金属屑営業条例(概説)

*本資料は「日本鉄スクラップ業者現代史・第二部 復活する金属屑営業条例」(17年発刊・冨高幸雄著)の概略を編集したものである。

 

日本鉄スクラップ業者現代史

第二部 復活する金属屑営業条例(概説)

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目次

 

はじめに                                  

第一章 四百年の歴史的な流れのなかで             

第二章 1950年 佐世保市が最初                

第三章 山口県条例が県レベルでは最初             

第四章 第二波の衝撃・1956年(昭和31)から全国拡大   

第五章 57年(昭和32)大阪府など金属屑条例制定の顛末  

第六章 東京・京都府などが条例を回避              

七章 第三波・逆有償、条例廃止、環境新法登場        

第八章 第四波 条例復活・新規制も登場            

第九章 29道府県金属屑条例資料と60年間のまとめ    

 

はじめに

金属屑業条例とは何か

 朝鮮戦争さなかの1950年(昭和2512月、米軍港を持つ長崎県佐世保市が、金属屑商に関し、許可制による取締り(規正)を目指す古鐵金属類回収業(条例44号)を市条例として制定したのが発端。県レベルの制定の最初は翌513月山口県。届出制によるもので、同年7月福岡、8月広島、525月高知、7月鳥取と続いた。

佐世保市条例の6年後の5610月以降、鉄屑流通を巡って国家的な模索(鉄屑カルテル結成、鉄鋼需給安定法など)が続くなか、金属屑価格の高騰と共に金属屑盗犯事件が多発し、全国的な防犯条例制定の波が起こる。

 

関東の神奈川、埼玉が56101日の同月同日、許可制での制定に踏み切り、57年大阪府などをピークに58年まで北は北海道から南は佐賀まで24道府県に広がった。

この時、東京都や京都府知事は、条例による取締りではなく、業者に自主組織の結成を働きかけ、警察と一体となった防犯体制作りを選んだ。この結果、条例制定は、全国47地方自治体の半数強の29道府県に留まった。その後1999年から2005年にかけ14県が廃止したが、2013年以降、一旦廃止した金属屑類条例を全部(岐阜県・警察)、または一部を一般条例として再制定(鳥取県など)する動きがでてきた。現在、同条例を施行しているのは、再制定を含め16道府県に及ぶ。

 

条例制定までの四百年

歴史的に言えば、金属屑営業条例の登場は、江戸時代以来の金属屑取締りの連綿たる流れが、戦後一旦途絶えた(古物営業法)、その流れを守る苦肉の策だった。

文献によれば正保二年(1645年)以来、江戸幕府の伝統的な「古がね屋」対策は、奉行所発行の「鑑札」と業者の自主組合による相互監視を柱としていた。吉宗による享保の改革は、古金(ふるがね)業者に同業組合を結成させ、行商には鑑札の携行、不審者の通報・拘束、盗品の品触れ、帳簿記載、不正品申告などを始めとする奉行所との連携、処理を定めた。以来、同業組合と自主防犯手法は百数十年にわたって受け継がれた。

 

明治の法制では、古物商(法律で定めた)と屑商(条例で定めた)の区分があり、江戸時代以来の銅鉄商は古物商に分類された。古物とは「古道具、古本、古着、古銅鉄、潰金銀など」で、これらを扱うには「免許」が必要だった(明治17年・古物商取締條例・法律)。また屑商とは「古綿襤褸、紙等」(条例)を扱う者で、これを売却しようとすれば、屑商の免許の他に古物商の免許を必要とした(いわゆる二重鑑札)。

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古物商取締法(明治28年)は、古物商とは「主に一度使用したる物品(略)を売買交換する」者(1条)と定義したから、一度でも使った銅鉄類を売買交換する者は、おしなべて古物商として、取締り対象となった。しかし戦後の古物営業法(1949年・昭和24年・法律)は、古銅鉄類を「古物」類の対象(規則2条は古物12種を列挙する)に加えず、「空き缶類、金属原材料、被覆いのない古銅線類」は同法の取締りの対象外とした(警視庁・古物営業法の解説)。従って戦後の一時期、鉄屑扱い業者を正面から直接規制する国の法令は存在せず、法制上の歴史的な空白が生まれた。

 

条例制定・第一波  朝鮮戦争下、軍港佐世保が発端(1950年12月)

条例制定には大きな波がある。第一波は、50年(昭和2512月長崎県佐世保市の市条例として始まり、513月山口、7月福岡、8月広島、翌525月高知、12月鳥取の九州・中国、四国の1市5県が制定した、ローカル条例のそれである。

 

条例の特徴は、朝鮮戦争の真っ只中の5051年(昭和2526年)に九州の一地方都市(佐世保)で制定され、その後の8ヶ月間に山口・福岡・広島の沿岸各県に広がったこと。国の法律である古物営業法では規制の外に置いた金属屑取引を、地方自治体が独自に監視対象としたこと。しかも業者本人だけでなく、全「従業員」の氏名・本籍・写真等の提示を要求し、この違反には佐世保は2年以下の懲役または罰金、山口・福岡は1年以下の懲役または罰金など極めて重い罰則を科したことだ。時は朝鮮戦争の只中、日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指令下にあった(主権回復は524月)。自治体の判断を超えた上からの指示によって条例は制定された。その不自然さが第一波を特徴づけた。

 

第二波  鉄鋼需給安定と金属盗犯防止(1956~58年)

第二波は、その5年後「もはや戦後ではない」との有名な経済白書に重なる。神奈川、埼玉の「許可制」条例が56年(昭和31101日の同日公布から始まった。5610月から翌5712月までの14ヶ月間に(山口、福岡の届出制から許可制への改正を含め)、全国24道府県が条例制定に走った。58年は長崎、佐賀が続いた。

 

新たな日本経済の建設の宣言と条例制定の波が重なるのは偶然ではない。政治的、経済的、社会的な変化のなか一つは国策(鉄は国家だった)としての鉄鋼需給安定(鉄屑カルテルの円滑運用)のために、いま一つは治安安定の思惑の下に全国規模で進められた。

ただ第二波の最大の眼目は、戦後復興の柱となる鉄鋼産業(それを始発材料とする製造・加工産業)の育成、強化にあった、と見える。従って警察権の鎧を隠す衣として、山口条例の従業員条項や過重な罰則規定は外し、鉄屑業者でも馴染みの古物営業法を、ほぼ丸ごと引き写して、鉄屑業者の反発・抵抗を極力回避する方策をとった。

 

しかし、山口条例の先行例が嫌われたためか、東京や京都など有力自治体は、条例制定を回避し、業者の自主組合結成に動いた。追随する自治体もでた。第二波は結局24道府県に留まり、全国規模には広がらなかった。

 

第三波  条例廃止とリサイクル新法(1998~2005年)

第三波は、条例廃止の形でやってきた。廃止は99年(平成11)高知に始まり、ラッシュとなった2000年(平成12)には7県(福岡、埼玉、熊本、山梨、愛知、三重、長崎)、その後も05年(平成17)まで5県(岐阜、神奈川、香川、鳥取、千葉)の廃止が続いた。

 

40数年後、鉄屑を取り巻く環境は大きく変化していた。この間に、鉄鋼メーカーは鉄屑を大量に必要とする平炉製鋼法から原理的にはそれを不要とする高炉・LD転炉製鋼法に全面的に切り替えた。かつて高炉各社が中心となって結成した鉄屑カルテルは「企業の合理化遂行のため特に必要なものとは認められない」として廃止された(749月)。経済成長と共に鉄屑は「絶対的不足」の渇望から、80年代以降は、むしろ「絶対的余剰」「供給過剰」(それによる価格暴落)が問題となった。また自各種リサイクル新法が立ち上がった。地方自治体が条例施行に固執する理由も、なくなった。

 

第四波  再制定-資源有効利用と国際テロ(2013年~現在)

第四波が、今である。岐阜県が2013年(平成25101日から「岐阜県使用済金属類営業条例」を再制定した。千葉県は1541日「自動車部品のヤード内保管適正化条例」を施行。鳥取県は「使用済物品等の放置防止に関する条例」を164月から施行した。岐阜県條例は、「テロ対策」と「環境保全と持続可能な資源確保」に対応する新しい金属屑条例の形を明示した。千葉県や鳥取県条例は、地域の「環境保全」との関係で規制強化のありようを示した。さらに家電リサイクル法や自動車リサイクル法などリサイクル諸法の登場は、ビジネス参入の条件としての「許可」の意味付け(「資格認定」)を大きく変えた。
そのなかで金属屑条例の位置づけが改めて問われた。 

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第一章 四百年の歴史的な流れのなかで

 

