をつかんで虚しいと
私は言葉を信じていた 心あらばと
形なきゆえに 滅びることのない言の葉を
刻印した 白い紙に黒々と
伝えてよ この思いをと
白々とした崖の崩れを 知らぬ態して
48 汀女の句に誘われて 虎杖を得た(9月28日)
外(と)にもでよ 触るゝばかりに春の月
その端的明朗な呼びかけに はっとばかりに心打たれた
秋と呼ぶにはまだ残暑盛んな9月21日
森の自然塾の一員として 外(と)に出た
目指すは大和と河内を分かつ葛城山
山上まではケーブルカー 眼下には耳成 畝傍 天の香久山
離れが雲ひとつ またふたつ 山巓をゆるく流れた
葛城山頂は明治・大正までは山いっぱいの風なびく萱草原
萱屋根が廃れて笹原となり 花が咲いて笹原が枯れ消えて
下草がくれのツツジ ススキらが 一斉に息を吹き返したという
登る路傍に白い花をたわわに付けた一本草が垂れ下がっていた
聞けば「スカンポ」 こんなにも大きくなるものかと驚いた
帰る道でその枯れ茎を杖とした 軽くて硬くて丈夫 手になじむ
なにしろ「虎杖」 それを外に出た土産(いえづと)とした
47 業界の機関決定?に抗って(9月8日)
私はどこから来て どこに行くのか
私の生存の その全的な解に
解のない問いに しかし それでもこだわった
数物理 ビッグバン ダークマター ダークエネルギー
原始生命 系統発生樹 ホモサピエンス 生物多様性
生誕神話 合神性 合理性 条理 不条理 ニヒリズム
アンチゴーネ 義務の衝突 国法と抵抗権 生きる意味
知ることは許すことだ
ある歴史学者の言葉だ
以来 私は歴史認識にこだわった
それが行動規範のひとつになった
ある業界の専門記者となった
であれば 業会の今を論じ 史書として後世に遺す
太史公司馬遷の多数に阿らない 後を追う
46 私は言葉を貶めない(9月1日)
世にフェイクニュースなるものがある
オルタナティブ・ファクトなる「事実」がある
ツイッターなる SNSなる発信手段がある
言葉が吟味されることなく 乱発され
事実と突合されることなく 拡散され
粗製流言として 信用信頼を天に失い 地に踏みにじられる
しかし とはいえ 私は言葉の力を信じる
なぜなら言葉は 他者に対する呼びかけだから
なぜならヒトは 一人独りでは生きていけない動物だから
ヒト(ホモサピエンス)が10数万年を生き延びてきたのは言葉があったから
言葉(他者との意思の共有)が、論理と数物理を育み 現代社会を作ったから
そして思考の科学として未開に挑戦する大いなる道具だから
だから私は言葉を貶(おとし)めない
論理と推論を 頭上に高く掲げ 将来の可能性を託する
45 台風10号迷走の日に(8月31日)
宇宙空間から飛来した太陽の放射熱線を
海洋からの蓄積エネルギー放散として 吸引し吸収し
天の高みまで膨張し 虚空を持つ巨大な旋回雲団として育った
南の海上遥かな 大気の一大攪乱 自然の機序のその動き
我らは最先端の観測機器を動員し その誕生から生育の一部始終を注視する
その勢力 その挙動 その明日の振る舞い その寿命
過去の統計 最新データ 確率論 それらすべてを統合し予測する
大いなる自然が 天変地異の素の顔で 存分に暴れ回り
テレビ マスコミは「命を守る行動を」と
避難周知を呼びかけ 交通インフラは動きを止めた
いまや自然現象が 突然の社会現象となり 日常生活を遮断する
惨状!惨劇? 否。否。否。「劇」ならば脚本がある 筋書がある
我らには その一片の筋書すらなかった
防災の 減災の 日々の暮らしを守る手立ての その備え
42 吐息とともに(2024年8月30日)
ヒトを愛し、人生に夢を託すること。そして無謀に挑戦すること。
はねつけられ、阻まれ、叩きのめされても
ひるむことなく立ち上がること。何度も、何度でも。
僕は、かなえられそうもない・・・夢を見る。
大いなるなにものかが時を刻んでいる。1秒、1分、1時間・・・。
私は何を(与えられたこの宇宙で)、果たしたと報告すればいいのか。
そう自問し、砂時計のこぼれ落ちるかすかな振動に耳を澄ませている。
朝。目が覚めて昼が過ぎ、夜が来るまで、反芻する。
その昔。遠くの夜におぼろな帯がたなびいていた。その不思議に、幼い僕は駆けだした。
近づけば、近づくほど暗い川面が輝きを増した。ホタルだった。
その日、一斉に生まれ出た若い命だった。はるかかなたの想い出です。
言の葉の そのひとひらを 深く蔵して黙秘する
・・・・。短すぎる言葉は、吐息にも似ている。
いや、吐息は短すぎる言葉なのだ。
41 「パスカルの賭け」に同(どう)じて(2024年7月14日)
その昔。ある男が「全能の超越者の教えだ」と私に(折伏を)迫った。
ではと、私は言った。1分間。広げた新聞紙を見てもらおう。で、私は1文字の所在を問う。
超越者は間違いなく、全問正答できますか。・・・時間がない。
その言い訳は、彼もまた、時間制約しばられた人間であることの証明です、と。
男に尋ねた。キリスト教はあなたも認める宗教の一派なのか。男はそうだと答えた。
では、私は「イワシの頭教」の教祖です。その昔のイエスと同じです。
男は薄く笑って、私に聞いた。信者は何人かと。今のところは僕一人。
しかしイエスの弟子はわずかに12人。それでも世界宗教になった。
