復活する金属屑営業条例(1)

本稿は来年(2017年)出版予定の「日本鉄スクラップ業者史」の第一部「金属屑営業条例とリサイクル新法」の序章と第十章(まとめ)の全文原稿案である。なお第二部では「鉄屑カルテルと鉄鋼需給安定法と業者」、第三部以下では「金属リサイクル関係業者団体、その設立と現在」その他などを予定している。

いま、金属屑条例の第一部の序章と第十章をHpでアップするのは、岐阜県を始め2013年以降、金属屑条例の再制定やその一部を取り出した規制条例(千葉県、鳥取県、三木市など)の制定が相次ぎ、当HPに関係者からの問い合わせが増えてきたためである。

そのため来年の発行に先立ち、その一部を先行公開することとした。

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始めにー遺物どころか現代史として

金属屑営業条例に関する資料や文献は乏しい。実は筆者も「日本鉄スクラップ史集成」(2013年出版)のなかで「各地で金属条例制定される」(見開き2ページ)と紹介したが、全体像を提示するには程遠かった。

そこで今回、金属屑条例制定(または廃止)の関係自治体から制定当時の条例本文をすべて取り寄せ、時系列ごとに条文内容を整理した。歴史的な立ち位置をみるため、金属屑関係の江戸、明治の先行法令の変遷も見た。

筆者は業界紙記者として、鉄屑(近年で「鉄屑」とは言わず「鉄スクラップ」を使うが、本文では文体の統一上、「鉄屑」と呼ぶ)業界には数十年にわたる馴染みがある。法制や社会的背景と同時に鉄鋼、鉄屑業界関係の視点からも独自の分析を加えた。

その結果が、本稿である。結論から先に言えば、筆者が当初、予想していた以上の、

高度に歴史的(江戸の御触書から戦後の条例制定)、

政治的(第1号がGHQ支配下の1950年佐世保市)、

経済的(1956年から全国規模で爆発的制定の背景)、

さらに現在的(2013年、廃止条例の復活・再制定)

な姿が浮かび上がってきた。

金属条例は、それらを背後に従えて登場し、いまなお復活再生されている。

さらにまた、新たな法令(廃棄物処理法やリサイクル新法)が、大きな時代の要請によって登場し、それらとの関係においても全体状況を把握する必要がでてきた。その事実とダイナミックな変化には、驚きを禁じえなかった。過去の遺物ではない、今を生きる現代史を発掘した思いである。そのことを簡潔にお伝えしたい。

目次

始めに                   2p

序章  復活した金属屑業条例        3p

第一章 四百年の歴史的な流れのなかで    11p

第二章 1950年 佐世保市が最初だった  20p

第三章 1951年 山口が県レベルでは最初 28p

第四章 第二波の衝撃

1956年から一挙に全国拡大する  33p

第五章 大阪府、金属屑条例制定の顛末    41p

第六章 条例制定回避も 東京都・京都府など 56p

第七章 第三波 逆有償、条例廃止、環境新法 69p

第八章 第四波 条例復活・新規制も登場   77p

第九章 六十年間のまとめとして       88p

第十章 29道府県金属屑条例・資料      92p

序章 復活した金属屑業条例

岐阜県では2013年(平成25)10月1日から金属屑業に係わる「岐阜県使用済金属類営業条例」が施行された。同県では1957年(昭和32)「金属くず営業条例」を制定したが、近年の金属相場の低下や盗難事件の減少などから2000年(平成12)4月に同条例を廃止した。その後の世界的な資源需要の高まりや相場高騰などから金属くずや貴金属、自動車窃盗事件が多発。このため岐阜県警は2012年(平成24)10月、業界関係者を交えた有識者会議を開き、パブリックコメントなどの手続きを経て、新条例の制定、再施行に動き出した。

そうして廃止から13年後の13年10月、内容を一段と強化した平成の金属屑営業条例として再制定した。では、金属屑営業条例は、いつどこで、どうして制定され、なぜいったんは廃止され、今になって再登場したのか。それを見てみよう。