金属は古代以来、国家権力を支える最も重要な資源であり、金属屑は再利用が可能な「市中鉄源」だった。その集荷・回収のありようは常に国家の関心事だった。近世の物流、生産活動、その法整備が進んだ江戸時代、幕府は、金属屑(ただし江戸時代から明治の前半まで「鉄屑」の呼称はない。「古金・ふる金」である)の集荷・回収とどう向き合い、取り締まっていたのか。

 

江戸時代

江戸幕藩体制が軌道に乗った正保二年(1645)、大坂町奉行は「古金買い」に向け、自主警察の誓約と守るべき指針を示して「古がね」取引を認めている。

注目すべきは、現在の金属屑条例(つまり古物営業法)の骨格ほとんどすべてが、この正保二年の町奉行達しの中にある。鉄屑規制は四百年間、さほど変わっていない。

 

享保五年(1720年)、古金組合

 「みだりに辻々で古金を買取り」「出火の際、素人までが不埒に買取る」動きに困惑したのは奉行所だけではない。玄人の古金屋たちも大いに困った。そこで古金買いたちは総代をたて享保五年六月、町奉行に「恐れながら」と陳情書を差し出した。それによれば古金買いは自主的に組合を結成し、その活動を通じて不審者の取り押えや宿の見届けと報告、盗品調査の協力などを行う。さらにほかの諸商売には問屋があるが、古鉄商売にはないから、盗品調査(御詮議)にはこの(組合結成が)役立つとその効用を説き、願いの通りとなれば、各人に木札(鑑札)を渡すとの提案を申し入れている(町触5658)。

 

享保の改革(1723年)

 これを受け、吉宗の改革の一つとして、評定所及び町奉行は、古着屋ほか七品商売人(注1)への盗品物の捜索・防犯体制を定め、古着屋などと並んで前記の古鉄古金商たちに組合結成と記帳管理などを命じた。

一 古鉄商人は十人程ずつで組合を作り、日々売り買いの品を帳面に記し、盗難物(紛失物)の問い合わせがあった場合、帳面で調査(吟味)すること。

一 店外で商売(振売)する場合を公式に認め、鑑札(札)を発行する。無札の売買は禁じ、無札の者を発見したら、同業仲閒で召捕、奉行所に連行すること。古金問屋は無札の者から買い取ってはならない。

一 新規に商売する者は最寄り組合に加入すること。このように決めたから名主、月行事はこの内容に沿って組合を結成し、問い合せがあれば入念に調査すること。組合の取調(仕方)に問題(吟味未熟)があれば、責任を追及する(御触書2100)。自主管理の申し出を通じて、鑑札を付与し、紛失物や盗品の隠匿防止と自主警察を命じるもので、株仲間や座の勢力が強かった江戸時代、「焼印(鑑札)」を古金買い達に与えるということは、彼らに独占的な営業特権を与えたということを意味する。

 

元文四年(1739年)、紙屑買と対立

古金買いは一種の独占権を兼ねる形で鑑札を下げることになったが同じ町歩きの商売の古着買いや紙屑買いの形(なり)が紛らわしいとして喧嘩・口論となり、古金買いは元文四年五月、町奉行に「古金買、古着買、紙屑買の目印」(注2)につき陳情した(町触6518)。江戸、明治中頃まで、紙屑はあったが、鉄屑はない。すべて古金である。鉄屑が使われるのは、平炉製鋼法が日本に本格的に導入された明治末期からである。

 

建場(たてば)も登場

町奉行は文化九年(1812年)、中味の見えない籠(御膳籠)の使用禁止と紙屑買いや古着買い、古道具などによる古鉄買いの禁止に強権をふるった。以下は「立場渡世者の証文」で古金、紙屑商売で「立場(たてば)」(注2)が出てくる最初の資料である。  

*「私どもの店には古鉄買い、古道具・古着屋・古着買いあるいは紙屑買いたち(渡世)が出入りし、銘々が日々の品を持参し、それを私共が買ったり、出入りの商売人同士が売買することから、彼等は私共を「立場」と呼んでいるようだが、自分たちがその名目を立て、商売したことはないし、不正を行ったことはない」。

*「私共より籠笊(ざる)を渡し売子として買い歩かせている者もいるが、たとえ売子であっても身元の不確かな者は決して使用していない。無札で古金は買い歩かないし、御膳籠は持ち出させない」

 

江戸時代のまとめ

 注目すべきは古金買い達が、享保年間に、「みだりに辻々で古金を買取り」「素人までが不埒に買取る」として奉行所に、自主組合の結成とその活動を通じて不審者の取押え、宿の見届けと報告、盗品調査の協力と鑑札の下付を提案していることだ。鑑札は回収業者の「特権」付与の証だった。この申し入れを受け、吉宗の古金関係の改革が行われ、この通達事項が、明治、昭和の古物営業法や金属屑条例の条項として連綿として引き継がれた。

 幕府・評定所は「古金買い」と「紙屑買いや古着買い」を明確に分けていた。現在で言えば「鉄屑業者」と「資源業者」の区分で、その違いも現在に引き継がれた。

 

明治から戦前まで

江戸幕府から古がね、古物回収行政を引き継いだ警視庁(明治7年制定、旧江戸府内の東京府を管轄した)は1876年(明治9)6月、「古着、古金類商売結社規則」を発令した。質屋、古物商(古道具、古銅鉄、古本、古紙、両替屋)などが同業組合を組織する場合の取締規則である(東資協二十年史9P)。 「結社規則」は警察管内の業者に同業組合を結成させ、 業者の自主防犯による協力体制を求めた。さらに官憲との連絡、情報交換、不正品の申告、古物台帳の記載義務を定め、警察官の倉庫内の立入り検査、台帳と現品の照合、確認権限を与えた。内容は旧幕府の御触書(鑑札所持や盗品防止の御膳籠の規制)にさほど変わっておらず、旧幕規制を踏襲したものであり、これが84年(明治16年)法律(古物商取締條例・注4)、96年(古物商取締法・注5)に引き継がれ、戦後の古物営業法(注6~8)、さらに傍流の金属類営業条例へとつながった。

 

■警察学論集によれば=明治16年の古物商取締條例においては「古道具、古本、古書画、古着、古銅鉄、潰金銀を売買する営業者」を「古物商」と定義し、業を開くには免許を必要とした。改正法である明治28年の古物商取締法では、古物商とは「主として一度使用したる物品もしくはその物品に幾分の手入れをしたものを売買交換するをもって営業となす者をいう」(第一条)とし、解説本では、業種を問わず「主として一度使用したる物品」等を取り扱う者は、おしなべて規制の対象とされた(古物営業法の改正の意義とその現代的位置づけ・越智浩。警察学論集・第487号。33p)。

 

戦後の古物営業法

 戦後大改正された古物営業法(1949年528日)は、古物の定義を旧法にならいつつ、しかし「金属原材料、被覆いのない古銅線類」は、「廃品であって古物ではない」として、取締りの対象外とした。解説本によれば、古物とは、そのままで、また幾分の手入れをして、その物本来の目的に用い得るものをいうのであって、全然形を変えなければ利用できないような、例えば屑鉄や屑繊維等は廃品であって、古物ではない」(49年「古物営業法解説」36p)。ただ古物営業法は古物商売の変遷等を追って数次改正された。954月(法律66号・注7)改正では、章名(第1~6章)を付け、目的(1条・注3)や規則2条で「商品券」などを追加し商売実態との整合性を図った。古物営業法を参考とした各地の金属屑条例は、95年大改正を追う形で、条例の改廃が進んだ。

 

金属屑類営業条例が登場

この時、江戸時代以来の古銅鉄の取締りが歴史的に断絶した。明治初年の警視庁は「古着、古金類商売結社規則」を発令し古銅鉄などが同業組合を組織する場合の規則を定めた。その後、内務省は国の法律として「古物商取締條例」等を施行し、古物商として古銅鉄、潰金銀を規制した。その改正法である「古物商取締法」も「業種を問わず、主として一度使用したる物品等を取り扱う者は、おしなべて規制の対象」とした。

 

しかし戦後の古物営業法では、金属屑類は「取締り対象とならず野放しになった」(57年大阪・金属くず条例懇談会、古物商発言)。一方、戦後まだ日の浅い日本各地には膨大な戦災鉄屑の山と朝鮮戦争勃発(556月)などから祖国帰還の途を閉ざされた在日韓国・朝鮮人たちがその日の糧を鉄屑回収等に求め姿があった。

 

とはいえ国は、金属類回収を直接には取り締まることはできない。金属屑商を直接取り締まる金属屑条例は、その1年半後の50年(昭和25129日、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)と米国海軍の軍港がある佐世保市条例として初制定され、古物営業法の穴を埋めた。以後、58年までに全国29道府県が同条例を制定した。ただ条例内容は、古物営業法に準拠するところが多く、その後の条例の改編もまた古物営業法改正の後を追った。