男の折伏を退けたのは、男の信じる教義を否定するためではない。
ヒトの内面(精神)は不可知の領域。それゆえ他者が立ち入ることは許されない。
その不可知の領域を神の国と呼べば、ヒト一人ひとりが不可侵の神の民。
自身の内面に神を求めず、他者の言動に委ねたのが「共同体幻想」としての宗教。
そこでパスカルは賭けの確率論で、自身の居場所を宣言した。
居るか居ないか。白と黒。ならば「居る」に賭ける方が、死後の見返りが大きい、と。
40 大学神学部の存在理由を求めて (2024年7月12日)
神妙極まる神学者たちの論文、論争を目にした(神学部の講座テキストでした)
コメントを求められ、わたしは一言。「なるほどね」とだけ短く答えた。
しかし、なぜ21世紀の今、神学部であり、神学教育なのかと自問した。
世界は神の言葉で記述されている。かつてヒトはそう信じた。
だからこそ 神意を求め、神域を地に広げるため、大学は創設された。
その営々たる探求の末 宇宙は(神ではなく)数物理で記述されていると知った
神は威光を失ったのか。神学教育はもはや無用のものとなったのか。
私はハタと納得した。いまこそ(将来のため)大学には神学講座が必要なのだ。
そうして さらに苛烈、混沌とした現下の世界情勢を思った。
2001・9・11。2022・2・24。2023・10・7。テロと戦争とジェノサイド。
神の御名のもと、宗教者が教義を煽り、殉教の墓石が山を築いた。
そうなのだ。世界はいまや神学論で記述されている。
現実に向き合うには、彼らの神妙極まる論理に向き合わなければならない。
「そんな神学素養は持ち合わせてはいない」、などとほざいてはならないのだ。
39 7月13日、土曜日の飲み会をキャンセルした(2024年7月11日)
夏風邪をまたしても 伴とした
外気温35度のなかで冬さながらに着重ねする
いつものこと いつもの夏風邪
どうして夏風邪 その疑問には応えられない
だるさになじみ 微熱にむくむ掌をにぎる
ふらつく身体 痛む喉 うるんだ瞳で空を見る
そうして僕は しずかにのたりうつ
真夏の昼のそのひなか 冬仕様の布団に身を沈め
火照った身体(その芯はけだるく、心許ないが)を押し包む
噴き出す冷や汗 じっとり下着が濡れそぼつ
体力勝負 我慢比べで数十年
それが我流の僕恒例の夏風邪対策
だから家人は「また夏風邪」と心得顔
秋風吹けば そのころには たぶん・・・治っているはずですが
38 ある時 ヒトに与えて (2024年7月10日)
時間と時刻と記憶。
失われたインカの記憶をとどめる陽時計は荒涼。
引力軸の自然落下に任せる砂時計は放恣。
燃え消える確かさに安住する線香時計は暗愚。
無限の膨張と無限の収縮に揺れる原子時計は不快。
さて そうであるとして
人間は一人では生きていけない。
そう、独りでは、本当の笑いは笑えないのです。
だから笑いは高度に社会的な絆なのです。
絆は、自分から握ることでしか握れません。
まず手をさしのべてください。
声を出してください。声をかけてください。
こだまでしょうか。いいえ。あなたの魂です。
あなたの隣にいます。
37 I believe・・・そのゆえに2 (2024年5月22日)
朔太郎、達治、春夫、晶子、史、のり子・・・世の詩人らに圧倒された
絞り込み選び抜かれ抜き差しならない詩文の壁に立ち尽くした
とはいえ、口慣れたそれら多くは古来、悲嘆逆境から生まれた
心を打ち、魂を揺さぶり、衆人が口ずさむのはそのため
私が書きなぐるのは、そのようにも思い屈した時。
鬱勃たるマグマを地に呼び出すに暇(いとま)ない時。
17文字でも31字でもまだ足りない。だから14行に分かち書く。
中学生だった私がなじんだのは啄木。「悲しき玩具」。
大学生になって親しんだのが靖の最初期の散文詩。「北国」。
「詩情」の言葉が示すこの世界は、理屈の綾(あや)を排斥する。。
しかし、にもかかわらず思い屈すれば状況を書く。
起承転結。あえて命題と判断を仰ぐ。
娘は言う。「詩というか散文っぽい。そのまんま父ちゃんや~なって」
そうです。だから「詩らしきもの」。散文の短縮形です
36 青春無頼のひと時に(2024年5月17日)
友よ 六十年も経ってしまったのだ あの日々から
大学進学を目指して 勉強には励んでいたようだが
思い出すのは 共に遊んでばかりいた日々のことだ
大学時代 私は食堂でも喫茶店でも 金を払った覚えがない
いつも友の誰かが支払った 礼を言った記憶もない
持っているものが払う それだけだった
だから一泊旅行が突然決まったある日 浪人中の友の勉強部屋に押しかけ
持ち抱えられるだけの本を持ち出し 古本屋に売ぱらって旅費にあてた
(今は昔 定価の6割程度で買い上げてくれる古本屋もあったのです)
その日々を今こうしてパソコンに打ち込めるのは私だけ
一人は四年前の秋九月の末に亡くなった 葬儀に参列したのは私だけ
今一人は 結婚以来 いつしか音信は途絶え所在も分からなくなった
(私たちは年賀状を交換するほど・・・儀礼張った関係ではなかったのです)
そうして私は一人 なお呼びかける 友よ
35 森林セラピーの後 参詣道を下山(2024年5月12日)
サルと紅葉と大滝で知られた山野の一画が 地下鉄の延伸で 一変した
