日鉄のUSスチール買収戦略----その概要
日本製鉄は2023年12月、USスチール株を141億ドル(約2兆円)で買収すると発表した。が交渉は難航した。ナショナルフラッグを掲げる企業買収のゆえに、米国の国益論争に翻弄され続け、「アメリカファースト」を絶叫する大統領に140億ドルの追加投資の「ディール」を持ち掛けた末に25年5月、完全子会社化を達成した。
米国名を冠するUSスチールの買収リスクは当初から指摘されていた。ではなぜ買収に打って出たのか。同社は高炉を8基、電炉3基持ち、また鉄鉱石の自社鉱山を持ち、原料炭や鉄鉱石を安定して調達できる。さらに買収を果たせば、日鉄は粗鋼生産で世界4位から3位に浮上し、1億トンの目標達成に近づく。橋本会長は「日本鉄鋼業を取り巻く環境と課題」の標題で2024年6月、講演し「1990年には7600万トンあった鋼材の純内需は(2023年現在)3300万トンまで半減した」。日鉄の粗鋼生産能力は現在6600万トンだが、1億トンを目指す。国内に需要がないから、海外に拠点と販路を求める。それが高級鋼需要が見込めるアメリカだった、との見立てである。
そればかりではないだろう。カーボンニュートラル対策もあった(注1)、と観測される(日鉄幹部からは「今の橋本氏の関心はUSスチールよりも原子力発電所の動向に移っているようだ」との声も漏れる)(注2)。つまりカーボンニュートラル対策を当面、乗切る策として「大型電炉」を導入する。
その大型電炉を動かすには「(原発などを含む)安定的なかつ安価な電力」が必要になる。ところが日本では長期的な電力政策が不透明だ。一方、アメリカなら不安は少ない。鉄鋼需要と電力の安定が見込めるアメリカ投資は理に適うからだ。おそらく、このまま坐せば「座礁資産」(注3)に陥るとの危機感が、カーボンニュートラル対策の一環としてのアメリカ(電炉設備)進出を促し、その論理的必然が総計280億ドル超の巨額投資の背を押したのだろう。
*********************************
*注1)その背景には「スコープ3」=取引全領域でのCO2抑制義務責任があった。
■脱炭素「スコープ3」が焦点(22年1月7日・日経)=英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)のニューズレター「モラル・マネー」1月5日号は「スコープ3」を以下のように論じた。
2022年に企業経営者が絶対に覚えなくてはいけない用語があるとしたら「スコープ3」だろう。自社が事業で排出する分は「スコープ1」、他社から供給された電気やガスの使用に伴う排出は「スコープ2」、サプライチェーンなど取引先の排出分は「スコープ3」と呼ばれる。企業が出す温暖化ガスの65~90%をスコープ3が占め、この削減が急務とされる(略)。スコープ3の考え方は、温暖化ガスをより幅広く世界に与える影響で判断することを求めるものだ。企業に対してスコープ3排出を把握し、開示するよう求める圧力は間違いなく強まる(略)。こうした動きは、競合他社への対応圧力となる。どの企業も、スコープ3の情報開示を求める声から逃れられると思わないほうがいいだろう。
■製造から廃棄までの排出量、製品単位で表示(22年1月21日・日経)=経産省は製造から廃棄までの全過程でCO2排出を製品単位で示すしくみをつくる。まずEV蓄電池で検討し、鉄や食料品などに広げる。原材料調達からリサイクルまでのCO2の総排出量の表示は「カーボンフットプリント」と呼ばれる。欧州委員会は24年からカーボンフットプリント義務規則案を公表。27年から排出量が基準より多い製品輸入を禁じる内容で、日本から輸出できなくなる恐れもある。EUは鉄やアルミなどに国境炭素調整税を導入する構えだ。EU域内の製品よりCO2排出量の多い輸入品に事実上の関税をかけ、26年から負担を求める。
■CO2、取引先分も含めスコープ3の開示・大企業(25年3月6日・日経)=民間団体のサステナビリティ基準委員会(SSBJ)は5日、情報開示基準を確定した。自社拠点分だけでなく、原料調達など供給網分も開示を義務づける。温暖化ガスは工場など自社拠点での直接排出(スコープ1)、エネルギー使用に伴う間接排出(同2)、原材料調達や顧客の製品利用など供給網での間接排出(同3)の開示が必要になる。金融庁は新基準に基づき、27年3月期から時価総額3兆円以上の大企業に強制適用する。28年に1兆円以上の約180社、2年後に5000億円以上の約300社と広げ、最終的に東証プライム全社(約1600社)に適用する。
■排出量取引、義務化へ(25年5月29日・日経)=CO2排出量が年10万トン以上の企業に排出量取引参加を義務付ける改正グリーントランスフォーメーション(GX)推進法が、28日の参院本会議で成立。26年度から運用を始める。鉄鋼や自動車など300~400社が対象。排出量取引では、経産相が参加企業に1年間の排出枠を無償で割り当て、枠内でのCO2排出を許可する。企業が排出量を大幅に削減し、枠が余れば他社に売却できる。枠以上の排出があれば、その分を買い取る必要が生じる。無償枠は業界ごとに排出量を比較して決める。
■建築物CO2排出、算出要請(25年6月2日・日経) =国交省は建設から解体に至るまでに排出するCO2合計量を算出するよう法整備を進め、28年度にも制度を導入する。建物の生涯を通じた環境負荷の検証は「ライフサイクルアセスメント(LCA)」と呼ばれる。EUでは欧州委員会が28年から一定規模以上の建築物でCO2算出や開示を義務付けた。オランダやフランスでは住宅や事務所などで排出量上限を規制する措置も導入している。
*注2) 2024年8月11日。日経新聞。「NIPPON STEELへの挑戦脱炭素へ電炉転換検討」
*注3) 「脱炭素と金融 移行金融、電力や鉄鋼、債券発行や融資で『つなぎ役』の投資後押し」(2023年3月1日。日経新聞)=国際決済銀行(BIS)は脱炭素化により、経済価値を失う座礁資産が最大18兆ドルとはじく。そうした資産を担保とする銀行にとっては融資返済が滞りかねない事態に直面する。環境負荷の高い産業が事業縮小を迫られることで邦銀には50年までに7兆円程度の与信コストが発生する。電力や鉄鋼、運輸、化学といった排出量の多い企業は資金調達しづらい。そこで浸透しつつあるのが移行金融(注4)だ。温暖化ガスの排出量をゼロにする技術が実用化されるまでの「つなぎ」の資金供給といえる。
*注4) GX債、水素などへ10年20兆円(24年2月15日・日経)=財務省は14日、脱炭素資金を調達する「GX(グリーントランスフォーメーション)経済移行債」の10年債入札を初めて実施した。GX経済移行債は50年の温暖化ガス排出実質ゼロの実現に向け、政府が脱炭素支援資金を調達する新しい国債だ。10年間で20兆円規模の発行を予定する。20兆円のうち13兆円は使途が決まっている。脱炭素燃料として期待される水素の普及に向けて15年間で3兆円を投じ、鉄鋼や化学など製造業の脱炭素に10年間で1.3兆円を充てる。
以上