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第二章 1950年 佐世保市が最初

 

朝鮮戦争と在日韓国・朝鮮人(1950年6月)

50年625日未明に勃発した。直後から約1年間、北朝鮮(5110月以降、中国義勇軍も参戦)と韓国及び米国を中心とする国連軍(16ヵ国)が朝鮮全土で激しい戦闘を繰り広げ、一時は第三次世界大戦も危ぶまれた。

朝鮮戦争は米軍の平壌入城(5010月)、米大統領、原爆使用発言(11月)、中国義勇軍の平壌奪還(12月)、同軍のソウル再占拠(513月)と拡大した。

 

朝鮮全土を戦場として南北軍が占領と撤退を繰返したため、多くの住民が戦場の中を逃げ惑い、日本に非合法で入国した者も多いとされる。外国人登録の公式記録によれば、50年度(昭和25)の在日韓国・朝鮮人は54万5千人。ただ米軍支配下の朝鮮南部で発生した済州島事件(484月から549月・注10)やその後の朝鮮戦争の争乱から、一旦は帰国した日本に非合法に再入国した者も少なく無いとされた。その密航者が、最初に降り立つのが、対岸の北部九州、山口(注11)。そこには佐世保、下関、呉の軍港がある。

 

佐世保・1950年12月

密航者は避難民だけとは限らない。敵性侵入者もいる。その彼らが、各地に居住する在日同胞に紛れれば、摘発は困難を極める。佐世保は、今も昔も極東米海軍の出撃拠点である(注12)。日本の真珠湾攻撃がそうであったように、潜伏者の軍港監視とその防諜対策は、臨戦体制下の急務だった。朝鮮戦争真っ只中の当時、鉄屑は最も手軽な現金商売だった。また直接に規制する法令もなかった。講和条約発効後「日本人ではない」と通告された在日朝鮮人の多くが、この鉄屑集荷・回収に居場所を見つけた。

佐世保市が「古金金属類回収」を条例名としたのは、在日朝鮮人の多くが業とする鉄屑回収業者を標的としたことを物語る。条例は鉄屑業者を「あぶり出し」軍港警備と敵性市民の摘発を目指したものである(注14)。

 

市議会の動き(50年12月8日)

 佐世保市役所及び図書館収蔵資料によれば、佐世保市議会は1116日招集の定例本会議で古鉄金属回収業条例が提出されたが、「犯罪取締りに余りに急にして善意ある業者の圧迫となる恐れがあり、さらに研究したい」として継続審査に附された(1119日時事新聞)。しかしわずか半月後の128日臨時会本会議で回収業者の許可・基準等を規定(古鉄金属類の定義を修正)し、可決した(議会年表)。左掲は市議会月報である。

 

佐世保市議会月報より(50年12月30日・第15号)

 

古鉄金属回収業条例とは(月報タイトル・全文)

*「最近地金類の値上がりに伴い、ヒンピンとして各方面に盗難があり、なかには地中に埋設してある水道鉛管や架設してある電線を切断窃取するなど、犯罪は日と共に増加するのみならず、悪質化する傾向にあるが、これを単に窃盗の現行犯、準現行犯だけで取締りするには、現行の警備力その他の関係で不可能な状態にあるのが、本市の実情である。

 

ところで従来これら古鉄金属類は古物取締法により、取締りの対象となっていたが、昨年(49年)古物営業法の制定に伴い、古物取締法が廃止されて以来、取締の対象から除外されたことが、この種犯罪の激化に拍車をかけている点も考えられるので、今回古鉄金属類を取締りの対象とする規定を制定して取締りを強化する意味で本条例の制定が考えられたのである。しかし全国でも例のない条例であり、業者に影響するところも大きいので市側でも本条例制定については、法律顧問や法務省の意見を徴し、これが憲法違反にならないことを確かめて議会に提出したわけである。

 

議会で審査を付託された総務委員会において約一ヶ月にわたる審査の結果、一部の修正を行って本市の実情上やむを得ないとして、これを認め128日の臨時議会で可決成立をみたものである。本条例は古物営業法に準じて制定されたもので、古物営業法の対象とならない古鉄金属の営業を許可制となし、ある一定の資格を有しない人には営業を禁止し、また届出をしなければならない各種の取締条項を設けており、これに違反した者は一番重い処分は2年以下の懲役十万円以下の罰金を科することになっている。

 なお議会が本条例を認めたのは、防犯上「真にやむをえない」としてであるから、取締当局においても議会の精神をくんで善意の業者に不利不便をこうむらしめないよう施行に当たっては留意して戴きたい。同時に一般市民のご協力をお願いする次第である」。

 

異様な「古鐵金属類回収業条例」

 同条例は、一応の体裁として、先行の「古物営業法に準じて制定」(佐世保市議会月報)されている。国の法律(古物営業法)が適用を除外した「古鐵金属類」を、地方条例が取締まるとの違和感を消すため「営業上の行為を規正する」との文言を使い、かつ対象は「古物営業法の古物の適用を受けないもの」とした。

 市民の行動を「規正する」以上、法的な正当性が問われる。そこで業の許可(3条)、許可の基準(5条)、営業内容の変更(6条)、無許可営業の禁止(7条)、他人名義の営業の禁止(8条)、許可証返納(10条)、営業の制限(14条)、確認・申告(15)、帳簿記載(16条)、品触(17条)、差止(18条)、立入及び検査(19条)などは、先行の古物営業法に準じた。ただ狙いは軍港の防諜・警備にある。市条例は古物営業法に準じながら、以下の独自「規正」を加えた。

 

■許可違反は懲役2年以下=許可内容の詳細は不明だが、回収業を営む者は勿論、金属類を条例施行域内に搬入し自己の支配下に置いた者(3条)、従業員が行商する場合(4条)もその者に関する許可がいる。この許可なく営業できない(7条)し、これに違反した場合、2年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処せられる(22条)。

公安委員会は、必要があると認めるときは、許可取消しや営業停止を命じることができる。この規定違反も、2年以下の懲役又は10万円以下の罰金である。その後の金属類条例の大方が、最高でも1年以下の懲役や罰金だけであるのに比べ、厳罰で臨んだことだ。

 

■制定後わずか10日余で施行=制定は50年12月9日、施行は、その11日後の12月20日である。行政の周知徹底努力は無視され、ひたすら施行を急いだ形跡が見える。

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第三章 山口県条例が県レベルでは最初

 

51年3月30日・物価統制令停止の前日に

鉄屑価格は、物価統制令(463月施行)のもと、4710月千百円、48年7月二千百円と改訂された。敗戦後の鉄鋼会社はナベ・釜を作ってしのいでいた程だから公定価格の改訂はせいぜいインフレ補正にすぎなかった。その市中価格、公定価格が開戦と共に一気に爆発した。戦争は在日米軍からの特別需要(特需)を呼び込んだ。世界的に戦略物資の生産、貯蔵が高まるなか輸出も好転した。公定価格は50年1月の三千円から8月四千五百円、 12月六千三百八十円へ。市中実勢価格は年初四千四百円から年末には一万円。翌51年2月公定価格を一万二千円に引上げるや実勢価格も3月一万六千円へ急騰した。

 

公定価格違反は物価統制令違反として処罰される。が、実勢価格が公定価格を上回っている状況では、取引関係者は、すべて違反せざるを得ない。

これは無益な違反者を作るだけの悪法だとの批判に抗えず51年3月31日GHQは一時停止を指令し、鉄屑取引は事実上、この時から自由市場へ解禁された。さらにこの一時停止に続き、翌52年2月27日付けで廃止された。

 

法的空白を県条例で穴埋め

山口の県条例制定(330日・注16)は、その公定価格統制の一時停止の前日である(施行は51日)。明治から大正、戦中までの古物類の取締法だった古物商取締法は戦後の49年(昭和24)、新憲法のもと古物営業法に改正された。古物営業法は古物の区分(規則2条)のなかに古銅鉄類は入れず、規制対象からはずした。

国は、その穴を、物価統制令(公定価格)の運用で埋めていたが、514月からはその手法も使えなくなる。しかし国法がなくても、地方自治体には条例がある。先例は既に佐世保市条例で実証済みだった。それを県レベルに拡大する。それが51年の山口条例だった。これがその後の府県レベルの先行・モデル条例となった。

 

■憲法違反を回避=山口県条例も、古物営業法を流用したが、国の法律で自由営業を認めた古銅鉄の商売を、地方自治体の条例が規制できるかがやはり問題となる。条例は古物営業法にもない「盗犯」防止と「住民の福祉を保持することを目的とする」(1条)「福祉条項」を前面に出す(注1)ことで憲法違反の疑いを回避した。