とはいえ 奥山には 歴史に名を負う古刹が なお森厳として存する
私たち「自然の森塾」の塾生は 堂塔はるかな檜の下陰に歩をとめて
浅く目を閉じ 風の行き来を 鳥のさえずりを 森のささやきを 聴いた
あるは木立に寄り添って瞑目し あるは両の手を大きく回して抱擁し
わたしは腐葉土に深く腰を落とし 父のようにも厳つい背に持たれ 瞼をとじた
檜林のたわわな茂りとやわらかな木漏れ陽が 塾生たちを包んで 鎮まった
ふもとから奥山までの参詣道は 昔ながらの修行道
とはいえ 迷わぬように 歩みのたすけになるように
道の途中や分岐の辻に 御影づくりの古い町石が立つ
札所巡りのそれでないが 吹く風や地蔵様にも励まされ
ながい坂道 細い尾根 つま先下がりの杣道を
たどり たどり 歩きとおしたふもとまで
自然に溶け込むそのために 5月は半ば ハレの日に
34 自分との闘い(2024年4月8日)
脂肪層と筋肉の奥深く包まれた尿管に
いつしか育った 僕の石
直径わずか2ミリに足らない 小粒のそれが
自由気ままに 浮動する
内部神経を逆撫でし 鈍く重たく執拗に
草莽深く潜んだゲリラさながらに
ばらまかれた地雷の恐怖さながらに
戦場は識別つきのやわらかな内臓
作戦は不明地雷の撤去・摘出
ただしフィールドは傷つけてはならない
だから縄跳び ジャンプ 1日2ℓの水
緊急時には鎮痛剤 適宜適切3種類
弾薬は毎食後2錠服用の利尿薬
たのむは天佑神助 ただひたすらに
33 エイプリルフールの日の暁闇に(2024年4月2日)
不意に目覚めた午前3時 前触れ一つない 右わき腹の激痛に
思い返した 何があったのか 心当たりはあるのかと
あれかこれかと あてどなく まさぐった 繰り返し
了解不能な 傍若無人な 苛烈過酷な深い痛み
反転し 輾転し 歯を喰いしばり 耐えるだけ
我知らず 背を曲げ 腹をよじり 足裏を海老に反り返し
怒りを天に発し 恨みを地に撒いて 時を忍んだ
しかし とはいえ なにゆえの この理不尽
臓器不全の疑いが 虫となって身体じゅうを這いまわる
破局の予想が 痛みの狭間に 浮いては沈んだ
目覚めた妻は 素早く病院を手配し 救急車を要請した
劇症ならば一刻を争う 時は命なのだと
緊急病院到着 午前6時57分 中之島住友病院
診断結果は尿管結石 これ痛いよな とは医師の言
32 オルタナティブファクト(2024年3月31日)
プラスチックの大海に 銀の釣り針を
狙うは人魚 清楚華麗なマーメイド
多くはいらない 生まれたての一尾だけ
チョークで書いた大空に アンチモンの飛行機を飛ばす
敵味方 縦横乱打の空中戦
落下傘が 秋の山野に 花散らす
AIは我らのペット ウソをつかない忠実な
されば 我らは安心 高枕
さてこそ すべて世は こともなし
政治家に倫理を求める審査会
国会にある 誠実に真実のみを審査する会
でもでも 「私は知りません」
真面目な冗談 不思議の国の物語
とびだしたのは 「もう一つの事実」
30 白い紙に黒い文字 (2024年3月28日)
白い紙に黒い文字 それで安心 ゲーテの言葉
アイロニカルは 承知した
だから納得 ノートした
以来五十有余年
とりとめもなく のうのうと
時を殺して うかうかと
真っ赤に噴き出る お前の言葉はどこにある
世界を震撼させる お前の論理はどこにある
自同律 その不快 宇宙論 その自責
分からない 果てしない その問答
解を投げ出し 詩歌に託した 超論理
湿った存在 自身の重み
限りある その日の定め
はしなくも 白い紙に黒い文字
29 ダメージパンツの違和感 (2024年3月26日)
継ぎハギだらけの ジーンズが 街を歩いている
あるは裂け あるは汚れを そのままに
闊歩している 何気なく
労働の過酷さ 苦しさ 貧しさの
そのなれの果て 継ぎハギだらけのジーンズ
虫さえ食わない 労働作業着
インディゴブルーのジーンズ
真っさらな 布地を裂き 切り刻み
きれいさっぱり 継ぎハギされた
一品ものの ダメージパンツ
異様さが 街になじんで 溶け込んで
むしろ映(ばえ)ある ファションとなった
傾奇(かぶき)者らが 身を飾る
過酷さ 苦しさ 貧しさが
歴史のかなたに 捨て去られた
28 今朝の新聞に (2024年3月22日)
ユダヤ人 国なく 武器無く 素裸にされ 殺された
ヒットラー ホロコースト ジェノサイド
民守るべき 国なく 武器無く 捨てられた
そのゆえに 国持ち 武器持ち 断固戦う 二度目はない
神が与えた(いや国連が認めた)「約束の地」
パレスチナ 先住者が住む「アラブの地」
西欧諸国の負い目を アラブが償う いわれはない
寄るべき国の建国と 父祖伝来の国土の防衛
攻防数十年 パレスチナの難民・孫子(まごこ)数百万
天井のない牢獄に 追い込まれ 見張られた 二百数万(まるでゲットー)
恨みが深く 根を張って 暴発した 2023年10月7日
イスラエル もはや受忍などない あるは報復 無差別の
万余を殺し 門扉を閉ざして 百万民衆を飢餓 死にさらす
屠殺の民のその国が 屠殺者となる 今朝の歴史
ネタニヤフ ホロコースト ジェノサイド
27 公衆電話はどこにある (2024年3月21日)
大阪マラソンの日 突然の携帯電話のブラックアウト
