■はじめに=4月初め東京から私の携帯に着信があった。何でも金属営業条例に関する聞き合わせだ。外出先から帰り開いたパソコンのメールに以下の文章があった。
■BS-TBS側からの質問と依頼=現在番組で蛇口やバルブなどの金属窃盗が頻発している問題について取材しております。複数の者が公園や団地、田んぼなどのありとあらゆる蛇口を盗み、金属くずの買取業者に転売しているようです。田んぼで蛇口が盗まれている茨城県の買取業者に話を伺うと金属くずの買取については古物商許可などの法律による規制がなく、各都道府県の条例や同業者組合の取り決めで、個人情報を確認しているのみで、条例がない都道府県であれば誰でも買取業ができてしまう現状があるのが問題とのことでした。そこで冨高様に以下の内容についてインタビュー取材をお願いする次第です。
1. なぜ金属くず買取業者に法的な規制がないのか
2. 古物営業法の規制が金属くずにかからない理由は何か
3. 金属が高騰する中、金属買取業者への規制は必要ないのか
以上3点を質問させていただきますのでよろしくお願いします。
■その出会い=私は「日本鉄スクラップ業者現代史」(「第二部・復活する金属屑営業条例」)を17年発行し、hpでも自治体の関連条例の制定をモニターしていた。BS-TBSは、その私の行動を(ネットを通じて)発見しインタビュー取材を申し込んできたようだ。
■テレビ放映=BS-TBS 噂の現場(4月24日(日)13:00~13:54)噂の!のコーナー
蛇口やバルブなどの金属窃盗が頻発の謎?
■質問に備えて=私はインタビュー(WEB)取材に備えて、ビデオ収録の前にBS-TBS担当者に以下の「論点整理」をメール送信した。その論点整理文をここに再録した。
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金属屑条例・歴史的経緯と論点整理
1.なぜ金属くず買取業者に法的な規制がないのか
2. 古物営業法の規制が金属くずにかからない理由は何か
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1 歴史的には、金属屑商売は江戸から戦後49年(昭和24)までは、古物の代表例として国の「許可制」で監視されていた(吉宗の享保の改革で「鑑札」が始まった)。
しかし戦前の「古物商取締法」が、「古物営業法」(49年)に大改正された時、古物の解釈が変わった。「古物とは、そのままで、また幾分の手入れをして、その物本来の目的に用い得るものをいうのであって、全然形を変えなければ利用できないような、例えば屑鉄や屑繊維等は廃品であって、古物ではない」(1949年「古物営業法解説」36p)とされ、適用を除外された。従って、古物営業法規則・第二条(古物の区分)には金属屑の区分記載はない。
2 国には、金属類商売を直接には取り締まる法律はない。鉄スクラップなど金属屑類は「取締り対象とならず野放しになった」(57年大阪・金属くず条例懇談会、古物商発言)。国に代わって登場したのが、地方自治体が独自に制定できる「金属屑営業条例」である。
3 この金属屑条例の制定と廃止には、4つの大きな波がある。
*第一波は、古物営業法制定1年半後の50年(昭和25)12月、米国海軍の軍港がある佐世保市条例として初制定され、51年3月から52年7月まで山口、福岡、広島、高知、鳥取の西日本5県がこれに続いた。条文内容は、ほぼ古物営業法に準じた。
*第二波は、56年(昭和31)10月1日の神奈川、埼玉の同日公布から始まった。翌57年12月までの14ヶ月間に全国24道府県が条例制定に走り、58年は長崎、佐賀が続いた。
しかし、佐世保条例の先行例が嫌われたためか、東京や京都など有力自治体は、条例制定を回避した。第二波は結局24道府県に留まり、全国規模には広がらなかった。
*第三波は、条例廃止の形でやってきた。廃止は99年(平成11)高知に始まり、2000年(平成12)は7県(福岡、埼玉、熊本、山梨、愛知、三重、長崎)、2005年(平成17)にも5県(岐阜、神奈川、香川、鳥取、千葉)が廃止。6年間で合計14県が条例を廃止した。
*第四波が、今である。岐阜県が2013年(平成25)10月1日から「岐阜県使用済金属類営業条例」を再制定した。千葉県は15年4月1日「自動車部品のヤード内保管適正化条例」を、鳥取県は16年4月「使用済物品等の放置防止に関する条例」を施行した。また千葉市は21年11月「再生資源物の屋外保管条例」を制定した。金属屑営業条例を現在なお維持しているのは廃止後、再制定した岐阜県を含め16道府県である(全国の自治体の3分の1)。
3. 金属が高騰する中、金属買取業者への規制は必要ないのか
この設問は、金属屑営業条例制定の当初から論議の中心となった。
1 歴史的経緯=誰もが自由にできる商売を法的規制の下に置く。その論議は金属屑の高騰が大きな社会問題となった1950年代激しく戦わされた(大阪府金属屑営業条例懇談会速記録)。自治体や婦人会、商工会議所、電鉄関係などは、制定を求めた。しかし金属商売を許可制に、もしくは届け出制にするということは、行政・自治体に、法令運用の白紙委任状を渡すのと同じ。そう考えた業者は、条例反対に結集し、東京や京都は条例制定を断念した。
2 条例の現在=金属屑条例は、社会情勢の変化と共に「制定・廃止」に揺れた。58年のピークでも全国47都道府県中、制定は24道府県。99年以降6年間で14県が廃止して残存は16道府県だけである。ただにいったん廃止した岐阜県が2013年再制定し、その後、金属営業条例ではないが、その規制の一部を取り込んだ「自動車部品ヤード保条例」(千葉県15年4月)「使用済物品等放置防止条例」(鳥取県16年4月)から施行されている。
*その背景=2008年以降、資源高から金属屑が高騰。盗犯事件が多発したこと。またこの商品高から、違法なヤード開設が増加し、環境保全、住民生活対策を迫られたことがある。
3 法規制のバランスシート=盗品の転売は、第一義的には刑法の窃盗や盗品売買であり、その取締り強化の問題である。これとは別に地方自治体が条例を制定すれば、治まる問題ではない。また規制法ができたとしても、犯罪者は巧みに規制の網をくぐり抜ける。その規制法の網に苦しむのは、常に大多数の善良な業者であり、規制法よる弊害のほうが大きい。
4 社会的弱者にとってのセフティネット=さらに問題なのは、規制法が誰にでも出来る金属屑商売の自由をしばることだ。規制を求めるのは、すでに商売をしているヒトたちであろう。しかし金属屑商売は、実は(誰もが知っているが、誰も言わない)「社会的弱者にとってのセフティネット」なのだ。明治以来、古物商取締法などで一貫して規制されてきた金属屑が、なぜ戦後の「古物営業法」では規制の外に置かれたのか。歴史的にも、現実問題としても、誰でもが明日から、直ぐにできる商売が金属屑、故紙回収だった。戦後、まともな働き口がないなか、自由に商売できる余地を、国は敢えて残した。そう解釈もできる。
5 歴史から何を学ぶか=金属屑回収業の強みは、そのようにして「誰でもが、自由に、明日からでも、出来る」その開業の明るさにある。それは法的な権利(古物営業法の適用除外・規則第二条)である。だからこそ、先人たちはこれを規制する金属屑条例の制定阻止に結集した。 歴史から何を学ぶか。今、業界はそのことを問われている、と考える。
*なお「金属営業条例概説」は本hpの「マーケット分析」欄をご覧ください。
以上