古物営業法との係わりでは、条例は佐世保市と同様に金属屑であって「古物営業法の古物でないもの」(2条)との断りを入れ、取締実務に道を開いた。

 

■業者は本籍・住所・氏名・写真等を提出=金属屑扱い業を届出制とし、届出に当たって業者本人のみならず、本籍・住所・氏名・生年月日(注2)、写真添付を義務(3条)付け、この違反は1年以下の懲役又は5万円以下の罰金(15条)。従業員も同様である。

 

■本籍条項=敗戦後の45年11月1日、GHQは「朝鮮人は軍事上の安全が許す限り解放国民として取り扱う。彼等は日本人という用語には含まれないが、彼等は日本国民であったのであり必要な場合は敵国人として取り扱うことが出来る」とした。ただし台湾人、朝鮮人など在日旧植民地人は治安管理上、外国人登録令(47年5月)では「当分の間、これを外国人とみなす」(令11条)と、「常に外国人登録証を携帯と呈示」(令10条)を義務付け、不呈示は刑罰(令12条)の対象とした。

 

■従業員条項=なぜ従業員全員の本籍や写真添付を求め、この違反(形式犯)に1年以下の懲役をもって臨んだのか。GHQ統治下、朝鮮戦争さなかの対在日韓国・朝鮮人の治安対策を裏に持つ条例である。防諜・治安対策そのものの特質が浮かび上がってくる。古物営業法では「従業員に行商または露天」(8条)をさせる場合は許可が必要でその許可申請書には、従業員の本籍、住所、氏名、生年月日及び古物商の続柄を記載し、その者の履歴書及び6ヶ月以内の写真添付(施行規則13条)を添付しなければならない。しかし同法では全従業員までは求めていない。全従業員の本籍から写真まで求める山口条例は、古物営業法に比べても、規制内法が突出している。

 

GHQの下で。条例制定は西日本5県だけ。福岡、広島、高知、鳥取

 山口県が条例を施行した2ヶ月後、福岡県議会も、山口と全く同じ「金属くず回収業に関する条例」を制定(710日)、即日施行した(資料2参考)。広島県条例は、福岡条例の1ヶ月後(1951年・昭和2686日)に制定た(金属屑業条例)。

翌年の52年(昭和27)、高知県(531日・金属屑取扱業条例)、鳥取県(78日・金属屑業条例)が続いた(注)。条例は、臨戦体制下のGHQが、制定を強く示唆したことは想像に難くない。が、マッカーサーがGHQ司令長官の職を解任(51426日)され、福岡県条例施行の当日(710日)には朝鮮でも、休戦交渉が開始された。それと共に臨戦体制の日本版であった金属屑条例制定の外圧も軽減された、とみていいようだ。

 

 第一波(5052年)の条例制定は九州、中四国の1市5県。5012月から527月の18ヶ月で一巡した。朝鮮戦争の開始と共に始まり、休戦調印(537月)のメドと共に終わった。まさに臨戦体制下の条例だった。それだけに地域色と取締り色が濃厚だった。条例制定は一部地域に留まったが、条例制定の衝撃は在日韓国・朝鮮人の居住者が多い大阪にも及んだ(注)。ただ大方の自治体は、この第一波には別段、動いていない。自治体の多くが条例制定に動き出すのは、日本の戦後復興が見えてきた56年以降である。

 

大阪府再生資源取扱業者組合連合会長の証言によれば

(在日韓国・朝鮮人の多い)大阪でも52年(昭和27)に条例制定機運が高まった(我々は大阪府くず物取締条例規則の許可によった組合であり)が、防犯に協力するから待って貰いたい、ということで(条例制定を)延期して戴いた(大阪府会警察委員会「金属営業条例に関する懇談会」5724日後出)との証言がある。

朝鮮戦争さなかの52年前後に、九州・中国地区だけで無く、在日韓国・朝鮮人の多い地域・自治体で条例制定に向けた動きがあった可能性がある。ただ朝鮮戦争そのものが開戦後1年で和平会談に向かい、日本もGHQの支配を脱して主権を回復した(274月)ことから、法的疑義がつきまとった金属条例制定への勢いは消えた。

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第四章 第二波の衝撃

1956年(昭和31)から一挙に全国拡大

同年同月同日に制定したのが3例(神奈川・埼玉、熊本・香川、奈良・岐阜)、同年同月では5県同時が1例、3県同時なら3例がある。とにかく金属屑条例は、一斉に制定され、改正されたことが分かる。これはある時期、自治体を超えた方面からの何らかの働きかけがあったとしか見えない動きである。

56年(昭和31)~58年 条例制定・改正の広がり

 

56年(昭和31)新設6自治体

神奈川県(金属屑回収業に関する条例)56101

埼玉県(金属屑営業に関する条例)56101

德島県(金属くず取扱業に関する条例)56年10月16日

熊本県(金属屑取扱業に関する条例)561224

香川県(金属くず取扱業に関する条例)561224

滋賀県(金属屑回収業条例)56年1225

 

57年(昭和32)改正2、新設16自治体

北海道(金属くず回収業に関する条例)57年1月11

*福岡県(51710日条例改正)57年1月17日 

大阪府(大阪府金属くず営業条例)57年3月4日

岡山県(岡山県金属くず取扱業条例)57326

茨城県(金属くず取扱業に関する条例)57330

奈良県(奈良県金属くず営業条例)57年4月1日

岐阜県(金属くず営業に関する条例)57年4月1日

福井県(金属くず営業条例)57年7月5日

兵庫県(金属くず営業条例)57年7月10

*改定条例(金属くず営業条例)64年4月1日

長野県(金属くず商及び金属くず行商に関する条例) 57711

山梨県(山梨県金属くず取扱業条例)57718

島根県(金属屑の取扱に関する条例)57年723

*山口県(51330日条例改正)5710月1日

愛知県(金属くず取扱業に関する条例)571010

三重県(三重県金属くず取扱業条例)57102025

千葉県(金属くず取扱業条例)5711月5日

静岡県(静岡県金属くず営業条例)57年1210

和歌山県(和歌山県金属くず業条例)57年12月25日

 

58年(昭和33)新設2、廃止1自治体

長崎県(長崎県金属くず営業条例)58710

*佐世保市条例(長崎県条例施行に伴い)同日廃止

佐賀県(金属屑類の回収業に関する条例)581227

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その背景

 

鉄屑カルテルの危機

53年(昭和2812月、鉄鋼20社が「鉄屑カルテル」を公正取引委員会に申請した。これが全国の鉄屑業者の憤激をあおり、カルテル反対の「むしろ旗」の下、全国組織の結成(日本鉄屑連盟)の起爆剤となった。カルテル申請は、業者の激しい反対運動などから54年(昭和296月、挫折した。再度の挑戦となった翌年の申請では、「日本鉄屑連盟の意見を参酌する」との妥協から55年(昭和304月、結成にこぎ着けた。しかし、カルテル価格決定に、利害関係が対立する業者団体の「意見を参酌する」のは、自己矛盾も甚だしい。政府、鉄鋼はカルテル始動直後から、この矛盾解消に取りかかった。

 

その鉄屑カルテルが、結成後わずか半年足らずで崩壊の危機(5510月)に瀕した。鉄屑カルテルの崩壊は、鉄鋼産業政策そのものの崩壊を意味する。鉄屑カルテルを安定運営の軌道に乗せるには、供給側である鉄屑業者、ことに末端流通の多数を占める在日韓国・朝鮮人対策を含めた、全国的な流通の法的整備を図る必要がでてくる。この時、鉄屑カルテルの運用・強化は、鉄鋼各社の思惑を離れた国家的な課題となった。

 

在日朝鮮人、10人に1人が古物屑鉄商

 法務省調査によれば59年(昭和34)の在日人口60万7千人。有職者が14万9千人。うち古物屑鉄商が1万3千人で有職者全体の9・0%。実感的には在日韓国朝鮮人の11人に1人が古物屑鉄商と見られた。戦後の鉄屑価格は物価統制令(46年3月)で監視されたが、戦前・戦中のように切符がなければ一切販売できない(販売統制)という流通上のシバリはなかった。また市中の至るところに戦災屑が放置され、鉄屑回収は誰にとっても手っ取り早い商売として解放されていた。朝鮮戦争勃発と共に祖国送還の道を閉ざされ(501119日)、この日本で生き延びるための手段を懸命に求めていた在日韓国・朝鮮人が、この簡便な商売に飛びついたのは当然の成り行きであったろう。

 

その現実は、鉄屑の絶対的な不足のなか、戦後復興の柱としての鉄鋼生産と鉄屑カルテルの再建・強化を急ぐ政府と鉄鋼会社にとって、ある種の脅威を与えることとなった、と想像される。ここで鉄屑カルテル対策と在日韓国・朝鮮人対策が重なることになる。

 