急ぎ公衆電話の在りかを コース途中の地下鉄駅員に聞いた
構内にも 最寄りの売店にも いまはない
ならばと 電話借用を申しいれ 拒否された
教えられた はるか離れた地上の電話ボックス
ここ10年 めっきり見かけなくなった
町なかの公衆電話 電話ボックス
携帯電話が普及して それら彼らは姿を消した
が しかし にもかかわらず それでもなお
駅構内にはあると信じた 危機管理のその故に
が しかし 果たして いまはないという
捨て置かれた公衆電話 それが唯一の救命浮き輪
握りしめたコイン はかないたよりのその故に
26 愛衣(めい) わが孫娘 (2024年3月18日)
今日は末の息子の 小学6年の娘の卒業日
朝の9時半から11時半までの式次第
卒業生89名の決意表明 満席の父兄来賓(コロナ明けですから)
校庭の在校生(5年生)のお見送り 寒の戻りのそのなかで
親子ともども 報告にやって来た
ジジババと記念の写真 制服に収まり切れない 照れ笑い
手には9×9×9のルービックキューブ
無造作に素早く回転 目下チャレンジ中という
7×7×7はお役目終えて 手提げのなか
3×3×3はもはや手遊び 一瞬の早業
4月からは中学生 何が得意とババが聞く
算数と英語だよな と父親の息子が言う
国語と理科と社会は壊滅的や・・・と その娘
ならば本を読め ジジとこに来て
25 シニアたちの飲み会で(2024年3月17日)
年 闌(た)けた 男(おとこ)女(おんな)の飲み会の
その盛り上がりが 血液型の性格判定
とぐろを巻いたにぎわいが 気炎を吐いて 渦巻いた
テーブルの片隅では 日本政治の行末談義
若者の読書離れと政権与党の腐敗堕落のあれこれを
声を潜めて あてどなく
世襲代議員が跋扈し 立法権を私物化する
法治の支配が不抜の原則ゆえに
行政の恣意的乱用を公然と制度化し
内部崩壊が侵食する 民主主義国家 日本
異議があるなら 変えなければ まずあなたは何をしたのか
噴き上がる自責と 我らの無為の倦怠に
罪科(つみとが)もなき一団の渦を 見る
第三の黒船来航なき 我らの世界を その末を
24 叔母の送りに (2024年3月12日)
24年3月8日 九十九年と六カ月で亡くなった
通夜告別は子 孫 曾孫子 親族 あわせて三十数人
大分から埼玉から 遠路はるばる かけつけた
黄色のちゃんこちゃんこのスライド写真
米寿の式祭 白寿を過ぎての大往生
はなむけの姪や孫らの 別れの言葉
棺一杯の花々に 埋もれ囲まれ 惜しまれた
半生を信心に生き 慈しみ衆に及ぼし
衆を忘れて 眠りについた
生ある姿の あれこれが
包み隠さず たち顕われる
むしろ祝いの旅立ちに 笑みがあふれて 極まって
しみでる涙 おもいもかけず
「あるほどの花投げ入れよ棺のなか・・・」
23 ししむらの悲哀のゆえに (2024年3月10日)
さりげなく訪れ 刻印された
あれやこれやの数かずを
開かずの扉に閉まっておこう
秘儀秘密は常のこと そう嘯いて
さてもまた 肩をゆすって
闊歩しよう 大道を おほけなく
陽のあるうちこそ 峠越え
あてどない 彼方(あなた)頼みは打ち捨てて
とはいえ ししむらの悲哀のゆえに
ゆかりある言葉のゆえに
立ち止まる 思いは募る
人生七十 古代稀
年を経し糸の乱れの苦しさ
記憶の衣が剥がれて 落ちる
22 138億年前の私に (2024年3月8日)
私は138億年前に たしかに存在しはじめた
真空のゆらぎのなかから
数兆分の1の瞬時に 数兆倍まで膨張した
素粒子として生まれ 原子へ育ち 分子星として 光輝いた
しかし 輝きも またたきも
物理の機序のその故に 内部収縮 爆発四散
放たれた それらわれらが糾合し 地球を作った
50数億年前 分子として 私はたしかに降り立った
みずからを求め 合体をまさぐり 再生する命を作った
存在の電磁気作用が 不思議な「意識」をもたらした
138億年間の 在ることの その意味
宇宙論とは つまりは存在の 自身への問いかけ
いまあること 生きること 果たすべきこと
138億年前から「託された」 その意味を 存在の責務として
21 「老成」にあらがって (2024年3月6日)
「年 相応に生きる」 この年齢になると(当年77歳です)
老成しなければならない
それがスマートな生き方だと 世間はいう
老者には挑戦の秋(とき)は少ない
風火は 青春客気の若者にまかせ
林のごとく 山のごとくに それが要諦だと 世間はさとす
バーチャルな出会いと虚空(そら)駆ける情報の渦のなかで
街の書店が半減した 棚はアニメと漫画に占領された
21歳の半数以上が 1か月内の読書がゼロ冊と マスコミはいう
ヒトは社会的動物だから 社会的なトレーニングや知識を必要とする
また政治的な動物だから 政治的な判断能力や行動が求められる
政治的無関心とは 社会への また政治への 理解能力の欠如ではなかったか
それが現在の あまりに無残な 政治と生活の劣化を招いたのではなかったか
老成などと おだてられてるわけにはいかないと私はいう
20 ある時の息のくるしさ (2024年3月4日)
一言でいえるから 言わない
多言を弄して 言わない 絶対に
それが暗黙の約束 壊さないための
息せぬ息の ため息の
素知らぬ顔の 息の苦しさ
見つめ合う その目をそらし
