ポスト・コロナとグローバル化と渡来系業者の台頭を考える

 

*以下のコメントは、ある百年超の鉄スクラップ会社の社長が語った、いずれ始まる「ポスト・コロナ(コロナ後)」の覚悟を、私(冨高)なりにまとめたものである。

 

■鉄スクラップ特性と「グローバル化」の背景を考える

新型コロナウイルス感染による世界的な経済停滞のなかで「鉄スクラップの特性」が活きた。鉄スクラップは、市中発生・回収品であり、グローバルな二次資源(回収)品である。
工場が稼働しヒトが生活する限り、工程スクラップや解体スクラップは発生し、経年劣化の不安がないから長期のストックが可能で、性能・成分評価は落ちない。

 

パンデミックによる国境封鎖、入国規制、ヒトの移動禁止、いわば世界的なドクターストップが、鉄スクラップ業の「グローバル化」の姿を、静かにあぶりだした。また近年(最近20年)、中華系業者の日本進出が著しいが、その実態と背景も見えてきた。

 

彼らがなぜ今日の在り様を獲得したのか。日本は治安も政情も安定し(居住権があれば)安心してビジネスできる。またリサイクル商売は、資金がなくても、明日からでも、誰でも開業できる(金属屑営業条例を制定する道府県はあるが国の直接法規はない)。
ただ渡来系業者は日本では最終需要家への直接販路を持たなかった(間接・問屋販売)。

 

これが近年、ホームカントリー(たとえば中国)の急激な鉄鋼需要の増加から打開された。母国には需要とコネクションがある。彼らはこのコネクションをフルに使って、母国への輸出ビジネス(たとえば「雑品」)に販路を見出し、湾岸拠点だけでなく、内陸に進んで、一般鉄スクラップに分野を広げ、その集荷・加工拠点を確保し、現在に至った。

 

「鉄は国家」なのだ。その根本は今も昔も変わらない。一国の自立は鉄鋼産業の自立を背景に持つ。中国の最近20年の鉄鋼業の台頭と日本の鉄スクラップ業での中華系業者の成長はその一例だが、最近注目されるのがベトナム系やインドネシア系業者などだ。
中華系に続く彼らの登場は、母国の鉄鋼産業の発展・拡大。そのグローバル版なのだ。

 

■コロナ・ロックダウンとグローバル・ビジネスの現実

グローバル・ビジネスとは、ビジネスパートナーを世界に(グローバルに)求めることである。とすればグローバル・ビジネスは、なにも海の向こうの問題ではない。国内の現実的な実際として私たちの足元で起こっている。それはすでに見てのとおりだ。

 

その急激なグローバル化(渡来業者の国内進出)が、今回のロックダウン、入国規制による移動制限から事実上、ストップした。だが、いずれ入国規制は解かれ、新たな潮流は間違いなく到来する。彼らは成長する母国の鉄鋼生産を背景としている。その彼らの参入を止めることなどできはしない。
であれば(渡来系業者との関係強化を含め)国際化の現実を見据えた新たな経営手法が、「ポスト・コロナ」の課題となってくる。

 

■ポスト・コロナ、共に新時代を拓くために

 新参者は伝統集団に警戒感をもたらす。何も鉄スクラップ業界だけに限らない。人間社会とはそうしたものだ。種々の理由で日本に留まった在日コリアンが、戦後、手っ取り早く職業とした一つが鉄スクラップ業だ。これは当初の20年間、日本人業者との間に無用の「アツレキ」を生んだ。その後二世、三世にわたる世代交代が両者のミゾを埋めた。

 

2000年以降、中国の台頭の後を追って(上記説明のとおり)中華系業者が登場した。それが最近10年「路上回収業者」「雑品業者」問題となって、既存・先発業者の警戒感を高め、新たな規制条例の制定を促した(16年鳥取県「使用済物品放置条例」など)。

 現代のグローバル化は(上記のとおり)、国の内外に新たな参加者を作り出す。これがいわば不都合な真実なのだ。であれば、なすべきは新参者を「警戒」することではない。
彼らを、あらゆる局面で、新たなビジネスパートナーとして招き入れ輪を広げることだ。

 

繰り返して言う。グローバル・ビジネスは海の向こうだけではない。

国内の現実的な実際問題なのだ。いずれ世界のロックダウンが解かれ、日本のリサイクルマーケットに彼らは新たな潮流となってなだれ込み、拠点を作る、その未来の現実だ。

であれば、彼ら(を排斥することなく)共に手を携え、力(得手)を分かち合い、新たな未来を拓く。それが過去の教訓(反省)であり、未来への道標なのだ、と私は信じる。

商売とは、共に切磋琢磨し、共に未来を拓く、そんな仲間作りなのだ、と私は信じる。