末端集荷組織は巨大な闇と見た

さらに鉄屑集荷・回収の特殊性がある。当時の鉄屑処理は大方がガス切り、汽車・貨物船まで「もっこ」を担いで「歩み板」を渡り集荷も荷車・リヤカーでの力作業が中心だった。何をするのも人、人、人だった。鉄屑は生活・産業廃棄物だから、都会から大量に出る。仕事にあぶれた者も、鉄屑を集めれば、何とか食える。一説には東京都内だけで鉄屑集荷人約一万九千人(買出人一万二千人、拾集人七千人)、これを束ねる建場(たてば)業者が六百程度いた(「鉄屑年間」58年度版236p)とされた。

 

それは当時、全国各地で大なり小なりに共通した風景だったろう。問題は、鉄屑流通の末端を彼ら(未組織労働者)に委ねながら、実態を鉄鋼メーカーや警察当局は把握できなかったことだ。どうすれば彼らを警察管理下の組織に囲い込めることができるのか。

国内の老廃鉄屑の大部分は、彼ら一団を通じて回収される。末端現場が入り組んだ暗い闇のままでは、鉄屑流通の安定供給は確保されない。戦後の経済復興のためには、それらの流通末端整備と法的透明性の確保が必須の条件だったであろう。

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第五章 57年(昭和32)大阪府など金属屑条例制定の顛末

 

56年12月定例大阪府会速記録より

■条例制定理由

▽赤間知事=「金属屑営業条例は、盗品の金属類が金属くずとして売買されるため『よせ屋』『ひろい屋』について必要な規制を行うことによって金属類の盗犯を防止するための条例の制定をお願いする」(府会1号83p)

 

業界紙によれば

■零細・資源業者らはデモ・陳情=金属条例制定に対し最も激しく反発したのが鉄屑行商など零細・中小業者、その家族・妻たち。なかには字が書けない者もいる。記帳記入が義務化されると商売ができない。死ぬしかないとの声を業界紙は拾っている。条例制定の話が伝わった直後の561217日から再生資源業者が大阪府庁に自転車デモを行い、18日には整理がつかないままに押し合ううちに府会議事堂の出入口扉が壊れ、新聞報道された。さらに19日にはデモ人数は千人に膨れあがり、条例は継続審議に持ち越された。

 

57年(昭和32年) 屑営業条例懇談会―大阪府議会速記録

府会警察委員会と府警本部は「金属営業条例に関する懇談会」を2月4日、5日の両日、府会議事堂で開いた。4日は、鉄屑・非鉄・資源回収など12関係団体代表との懇談会を行い(注23)、5日は、自治体・婦人団体・防犯関係・電電公社・鉄道・鉄鋼業界など一般行政、市民、学識経験者(弁護士)などとの懇談を行い(注24)、意見を聞いた。懇談会の資料として議会事務局は先行11県を調査し「金属屑条例集」を関係者に配布し、懇談会終了後、「懇談会速記録(全文89p」をまとめた。

 

■主な発言

▽大阪府婦人団体連絡協議会長=盗犯防止から賛成する。さらに子供達が小遣いを手に入れるため、学校の水道の蛇口やドアのレールなどを取り外して金に換える。犯罪への出来心を防ぐためにも、条例を作って戴きたい。

▽大阪商工会議所金属工業部会長=会議所は昨年、常議委員会を開いて条例制定の陳情を決定し、130日にも条例の促進を陳情した。すみやかな制定を希望する。

▽近畿電気通信局長=電信・電話の社会的役割を守るために実効が上がる条項を、必ず入れてもらいたい。

 

▽関西鉄道協会京阪電鉄技術局長=関西私鉄13社の昨年被害は千八十五件。脱線や死傷の恐れが多発した。近畿の中心である大阪で原案通りの無修正制定を希望する。

▽近畿酸素協会=酸素ボンベの盗難が多発している。ボンベ扱いは危険で命にかかわる。条例制定が必要だ。

▽大阪銑鉄鋳物工協組合理事長=銑鉄、銅合金、軽合金鋳物業界の代表で、金属屑回収業者とは切っても切れない関係にある。盗品回収のためには16条(立入・調査)は最も必要と強調したい。無修正での制定を希望する。

▽西淀川工業協会会長=盗犯防止のため工場の外壁を高くする、鉄条網を張る、電流を流すなど外敵を防ぐため戦闘状態にある。終戦直後にも例のない状態だ。この条例を原案通り、即刻実施して貰いたい。

 

2月28日・条例無修正可決

2月28日、2月定例会が開会された。

早朝から府庁に押しかけた業者は、開会予定時間の午後1時には一千人をはるかに突破。「憲法違反」を叫んで陳情。議員団にも賛否が錯綜したため4時過ぎ開会式を行っただけで休憩に入り、午後7時過ぎに再開した。社会党議員24名中4議員は採決前に退場。共産党3議員反対の賛成多数で原案通り53日施行案を可決した。

*正式名称=大阪府金属屑営業条例(現行条例・注25

 

解説 大阪「事件」が東京・京都にも波及した

この時期(5612月~573月)、金属屑条例が全国規模で各自治体の案件となっていた。日本三大都市のうち、まず大阪が東京や京都に先だって、条例案を議会に提出した。しかし議会内では、野党系議員や懇談会出席の弁護士は、条例は憲法や刑事訴訟法違反の疑いがあるとして断固反対に動き、議場外では、バスや自転車で乗り付けた回収業者や家族たちが、連日にわたって激しい抗議運動を繰り広げ、社会問題の様相を呈してきた。

 

議会対策は政府・行政答弁等を引用して乗り切れても、それだけでは議場外の反対運動は押さえきれない。そのためには「継続審査」と2日間にわたる業界関係者懇談会のガス抜きが必要だったようだ。議論が深まり、疑問が解消したわけではない(懇談会弁護士発言)。しかし運用では配慮する(225日府警警察委員会)との付帯条件のもと、無修正で原案通り可決成立した。この大阪条例の混乱と業者の反対運動を注視していた東京(警視庁)と隣接の京都府警は、この大阪での「事件」を教訓に、大阪とは別の選択(条例制定ではなく、業者組合の設立)をした節がある。

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第六章 東京・京都府などが条例を回避 

 

東京金属防犯連合会、創設総会

東京金属防犯連合会(金防連)は57年(昭和32)6月26日、神田如水会館で三団体役員、代議員一五〇名が出席し創設総会を開催した。来賓として国家公安委員長国務大臣大久保留次郎、東京防犯協会連合会長前厚生大臣・黒川武雄(共に顧問を委嘱)、警視庁から田中防犯課長、仁藤捜査第三課長、東京都経済局・片振興課長ほか係官多数が出席し、盛大に挙行した(金防連50年史16p)。

 

東京都の条例制定回避の背景

 首都東京で保守知事のもと、なぜ条例制定が回避されたのか。浮かび上がってきたのは、隣県の神奈川、埼玉の条例制定から、日ならずして業者と警視庁の間で、自主組合結成を交換条件とする取引が進んでいたこと(5612月)。わずか3ヶ月足らずで、自主組合・東京金属防犯連合会(金防連)が結成され(573月)、さらに創設総会に国家公安委員長や警視庁幹部が出席している(576月)ことだ。

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時間と面子が揃いすぎている。60年も経てば実感はわかないが、戦後まだ10年足らずの当時、鉄屑流通に出入りする建場、拾集人など末端集荷人は膨大(東京だけで一万九千人)で、実態は、鉄鋼メーカーは勿論、警察さえもハッキリとは分かっていなかった(注27)。その流通実態をどう掌握するか。鉄屑集荷は、さまざまな歴史的な経緯から在日状態に置かれた韓国・朝鮮人たちにとってほとんど唯一の就労と生活の場だった。一方、東西冷戦さ中の政府とっては治安問題であり、鉄鋼にとっては切実な経済問題だった。

 

そのなかで全国的な対策として金属営業条例がでてきた。ただ首都東京、しかも組織化され行動力を持つ鉄屑業者や資源業者団体と正面からことを構えるのは危険にすぎる。

条例制定は手段であり、要は鉄屑業者集団をいかに手なずけるか、だった。条例制定にこだわることはない。目指すは、業者が自分たちの足で警察行政の檻に入ること。条例制定回避のため自主的に組合を作り、官民が一致し支える緩やかな構図を提示する。全国で条例が制定されている。が東京は参加しない、その交換条件だ。見事な戦略だった。

 

東京、京都、条例回避 各地への影響

 京都の自主組合の結成は329日、東京の設立総会は626日。警視庁膝元での条例制定回避と革新知事による自主組合結成と条例対処は、成り行きを見守っていた多くの関係自治体と業者団体に格好の先例を示した。筆者が目にした自治体は以下の2例(大分、石川)だけだが、業界紙にもマスコミにも報道されることなく、自主組合の結成と引き替えに条例制定を回避した自治体は少なくないと思われる。それが49都道府県中、条例制定が29道府県に留まった最大の理由とも考えられる。