手をすらも 求めはしなかったね
石垣堀の高みから
吹く風に ひとひらの花をかざして
ああ 何も聞かなかったね
なんにも言えなかったね
空はあんなにも青く ほがらだったのに
そのかみの 女の節度 男の矜持
春の日の あるか無きかの 思い出に
19 わが友 村井俊二に (2024年3月1日)
友よ 57年前 僕らは丁会主催の成人式に招待されたね
同級生だけでも十数人はいるはずだったけれど
なぜかお膳座敷はぼくら数人だけだった
海の向こうはベトナム戦争と文化大革命
国のなかではべ平連・反戦デモの真っただ中
祝いの酒を勧める 丁会役員に
僕は大東亜戦争の その戦争責任論を吹っ掛けた
「君たちの将来は」と、のんべんだらりの弁に耐えきれなかったから
知らないのではない 知ろうとはしないのだと
場のシラケに しかし僕はさらに鬱屈した
友よ そうして二人だけで夜をさまよったね
慣れない酒に したたかに酔ったその後で
君は父さんが警察官だと小さくつぶやいたね
君がもういないから 僕は同窓会にはいかないよ
18 昼の月に (2024年2月29日)
山巓の空気は薄い
それは承知さ 合点だ
だから透明 大気もとおる
人気(ひとけ)なき
さざれの道をひたすらに
たかみをめざし かえりみもせず
崩れ行く その足元の おぼつかな
渓間より 吹き荒れ狂う 突風に
疲れゆく おのが身の 不憫さに
頭(こうべ)をあげて 仰ぎ見る
見果てぬ 果てのその先の 遠い海
静かの海の頂(いただき)に
想いを馳せる
奔らせる
17 杜子春に託して (2024年2月28日)
剥落する土塀の前で しばしの休息 一休み
ああ どこまで歩いてきたのだろう
ぬかるみ 泥濘 あなぼこの道
見上げれば 白い雲
空はそんなにも青いのに
見ようともしなかった 昼の月
たそがれ靄が包む時
こころをしずめ 到来(とき)を待つ
入り陽の遅速 蝙蝠の飛びの姿の あやかしに
姿勢を正し ひたすらに おごそかに
さはさりながら さてもまた
わが身の影を
振り返る
土塀の前で ゆくりなく
16 2024年2月25日 大阪マラソンの日に
娘が山口からやって来た 大阪マラソンに参加するために
準備は万端 トレーニングは毎日やってきた
10キロ走 20キロ走もこなしてきた
とはいえフルマラソンは今回が初めて
でもなんとかなるわぁ と余裕の構え
大阪のエイドはええんよ
なにが?と私 数は多いし スイーツは美味しいねん
フィニッシャーズタオルはかっこええしね とのたまう
当日は朝から雨 終日降雨 最高気温8度の予想
参加人数約3万人 スタートは一般市民枠の午前9時45分
前日調達した百均のビニール雨カッパに身を包んで走り出した
付き添いの 親の私は心を配る
果たしてエイドはゲットできるのかしら
冷雨のなか けなげな五十娘の完走も
15 偶成 (2024年2月19日)
如月 月明 明確 確信 信念 念書 書式 式場 場合 合計 計測 測地
地球 球体 体重 重機 機序 序詞 詞学 学問 問答 答案 案内 内側
側壁 壁土 土神 神主 主客 客星 星雲 雲雨 雨足 足跡 跡目 目途
途中 中断 断言 言論 論戦 戦法 法理 理想 想定 定点 点眼 眼力
力行 行事 事象 象徴 徴候 侯爵 爵位 位階 階段 段差 差配 配慮
慮外 外見 見解 解釈 釈放 放物 物質 質量 量子 子供 供奉 奉公
公共 共同 同時 時間 間道 道義 義父 父親 親族 族譜 譜代 代官
官舎 舎監 監督 督励 励起 起立 立派 派兵 兵隊 隊長 長期 期日
日記 記載 載天 天空 空気 気圧 圧迫 迫真 真実 実現 現在 在野
野手 手動 動作 作文 文身 身分 分散 散歩 歩調 調査 査定 定速
速攻 攻守 守備 備蓄 蓄積 積年 年輪 輪唱 唱和 和平 平穏 穏当
当選 選句 句読 読書 書架 架設 設営 営業 業会 会社 社費 費消
消化 化合 合弁 弁護 護持 持戒 戒律 律詩 詩歌 歌曲 曲芸 芸術
術後 後出 出来 来襲 襲撃 撃退 退転 転居 居住 住所 所感 感激
激流 流路 路頭 頭領 領海 海浜 浜辺 辺境 境国 国難 難敵 敵対
対話 話談 談議 議院 院政 政権 権利 利他 他人 人望 望郷 郷人
きさらぎの その半ば過ぎ あてどなく
天のものなる ことだまを 地上に落とし
この世のまどいの 文占い
放下 下界 界面 面妖 妖怪 怪談 談合 合資 資本 本懐 懐中 中華
華人 人脈 脈動 動機 機転 転貸 貸家 家賃 賃金 金鉱 鉱山 山水
水質 質実 実現 現在 在野 野原 原罪 罪悪 悪魔 魔法 法規 規範
範例 例外 外見 見物 物権 権利 利潤 潤滑 滑落 落語 語彙 彙集
集団 団体 体育 育休 休息 息災 災難 難儀 儀礼 礼文 文飾 飾師
師弟 弟子 子女 女性 性急 急変 変化 化合 合作 作曲 曲想 想念
念仏 仏心 心底 底地 地上 上等 等分 分散 散歩 歩測 測量 量目
目方 方言 言論 論調 調律 律詩 詩歌 歌手 手足 足技 技官 官吏
吏員 員数 数年 年報 報告 告白 白明 明答 答辞 辞意 意思 思惑
惑星 星雲 雲宇 宇宙 宙天 天空 空気 気迫 迫真 真剣 剣客 客座
座頭 頭領 領土 土民 民衆 衆議 議会 会場 場内 内心 心臓 臓器