金属屑業条例とは何か
 

 朝鮮戦争さなかの1950年(昭和25)12月、米軍港を持つ長崎県佐世保市が、金属屑商に関し、許可制による取締り(規正)を目指す古鐵金属類回収業(条例44号)を市条例として制定したのが発端である。県レベルの制定の最初は51年3月山口県。届出制によるもので、同年7月福岡、8月広島、52年5月高知、7月鳥取と続いた。

佐世保条例の6年後の56年10月以降、鉄屑流通を巡って国家的な模索(鉄屑カルテル結成、鉄鋼需給安定法など)が続くなか、金属屑価格の高騰と共に金属屑盗犯事件が多発し、全国的な防犯条例制定の波が起こる。

関東の神奈川、埼玉が10月1日の同月同日、許可制での制定に踏み切り、57年大阪府などをピークに58年まで北は北海道から南は佐賀まで24道府県に広がった。

この時、東京都や京都府知事は、条例による取締りではなく、業者に自主組織の結成を働きかけ、警察と一体となった防犯体制作りを選んだ。この結果、条例制定は、全国47地方自治体の半数強の29道府県に留まった。

その後1999年から2005年にかけ14県が廃止したが、2013年以降、一旦廃止した金属屑類条例を全部(岐阜県・警察)、または一部を一般条例として再制定(鳥取県など)する動きがでてきた。現在、同条例を施行しているのは、再制定を含め16道府県に及ぶ。

条例制定までの四百年-その歴史的背景

歴史的に言えば、金属屑営業条例の登場は、江戸時代以来の、金属屑取締り法令の連綿たる流れを守る苦肉の策だった。正保二年(1645年)以来の江戸幕府の伝統的な「古がね屋」取締り対策は、奉行所発行の「鑑札」と業者の自主組合による相互監視を柱としていた。

吉宗による享保の改革は、古金(ふるがね)業者に同業組合を結成させ、行商に当たって鑑札携行、不審者の通報・拘束、盗品の品触れ、帳簿記載、不正品申告義務などを始めとする奉行所との連携、処理を定めた。

明治の法制では、古物商(法律で定めた)と屑商(条例で定めた)の区分があり、江戸時代以来の銅鉄商は古物商に分類された。古物とは「古道具、古本、古着、古銅鉄、潰金銀など」で、これらを扱うには「免許」が必要だった(明治17年・古物商取締條例・法律)。また屑商とは「古綿襤褸、紙等」(条例)を扱う者で、これを売却しようとすれば、屑商の免許の他に古物商の免許(いわゆる二重鑑札)が必要だった。

古物商取締法(明治28年・法律第13号)は、古物商とは「一度使用したる物品(略)を売買交換する」者(1条)と定義し、旧法の取締り対象を引き継いだ。

しかし戦後の古物営業法(1949年・昭和24年・法律)は、古銅鉄類を古物類の対象(規則2条は古物13種を列挙する)に加えず、「空き缶類、金属原材料、被覆いのない古銅線類」は同法の取締りの対象外とした(警視庁・古物営業法の解説)。従って戦後の一時期、鉄屑及び扱い業者を正面から直接規制する国の法令は存在せず、法制上歴史的な空白が生まれた。

金属屑条例は、古物営業法の「欠けた穴」を埋める苦肉の策としてGHQ支配下の1950年に登場した。このとき金属屑条例は古物営業法の定義を巧みに操作しながら、先行の古物営業法の各条を丸写しする形で条例条項を仕上げた。古物営業法に準じることで法令体系に馴染み、条例作成を助けたが、ただ国が規制を避けた鉄屑・古金の取締りを、国の下位法である条例が(条文解釈を駆使して)制定することへの違和感は残った。

これがその後、各県での条例制定での議会審議での、ハードルの一つとなった(大府会議事会速記録など)。

条例制定の六〇年-その社会的背景

金属屑営業条例は、鉄鋼関係者から一般市民まで、対象は多岐・多様にわたり、盗犯・治安問題にも係わるから、時の製鋼原料事情や政治的、社会的な環境変化を敏感に映す。それが条例制定の1950年に始まる第一波から2016年の第四波まで一貫した。