 

1956年から58年のまとめ

 

1 公安規制から鉄屑カルテル対応規制へ

金属営業条例は、単なる地方自治体の条例ではない。公安委員会が関与する警察条例である。各地方公安委員会は、中央機関である国家公安委員会との連携が強い。資料的に証明はできないが、鉄屑カルテル運営に危機感を強めた通産省の意向と、国家公安委員会と地方公安委員会が、共同歩調を取った可能性が推測できる。

それが5610月から翌5712月までの14ヶ月間に26道府県が一斉に条例の制定・改正に走った背後にある。国家、条例が求めたのは、鉄屑カルテルを円滑に動かすため、零細業者、在日韓国・朝鮮人対策による反カルテル的要素の排除、複雑多岐にわたる鉄屑流通・末端の透明性、さらに一歩進んで、合法性の担保だったろう。

 

それが51年全国に先駆けて条例を制定した山口、福岡が57年に条例を改正した理由であり、同時に、反対闘争に立ち上がった各地の業者団体が制定後、日ならずして警察行政に賛同する一因につながったと思われる。法的整理、透明性の確保は、未組織業者の集約に苦しんでいた当時の業者団体にとっても、渡りに船だった。

 

2 組合結成と名簿整備のねらい

条例制定の隠れた狙いが、鉄屑流通業者の「全員集合」と「身体検査」にあるのであれば、目的さえ達成できるのであれば、条例制定にこだわることはない。 

全国自治体の半分強しか条例を制定しなかったが、おそらく当時の通産官僚、公安関係者からすれば、「制定しても良し、しなくても良し」だっただろう。

 

目的は別にあった。条例制定は道具だった。条例制定が通れば、警察権は直接に行使できるし、条例見送りを交換条件に、(警察傘下の)組合結成と名簿作成に業者を促し警察行政への協力を取り込めば、万全だった。だからこそ警視庁も京都府警も、業者組合の結成に力をつくした。さらに制定しなかった自治体在住業者も、東京にならって自主組合を結成した(大分、石川など)。業者は組合結成によって条例を回避したが、組合は、防犯協力の名の下に警察署管区を基礎単位とする組合員名簿を作成した。

 

3 警察行政と業者組織の増加

この時、業者はどう動いたか。モロに激突したのが西日本最大の鉄鋼・鉄屑の街・大阪の鉄屑、資源業者団体だった。が、注目されるのは、条例制定後、業者の組織化が、条例施行を機会に大阪でも一気に進んだことだ。   

 

それはひとり大阪だけではなく、前記の通り、条例施行の各地で見られた現象だった。56年条例の特徴は、営業拠点をもつ金属屑商は許可制だが、拠点を持たない集荷・回収業者の大方は届出制の二段構えとしたことだ。これで大口ヤード業者と零細・小規模業者の法的、組織的整理がつく。また公然とは口にだせなかったろうが、許可・届出制を通じて在日韓国・朝鮮人たちの行動が規制できるのであれば、日本人業者にとっても悪くはない。

 

条例制定は、鉄屑関連業者の新たな組織化に拍車をかけた。従来、砂のようにバラバラだった業者が、条例の許可・届出に合わせて、警察署関与の「自主組合」の創設に積極的に動いた。警視庁や京都府警が条例制定回避の交換条件とした自主防犯組織が各地で結成され、名簿を参考に警察は日常的な「監視」が可能となった。

業者にとっても所轄警察と日常的なパイプを持つことは、リスク回避の担保となる。条例が警察と業者をアウンの呼吸でつないだ。それが組合結成を加速させた。

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七章 第三波・逆有償、条例廃止、環境新法登場

 

金属屑条例、制定県の半数が廃止

金属屑条例の廃止に踏み切ったのは99年(平成11)の高知が最初。ラッシュとなったのは2000年(平成12)以降で、この年7県(福岡、埼玉、熊本、山梨、愛知、三重、長崎)、その後も05年(平成17)までに5県(岐阜、神奈川、香川、鳥取、千葉)が続き、6年間で合計14県が条例を廃止した。

 

鉄屑を取り巻く環境は、80年代以降大きく変化していた。確かに戦後の一時期、鉄鋼生産の始原材料である鉄屑の「絶対的不足」が経済活動の制約となり、その打破のため、鉄屑輸入と鉄屑カルテルが模索された。まさにその故に、日本の大手鉄鋼各社は鉄屑を大量に必要とする平炉製鋼法から、原理的に不要とする転炉製鋼法を世界に先駆けて開発(57年)し、鉄鋼会社の大統合(70年・新日鉄誕生)を経て、鉄屑カルテルを無用化した(74年)。これに高度経済成長による国内鉄屑の供給増加が加わり、鉄屑は「絶対的不足」時代から「絶対的余剰」時代に移り、国策的関心ではなくなった。 

さらに90年代以降、鉄屑は「リサイクル品」であり「資源」であるとの法制が続々と登場してきた。地方自治体が条例施行に固執する理由もなくなっていた。

 

金属屑条例の廃止14県

高知県(高知県金属屑取扱業条例)991014

熊本県(金属屑取扱業に関する条例)00年3月23

長崎県(長崎県金属くず営業条例)00324

三重県(三重県金属くず取扱業条例)00年3月24

岐阜県(金属くず営業に関する条例)00年3月24日

  • (岐阜県使用済み金属屑営業条例)15年再制定

愛知県(金属くず取扱業に関する条例)00年3月28

福岡県(金属屑類の回収業に関する条例)00年3月29

山梨県(金属くず取扱業条例)00年3月29

埼玉県(金属屑営業に関する条例)00年4月1

佐賀県(金属屑類の回収業に関する条例)01323

香川県(金属くず取扱業に関する条例)04326

神奈川県(金属屑回収業に関する条例)04330

千葉県(金属くず取扱業条例)05年7月22

鳥取県(金属屑業条例)051226

 

直接的な背景・98年・世界は歴史的な安値

資源・エネルギーは歴史的な安値にあった。NY(WTI)原油価格(年平均)は97年1バーレル20・6㌦からロシア危機(8月)が勃発した9814・4㌦に落込み、鉄と共に産業活動の始発材料であるLME(ロンドン金属取引所)の各種金属相場も、大きく値を下げた。アジア危機(977月タイ・バーツ危機、12月韓国危機)、ロシア危機(98年8月)が起こった。ロシアは原油・天然ガス収益に国家財政の半分を頼るため原油急落は同国財政を直撃。これに日本危機(99年)が続き、97年から2002年の5年間、世界の資源・エネルギー相場は歴史的な安値に封殺された。

 

日本・過去50年来の安値

鉄スクラップの陥没は98年9月トーア・スチールの自主清算発表で決定的となった。この後(98年~01年)、電炉各社のH2炉前価格は六~八千円台に落込んだ。

敗戦直後から朝鮮戦争(1950年)直前まで遡っても例がない歴史的な安値が、丸3年以上も続いた。扱い業者の仕入れ価格と最終ユーザーへの売買差は一般に六千~七千円前後(98年関西鉄源資料)だから、テーブル計算上、全業者が赤字経営に転落する。

またベース品であるH2購入価格が六千円台だから、それ以下の「下級品種」は、排出の相手側に処理料金負担を求めなければ、経営自体が成り立たなくなった。

 この時から、現在につながる「逆有償・リサイクル」ビジネスの萌芽がでてきた。ターニングポイントだった。

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第八章 第四波 条例復活・新規制も登場

 

復活及び新条例・金属屑営業条例再制定

岐阜県 使用済金属類営業条例(13101日再施行)

 

新条例制定

千葉県 特定自動車部品のヤード内保管等の適正化に関する条例(1412月施行)

鳥取県 使用済物品等放置防止条例(1641日施行)

三木市 特定自動車部品のヤード内保管等の適正化に関する条例(16年7月)

 

その背景

 

1 資源価格が高騰、争奪合戦

東西冷戦の終結(1991年)後、世界は単一市場に再編された。旧社会主義国の安価な労働力と新たなフロンテアを獲得した資本市場は、経済活力の始原材料としての資源・エネルギー需要と生産活動を爆発的に高めた。新興市場、BRICsが登場した2003年以降、資源争奪の波(バブル)は資源環境を一変させた。05年には鉄鉱石の長期契約価格は5年間で約2・9倍に暴騰。H2炉前価格も27年ぶりに四万円台(07年9月)に乗った。さらに翌08年は世界中で記録的な資源暴騰が席巻し、日本でもH2炉前価格は七万円超を記録。金属屑の高騰、盗難多発が(朝鮮戦争の時以来の)社会問題となった。