器用 用事 事象 象徴 徴発 発端 端歩 歩行 行進 進軍 軍装 装備
備蓄 蓄積 積年 年増 増加 加算 算数 数寄 寄席 席亭 亭主 主格
格差 差別 別当 当局 局所 所定 定額 額縁 縁故 故事 事案 案内
内偵 偵察 察知 知行 行楽 楽市 市電 電鉄 鉄橋 橋梁 梁木 木材
材料 料地 地価 価値 値段 段丘 丘陵 陵墓 墓所 所感 感応 応答
放下して 言葉を拾い つなぎゆく
おぼつかな
さて この無力感 なんとしよう
14 あざみに深き わが想い (2024年2月16日)
アザミの花を見るたびに
そのかみの 母の口癖
母の素振りの あれこれを
生きている 夢のなか
店番 子育て 日常茶飯
脈絡もなく つながらず
その切れ切れを 断片を 疑いはせず
目が覚めて 薄れる記憶 もの欲しく
不触の時を ひと時を 拾い集めて こぼれ行く
ははそはの母の宝の その形見
孫の子の その子の子供 傍らに
母愛惜の 歌詞の一節
あざみの歌を 思い出す
さだめの径は 涯てなくも
13 「春一番」の日に (2024年2月15日)
日差しはないないが 暖かい
出しっぱなしの洗濯物を やれやれとばかり とりたたむ
定年以来十余年 それがわたしの日課
さて二階のベランダから 世間の様を それではと見渡す
裏のデイサービスの建物は 取り払われ 更地となった
隣家の老婦人宅は 無人となって 空き地となった
都会のなかのポツンと一軒屋 それがいま
だから陽当たり良好 東西南北 日時計暮らし
朝日に目覚め 夕闇せまれば まどにカーテン
狭い庭の一筋に 緑を求め 草木を植えた
だから水やり 草むしり
金魚もメダカも 古いタライや水槽に 放ち飼った
そうして今日も日を消す 粛々と
曇り のち夜に入って驟雨 突風
12 絵葉書のお礼に (2024年2月14日)
鍔広の帽子をかぶり 下駄を履き 虫取り網を手にする
手渡された 水彩絵葉書
首から胸には白い麻マフラー
時は夏 その一瞬を 絵姿に留めた
裏面には 「一班のファンより 愛をこめて」
私は呆然とみる
降りかかった 世の不思議に
ヒトの手わざと絵言葉に 驚かされ
私はいったい 何をしたのだろう
見も知らぬ 名も知らぬ そのヒトに
さてさらば 花を送ろう
夏の日の 思いもつかぬ 思い出に
カスミソウ 白く優しく咲きにおう
その花言葉 つつましく
11 生あるものは みな臭し (2024年2月12日)
高名な作家にあこがれ 訪れ 実物に接し
俗物の生臭さに 「認識を新たにした」という
再び詩作を志そうとする 婦人の言葉です
私は黙って その言にうなずく
詩は しかし ヒトの真実を伝えるものではない
詩は ヒトの(かなわぬ)願望をうたうもの 祈るもの
だから ヒトに 詩の内実を求めてはならない
ヒトの心は漂流船 真っ赤な帆柱たかくあげ
やる瀬のなさを 追い風に 大海原あてどなく
かなわぬ思いを瓶に込め はるかに投じた
願わくば 浜木綿の葉むれの丘に
花言葉 祈りまさしくと
さはさりながら 形見の文の薄汚れ
生あるものは みな臭し
10 2月11日のカレンダーに (2024年2月11日)
グレオリゴ暦2024年2月11日 凍てついた西天に
ひと刷の横雲が 細く長く たなびいて
六甲の山頂はるかに ゆるく流れた
中華圏の太陰太陽暦は正月2日 三ノ宮の中華街はヒトの波
日本国はその昔の紀元節を改め いまは「建国記念」の祝日
「建国をしのび、国を愛する心を養う」日
それが今年はカレンダーの日曜日と重なった
だから月曜日は振替休日 ハッピー・マンデー
テレビ マスコミは 記念日は ことさらには言わず
ただ「3連休」と休暇の日の重なりをことほぐ
さて 国を愛することに急な 右翼諸氏は
この日をどう迎え どう過ごす
憂国悲痛の街宣を走らせ
万国に おのが自慢の国威を発揚するのか
8 アルキメデスの断言です (2024年2月9日)
神が世界を創造し 宇宙を支配した 人類共通の生誕神話です
ですから地上に降り立った神の子の 他者への支配が正統化され
生きる人びとの内心の柱とされ 日々の行動規範とされたのです
テコを与えよ されば地球も動かそう
古代ギリシアの人 アルキメデスの断言です
自治市民国家に生まれた彼は 共同幻想に身をゆだねることなく
厳密な数理と明晰な論理と誰もが確認できる実証に生きました
近代文明は アルキメデスの数理と技術への確信によって
大地を穿ち 天空を駆け 深海に挑む現在を作り上げました
計測も実証も不可能な 内心宇宙は不可知なものと排除して
さて そうであるとして わたしは呆然と立ち尽くす
不可知なヒトの心が 「憤怒の渦」となって世を覆い 世界を分断した
核を許せよ されば世界をも 道ずれにしよう
覇権国家の脅迫です アルキメデスの断言の それが一面の現実です
7 政権党派閥の裏金問題に触発されて (2024年2月8日)
法律は厳密な証拠で動く 法網をかいくぐって居直る
その彼ら政治家が わたくしたちの子供の 未来を危うくする
世に生きる わたくしたちの最低限の約束ごとのすべてが
のっぺりとした顔で 薄ら笑いにひきつった
かれら世襲政治家の詭弁にまみれた「丁寧な説明」に砕け散る