 

2 イスラム原理主義 テロ対策強化

中東のイスラム過激派が2001911日、アメリカの旅客機を奪い、同時テロを仕掛けた。米国大統領は10月、テロ出撃拠点のアフガンに陸空軍を投入して報復(11月、同国政府崩壊)。さらに米英軍は「大量破壊兵器の保有」を口実にイラクに侵攻(03年)した。虚報と国連決議の承認のない大義なき戦いは、中東地域の秩序を破壊し、イスラム原理主義者らの反米闘争をさらに煽った。テロ主導者ビンラディンは米特殊部隊によって11年殺害されたが、その後の世界は、各地に拡散したテロリストらとの際限のない闘いに巻き込まれ続けた。イラク侵攻に協力した日本でもテロ対策が急がれた。そのなかで海外部品貿易のやりとりなどから外国人労働者が多い自動車解体業者が監視の対象となった。

 

3 路上・無料回収が広がる

家電リサイクル法(20014月施行)では、テレビ、クーラーなど「廃棄物となった」法定家電4製品は、ユーザーが処理料金を負担し家電販売店などに収集・運搬を委託し適正に再資源化するよう義務づけている。 

 

ただ同法でも「中古品」処分は各人の自由だから(路上引取の場合であっても)、中古品の処分だと抗弁されれば、取り締まることはできない(商品値決めは商行為として各人の自由)。国は抜け穴を塞ぐため、家電製品が「中古」引取であっても、市場性が認められない物や保管・処理が不適切な場合は、廃棄物に当たる、と通知(12319日環境省)したが、「路上引取」の抑止効果は、ほとんど期待できないのが実際だった。

そのなかで「路上引取」や「無料回収」が横行した。これが野放しとなれば、家電製品は勿論、既存の廃棄物回収・流通ルートは路上で遮断されるとの危機感が、各地で台頭した。その対策を求める動きが広がった。

 

そのなかで一旦、金属屑条例を廃止した自治体でも、路上回収等の取締り手法を再検討に動き始めた。その場合、金属屑条例そのものを再制定する(岐阜)のか、一部を環境保全条例とするかが分かれた(鳥取)。さらに自動車解体業者を特定対象とした取締条例を目指す事例もでてきた(千葉県、兵庫県三木市)。

 

岐阜県 使用済金属類営業条例を再制定

岐阜県は1957年(昭和32)金属屑の盗難多発を防止するため「金属くず営業条例」を制定したが、98年以降の世界的な金属相場の急落と金属屑の盗難事件の減少を受け2000年(平成124月、同条例を廃止した。その後、金属屑や自動車窃盗事件が急増したことから岐阜県は対応措置として「岐阜県使用済金属類営業条例」を改めて制定し13101日から再施行した(注33)。廃止後の再制定は同県が初めてである。

新条例は、21世紀の資源環境や世界情勢、集荷・回収現場の変化を踏まえた最新版として登場したが、同時に朝鮮戦争さ中の金属屑条例登場(1950年)時の従業員条項や品触れの過失処罰条項も復活させた。

 

■13年10月 バージョン・アップして復活

旧条例は、金属屑商は許可(3条)。行商は届出(20条)だったが、新条例はいずれも許可(3条)とした。

許可証の掲示(6条)、名義貸しの禁止(11条)、行商証明書の携帯(12条)、取引相手の本人確認(14条)、不正品の申告(15条)、取引に関する記録(16条)、記録の保存(17条)や警察による品触れ(18条)、差止め(19条)、警察等の報告徴収・資料提出要求、営業所等への立入検査(22条)、指示(23条)、営業停止命令(24条)など旧条例を踏襲しつつ、新たに許可申請を排除する欠格条項の範囲を、遺失物横領を含む財産犯や盗品売買、粗暴犯など廃棄物処理法並に厳格化(4条)し、さらに営業場所の制限(13条)、従業者名簿の保存(20条)、防犯対策(21条)を新設した。

 

また報告徴収の範囲も旧例の「盗品等又は遺失物に関し必要な報告を求める」から「使用済金属類取引業者に対し、使用済金属類営業に関し必要な報告又は資料の提出を求めることができる」(22条)と営業全般に拡大。道府県条例としては初の「品触れの過失」(34条)を処罰対象とした。

 

■「公安法」へ先祖返りの一面も

▽従業員条項を新設=「公安委員会規則の定めるところにより、従業者の住居、氏名その他を記録した名簿を保存しておかなければならない」(20条)。これは旧条例にはない。新設条項である。他県でも最初期の金属条例は厳格な従業員条項(山口、福岡)を持ち、兵庫にも同条項はあった、その後の改正ですべて廃止されたものだ。

 

▽品触れの過失を処罰=「過失により第18条第5項(品触れ品の届出)の規定に違反した者は、拘留又は科料に処する」(34条)。これも旧条例にはない。他の道府県条例にも先例はなく、佐世保市条例(1950年佐世保市条例44号。25条)が唯一制定しただけである。前記の従業員条項と合わせ、過失を処罰する13年の岐阜県條例は、60数年前のGHQ統治下の「治安」条例そのものの復活を思わせる極めて異例なものである。

 

▽厳罰化、新規制=その他の条項でも、許可の基準の厳格化(4条)、営業の制限(13条・新設)、帳簿保管期間(17条)、防犯対策(21条・新設)、報告(22条)、指示(23条・新設)など規制強化が目に付く(注34)。

 

金属屑条例に替わる環境保全規制として

金属屑類条例を廃止した後、公安委員会が関与する警察条例ではなく、環境安全等に係わる一般条例として金属屑類も係わる自動車部品ヤード保管や使用済物品等の放置防止を目的とした条例が登場した

 

1 千葉県「自動車部品ヤード保条例」を制定

千葉県議会は全会一致で2015年4月1日から「県ヤード保管適正化条例案」を施行した(注37)。ヤードで自動車の解体などを行う場合を、警察条例としてではなく「環境保全」条例として制定施行した。

 

▽実質、金属条例の一部復活=目的は「自動車による汚染並びに不正に取得された自動車部品」の「ヤード内保管等の適正化措置」(1条)である。そのためヤード定義(2条)を行い、氏名や事業概要などの届出(3条)、油等の地下浸透等の防止(4条)、相手方の確認及び不正品の申告(5条)、取引記録の作成(6条)、標識の掲示(7条)、規定違反の場合の知事勧告(8条)、同命令(9条)、同報告(10条)を定め、県職員の立ち入り検査(11条)、本条例が警察条例ではないため知事の警察援助要請(12条)も認め、土地所有者等の努力義務(13条)など広範な規制を盛り込んだ。命令違反の場合は、懲役1年以下または罰金50万円以下を科し、無届けや虚偽報告への罰則も規定した。

 

ただ「ヤードとは、特定自動車部品の保管又は分離の用に供する施設のうち、外周の全部又は一部に板塀、垣、柵、壁、コンテナその他これらに類する工作物が存する施設」(2条・定義)だから、一般ヤード業者でも、廃車・部品を扱っているとの疑義が生じた場合、広義の解釈上、立入検査(11条)の対象となる恐れはある。

 

2 鳥取県は「使用済物品等放置防止条例」

鳥取県は1511月議会で、不要家電製品や鉄くずなど不用品を屋外で大量に保管し、生活環境を悪化させるケースに対し、適正管理を求める条例(「使用済物品等の放置防止に関する条例」)を提出し12月可決。164月から施行した(注38)同県は金属屑業条例を57年(昭和32)制定したが、2005年(平成17)廃止していた。

 

▽金属類すべてが対象=対象は「一度使用された」「金属及び金属以外のいずれもが含まれる物品」)であるから、解釈上、金あらゆる金属屑は、新条例の対象となりうる。

 

▽すべての業者が対象=対象者は「使用済物品回収業を営もうとする者」(7条)で「施行の際現に営んでいる者」は平成28年(16年)430日まで」(附則3)に届出なければならないから、結局、県内すべての使用済物品回収業者が、条例の対象となる。

新条例が問題とするのは、「運搬・保管」に係わる回収業者の責務である。業者氏名、保管場所等の届出(7条)を求め、保管場所及び要件を定め、車両には運搬要件と車両表示(8条)を義務付け、取引年月日、品目、数量、3年間の保存義務(9条)を課し、廃止の事前届出と適正処分(10条)、使用済物品放置禁止と通報(11条)を規定する。

知事権限として業者に必要な報告、資料提出を命じ、立入検査を行い(12条)、それに基づいて指導及び助言(13条)、移動・処分等の改善命令が行える(14条)。

 

3 三木市もヤード保管条例を施行(16年7月)