現代民主主義は代議制を根幹とする その代議士が説明責任を放棄する
投げ捨てられたのは 彼らの恥ではない
わたくしたちの託すべき生活が わたくしたちの未来が 汚されたのだ
四海の外のことごとくが強権と独裁にひた走るなか
しかし なお わたくしたちは民意を押し立てる制度を握っている
ならば かれら世襲政治家の権力の壟断と無恥を許してはならない
なにができるのだろうか
そう まず小さな約束をはたすこと
路傍のつまずきの石を取り除き 大道を 真っすぐに歩むこと
6 魯迅の言葉に励まされた (2024年2月5日)
何を作ろう この大地に
何を託そう この国に
何を語ろう 読みひとに・・・
日本財団が2019年に行った世界の「18歳意識調査」がある
「自分を大人」「責任ある社会の一員」と考える日本のは他国の3分の1から半数ていど
「将来の夢を持っている」「国に解決したい社会課題がある」との回答も他国の若者に比べ30%近くも低い
「自分で国や社会を変えられると思う」は5人に1人
国の将来像に関して「良くなる」という答えは中国(96.2%)の10分の1
途上国、欧米先進国のいずれと比べても数字の低さが際立つという
私はこの報告に うちのめされた
しかし「絶望の虚妄なること希望の虚妄なることと同じい」とは魯迅の言葉
ならば 絶望も希望も 他者に任せて
私が拾える石を まずひとつ 大地に積み上げよう
低くとも また 小さくとも
自身の宇宙に なにごとかの存在を刻印するために
5 鉛の容器に封印した(2024年2月5日)
高名な詩人に託した
極北の地を這う白夜の下で
無人の荒野の広がりの果てに
すべてが溶暗する 舞台装置の前で
鉛の容器に封印した きららかな魂
自身を「湿った存在」と定義した
意識が電位差の伝達とネットワークであるにせよ
電解物質の挙動を許す水宇宙なしには存在しえなかった
母なる胎内の侵入は粘液なしには実現しえなかった
石ならざる存在として 生まれたがゆえに
自身の湿りに 肉体の重みに 惑い迷う
ならば さて そのことごとしさを放擲し
一瞬を永遠に解き放つ 私の秘儀
私の生きてある意味 物質崩壊
4 自同律の不快とは (2024年2月5日)
体内すべてに海を取り込み
浮遊するクラゲにも似て
ひたすらに 渺茫と浮遊する
遥かなる 浜辺をもとめて
つかむところなく
言葉を 切り 刻む
措定する 絶対無音を
惑い漂う
対峙する 宇宙を
母なる胎内に
凝視する 自身を
そう たしかに埴谷が言ったように
自身が自身に居直るのは
「存在」からすれば不快そのものでしょうね
3 I believe・・・そのゆえに (2024年2月1日)
作家術に関するエピソードが読んだ記憶がある
小説家を志した若者(たぶん太宰治)が師と仰ぐ
作家(たぶん井伏鱒二)に 上達への執筆作法を問うた
「書けなくても 机に向かい1日1枚 1行でも書くことだ」
芭蕉は不易流行を掲げた
変わらないものと 移り変わるものの
一瞬の固定 凝縮 最大化 再定義 詩的結合
身震いする奥深さに 自身のいたらさに おびえた。
たしかに詩歌を 日常坐臥の友とした
しかし 詩文に挑戦することはなかった
自身の作文力をわきまえていた そのために
が 時に思いが屈し 詩らしきものを 刻印する
I believe
そのゆえに
2 ある朝の便りに (2024年1月31日)
現代医学の言うところによれば
動物の臓器は生存の容器である
使わない臓器は不要なものとして退化する
だから僕は「キョウヨウとキョウイク」のために
今日用事を作るために 今日行くところを探すために
自身の怠慢を戒めるために シニア自然大学校の門を叩いた
(齢はすでに喜寿を超えた ことさらに学ぶことなどないが・・・
世間の風にあたるのもまた一興かと)
詩は僕にとって自身への対話だった
しかし語るべき身を持たなかった 今まで
ある朝 学友から目覚めの前に 便りが届いた
そのつぶやきに 僕もまた自身の声を聞いた
そう僕もまた
「ふと 今なら 言葉を素直に紡げる気がした」
1 ある夜空にーー「星と星座」の受講の前に (2024年1月11日)
夜空を見上げた・・・13歳の夏
大阪の西端 神崎川の高い堤防に寝転び
頭上に広がる満天の星を追った
77-X=13 X=64 そう64年前 今年2024年-64=1960年
高度経済成長前の大阪には それでも まだ夜空なるものがあった
中学生の私は 街区から漏れ出す光を両の手で遮断し
その狭い囲いから 天の一角を 数千万光年のかすかな到来物を
懸命に追い求めた
そうして・・・
堤防に寝転んだ私は いまや混沌に浮遊し
頭上に広がる天の底に沈み
無限に遥かな天の一角から 地球生物の私を凝視する 不思議に落ちた。
138億年前の昔 超新星爆発を起源とする私
しかし その存在証明を求める場は 失われてすでに久しい
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その昔の断片 (22年版 「詩らしきもの」の補遺)
私は元気――と言っていいと思います (2004年11月29日)
パソコンを打つ。さみだれのように。
時は秋。黄色く乾いたケヤキの葉が、
吹くともない風に、それとなく促され、束の間宙に舞う。
その枯葉のように・・・
ひとり静かにパソコンをうつ。
ヒトの心の醜さが垣間見え、
その醜さを告げることなく、親しんだ。
自らの弱さに―――したたかに打ちのめされたから。
吹き抜ける虚脱の感覚。
太陽が輝いている時。風が歌う時。葉裏がそよぐ時。
砂時計が小さな丘を作る時。私は元気。
邪なささやきに自らを傷つけることをしない(相手が無恥であっても)
傷ついた自身を、地に引きずる愚はとらない(それでは自身も同罪だ)
眉を上げ、昂然と歩く(象のようにスタンプ、スタンプ)
信じられるのは詩の宇宙 (2005年3月4日)
詩は、実作はできなかったけれど、あこがれ愉しむことはできた。
小説は、人生のさまざまな局面を、もろもろの世界を語ってくれた。
愛がなんであるかを知る前に、それが説明できる自身を知ってしまった。
一握の砂に泣く男の、妻に花を買い求める男の、その索漠さを知ってしまった。
人生が何であるかを自身の足で踏み固める前に、井上靖の小説に独行者の涙を見てしまった。ヒトの営為とは奥歯を噛み締めるよりほかはないと覚悟した高橋和巳を己に重ねてしまった。それはまさしく山本周五郎の市井の世界だった。
遅れて知ることになった堀田善衛や加藤周一、中野好夫の明快な論理の切れ味は、世間を渡る道具として、大脳皮質の知覚領域を刺激し、思考と行動の座標軸となったが、しかし自身の湿った本能は、ほとんど靖や和巳の諦念とともにあった。
だから、わたしは他者の、ヒトの内面には、立ち入らなかった。
言葉を使いながら言葉を信じなかったし論理を操りながら、論理に重きを置か無かった。
だから私は超論理に飛躍する。信じられるのは自身の世界と詩のたたずまい。
倨傲な居直りと了解不能な独語と絶対無音の暗黒の宇宙に。
山口の娘の新居にて (2008年5月22日)
風に吹かれて、歩いています。
風圧と重力のバランスが身体の傾きと、歩く方向と速度を決めています。
でもいつも迷う。北風って、北からの風なの? 北に吹く風なの?
北風に押されたら、南に行くのかしら? それとも北?
風がきついと、枝がしなって木の葉が舞います。
五月の青嵐です。
風がやむと、歩がとまります。
天を仰いで、白い昼の月を探しています。
おや、そこにいたのかい・・・僕だけの白い月。
湖水で人が死んだのだ・・・
そういったのは達治でしょうか、中也だったでしょうか。
しかし、なぜ、詩人はそういったのでしょう。
湖水のふところの深さ、浸す冷たさ、身を沈める懐かしさ・・・・。
山口の古びた杜のはずれの、小さな池の土手にたたずんで、
なぜかその言葉を反芻していました。
風が吹いていました。
池を囲む木々は、猫バスの気ままな走りにさわさわと揺れていました。
鎮守の杜。だから開発の波も寸前で止まりました。
木々は神の守りとして育ち、朽ちて注連縄で聖別されていました。
千数百年が降り積もった小さな社です。
平安初期の様式を伝える・・・蛙股と案内板にありました。
風が瀟々と吹いていました。
その昔、大分から引越して間もない幼い子の小さな背中を押した風です。
僕は、おそらく、そのとき、はじめて風と道の遠さを知ったようです。
たぶん四歳か五歳ごろ・・・孫娘と同じ年ごろでした。
神社に通じる山道には、背丈ほどの薊が咲いていました。
庭からすぐ上の小さなため池の土手に沿っても咲いていました。
娘は、その鋭い棘が子供たちを傷付けるから、すべて抜けと言います。
僕は、孫たちが通るであろう道の範囲を限って、抜き、切り取りました。
でも危険な池の畦、土手の畦は、すべてそのままに残しておきました。
自然の優しい有刺鉄線。母が好きでした。
子供の僕は、母の好みを知っていました。
だから、薊にその子たちを守るように頼んでおきました。
薊も知っているはずです。山口の薊たちですから。
蔦紅葉。やがて枯れ散る (2016年11月5日)
家の近くにある 戦前からの古い商家
住む人はいない だから蔦が一面に這い上がり
春には蔦の葉が芽吹き
夏には蔦葉が波のように広がり
秋には四面の壁が紅葉する
冬には枝だけが残った
かつては商店街の中心店 戦前の大八車用の荷受け台
その煉瓦積みのせり台が 今では一面、十薬の白い花
春 若葉。夏には緑の屋根。でもまだ間がある
夏 天までの葉波。 秋にはまだ間がある。
秋 蔦紅葉。やがて枯れ散る 冬はそこ
桜の木の下には・・・(2019年4月17日)
桜が散っています。桜の木の下には・・・死体が埋まっている。
だから見事に咲くのだ。梶井基次郎でした。
学生のころ、その一文にしたたかに打たれました。
だから 春が来て、桜が見事に咲くたびに
その一文を暗唱していました。
その春も やがていきます。
夏・・・葉桜。人は桜に群がる毛虫を嫌います。
でも 毛虫は やがて蝶になる。
だから僕は 毛虫も嫌いではありません。
なべて 生きるものは皆 美しいと思っています。
生存するものの命。原生類 アメーバー その生存を守る本能こそがすべて。
であるならば、原生類と僕とは同列・・・それにも納得しています。
コペルニクスの天動説ではないが、人間存在に胡座をかくのは
自然に対し、宇宙に対し やはり傲慢なようです。
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