 千葉県の「特定自動車部品のヤード内保管等の適正化に関する条例」に兵庫県の三木市が続いた。「三木市内におけるヤード内保管等の適正化に関する条例」を16326日公布し、7月から施行した(注39)▽千葉条例に準じる=条例名及び条例本文も千葉県条例の各条文とほぼ(というより全く)同じ。▽命令違反を「公表」=三木市独自の条文として(千葉県条例にはない)、命令違反者の「公表」(10条)を規定し、自動車解体業者の社会的責任をより明確にした。

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第九章 29道府県金属屑条例資料 

 

昭和25年(市条例) 1件

佐世保市古鐵金属類回収業条例・昭和25年12月9日 条例44号(全文28条)

▽改正 昭和26年6月12日 条例29号(全文27条)

▽廃止 長崎県条例制定にともない昭和33年10月10日。

 

昭和26年(県条例) 3件

1 山口県 金属くず回収業に関する条例・昭和26330日条例28号(全文20条)

改正 金属くず回収業に関する条例(現行条例)・昭和3210月1日条例32

2 福岡県 金属くず類の回収業に関する条例・昭和26710日条例52号(

改正 金属くず類の回収業に関する条例・昭和32年1月17 条例12号(

廃止 平成12329

3 広島県 金属屑業条例(現行条例)・昭和26年8月6日 条例39号(全文23条)

 

昭和27年(県条例) 2件

4 高知県  高知県金属屑取扱業条例・昭和27531日 条例16

▽廃止 平成111014日。

5 鳥取県 金属屑業条例・制定 昭和2778日・条例31号 (全文20条)

廃止 平成171226日。

 

昭和31年(県条例) 6件

6 神奈川県 金属屑回収業に関する条例・昭和31101日 条例42

廃止 平成16330日。

7 埼玉県 金属屑営業に関する条例・昭和31101日 条例41号(全文22条)

廃止 平成1241日。

8 德島県 金属くず取扱業に関する条例(現行条例)・昭和31年10月16日 条例56号

9 熊本県 「金属屑取扱業に関する条例」・昭和311224日条例76号(

廃止 平成12年3月23日。

10 香川県「金属くず取扱業に関する条例」・昭和311224日条例47

廃止 平成16326日。

11 滋賀県 金属屑回収業条例(現行条例)・昭和311225日条例58

 

昭和32年(道府県条例) 16件

12 北海道「金属くず回収業に関する条例」(現行条例)・昭和32年1月11日条例4号

13 大阪府金属くず営業条例(現行条例)・昭和32年3月4日条例第1号

14 岡山県金属くず取扱業条例(現行条例)・昭和32326日条例32号 

15 茨城県金属屑取扱業に関する条例(現行)・昭和32330日条例3

16 奈良県金属くず営業条例(現行条例)・昭和32年4月1日条例20号(全28条) 

17 岐阜県 金属くず営業に関する条例・昭和32年4月1日条例4

廃止 平成12324日。

再制定 岐阜県使用済金属類営業条例・平成25326日 条例28

18 福井県 金属くず営業条例(現行条例)・昭和32年7月5日条例第32

19 兵庫県:金属くず営業条例・当初制定 昭和32年7月10日条例37

改定条例=金属くず営業条例(現行条例)・昭和39年4月1日 条例56

20 長野県 金属くず商及び金属くず行商に関する条例・昭和32711日条例37号 

21 山梨県金属くず取扱業条例・制定=昭和32718日条例39

廃止 平成12329

22 島根県 金属屑の取扱に関する条例(現行条例)・昭和32723日条例27

23 愛知県 金属くず取扱業に関する条例・昭和321010日条例31

廃止 平成12328

24 三重県 三重県金属くず取扱業条例・昭和321020日条例63号(

廃止 平成12324

25 千葉県 金属くず取扱業条例・昭和3211月5日 条例35号(全文22条)

廃止 平成17722

26 静岡県金属くず営業条例(現行条例)・昭和321210日 条例51

27 和歌山県金属くず業条例(現行条例)・昭和32年12月25日 条例第66号

 

昭和33年(県条例) 2件

28 長崎県 長崎県金属くず営業条例・昭和33710日 条例23号(全文31条)

廃止 平成12324

29 佐賀県 金属くず類の回収業に関する条例・昭和331227日条例55

廃止 平成13323

 

制定29道府県のうち14県廃止

高知県金属屑取扱業条例  平成111014

熊本県金属屑取扱業条例 平成12年3月23

長崎県金属くず営業条例 平成12324

三重県金属くず取扱業条例 平成12324

岐阜県金属くず営業条例 平成12324日(廃止)

*(ただし平成25年再制定)

愛知県金属くず取扱業条例 平成12328

福岡県金属くず類回収業条例  平成12329

山梨県金属くず取扱業条例 平成12329

埼玉県金属屑営業に関する条例  平成1241

佐賀県金属くず類の回収業条例  平成13323

香川県金属くず取扱業条例 平成16326

神奈川県金属屑回収業条例 平成16330

千葉県金属くず取扱業条例 平成17722

鳥取県金属屑業条例 平成171226

 

現行・施行条例(道府県)

1 山口県 金属くず回収業に関する条例

2 広島県 金属屑業条例

3 德島県 金属くず取扱業に関する条例

4 滋賀県 金属屑回収業条例

5 北海道 金属くず回収業に関する条例

6 大阪府金属くず営業条例

7 岡山県金属くず取扱業条例

8 茨城県金属くず取扱業に関する条例

9 奈良県金属くず営業条例

10 福井県 金属くず営業条例

11 兵庫県:金属くず営業条例

12 長野県 金属くず商及び金属くず行商に関する条例

13 島根県 金属屑の取扱に関する条例

14 静岡県金属くず営業条例

15 和歌山県金属くず業条例

16 再制定 岐阜県使用済金属類営業条例

 

六十年間のまとめとして

金属屑営業条例は、制定の始めに法的正統性が疑われた。なにしろ日本占領の任にあったGHQ時代に、国法(古物営業法)で営業の自由が認められた鉄屑商売に、地方条例(佐世保、山口など)が、敢えて罰則のしばりをかけたのだ。これが初期の金属屑条例に違和感を与え、その後の地方議会の制定審議は、この一点にこだわった。

鉄屑カルテルの円滑な運営が国家の関心事となり、鉄屑の流通整備、近代化が緊急課題となるなか、金属屑条例の制定が56年以降再び、しかも全国規模で進められた。その時、国家が必要としていたのは、鉄屑流通の監視。膨大な末端業者の闇に光を当てることだった。条例制定だけが目的ではなかった。それは手段の一つ。だから鉄屑末端集荷業者の拠点だった東京では、条例制定の回避を交換条件に、国家公安委員長が「自主組合」の創設総会に臨席し、管区警察単位で組合を結成させ、闇を払った。 

 

条例制定は全国49自治体の半分強の29に留まったが、制定を見送った東京や京都などの業者も、警察署単位で自主組合を作り、組合員名簿を差し出した。国家、警察は、条例制定とその回避の駆け引きを通じて、全国的にほぼ所期の目的を達した。 

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高度経済成長から大量生産・大量廃棄の時代となった1980年以降、鉄屑は「絶対的不足」から「絶対的余剰」産物となった。資源価格が世界的に暴落するなか、日本でも下級鉄屑は買い取るどころか、排出者に逆に処理料金を請求する「逆有償」が出現し、これを嫌った鉄屑の不法投棄の山が社会問題となった。2000年前後、金属条例は廃止ラッシュに包まれた。条例制定目的だった「盗犯防止」が意味を失い、社会的な役割が終わったと見られたことから14県が廃止。警察条例としての金属屑条例を持つのは16道府県だけだ。

 

16道府県が条例施行継続の背景

とは言え、16道府県が条例をいまなお継続している。そのことも考えなければならない。その際のヒントになるのが13年に新たな装いのもとに再制定された岐阜県の「使用済金属類営業条例」である。同条例は21世紀の「電子情報処理組織を使用する方法その他の情報通信の技術を利用する方法」(183項)などの情報システムと使用済み自動車処理や国際テロ組織対策(従業員名簿・20条)を組み合わせた最新の金属屑条例として登場した。

 

関係官権は、金属屑条例を歴史的な役割が終わった条例とは見ていないようだ。その実例が前記の岐阜県条例の再制定であり、ことに「品触れの過失」処罰規定の挿入だろう。

国の法律で認められなかった規定(改正刑法案審議では廃案)を、条例条項に盛り込む。古物営業法と金属屑条例との同じ図式を「品触れの過失」でも採用した。

官憲は一旦手にした道具(佐世保市50年条例25条)は手放さない。だから岐阜県条例(34条)で復活させた。官憲は歴史を忘れてはいない。さらに法令は第一義的に警察が解釈する。金属屑条例は官憲にとって既得権益である。中味が実態にそぐわなければ、改変すればいい。それが岐阜条例であり、歴史の教えである。